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午後はちょっぴり苦めのコーヒーで  作者: 藤山紗綾
第1章 底辺生活
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1話 エレオノーラ・ダールベルク

 エレオノーラ(わたし)が産まれたのは「787年4月7日」。そして今日は「790年1月27日」。

 今わたしは、二歳だ。

 転生してから二年の月日が流れたわけで、二年も経てば「新しい自分」についても色々とわかってくる。


 名前はエレオノーラ・ダールベルク。今は二歳。

 わたしの産まれた国は西の大陸の中央に位置している『ルーヴェンツィア』という王国だ。

 ルーヴェンツィア王国は24の領地で構成されており、わたしの産まれたダールベルク侯爵領は国の北西部にある。

 24の領地を治める家には序列と呼ばれる階級が存在し、「序列が高い」=「その家の権威」となる。

 『ダールベルク侯爵家』は序列五位。まぁ、大貴族と言っていいだろう。

 わたしはその大貴族の第一子にして、長女。


 現侯爵ヘルトヴィヒ・ゲルダ・ダールベルクはなんと、現在23歳。つまり、わたしを産んだ時はまだ21歳ということだ。

 これを聞くと早期結婚早期出産をしているように思えるが、実はそうでもないらしい。何でも、この世界の成人は15歳なのだ。

(有り得ないよね、ほんと。早すぎだって。この世界基準ならわたし、前世でもう、結婚もお酒も許されてたわけでしょう? ……異世界ってこわい)


 父は序列一位のアムスベルク公爵家の先代当主の長男にして、現アムスベルク公爵の実弟。しかも、第一王妃の実弟にもあたるらしい。

 名前を『ラインヴァルト・ダールベルク』。

 アムスベルク公爵家の特徴と云われる銀色の髪に赤色の瞳を持ったダンディな見た目をしている。


第一王妃は現国王の寵愛を一身に受ける寵妃だ。王妃としての権威も備えているらしい。

 この国の貴族は一夫多妻制だ。爵位が上になるほど多くの妻を抱えることが許される。

 わたしは女である母が侯爵位についてるから、それを実感することはないのだけど……。こわいよね、この世界。異世界ってこわい……。


 一人の男性が複数の妻を抱えてることもこわいけど、あの父が王族の家族ということにもびっくりした。つまりわたしは『王室』の一員というわけだ。

(……びっくりだよね)

(……うん、わたしも)


 この世界は姓と名前の間をミドルネームとは呼ばない。母の持つ「ゲルダ」というのは、「現当主」ということ。

 例えば、次期当主を『ルナン』。次期元首を『フェリクス』。現当主を『ゲルダ』。現国王を『ウーヴェ』。英雄を『ルイズ』……。と、例を挙げればきりがない。

 称号を複数持つ人もいるそうだが、そうすると名前が長くなるから、可哀想だなと思う。


 ダールベルク侯爵家はアムスベルク公爵家の分家。だが、アムスベルク公爵家の分家として有名なのはもう一家ある。

 序列三位の『ヒンデベルク侯爵家』。

 アムスベルク公爵家、ヒンデベルク侯爵家、ダールベルク侯爵家の三家の総称は『ベルク一族』。


 父ラインヴァルトがアムスベルク公爵家の血縁であるように、ヒンデベルク侯爵家と他二家も血縁関係にある。

 仲良し……かは、歴史書だけじゃよくわからないが、仲は悪くないと思う。


この世界の貴族の名前は長い。名字があるのは貴族だけだ。平民は長い文字を持つことは許されないそうだ。

(すごい身分社会。……こわいね)

だから、わたしの名前も少し長いように感じる。

名前を呼ばれるのも、覚えるのも一苦労だ。


それは兎も角。


 エレオノーラ・ダールベルクは侯爵家の長女だ。今更だが、つまりわたしは貴族。

 貴族には独特の『文化』というか、この世界の『伝統』がある。

転生当初、わたしはひどく驚愕させられた。


 今わたしは、二歳だ。そして二歳児のわたしは、赤子の頃から同じ部屋に居る。一歳になってからは時々『庭』に出してもらえるのだが、庭以外の『外』への外出は許されない。

 しかも、この世界の貴族は二歳児を平気で独り放っておくのだ。

(最低だよね。うん、わかる。わたしもそれ、思った)


