お願いっ、勇者様!~村人が勇者になるのはまだ早い~
「もう遅い」があるなら「まだ早い」があってもいいじゃないと思って書きました。
どうしようもない話なのでお暇な時にでもどうぞ。
このバイエル王国では十五歳になると成人の儀として教会で神託を受けることになる。
カスターネット村のマルスは、本日めでたく十五歳の朝を迎えていた。
「マルス、朝よ。起きなさーい」
母のクララがいつものように台所から声をかけてきた。
マルスは今日のために母が仕立てた一張羅に着替えると、部屋を出る。
「おはよう、母さん」
「はい、おはよう。寝坊しなくて良かったわ」
母の軽口にマルスはふてくされる。
「大事な日に寝坊なんかしないよ」
「どうかしらね。今日から大人なんだから、起こされる前に起きる癖をつけなくちゃダメよ?」
「もぉー。わかってるよ!」
マルスは母と二人暮らしだ。
父のアレンは腕の良い狩人だったが、マルスが十歳の時に村に現れた鬼豚退治の怪我がもとで死んでしまった。祖母もいたのだが昨年亡くなっている。
マルスは母と二人で畑を耕し、農作物を荒らす狂い兎などの害獣と戦いながら生きてきた。
「早く食べちゃいなさい。ルードさんとこの荷馬車で町に行って、ちゃんと買いだししてきてね」
「そこは教会で神託頑張れって言うとこじゃないの?」
カスターネット村には教会がないため、成人の儀には隣町のトラ・イーアングルの町まで行かなければならなかった。
「神託なんて気休めみたいなものでしょ。マルスが納税者として認められるほうが大変だわ」
大人には納税の義務が課せられる。母にはそちらのほうが心配らしい。
神託とは、神が(というか教会が)適正職を示してくれるものである。
今までの努力を見て導き出した、ふさわしい仕事というだけだ。
たとえば幼い頃から山を駆け回り狩りをしていた子供はたいてい『狩人』になるし、魔法の勉強を続けていた者は『魔法士』になる。母は機織りと裁縫が得意だったので『針子』が適正職だったらしい。
どの道を選ぶも結局は本人が決めるのだ。いくら神(教会)でも、剣を持ったこともない者を『剣士』にはしない。
「俺はやっぱり狩人がいいな。鍛冶師も憧れるけど、ティーシャが料理人だし。農民やりつつ狩人兼業したほうが効率いいしな」
父の形見である長槍や弓の手入れをしてきたのはマルスだ。おかげで害獣退治は様になっている。
ティーシャは幼馴染で、将来の約束をした少女だ。彼女は一足早く成人の儀を済ませている。
「ぶつぶつ言ってないで早く食べなさい。今日は忙しいんだから」
「はーい」
隣のトラ・イーアングル町までは、村唯一の商店であるルードの荷馬車で行く。馬車と言いつつ牽くのはロバだ。働き者のいいロバで、村の人気者だ。
行きは村で採れた野菜や果物などを積んで行き、帰りは酒や注文された品物を積んで帰る。
マルスは害獣の情報があれば護衛でついていったことがあるため、慣れたものだった。
「じゃ、行ってくるからちょっと待っててください」
「はいよ。成人の儀なんか十五分くらいで済むから、気張らずに行ってこい」
教会の前で下してもらい、服に乱れがないか確認して中に入る。
「こんにちは、シスター。今日は成人の儀で来ました」
「おやまあ。マルス坊やがもう成人ですか。月日が経つのは早いねぇ」
この教会には神官がおらず、修道女のおばあちゃんが一人でやっている。成人の儀は教会本部から配布された水晶玉に触るだけなので、辺境の町にはおばあちゃんで充分なのだ。
「はい、じゃあこれに手を置いて、今まで頑張ってきたことを神様に教えてくださいね。そうしたら、神様があなたにふさわしい職業を授けてくださいますよ」
本来ならもっとくどくどと難しい言葉で説明するのだが、学校のない村で生まれ育ったマルスは無学である。説明されてもわからないだろうとシスターは子供にもわかりやすい言葉を選んで伝えた。
