悪意
植物と虫は、本来、協力関係にある。蜜を受け取る代わりに花粉を仲介する虫は、植物にとって、大切なパートナーのはずだ。しかし、ごくたまに、虫に害をなす植物がいる。虫を食べるもの。虫を殺す成分を隠し持つもの。
見た目は可憐な花なのだが、種を乾燥させると、虫が死んでしまう薬ができるものもある。原因は不明だが、植物も進化する。
赤い花はそういった花の一種だという。その花は、蜜を吸う虫を痺れさせるという。そこにいるだけならば、人への害はない。しかし、いぶしたものを吸い込むと・・
「暗示?」
「ああ。暗示にかかりやすくなる。というか、ほぼ事実として信じこんでしまう。」
「僕らは、割と神格化されてるから、適当に伝説作っていなくなるほうが楽なんだ。本来の姿が見られると結構面倒。」
つまり、龍の中ではよく使われる薬の原料らしい。
暗示。最初に発見した人は、花を燃やしたときいた。でも、燃やしたのは誰か、紗椰は知らない。それに、花と水溜まりの関係は?あの沼は?
紗椰は、花に近づいた。害はないときいても、やはり少し怖い。花に近づくと、不意に足元がぬかるんでいて、あしをとられた。
とっさに後ろから回された手はアオのものだ。
「平気か?」
「あ、ありがとう。」
花が、水の回りを囲んでいたイメージだったけど、これは、花の周りに水がにじんでいる。
「この花・・。ねえ。水を溜める花ってあるのかな。」
アオを振り返って初めてまたもや、後ろから抱きしめられた格好なのに気づいて硬直する。アオは、あまりに自然体で、ちょっと首をかしげる。アオって、つかめない。
「アオ、過保護。」
シロがちょっと低くつぶやき、アオは「ああ、」と腕を解いた。
「花については、疑問はちょっとあるけど、大体わかるよ。サヤちゃんのいってた流れとはちょっと順番が違うんだ。」
シロが、説明するには・・
赤い花は、そもそも毎年花が咲く植物ではない。普段は目立たない雑草にすぎないのだ。その種となるのが・・
「龍の鱗なんだ。だから、あまり、知られていない。」
どうやら、この国には、もとから生息していたということだ。なぜ龍の鱗が散らばっていたのか、については、とりあえず置いておく。
鱗は、水を溜めておく性質があり、一定まで溜まると今度は水を外に出す。その時一緒に赤い花を咲かせるという。
「龍の鱗は水と一緒に汚れも吸収してるんだ。しかも小さいところに溜めるためにぎゅっと濃縮してる。滲み出てくるときにはある程度浄化してはいるけど完璧じゃないから、濁ってこんな風に沼地みたいになることもあるんだ。」
つまり、龍の鱗が水を溜めきったために水が滲み出し、同時に鱗からもともと生えていた植物に、花が咲いた。井戸も問題ないし、花に由来する水不足は勘違いによるものだ。
「雨についても、さほど深刻ではない。」
アオが続ける。
「この地形なら、雨が降りにくい期間があるのは珍しくない。」
「こういう、周りを囲まれた場所は、小さな砂漠ができることもあるんだ。風が崖を登りきれないから、湿った空気がたどり着かない。崖の外は雨が降っていたはずだよ。問題は・・。」
シロが詳しく説明してから、言葉を切った。二人は紗椰を見る。
(二人とも、分かってるんだ。私が気づいていることも。)
紗椰は言葉を選びながら話した。まだ、確信ではない。
「赤い花、蜜、水不足をつないで、花嫁を出そうと誘導した誰かがいる・・ということ、だよね?」
なぜ、と思う。近くにいて、皆が信頼する助言者。この流れの不自然を全て解決してしまう、可能性。
「おやおや。紗椰様、こんなところに。もう、まちくたびれたぞ。」
「長老!」
紗椰はびくっとした。今、彼はまちくたびれた、と言わなかったか?花嫁として、身を投げた紗椰を待っていた??
「紗椰。こいつはいつから長老だ?」
アオが聞く。紗椰は記憶をたどる。国の皆は、親を亡くした私の世話をいっぱいやいてくれて、長老はいろいろ助言をくれるおじいちゃんだったはずだ。しかし、具体的な思い出が全くない。思い出せるのは、今回の出来事に関わる部分だけ。気が付けば当たり前に、足を運んでいた。
「まさか、全て赤い花の暗示?」
可能性を口にする。そのとたん、今までのことが妙にすっきりとつながる。民たちは、なぜ義母の敷地にある湖を欲したか。なぜあの日、彼らは簡単に捕まってしまったか。なぜ、義母である女王は、東矢の婚約者が愛惟であることを知っていたか。全て、裏で仕組まれていたなら。長老が自分の立場と暗示の力を使ってそうなるように仕向けていたとしたら。
花嫁の儀式があの短時間で実現したのも、理解できる。
紗椰は、もう一歩深く思考する。
あの時、もう一人、大事な役割を果たした人がいたのではないか。
女王のそばにいた、花嫁の儀式を仕切る人物。
(「紗椰様は、愛惟殿を花嫁にせずに、国を助ける方法があるというのですね?」)
あの言葉が紗椰を後押しした。「愛惟」を花嫁にしない、という選択肢。
「玲我?」
なんの確信もないまま、思い付いた名前を口にする。
長老の体がゆらりと、ゆれた。