 貴族の旧套で、子供が六歳になった時に行われる『洗礼式』を終えるまでは屋敷から出てはいけないのだそうだ。しかも、乳母と家族以外には会うことも許されない。そのため、わたしは未だ三人以外に会ったことがない。


 弟妹もいないため、この部屋にはわたしだけ。というか、洗礼式前の子供が住む『西の塔』には今わたしだけ。だが、それは仕方がない。そういう文化だからだ。わたしは別に旧套を脱する気はないのだ。だから、こうして大人しくしてる訳だ。


(うーん……でも、暇なんだよなぁ……)


 これらの知識は、ある日突然部屋に置かれるようになった『本』から得ている。

 それまでは本当に、この世界のことも何も知らなかったのだが、本から知識たくさんのことを知ることに成功した。

 そこで面白かったのが、この世界の言語だ。


 どうやらわたし、言葉を自由に操れる。

 というのも、この世界の文字で、わたしの読めない文字はない。

 ルーヴェンツィア王国の共通語である『ドレア語』はもちろんのこと、北の大陸の神聖国の言葉まで自由自在だ。

 初見でも初聞でも関係ない。話すことも、読むことも、書くこともできる。しかも、意識するだけでそれらを操れるのだ。

 普段は相手がドレア語で話すので、無意識の内にわたしもドレア語で話す。だが、少し意識すれば神聖国の言葉も日本語も、自由に変換できる。

(便利だけど、地味……!!)


 この能力は『転生者』の特典だろうか?

 まぁ、なんでもいいが、結構便利だ。


 置かれる本は様々な国の言葉で書かれている。ドレア語も勿論あるが、西から東まで。沢山の国の言葉で書かれているため、わたしはこの地味な能力を発見することができた。

 乳母と両親はわたしがこの歳で話せることに喜び驚いていたが、わたしは地味な能力を持った転生者だ。だから、褒められても「中身ほぼ大人だし」と思うだけで、決して付け上がったりはしない。

 それより、わたしはこの本を送ってくる人が天才だと思う。


 どうやら、これらの本はアムスベルク公爵家からの贈り物らしい。正確にいえば、アムスベルク公爵家に居るわたしと同い年の子供の使い回し。

 その子供、本当に天才だと思う。

 わたしが春生まれで、その子は冬生まれだから、歳はほぼ一年差ある。

 

 わたしはあと三ヶ月で三歳を迎えるわけだが、今はまだ二歳児だ。つまり、その子は今まだ一歳なわけだ。

(……いや。天才すぎでしょ)

 これを『天才』と呼ばずに何と呼ぶか。


 一歳児にこんな知識の得られる本を贈る母親もどうかと思うが、それを読む一歳児はもっとどうかと思う。そして、その母親は処分に困ったのか知らないが、子供の読み終えた本を毎回弟である父ラインヴァルトに贈るらしい。そして、ラインヴァルトはドレア語のものは兎も角、他は読めないからか、わたしに渡す。そして、暇なわたしはそれを能力を使って読む。……と、こんな具合でわたしはこの一年を過ごした。


 『本』の内容は本当に多種多様で、恋愛ものから学習書、絵本まで。数学や楽器の説明書とかもあったな……。

 それらの本は毎回子供の方から要求してるそうだ。

 ……一体何を考えて要求してるのか知らないが、これに関しては子供よりも親を疑う。子供に頼まれ、すぐ素直に各国の本を集めちゃう母親の方がどうかしてると思う。


 極論。アムスベルク公爵家はおかしい。


 でも、そのおかしい母娘のおかげで結構たくさんのことを知れた。例えば、魔術について。

 この世界には『魔術』と呼ばれるものが存在する。……『魔法』といった方がわかりやすいかもしれない。


 『魔術』を使うには『魔力』が必要なのだが、魔力は貴族しか持ち得ない。平民は魔力を持たない、つまりは魔術という非現実的で便利な力を使えないというわけだ。


 そのためか、この世界は階級差別が激しい。

 上級貴族は下級貴族を虐めることなんてざらにあるみたい。

(……良かった。わたし、大貴族で)