マルスはろくに字を読めないし、書けない。必要最小限の計算だけはルードに教わった程度だった。別にバイエル王国では珍しくない、どこにでもいる村人だ。
「はい」
水晶玉にぽんと手を置く。
父が死んでから、母と祖母を守るため、懸命にやってきた。農作業はマルスの肩にのしかかり、せっかく育てた作物を荒らす狂い兎や戦闘鹿、牙鼠などと戦った。
ティーシャと二人、働く村人のために、食堂を開くのがマルスの夢だ。
水晶玉が光りを放ち、マルスは目を閉じた。
瞼の向こうが暗くなるのを待って目を開ける。水晶玉に浮かび上がっていたのはせっかく覚えた『狩人』ではなく、読めない文字だった。
「シスター、これなんて書いてあるの?」
シスターは驚愕に目と口を大きく開け、腰を抜かしそうな有り様だった。
ごしごしと目を擦って頭を振り、シスターがもう一度水晶玉を見る。
「ゆ……」
「ゆ?」
「ゆ、勇者……」
「ゆ、ゆしゃ?」
マルスは勇者を知らなかった。識字率の低い村には絵本などという物はなく、子供が憧れるのはもっぱら狩人か釣り名人だ。英雄譚より腹を満たすほうが大事。
首をかしげるマルスにシスターが説明してくれる様子はなく、ひたすらあわあわしている。マルスはがっかりしながら水晶玉から手を離した。勇者が何かは知らないが、狩人ではなかったのはわかった。
母だって適正職は針子だったが、布や糸を織るだけではなく染めもやって一から服を作っている。細工師だった人が町に出ていつのまにかカジノの支配人になっていたりするのだからそんなに深刻なものではなかった。
「ルードさん、お待たせしました」
「おかえり。で、どうだった? マルスはやっぱり狩人か?」
「それが、ゆゆしゃ? ゆしゃだかいう、よくわかんないやつでしたよ」
「なんだそりゃ」
マルスが無学であるように、ルードもまた勇者を知らなかった。揃って首を捻る。
「ゆ、湯の医者ってことは、温泉で湯治するときに指導してくれるやつか。商人仲間にそういう施設を聞いたことがある」
「温泉? でも村に温泉ってないですよね」
「そりゃ風呂付宿でいいんじゃないか? ま、適正職ってのはちょっと上手くいく道を教えてくれるってだけだからな。ティーシャちゃんとの食堂が上手くいけばそういうこともあるかもしれん。焦らずにやるこった」
「ですよね」
成人の儀、と御大層に銘打っているのは教会の権威を示すためだ。国は人の努力を認め、しかしどう生きるか迷える子供に神託という形で仕事を斡旋する。納税してもらうためには仕事が必要なのはどこの世界も変わらない。
神託なんて誰も信じていなかった。あの水晶玉は子供の記憶を強く呼び起こし、自分が本当にやりたいことを自覚させる魔道具。そういうふうに思われていた。
マルスはルードの仕事を手伝い、昼には村に帰りついた。
一方でシスターは大慌てである。
呆然自失から我に返ればすでにマルスはおらず、教会本部に連絡しようにもこんな辺境には通信用の魔道具なんて便利なものは置かれていなかった。一番早い連絡手段は鳩である。
そして、教会本部と国はずぶずぶの関係だ。
勇者が選ばれたことを知らせても真偽を確かめに来るだろうし、その後も利権だなんだと揉めるのは目に見えている。
シスターは、もうこのまま放っといていいんじゃないか、と思ったが、一応知らせることにした。
『勇者』『聖女』『聖賢』『剣聖』などの職が示された時は報告するよう義務付けられている。シスターは自分の身が可愛かった。せめて老後くらいは田舎でのんびりしたいものである。
現在バイエル王国で発見されている『聖』職者は聖女と剣聖だ。どちらも貴族の出で、幼い頃から研鑽を積んできた。
金にものを言わせた、と口さがない噂もあるが、あくまで噂である。
たとえその二人が、とても戦いに不向きな美女であっても。美男子ばかりを揃えた騎士団を引き連れて町を練り歩いていようとも、噂に過ぎなかった。
