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午後はちょっぴり苦めのコーヒーで  作者: 藤山紗綾
第1章 底辺生活
1/3

プロローグ

 ピーピー。

 スマホが「起きろ」と音を鳴らして揺れる。

「うるさい……」

 それがウザくて、わたしは手だけでスマホを探す。枕横でそれを見つけると、ほんの僅かに瞼を持ちあげ、ポチリとアラームを止める。


 そして、再び寝ようと瞼を閉じたところで、チラリと見えた時間を思い出す。

「て、寝てる場合じゃない! 急がないと!」

 わたしはカッと目を見開くと、寝台から飛び降りた。


 現在時刻は7:26。

 あと4分で家を出ないと、わたしは遅刻確定だ。

(どうするわたし!?)

 大急ぎで制服に着替えながら、自問自答する。


 この後、どうするべきか。


(ご飯は……だめだ。諦めよう)

 幸い、教科書やノートは昨夜の内に鞄に詰めてある。

 後は髪を結って軽く顔洗って、鞄を持って家を出る。

(よし。それで行こう!)


 この後のプランを立て終えると、わたしは予定通り洗面台へと急いだ。

 バチャンと水の音を聞きながら顔を洗い終え、わたしはいつもの場所に髪留めがないことに気づいた。

「何処、わたしん髪留め!」

 髪留めは呼んでも出てきてくれない。

(ならもう、諦める?!)

 あれは母がくれた最初で最後の贈り物。

(着けないわけには……)


「あー、もう!」

 全速力で部屋に戻り、髪留めを捜索する。

「……あ、あった!」

 赤い組紐で作られた髪留めは、寝台の下に落ちていた。

 ……昨日、寝る前に机の上に置いてたと思うんだけど。寝てる内に落ちたんだろうな。


 そんなことを考えたあと、埃をサッサッと払い、櫛も使わずに髪を結ぶ。さっき通したから大丈夫だろう!

「よし!」

 気合いを入れ直し、わたしは現在の時刻を確認する。

「って、もう半過ぎてんじゃん! 急がないと!」

 扉の前に置いていた鞄を手に取り、玄関へ急ぐ。


 全力疾走のお陰か、階段の前へはすぐに辿り着いた。

 わたしはそこで一度鞄の胸ポケットからスマホを取り出し時間を確認すると、一歩踏み出す。

 ――――瞬間、不意に視界がぐにゃりと歪んだ。

「な、に……?」

 自分がどうなったのかを知るのは、そう呟いてからほんの数秒後だった。


 気がつけば景色がいつもの『階段』から見慣れない『地下室』へと変わっていた。 

 見慣れないのは多分、地下室にあまり行ったことがないからという理由だけじゃない。

 目の前には沢山の木々、というより階段?



 ――――そうかわたし、階段から落ちたんか……。



 そう悟るのは存外難しくなかった。

 目の前の光景もそうだし、この家はもうかなり古い。

 わたしの曽祖父が建てたものだ。

 何もかも古めかしい。

 崩落したと聞いても、「あぁそうなのか」としか思わない。

(でもまあ、自分が巻き込まれたら話は別なんやけど……)

 わたしはそこで一度深呼吸をした。

 

 まずなにをすべきか。そんなこと、考えるまでもない。

(助け。助けを呼ばんと……)

 わたしは、少し遠くに見えるスマホに手を伸ばそうとしてみる。……だが、上手くいかない。

 視界に自分の手がいつまで経っても映らない。

 それどころか、その視界がぼやけてきた。


(やばい……このまま助けが呼べなかったら、死ぬ)


 今この家には今わたししかいない。スマホで誰かを呼ばなかったら、助けは来ない。だって、唯一の住民である叔母の帰宅は少なくとも三日後なのだから。


(あれ……? わたし、詰んでる……?)


 階段の床が崩れてわたし、怪我して。そして多分、強く頭を打ってる。

 だってわたし、さっきからずっと頭がぼやりとしてるんだもの。

 早く治療してもらわないと、わたし死ぬ。

 ここままじゃまずいと、専門的な見解のないわたしでもわかるくらいに今のこの状況はヤバい。


 目の前に広がる血の泉。

 どんどんと規模は拡大していき、あと契約一年は残っている保証なしのわたしのスマホまで届いている。

(スマホが……あぁ、まだ契約が残ってるのに……)

 これじゃあわたし、例え生き延びてもすることが……。


 可能性の低い「自分が生きてる未来」を想像しながら、わたしの瞼はゆっくりと閉じられていく。

 これ以上、瞼を開いていられる力もないのだろうか。 



 これがわたしの『最期』……?


 ……案外呆気ないんだな……。



 不本意にも、わたしはそう思ってしまった。

 怖い、とかいう感情よりかは自分への「呆れ」。

 「馬鹿」だなとか「阿呆」だなとか、そういう。


 だって、遅刻しそうになって急いで階段降りてたら、その階段が突如崩壊。そのまま転落して死亡?