 ……まぁ、他国の言葉で書かれた絵本からの知識なので、この国もそうかはよくわからないけど。


 もしかしたら、アムスベルク公爵……長い。これからは叔母様と呼ぼう。まぁ、間違ってないよね? 父親の姉なのだし。……で、叔母様の天才ちゃんはもしかしたら……いや。本当に「もしかしたら」の、予想の話なのだけど! もしかしたら……わざと、他国語の本を読んだのかもしれない。

 ……。この世界は貴族と平民との差別が激しいから、そういう現実的な知識を得るためにわざとそうしたのかも……。


 考えてみれば、平民の生活が書かれた本は全部ドレア語以外で書かれてたし。それに、『絵本』だって本当にその国のお伽噺みたいなやつばっかだったし……それがちょっと子供らしいなとか思ってたけど、それは「子供らしい」んじゃなくて、単純にその国の国民性を知りたいから……?


(……いやいや。いくらなんでもそれは考え過ぎでしょ)

 わたしはそこまで考え、反射的に頭を左右に振った。

(どうせ、六歳になるまでは会えないのだし、考えても仕方ないよね)

 


 わたしは考えを天才ちゃんから『本』の内容へと戻していく。


 この世界の階級差別が激しいのは、魔術の腕が大きく関係してある。

 魔力量と魔術の腕は必ずしも直結しないが、全くの無関係というわけでもない。


 確かに、魔力量は多いに越したことはない。大きい魔術を使うには大量の魔力が必要不可欠だ。だから、あるに越したことはないだろう。


 そして、魔力量は先程話した『序列』に関係する。

 より正確に言うならば、『五等爵』。


 男爵よりも子爵の方が魔力量が多く、子爵よりも伯爵の方が魔力量は多く……と、爵位が上がっていくほど魔力量は上がっていく。ただ、先程も話した通り、魔力量と魔術の腕は直結しない。だから、必ずしも公爵の方が侯爵よりも魔術の腕が高いというわけではないそうだ。……それは、王族もまた然り。


 

 この世界には魔術とはまた別に、家系能力、『異能』と呼ばれるものがある。多分、超能力みたいなものだと思う。

 ただ、それぞれの家に必ずあるかどうかはまだ判明してないらしい。

 突然異能が使えるようになることもあれば、産まれた時から使えることもあるらしい。

(もしかしたらこの能力は、『転生者特典』ではなく、『異能』なのかもしれない……)

 ただそれは、今の時点ではわからない。


 乳母と両親はわたしがそういう異能持ちだと疑ってるみたいだが、過去、わたし以外でこの能力を持った人間はいないそうだ。だから、これが『異能』なのかどうか、判定しきれていない。

 それが、『異能』が必ず各家系にあるかを判断しきれない原因らしい。

 わたしのこれが異能だとして、それはわたしが子供を産まなければそれはわからない。この能力が子孫に受け継がれれば『家系能力』と認められるが、現時点ではまだ確定し得ない。……ま。そんなんだから、『証明』は随分先の話になるんだろうけどね。だってわたし、二歳児だし。


 兎も角、その『異能』というのは中々今日深いものだった。

 折角の転生。しかも、魔術のある世界に生まれ変わったのだ。魔術を使える人間として。なら、魔術を使いたいじゃないか。

 自分で使ってみたいけど、肝心の魔術のやり方の書いてある本は届いたことがない。

 なら、誰かに直接教わるしかない。

(よし。お父さまに頼もう!)

(可愛い愛娘の言うことなら聞いてれるはず!)

 そう、思ったんだけど……


「どうしてもだめなのですか? お父さま……」

 父は使ってはいけないと言う。

 現在、わたしは久しぶりに部屋を訪れてきた父にごねている。

 「魔術を使わせろ」「使い方を教えろ」と。

 わたしは知ってるんだ。


 父の産まれたアムスベルク公爵家は魔術の名門。父もその英才教育を受けているということを。

 アムスベルク公爵家の家系能力『複層術式』。

 お父さまは使えないらしいが、そもそもアムスベルク公爵家は『魔術』の名家。『複層術式』はその由縁のひとつでしかない。


 だから、お母さまではなくお父さまに頼んだのに……

「だめだ」

(むぅ〜!)

 お父さまは何故か、首を縦に振ってくれない。


 こいつ、絶対使えるだろ!

 てか、貴族なんだから使えるでしょ!