シスターが懸念した通り、マルスの元に王国からの使者が訪ねてきたのは彼の頭から勇者がすっかり抜け落ちた一ヶ月後のことだった。
「もう、どうしてわたくしたちがこんな辺境に足を運ばなくてはならないんですの?」
自慢の金髪縦ロールを弄びながら聖女がぼやいた。
豪華な馬車に乗り、聖女のお通りに歓声をあげる民衆に笑顔で応えていた時とはえらい違いである。
「仕方があるまい。勇者が召喚に応じなかったのだから」
向かいに座っている剣聖がため息まじりに言った。気の強そうな顔立ちに燃えるような赤い髪を後ろで一つにまとめあげている。
「生意気ですわ。平民の癖に」
聖女はまだぶつぶつ言っている。
そうなのだ。
勇者に選ばれたというのにマルスは召喚に応じなかった。
理由は簡単。召喚状が、読めなかったからである。
よって、マルスは郵便事故だと思い、受け取り拒否をした。仮に読めたとしても旅費が捻出できないので結局応じることはできなかったであろう。
国王サイドはそんなマルスの事情など知る由もなく、さては勇者に選ばれた少年は勇者になることを拒否したのかと受け止めた。
今現在魔王領との戦争は勃発していないが、勇者を擁する国はそれだけで箔がつく。聖女や剣聖の我儘を許しているのはそのせいだ。
辺境の老シスターが本部を騙すとは思えない。何かの間違いであることを考慮し、司祭クラスの神官が同行していた。
そうとも知らないマルスは今日も畑仕事に精を出していた。ティーシャとの夢の食堂に向けて、彼は頑張っている。
他の村人もそれぞれ畑仕事や機織りなど、それぞれの仕事で忙しい。
きらびやかな一団が村に到着した時、出迎えに立っていた者は誰もいなかった。村長でさえ昼間は畑仕事をしているような村なのだ。
「さ、先触れは出したはずなのですが……」
聖女自らのお越しに誰もいないという状況に、目に見えて彼女の機嫌が悪くなっていくのを感じた騎士が慌てて村長を探しに行った。
先触れはたしかに届いていた。しかし王都から辺境までの道のりのため、いついつ頃に行きます、という曖昧さだった。
そして辺境の村人は、みんなのん気であった。五時に待ち合わせしたら五時に家を出る、田舎時間で動いているのだ。
ややあってぞろぞろと集まってきた村人のみすぼらしさに、貴族令嬢である聖女と剣聖の眉が嫌悪に歪んだ。
「マルスというのは、どなたかな?」
「あ、はい」
腰に短弓、片手に鍬を持ったマルスが前に出た。彼を見た聖女と剣聖が目を瞠った。
黒髪に黒い瞳の泥まみれの少年は、美男子を見慣れた二人が見惚れるほどの美少年だった。素朴で可愛らしい顔立ちに均整の取れた体つき。先程まで畑仕事をしていたせいか、汗が光ってこんな村には似つかわしくないほど輝いていた。
なお、他の男たちも汗まみれなのだが、この二人には汗臭そうとしか思われていない。
「勇者の職に選ばれたというのになにゆえ王城に参られぬ。まさか辞退するつもりではあるまいな?」
じろりと威厳を出して睨みつける騎士に、マルスは首をかしげた。
「ゆいしゃ……? って、ああ、あの風呂付宿のことですか? 俺みたいな若造にはそんな資金ないし、まあおいおい考えればいいかな、と」
「……?」
マルスや他の村人の間ではすっかり風呂付宿の経営者で話がまとまっていた。店を持つことは村では出世者である。ティーシャはみんなから羨ましがられ、すっかりその気になっている。
一方でわけがわからないのは聖女と剣聖の一行だ。勇者が経営する宿屋など想定外である。あたりまえだ。
「あと、王城って何のことですか?」
曇りなき眼に見つめられ、騎士のほうがたじろいた。
「え、えーっと、郵便で召喚状が届かなかったか?」
「……? 誤配ならちゃんと返還しましたけど」
各人の頭に「?」が浮かぶ中、埒が明かないと司祭が進み出た。
「ま、まあ、はっきりさせればいいでしょう。君ちょっとこれに手を置いてくれるかな」