(阿呆か)

 改めて考えても、阿呆みたいな死因。

 ……そんな阿呆みたいに死にたくなかぁ……。


 ご近所さんの助けも当てにならないし、

 この家はわたし以外人がいないのだから、叫んでも無駄やし。


 ならわたし、やっぱこののまま……


(……死ぬんか……)


 死ぬんならせめて、誰かに隣に居て欲しかったな。

 叔母さん、悲しむかな?

 誰が初めに気づくかな?

(……まぁどうせ、その頃わたしは天の上。関係ない、か……)

 そこで意識までもが遠のいていく。


 自分の死に際を悟り、わたしは最期の抗いとして思い切り口角を上げる。

 もし生まれ変われるなら、次は沢山の人に囲まれて、自然との笑顔になるような人生送って、この世を去りたい。


「さよなら……わたし……」


 最期に自分の声を聴いて、わたし――――伊藤天音(いとうあまね)はこの世を去った。







 目覚めると、誰かの視線を感じた。

 瞼を開いて、誰かに覗き込まれていたのだと知った。

 寝ぼけているのか、視界には白い(モヤ)がかかっている。

 やがて白い靄が消え、「誰か」の顔が見えてくる。

 若い男女だった。


 女は花色の髪に薔薇色の瞳、男は銀色の髪に赤色の瞳をしていた。

 どちらも端正な顔立ちで、わたしの18年間の人生でもトップに入る美男美女だ。


(カラコン?)

 にしては、随分と馴染んでいるような……

(髪染め?)

 にしては、随分と自然なような……


 世界には色んな人が……ってわたし、死んだよね。

 ならここは、死者の()黄泉(よみ)の国か。

 ……ということは、この人達は神?

 それなら、この髪色も瞳の色も、納得……なのかもしれない。


 わたしがそんなことを考えていると、神々は二人で何か会話を始めた。

 わたしは神々の会話に興味を惹かれてしまい、不敬かと思いつつもこっそりと耳を傾けた。


「可愛い女の子ですわ、ラインヴァルト様」

「ああ、そうだな。流石其方(そなた)の子だ」

 男神(おがみ)の言葉に女神は僅かに頬を染める。


(何だろう……。神々の会話と言うより、ラブラブ夫婦が初子(ういご)を授かった時のような会話だな……)

(……ん? というか、女神の子供なんてどこに?)


 無意識に身体を起き上がらせ、首を振って探そうとしたが、何故か上手くいかない。

 視線が固定されたまま動かないのだ。

 首が動かない……何故?

 ここは黄泉の国ではない?

 ……わたしは、生き延びた?

 これは後遺症か何かか?

 複数の疑問がドッと頭を過ぎる。


 後者だとすると、この人達は神々ではない……という可能性も……?


「名前は決めたのか?」

「いえ……。やはりわたくし達の初子は是非ともラインヴァルト様に拝命を、と思いまして」

「そうか……?」

「はい。どうか素敵な御名(おな)を」

「……そうだな……」

 男神……男性? は顎に片手を当て考えた素振りを見せた後、何か閃いたとばかりに口角を吊り上げた。そして、二人は揃ってわたしの方を向いた。

 二人はその表情までも揃っていて、どちらも幸せそうに顔が緩んでいた。

(…………)



「――――エレオノーラ・マリア・ダールベルク」



「なんてどうだ……?」

 後から付け足したように自信を失くした男は、言葉の通り意見を求めるように女の方を見る。

 女はその視線に応え、ふわりと笑う。

 その顔は先程よりも女の「幸せ」が明瞭に現れたもので、だからこそ言葉を聞くよりも確信できた。

「はい――――綺麗な名前です。気に入りましたわ」

 女のこの表情を見れば、この男とこの男との子供を本当に愛してることに疑問を持つ者はいないだろう。……男が惚れるのも無理ない。わたしが男でも美女のこんな表情(かお)を見れば落ちる自信がある。


 この二人の子供は幸せ者だ。

 きっとこの女は自分の子供を愛するだろう。

 きっとこの女の惚れた男は、自分の子供を愛するだろう。この男なら、子供も妻も、守って愛し(とお)してみせるだろう。


(わたしは……この家族が羨ましいよ)


 そう思った直後、激しい眠気がわたしを襲う。

 あまりこの人達を見ていると、折角死んだのに嫌なことを思い出してしまいそうだ。

 わたしは眠気に身を任せた。


 瞼を閉じてからしばらくして、あの二人の声が聞こえなくなった。それどころか、雑音すら聞こえない。

 眠った……というには、今わたしの意識があるのもおかしな話だ。


 今度こそ神の元に着いたか。

 わたしはゆっくりと瞼を持ち上げようとして、それができないことに気づく。


(っ……?)