 こちとらお前の持ってくる本から平民と貴族の違いまでご存知なんだよ!

 優秀なわたしに、どうして教えてくれないの!

 

 わたしは父を見上げ、もう一度可愛らしくねだってみる。

「……どうしても?」

「…………」

 父の瞳が揺れる。

(おっ!? これは、押せばいけるんじゃないか!?)

(よし。もう一押し!)

「お父さま、お願いです。わたくし、魔術がつかいたいんです……。どうしても、だめなのですか?」

「えっ……と……」

 父が一歩後退する。


 迷ってる。迷ってるぞー。

 よし。最後の一撃を……そう思って口を開こうとした時、扉がノックされた。

 コンコン。

 扉の前にいる二人の騎士が「ヘルトヴィヒ様が入室を求めています」と告げる。お父さまはこれ幸いと許可を与えると、助け舟を見つけたようにヘルトヴィヒに向かって笑みを浮かべた。


 そんなお父さまにお母さまは首を傾げると、ニコリと返していた。お父さまは「助かった」とでも思ったのだろう。ホッと安堵の息を吐いた。

 お母さまはお父さまに笑みを返すと、わたしを抱き上げた。そして、わたしを膝に乗せてソファに座った。父はわたしたちの向かい側に座る。


「二人で何の話をしていたのですか?」

「あのね、お母さま。お父さま、わたくしが魔術を使いたいって言っても許してくれないの。お母さまなら、許してくださいますよね?」

 わたしは期待の眼差しを向けたが、返ってきたのは苦笑だった。

「そういうことでしたか……。あのですね、エレオノーラ。魔術のこと、お義姉様から頂いた本から知ったのでしょうが、貴女はまだ使えませんよ」

「……どうしてですか?」

 「使ってはいけない」ではなく、「使えない」。母はそう言い切った。


「六歳に洗礼式があるのは知っているでしょう?」

 わたしはコクリと頷く。

「洗礼式は、貴族達へのお披露目の意味も勿論ありますが、神からの『祝福』を受ける儀式でもあるのです」

「神さまからの……祝福……? 儀式……?」

「はい。魔術とは属性に別れて使われます。属性とはつまり、どの神からの祝福受けるか、ということです」

「……祝福してくれた神さまの力が『属性』ってことですか?」

「そういうことです。五大神が司るのは『無』『火』『水』『風』『緑』。その五大神の生みの親最高神。『光』と『闇』を司る夫婦(めおと)神です。これら上位七つの神からの祝福が『属性』と呼ばれます」

「知りませんでした……」


 そんなこと、本には書いてなかった……。


「『異能』とはその名の通り、『普通とは異なる力』なのです。異能に属性は関係ありません。貴女の持つその力もそうでしょう?」

「わたくしのこの力は、『異能』なのですか?」

「……それは確定ではないのですが、恐らくそうでしょうというのがお義姉様の見解です」

 母の呼ぶ「お義姉様」とはつまり、アムスベルク公爵のこと。父の姉で、わたしの叔母。母にとっては義姉にあたる。

 

 そして、叔母様は王宮魔術師団の団長。国内最高峰の魔術師だ。だから、その見解に間違いはないだろう。

 ……つまり。これは『転生者特典』ではなく、『異能』ということ……。


「異能の覚醒に個人差があるのもそのためです。詳しくは解明されていませんが、『神とは異なる力』が働いているためと考えられています」

 ……ふむふむ。なるほど。

 『本』からの知識は国によって見解が全く違うから面白いけど、やっぱりわたしは自国のやつを知っとかないとね。どちらにしろ、事実はどこもわかってないらしいし。


「異能が使えるのと魔術が使えるのは別の話なのです。魔術は六歳からしか使えません。……わかりましたか?」

「はい!」

「ふふ。良い子ですね」

 母は満足そうにわたしの頭を撫でた。


 どうやら両親はわたしが異能持ちだから魔術を使いたいと言い出したと思ってるみたいだが、別にそうじゃない。

 単純にその方が異世界っぽいし、楽しそうだから使いたかっただけなんだけど……まあ、いっか。

 弁明も面倒だし。もうなんか、良い感じに話が纏まったみたいだし。


 わたしがニコニコと満面の笑みを浮かべていると、何か父が思い出したように「あっ」と声を上げる。

 その声に反応し、母娘揃って父の方を見る。

 わたし達の視線を受けたお父さまは「少し待ってろ」と言い、部屋を後にした。

 わたし達は顔を見合わせたが、お父さまはわたし達が元の位置に顔を戻す頃には再び部屋に入ってきた。

(随分と早い往来だ……)