マルスは素直に手を置こうとし、服でごしごしと手を拭ってから置いた。
はたして水晶玉に浮かび上がった文字は『勇者』であった。おおっ、と司祭や騎士が歓声をあげる。
それ以上に喜んだのが聖女と剣聖だ。この育てがいのありそうな美少年が自分たちのものになると信じて疑わない二人は、喜色を浮かべて駆け寄った。
「勇者様!」
「勇者様、お会いしとうございました!」
二人の美女に迫られたマルスの顔が引き攣った。嫌だったわけではなく、顔のレベルが違いすぎて怖かっただけである。すかさずティーシャがマルスを引っ張って救出した。
「村長、どういうことです?」
母のクララも何が何やらである。美女一行に話しかけるのは身分不相応の自覚があったので、事情を知っていそうな村長に詰め寄った。
「いや、なんか、国からお偉いさんが来るって通達があったんだよ。なんでもマルスが勇者だとか」
さすがに村長は勇者を知っていたが、マルスが風呂付宿と伝えていたため何かの間違いだと思っていたのである。悲しい伝言ゲームの結果だった。
「風呂屋に国が何の用なんです。……詐欺では?」
こんなきらきらしい詐欺師がいてたまるか、とも思うが、詐欺師というのは見た目や経歴を偽るものだ。マルスの疑いの目に、司祭が慌てて正式文書を見せた。
「詐欺ではないっ、これが証拠だ!」
「俺、字なんか読めませんし。そうやって一見それっぽい証拠を持ち出してサインさせようとするのは人身売買かなんかの詐欺だって、ばっちゃんが言ってました」
マルスの祖母は村の知恵袋といわれるほど頭が良かった。ばっちゃんの教えに村人が一気に警戒する。
「字が……読めない? 王城に来なかったのはそのためか……」
司祭が深々とため息を吐いた。
「お城に来いって言われても、旅費もないんじゃ行けませんよ。そもそもどこにあるのか知りません」
すっかり詐欺団だと決めつけたマルスがティーシャと母を背に庇いつつ距離を取る。城の場所どころかこの村には地図もなかった。聖女と剣聖の一行は王都の場所すら知らないマルスに驚いているが、無学な村人なんてそんなものである。
完全に、教会と国の落ち度だった。辺境の村の教育水準の低さを考慮せず、呼びつければ喜んで尻尾を振ると思っていたのだ。
「……わかりました。説明しますからひとまず役場に案内してもらえませんか?」
マルスはピンときた。
「そうやって家を占領して村を乗っ取るつもりだろう!? 家に入りたがるよそ者には注意しろってばっちゃんが言ってた!」
カスターネット村の村役場は、村長の家だった。
どう見ても、一行が乗ってきた馬車のほうが豪華である。
子育て中のメスライオンのように警戒、威嚇してくるマルスたちに、茶の用意をしろ、もてなせ、とは聖女でも言えなかった。絶対に自分たちで用意したほうが美味しい紅茶が飲めると確信する。
村から離れろと言われた騎士たちが街道で野営の準備をはじめる間、マルスと村を代表して村長、母のクララとティーシャが彼らの話を聞くことになった。ほかの村人は、男は農具を手に持ち女は鍋や包丁を持って、何かあれば戦う姿勢を示している。
『勇者』というのは風呂付宿ではなく『勇気ある者』のことで、つまりは英雄職のひとつだという。それに選ばれるのは世界的にも珍しく、現在バイエル王国に聖女キアラと剣聖グロリア、聖リスト公国に聖賢ヴァルツ、東方連合国には拳聖レンとリンがいる。
『聖』職者がこの時期にこれほど発見されるのは珍しい。もしや魔王領との戦争がはじまるのでは、と各国首脳は懸念していた。
そしてだからこそ、勇者の発見を待ち望んでいたのである。
「……何かの間違いじゃないですか? 俺、村人ですけど」
マルスが呆れたように言った。
人選ミスにもほどがある。どう考えてもただの村人には荷が重かった。
のん気でのどかな村でのんびり育ったマルスに魔王領との戦争なんて言われても、実感がない。