 不意に、真っ暗な視界が変わる。

 瞼は開いてないのに、おかしな話だ。


 広がるのは先程とは違う景色。

 真っ暗なのは変わらないが、わたしの眼裏(まなうら)にはひとつの光が見えていた。

(……誰だ?)

 再び沸き上がる疑問。


 男は、わたしの目の前? に堂々と居座っていた。

 あぐらをかき、膝に肘を置き、握った拳に顔を預け、わたしを見て笑っていた。

 身体から光を放たれる光はどこか神々しく、弱々しいものだった。

 だが、それと反して軟弱な印象は受けない。それは、男の余裕綽々な態度が、男の中の自信を隠しきれてはいなかったからだろう。


 わたしは口を開こうとして、声が出ないことに気づく。

(……なるほど。今度は話せなくなったらしい)

 動くことも、話すこともできなくなった。


 自虐するわたしに、男はその人形のように整った唇を開いて話しかけてきた。


「私は誰だと思う?」

 楽しそうに口角を釣り上げ問われても、わたしは答えられない。

 ……沈黙。

 それがわたしの答えだった。

 男はそんなわたしに憤ることはなく、ただ楽しそうに笑う。

「ハハハッ。そう緊張することはない。話してみよ」

 緊張してると思ったらしい。

 そうではないのだが、弁明もできない。

 わたしの答えはまたしても沈黙。

 さすがに怒るかな……と思ったが、男がそんな様子を見せることはなかった。

 少し考え込むような素振りを見せると、「話せないのか……」と言った。


 男の様子を見るに、わたしの心が読める、とかそういうことはないんだろうけど、どうしてわかったんだろう……?


「うむ。これは私も堕ちたな」

(……?)

「話せないのなら問うても仕方がない。簡潔に話そう。もう時間もなさそうなのでな」

 時間……? 何の話をしているの……?


「其方――――伊藤天音(いとうあまね)は死んだ」


(……はい)


 男の言葉に疑問は覚えない。

 むしろ、「死んだ」と明言してくれたのが嬉しい。

 死にたいと思ってた訳では無いが、明確に「生きたい」と思ってたわけでもないから。

 この男が誰だとか、信憑性はあるのか、とかそういうことは置いておいて、

 自分の中で曖昧だった疑問が、ひとつ解決した。

 それがわたしの胸をスッキリさせた。


「私は楽しいことが好きだ」


「楽しくない未来は、私の望むものではない」


「よって、其方に新たな命を授けようと思う」


「先程のあの光景。あれは其方が新たに、『エレオノーラ・マリア・ダールベルク』と産まれた瞬間だ」


「其方はこれから、『伊藤天音』という名の日本人ではなく、『エレオノーラ・マリア・ダールベルク』として生きることになる」


(…………)


 よく、理解ができない。

 意味が、わからない。


 新たに生まれ変わる……?

 それはつまり、


「私は其方を『転生』させた」


 わたしが転生したということ……。

 ―――――でも何故……?


「せいぜい、私を楽しませろ。エレオノーラ(、、、、、、)


 ――――プツン。

 そこでわたしの意識は覚醒した。

「ハッ……!」

 嫌な汗をかきながらわたしの目が開かれる。


(何……どういうこと……?)


 そう考えながら、わたしは無意識に身体を起こそうとしていた。……だが、それはできない。


 わたしは手を使って起き上がろうとする。

 だが、視界に映ったのは小さな手だけだった。

(ボンレスハムみたいな手……)

 まるで、産まれたての赤子のよう。

 そんな言葉が浮かぶ。


 ……男の言葉が、現実味を帯びてきた。


(わたしは、『転生』したのか……?)


 そもそも。

 あんな見ず知らずの男の言葉を信じる必要はなくって、わたしが死んだってことだってそれも含めて全部夢かもしれないじゃないか。

(なんて夢みてんだって思うけど、いっそもうそう言ってほしい……)


 何度でも言うけど、わたしは別に、「生きたい」だなんて思ってない!

 死にたいって思ってたかというとそうじゃあないけど、『転生』してまで生きたくはないの!

 わたしはただ……っ!


 母親がいて、父親がいて。

 家族がいて、幸せに暮らしたかっただけなの……!


 もう、あんな思いはしたくない……

 また、独りになりたくはないの……


「うっ……ううー……」

 嗚咽と共に、涙が溢れてくる。

「わぁぁぁん」

 嫌だ嫌だ嫌だ。

 何で何でどうして?

 どうしてわたしばかり……どうしてわたしばかりがこんな思いをしないといけないの……!?


 わたしは、特別な力も恵まれた容姿も望まない――――今も昔も、わたしはただ、人並みの幸せを望んだだけなのに…………


「うわぁぁあん」


 この日、わたしが泣き止むことはなかった。

 最後は泣き疲れて眠ったそう。



 こうして、わたしは望まぬ生を受けた。


 この日――――世界歴787年4月7日から、わたしの『エレオノーラ・マリア・ダールベルク』としての人生は始まった。

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