 そう思った直後、わたしの意識は「どうしてこんなに早く戻って来られたのか」から「父の手に持つ物」へと移っていく。


(……なるほど。お父さまが久しぶりに来たのは、このためだったのか)

(お母さまの様子から、両親が揃ったのは偶然みたいだな……)

「ラインヴァルト様、その手にお持ちなのは、お義姉様からの贈り物でしょうか?」

 わたしがくだらないことを考えている内に、お母さまが代わりに質問してくれた。


 わたしは叔母様から本以外の物を贈られたことがない。正確にいえば従姉妹の物の使い回しなので、何も贈られてないともいえる。

 この世界は六歳と十歳、そして成人の十五歳を誕生日として盛大に祝う。代わりに、その他の誕生日は『誕生日』とも数えられない。……前世での「七五三」みたいなものだろう。

 だから別に、二歳児のわたしが叔母様からなにも貰えてなくても、特におかしいことはないのだけど……本、以外のもの……。


「お父さま。それは、おばさまのご息女さまのものですか?」

 つまり、また使い回しか? ということだ。父はわたしが「ご息女さま」という言葉を使ったことに驚いていたが、すぐに平然とした顔に戻った。そして、首を左右に振る。

「いや。姉上からではない」

(……やっぱり)

 期待はしてなかったので落ち込むこともなかったのだが、お父さまにはわたしが落ち込んでいるように見えたらしい。いや。お父さまだけではない。お母さまはわたしを元気づけようと、頭を優しく撫でていた。


「これは、クリスティーネ様からだ」

 そう言って父は持っていた箱をわたしの前に差し出した。机に箱が置かれる。ここで開けようかとも思ったが、貴族のマナー的にそれはだめだと本で読んだので、わたしはクリスティーネなる者について尋ねた。

「クリスティーネ様は其方の従姉妹だ。アムスベルク公爵家の長女で、次期当主(ルナン)でもある御方だ」

 それの答えがお父さまのこの言葉だった。

(てことは……天才ちゃんのお姉様?)

「どうして、クリスティーネ様は急にエレオノーラにプレゼントなんてくださったのかしら?」

「あぁ、なんでも姉上が不要になった本を私達の方に回していると知って、お詫びにということだそうだ」

「まぁ……! そんな、滅相もない……。それで、中身は何でしょうか?」

「さぁ、そこまでは私も聞いていない」

「……開けてもいいですか?」

 背後から残念そうな気配を感じ取ったわたしは、お父さまにそう尋ねた。


 お母さまは二歳児に気遣われたことに気づいたのか、少し恥ずかしそうに頬を染めているのが膝に乗るわたしにもチラリと見える。そんなお母さまが可愛らしいのだが、わたしは視線を前に戻す。

 そんな母娘をお父さまは微笑ましそうに見詰め、わたしに「良いよ」と許可を出してくれた。

(ありがとう、お母さま。多分、お母さまのおかげ)


 父の許可を得て、わたしは箱を膝の上に乗せる。そして、リボンを解いて箱の中をワクワクとして待つ。

 ……て……あれ……?

「本……?」

 わたしの声に、後ろから覗いていたお母さまがクスクスと笑う。「また本か」と思ったのだろう。

 お父さまは相変わらず微笑を浮かべていた。


「お父さま、これはいったい……?」

「開いてみたらどうだ?」

 お父さまはわたしの呟きには答えず、わたしに本を開いてみるよう促す。


 それに逆らう理由もない。わたしは大人しく適当に本を開いてみた。

「絵本、ですね……」

 後ろから覗いたのだろう。お母さまがわたしの代わりに呟く。

 内容は……ん?