「教会の職業斡旋どうなってるの?」
「教会ではありません。神の神託です」
司祭が慌てて訂正した。そりゃ色々と忖度はあるが、認めるわけにはいかないのだ。
「それより、もしもマルスが本当に勇者? とかなら仕事内容は? 戦争なんか起きてないし、その辺はどうなるの?」
ティーシャが現実的な事を訊ねた。ティーシャの隣りにいる母も深刻そうにうなずいた。
「仕事内容としては、王城勤めになります。勇者様は国の保護対象ですから、兵士に稽古をつけていただくこともあるでしょう」
「え、村を出るの?」
マルスとティーシャが顔を見合わせた。親密な様子に聖女と剣聖がむっとする。
「あ、はい。それと、各国への慰問活動や魔獣の討伐もしていただくことになるかと」
「それって出張費出ます? 単身赴任ってことは家賃の補助は? 危険手当や保険はどうなるんですか?」
「落ち着いてティーシャ、問題はそこじゃないよ」
流れるような怒涛の質問をするティーシャをマルスがなだめた。
「そうよ、ティーシャちゃん。まずは基本給の確認からでしょう」
「母さんも違うから」
マルスは司祭に向き直った。
「あのですね」
「は、はい」
司祭が姿勢を正した。
「現実的に考えてみてください。さっきも言いましたが俺は読み書きができません」
「はい」
「もちろん外国語なんかしゃべれません」
「え……っ、はい」
え、問題ってそこ? と司祭は思ったが、とりあえずうなずいておいた。
「兵士に稽古をつけるも何も喧嘩くらいしかしたことないですし、せいぜい害獣用の罠とか、狩りとか……」
「……はい」
だんだん言わんとすることがわかってきた。
「それで英雄って言われても無理がありません?」
心底不思議そうなマルスに、司祭は「そうですね」としか言えない。
戦いのなんたるかを知らない世界の子供に、勇者なんだから全世界の運命を背負って戦え、と命令するのは非人道的であるのは司祭でもわかった。外道か貴様。
反論のしようがない司祭に代わり、聖女と剣聖が食い下がった。
「お待ちください勇者様! 経験不足はこれから補えばいいだけですわ!」
「そうです! それに勇者様がいてくださるだけで、どれほど私たちも心強いか!」
せっかく見つけた美少年を逃がしてたまるか。そんな思いの二人に、マルスは冷めた目を向けた。
「なら、適当な騎士を、勇者だったことにすればいいじゃありませんか。もっと適任がいるでしょう?」
それこそ優秀な者が城には集められている。バイエル王国の王子や騎士、魔法士はマルスよりよほど強かった。
「正直、俺なら安く使い潰せると思っているようにしか聞こえません。勧誘にしてはお粗末すぎです」
未成年の頃から働いてきたのだ。一応これでも狩人の実績があり、トラ・イーアングル町の狩人組合からは正規組合員になったほうがいいと言われたこともある。正規の組合員なら値切られることはないし、害獣の情報収集やパーティを組みやすくなり、各種保険に加入できた。転職による脱会もできるため、マルスはさっそく登録してある。
「勇者よ!? なりたくてもなれるわけではない、選ばれし者の義務をなんと心得るのです!?」
聖女がやっと聖女らしいことを言った。
「職業に貴賤はないってばっちゃんが言ってた」
マルスはあっさりと一蹴した。
「あなたたちははじめから、勇者に選ばれたのだからありがたがれと言わんばかりの態度でした。小さな村に暮らす村人なら簡単に丸め込めるとでも思ってたんでしょう」
「今こうしている間にも魔獣に苦しむ人々がいるのですよ!?」
剣聖が情に訴えてきた。
「……人は助け合って生きていくもんだとばっちゃんは言ってました」
マルスの言葉に「ならば」と剣聖が食いついた。マルスの目がますます冷たくなる。
「あなたたちは要求ばかりですね。魔獣に苦しむ人がいるなら俺の勧誘なんかに時間とってる場合じゃないでしょ。今すぐ助けに行ったらどうです」
「……っ」