「『ベルク一族の誕生の物語』……」

 ……これで学べということだろうか。

 タイトルを読んだところで、わたしは内容よりも、「どうしてこれを選んだのか」に興味を逸られた。


 ドレア語で書いてあるため、お母さまも読めたようだ。タイトルを読み、クスクスと笑っていた。何故笑うのだろうと思っていると、お父さまはわたしの心情を読み取ったように、タイミング良く教えてくれた。

「その本は我々ベルク一族が洗礼式前までに必ず読まされる本のひとつなんだ。……懐かしいな」

 ……なるほど。お母さまは昔を慈しんでいたのか。


 嬉しくはないが、特別落胆もしない。

 わたしは本を箱の中に戻すと、机に置く。

「あとでよみます」

「ええ。……わたくし達もそろそろ戻りましょうか?」

「そうだな……」

 お父さまがお母さまの言葉に相槌を打つ。

 

 お母さまはソファから立ち上がり、代わりにわたしをソファに座らせる。

 お父さまはもお母さまに合わせて立ち上がる。そして、二人が扉の前に着いたところでお父さまが不意に振り返った。

 ……まだ何かあるのだろうか。

「私はしばらくここを離れる。……寂しくなるよ、エレオノーラ」

 「ここ」とはつまりダールベルク侯爵領のこと。

「どこかにいかれるのですか?」

「王都に少しね」

「そう……ですか。さびしくなります」

「…………」

「ふふふ」

「……?」

 わたしの言葉に、お母さまはクスクスと笑った。だが、何故笑ったのだろう。そしてお父さま。その顔はなんだ。わたしに何を求めてる。


 お母さまはお父さまの求めてるものを理解しているのだろう。だからこその余裕の笑み。

(……むぅ……)

 何だ? 父よ。お前は何を望む?


 逡巡しても、わからない。

 悩むわたしに、お母さまは「ヒント」と示すようにニコリと笑った。そして、「おいで」とわたしに声をかける。

 わたしはソファから降り、お母さまの元へ駆け寄る。そして、しゃがんだお母さまは少し右を向いた。お母さまの白皙の頬がわたしの眼前に見える。


(あぁ、そゆこと)


 すぐに理解できた。

 わたしはいつものようにお母さまの頬に軽い口付けをすると、お別れの抱擁を交わした。そして、立ち上がったお母さまと入れ替わるようにお父さまの方へ向き直る。服を掴み、しゃがむように懇願してみせる。

 すると、羞恥を隠すように目を逸らしながらも、大人しく言う通りにしてくれた。


 お父さまの頬にも、軽い口付けをする。

「……!!」

 お父さまが破顔した。

 わたしがニッと笑うと、顔が弛緩してたことを自覚したのだろう。まだ頬が微かに染まっていたが、それを誤魔化すようにわたしに抱擁を求める。わたしはそれに応じると、照れたお父さまを連れて二人は退出した。



 部屋に独りになり、わたしは失笑した。

 二人に向けた手を降ろすことも忘れ、ただ閉められた扉を見詰めた。

「…………」

 お父さまはまだ若い。26歳だそうだ。

 お父さまと叔父さんの風貌は全く違う。

(そもそも、銀髪とか前世でそんな普通にいないでしょ……)

 性格も似ても似つかない。……なのに。


 それなのに……。


 前世のわたしにとっての『両親』は生みの親よりも『叔母夫婦』だ。だから、だろうか。


(……二人を見る度に、叔母夫婦の顔を思い出してしまう……)


 『未練』と呼べるほど執拗なものではないが、全くないのかといわれればそうではないということなのだろう。


 会いたいかと聞かれれば、会いたいと答える。だが、叔父はわたしがいる時にはもう死んでいたし、


(……まぁ、良いか)


 結局、この結論に落ち着く。

 何を考えても、もう無駄。

 わたしを引き取ってくれた優しい叔母夫婦とはもう会えないのだし、わたしの両親はあの人達。何を想おうが意味を成さないのだから、考えてはいけない。


(それなりに楽しく生きられれば、わたしはそれでいい)


 わたしは別に、誰かの『特別』になるつもりはない。

 わたしは、わたしが「幸せ」を感じられる程度に「楽しく」過ごせれば良い。


 わたしは、独りになった部屋で、誰に向けるでもなくニッコリとした笑みを浮かべた。






 

 エレオノーラが魔術を禁止されてから約一ヶ月後、今日は王国歴790年2月14日。

 

 ダールベルク侯爵領の隣領、アムスベルク公爵領。

 それを治める本家アムスベルク公爵家の本邸にある、西の塔。

 今日この日、西の塔に住まう『天使』は二歳になる。


 『天使』というのは比喩で、『天使』は魔族ではない。列記とした人間である。

 ただ、その愛らしい容姿が、周囲に彼女を『天使』と比喩させた。


 アムスベルク公爵家の象徴とも言われる銀色の髪に、赤色の瞳を持つ、可愛らしい顔立ちの幼女。

 幼女の名は『アデルディーネ・アムスベルク』。

 アムスベルク公爵家の次女にして、天才幼児。

 長女クリスティーネの戸籍上の妹である。


 クリスティーネにとってアデルディーネは自慢の妹だ。

 血は半分しか繋がっていないが、戸籍上の『家族』である彼女はまだ洗礼式を終えていないアデルディーネに会うことが出来る。

 妹の誕生日を祝うため、クリスティーネはアデルディーネの部屋に向かっていた。


 二人だけ側近を従えたクリスティーネは、浮き足立っていた。

 嬉しそうにする主人(あるじ)に、側近の一人が声を掛ける。

「楽しそうですね、クリスティーネ様」

 その言葉に、クリスティーネは上品な笑い声を返す。

「ふふ。妹に久しぶりに会えるのですから」

「……そうですね」

 クリスティーネの言葉に、側近は苦笑いを返した。


 応えるまでに僅かにタイムラグがあったのは、クリスティーネの言葉が側近の心に刺さったからだ。

 クリスティーネは来月から、隣国コヴァルビアス帝国に留学することが決まっている。

 大好きな妹に会わせてあげられなくなることが、側近の心を揺さぶったのだ。



 会話を終えたあとも、ニコニコと破顔していたクリスティーネが、不意に足を止めた。斜め後ろから付き従っていた二人もクリスティーネに合わせて足を止める。

 先程話しかけた側近が、クリスティーネにどうしたのかと訊ねる。

「…………」

 だが、クリスティーネはすぐには答えなかった。

 それは、自分の中の混乱を整理してたからに違いないと二人は考えた。

「……急ぎましょう」

「はっ!」「了解いたしました」

 同時に声が返って来る。


 言葉の通り、クリスティーネの足は前よりも早くなった。

 あっという間に距離を詰め、アデルディーネの部屋の前で止まることなく、クリスティーネはそのまま部屋に押し入った。

 六歳まで会うことの許されない側近達二人は、本来自分達が開けるべき扉を主人に開かせてしまったことに後悔しつつ、バッと扉に背を向けた。アデルディーネに「会う」、視覚的に認識しないためだ。


 だが、それは必要のないことだった。

 クリスティーネが扉の前でふらりと崩れる。

 だが、その身体は側近に支えられる前にクリスティーネが自分で足に力を取り戻した。

 咄嗟に支えようとした側近達は、開けたままの扉の中が見えてしまう。


「誰も……いない……?」

 居るはずの『天使』が居ない。

 だが、問題はそこではない。

 側近の一人は急いで廊下の窓を開ける。

 クリスティーネを前にそれは無礼講だったが、それを二人共咎めはしない。

 それは、三人がアデルディーネが外に居ることを願っていることの現れでもあった。

 だが、いくら探してもアデルディーネの姿は見えない。

 一瞬、入れ違いの可能性も浮かんだが、クリスティーネはすぐに(かぶり)を振った。


 違う。アデルディーネは、どこかへ転移したのだ、と。


 クリスティーネは確信していた。側近の行動を咎めなかったのは、本当に僅かな希望を持ってしまっていたから。

 だが、いないとわかれば、もう自分の感覚を疑ったりしない。


 先程、クリスティーネが足を止めたのは他でもない。アデルディーネの部屋の方向から魔術の気配を感じたからだ。

 側近二人が感じ取れないのも仕方がない。

 普通、日常生活程度の魔術に反応したりはしないからだ。

 無意識のうちに頭から排除してしまうほど微弱な魔術の気配。だが、クリスティーネはそれを敏感に感じ取っていたのだ。



 貴族は六歳になるまで、外出が認められていない。

 誰にも会ってはいけないし、西の塔から出てもいけない。

 事前にクリスティーネが訪ねることは伝えてある。

 それを破ったことも問題だが、それ以上に問題なのは、言うまでもない。アデルディーネが貴族の規則を破り、西の塔の敷地から出たことだ。


 貴族の失態は家族の恥。

 もしこの不祥事が外部に広まれば、アムスベルク公爵家は堕ちる。序列も下がるだろう。だが、それだけではない。

(アデルディーネが……貴族でなくなってしまう)