悔しそうに息を飲んだ剣聖にマルスは冷ややかな笑みを浮かべた。そういう笑い方はいかにも似合わず、だからこそ迫力があった。
「それに、もしも勇者の故郷だと村が襲われたら? 母やティーシャが人質に取られたら? 俺がいなくなったら畑の面倒や害獣退治の人手が足りなくなるわけですが、そこはどうお考えで?」
考えていなかったのか、聖女、剣聖、司祭がうつむいた。
「……勇者様」
意を決した聖女がとっておきの笑みを浮かべてマルスにしなだれかかった。白魚のような手が、マルスの泥とマメの付いた手をそっと撫でる。
「そのようなことをおっしゃらないで。わたくしと、剣聖のグロリアがお側でお仕えしますわ。わたくしたちと、王城へ行きましょう」
聖女は自分の美貌に自信があった。王都では聖女が微笑めば魔王ですら落ちるとすら言われている。認めるのは癪だが剣聖も美女の類だ。
優美で淑やかな聖女と、溌剌としたうつくしさを誇る剣聖。他国からいつも羨ましがられる双璧だった。勇者が落ちないはずがなかった。
「いや、俺が側にいたいのはティーシャなんで」
ところがマルスは聖女の手を振り払い、あろうことか撫でられた手を服で拭った。薄気味悪そうに聖女を見ている。
「……は?」
まさかそんな反応をされると思わなかった聖女は呆然とした。そっとマルスに寄り添ったティーシャが視線に気づき、勝ち誇った笑みを浮かべる。
「な、なんですのその女はっ。先程からしゃしゃり出て、身の程をわきまえなさいっ!」
「俺の妻ですが、なにか?」
さすがにこの言い分にはカチンときたマルスが大きな声で言った。
妻。
ある意味一番しゃしゃり出る権利のある立場の女だ。
「え」
「え」
まさかの妻に聖女と剣聖が一声漏らして絶句した。
「つ、つ、妻ということは、結婚しておられるので?」
「そうですよ」
結婚したのはまさに成人の儀の当日だ。あの日マルスはルードの荷馬車に結婚披露宴用の振る舞い酒や菓子、ごちそうのための食材を積んで村に帰っていた。。
「は、早いですね……?」
「村じゃこんなもんですよ?」
場合によっては聖女や剣聖ではなく王女と娶せようと思っていた王国側にとって予想外もいいとこだった。
「ティーシャは俺がガキの頃から口説きに口説いてやっと結婚にこぎつけた、世界一の嫁さんですからね。嫁さん泣かせるわけにはいきませんよ」
「やだもう、マルスったら!」
平然とのろけるマルスにティーシャが歓喜の表情で腕にしがみついた。母が「よく言った!」と大きくうなずき、見守っていた村人たちも口笛を吹き拍手をしてのやんやの喝采を叫んでいる。
「そ、そんな。あんな子供に……?」
「くそっ。悔しくなんかないんだからなっ」
高嶺の花になりすぎた聖女と剣聖はすでに二十歳を過ぎている。もちろん独身だ。男を侍らせてはいるが実はこれでも純潔である。
バイエル王国では一夫一妻制、離婚は認められるが浮気はご法度だった。不貞には厳しく、慰謝料は相手の言い値を支払うことが法律で定められている。
がっくりと膝を突く聖女と剣聖に、選り好みしてるから結婚できないんだよ、などと真実を告げることなどできず、司祭は黙って憐れんだ。
「あのー、そういうわけですんで」
ひとしきりティーシャとのいちゃいちゃを見せつけて、マルスが言った。
「詐欺じゃないんならさっきの問題点洗いだして解決策持ってきてください。権力者は権力振りかざせば庶民は言うこと聞くと思ってる、利用されるだけだってばっちゃんが言ってましたし、前向きに検討させていただきます」
まだ詐欺を疑っていた。そしてばっちゃんは何者なのか。
「……ハイ」
前向きに検討します、がお断りの意味であることを知る司祭は力なくうなずいた。考えるだけで胃が痛い。ばっちゃんの教えが的確すぎて勝てる気がしない。
村人が勇者に選ばれたけど、村から出るにはまだ早いと言われました。
まだ早いがブームになるのはまだ早いかな?