 それだけは避けなければいけない。

 ――――大丈夫。まだ、間に合う。


 アデルディーネ失踪を知ってからのクリスティーネの行動は早かった。

「マクガレーナ、ラウレンツ。二人にこの件に関する箝口令を敷きます」

 ――――口外を禁ずると命令したクリスティーネに、二人は逆らえない。精神的な問題ではなく、物理的(、、、)に。

 だが、それを抜きにしても、クリスティーネの命令に対する二人の答えは決まっていた。

「はっ!」「かしこまりました」

 二人はそれぞれ敬礼と一礼を返した。


 クリスティーネはそれに頷き返すと、部屋の外に二人を待機させたまま中へと踏み入る。

 視線は壁から床へ、開かれたまま置かれる本へと移っていった。

 その本のページを見、クリスティーネは家族(、、)の失態を悟った。

(――――なるほど)


「マクガレーナ。秘密裏に、テオドレーファとラインヴァルト叔父様への伝言を頼めますか」

「何とお伝えすればよろしいでしょうか?」

「テオドレーファにはしばらくわたくしの不在の隠蔽を、ラインヴァルト叔父様へは、『今すぐ向かう。出迎えは不要』と」

「かしこまりました」

 クリスティーネの命令に一礼で答え、マクガレーナは急ぎ足で本邸へと向かって行った。


 マクガレーナが見えなくなると、クリスティーネはその場に再びくずれた。今度は、支えられることも自分から止まることもなく、そのまま床へと尻もちをつく。

 クリスティーネに駆け寄ろうとしたところで、自分は部屋に入ってはいけないことを思い出す。


 この失踪が魔術によるものだった場合、自分が入ることで痕跡がなくなってしまうかもしれない。故の命令。それを理解しているからこそ、ラウレンツはクリスティーネに大丈夫かと訊ねることしかできなかった。


 扉の前であからさまに止まったラウレンツの様子に苦笑すると、クリスティーネは首を左右に振った。

「全然……よくありませんよ。どうしましょう、ラウレンツ……これ、アデルディーネのせいではありません……」

 クリスティーネは二つの懸念をしていた。


 洗礼式を終えていないアムスベルク公爵家の次女が、規則を破り西の塔を出たと知られること。それによって、アムスベルク公爵家が、ベルク一族が地に落ちてしまうこと。


 そしてもうひとつは、家族の(、、、)失態で、巻き込まれただけ(、、、、、、、、)のアデルディーネが貴族でなくなってしまう可能性。


(――――それだけは、避けないといけません)


 ラウレンツはクリスティーネの懸念を完全に悟ることはできなかったが、自分の主人が誰よりも「優しい」ことは知っていた。

(ベルク一族の崩落も、自分ではなく他の一族への配慮によるものだろう)

 そう考え、ラウレンツは苦笑しそうになるのを何とか隠す。真面目な表情を保ったまま、クリスティーネへ言葉を返す。

「……その事実はクリスティーネ様と私しかしらないのです。マクガレーナも知らない。だから、大丈夫です」

 何が大丈夫なのか、自分でいいながらもラウレンツはよくわかっていなかった。だが、ここはクリスティーネを慰めないといけない気がしたのだ。


 クリスティーネも同じ疑問を持ったが、結局ラウレンツと同じ結論に至った。そして、彼女にとっては「ラウレンツが慰めてくれた」ということの方が大切だった。

「ありがとう、ラウレンツ」

「……いえ。私()姫様とまだ会ったことがありませんから」

 誰かに見られる前に見つけられれば大丈夫だ、と後から先ほどの「大丈夫」の理由(いみ)を付け加える。

「ふふ。そうですね」

 それが初めから大丈夫という意味だったのか、後から付け加えたのかはクリスティーネにはわからない。だが、それも彼女にとってはどうでもよいこと。

 クリスティーネは状況に似合わず、クスクスと笑っていた。

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