3 死亡動機X-1
(本末転倒による自殺変数)
「呪い?」
私は、最初、その話を聞いた時から、バカバカしく思っていた。
だって、小学生ならともかく、もう高校二年にもなる私達が、真剣に話す話題じゃないと思ったから。
でも、私以外の他のクラスメートでは、結構、本気にしている人が多いみたいで、私は少々愕然としてしまった。
こういった話題を怪談として、面白半分に皆で楽しむのなら分るけど、それを本気にして、自分達の生活にまで影響を与えてしまうのは、どうかと思う。
そう、その呪いとやらは、それを信じる彼らの心を縛り、その行動を決定付けているのだ。
相川 亜美
その呪いの噂は、彼女が転校してきた事から始まった。その内容は、実にバカバカしく、なんと彼女が何かしらの呪いを所有していて、彼女に関わると、それが伝染するのだという。まったく、どこからそんな発想が出てくるのだろうか。
なんでも、その噂話によれば、彼女がこの学校に転校してきたのも、その呪いの所為であるらしい。彼女の前の学校が、彼女の持っている呪いを恐れ、この学校へ彼女を無理矢理厄介払いしたというのだ。死者まで出たとか、出ないとか……。
高校生の信じる内容じゃない。
ところが、そのくだらない噂を信じて、皆、彼女と話をしようともしないのだ。
まぁ、でも多分、そんな噂話を本気で信じている人間は、実際は半分にも満たないとは思うけど。
後の残りは、その噂話によって、災難に巻き込まれる事を恐れ、彼女に近づこうとしない連中が、ほとんどなのじゃないだろうか?
それなら、実は私もそんな卑怯な人間達の中の一人、という事になる。
相川亜美は、その所為で孤立している。可哀想だとは思うけど、自分を犠牲にしてまで、救おうとは思わない。
これは、もう、そう、これは私達の中で、一つのルールになってしまっている。彼女を受け入れる事は、彼女に触れる事は、私達の中で、既にタブーなのだ。
仲間内だけに生成される規則、これを破った者は罰せられる。これでは、まるでいじめみたいだ。否、これは、いじめという現象、そのものなのかもしれない。
とにかく、呪いも、いじめも、どちらにしてもバカバカしい。
規則だとか、そういったモノは、そんな事の為にあるんじゃない。何の為に有るのかといえば、それはただ有る、としか答えられないかもしれないけど、恐らくそれは、人間が何人か集まった時、組織として機能させるために必要なモノなのだろう。
そして、それは、その組織がどんな目的を持っているか、または、その組織がどんな性格を持っているかによって、変わってくるんだと思う。
目的……。
そう目的。しかし、それ、規則だとかいうモノは、その本来在るべき、目的を無視して、暴走する事がしばしある。
目的を失い、規則だけが、ただ護るべきモノとして浮いてしまっているその組織では、本末転倒が起き、人々はただ意味もなく盲目的にそれをなぞり、時にはその所為で苦しんでさえいる。
目的を、まずは取り戻すべきだ。
そして、皆がすごし易い生活空間を創る事、それを、この人間社会での唯一普遍の目的とするべきだと思う。世の中に、それ以上になにか素晴らしい事があるんだろうか?この世の中において、普遍的な、絶対的な価値観など存在しない。なら、自分達の脳にとって一番良いと思われる価値を採用するべきだ。
私は、常々、そう思っている。
だから、意固地にただルールを護っているだけの人間は大っ嫌いで、それを当然の如く、とうとうと説いてくる人を見ると我慢ならない。それの一体どこに真実があるのかと、問い質したくなる。
ただ、それを言っているその人の中では、それは確かに真実で、頭からそれを信じているその人は、多分、それをアイデンティティーの一部にしている。
だから、それを崩すのはとても困難な事で、かなり面倒だ。余計な軋轢を生じさせる結果になってしまう。そしてだから、私はそれを恐れて、いつも黙りこくってしまう。表面だけで、調子を合わせ、うんうんと頷き、分ったような振りをする。
本当は、叫びたい。
ルールなんてモノは、それがただ護るべきだから、護るとされている時点で、意味のないモノになってしまっている事を。
そして、その意味のないルールによって、苦しんでいる人間がいる事を。
本末転倒が起きているんだ。
人々が、仕合せに暮らすためにあるべきそれが、そこに住む人間を苦しめている。
そして、今回の彼女は、そんな本末転倒の一例、呪いだとかいう、バカバカしい理由で被害を受けているんだ。
―――でも、
私はそれに気付けても、結局、また何もできないでいる。
弱い自分を守っている、だけ。
強さが欲しい。
強さが欲しい。
強さが欲しい。
死にたくはない。生きていくだけの強さが欲しい。この世の中で、
このままでは、死んでいるのと同じだもの。
だけど、やっぱり、言い訳してる。
自分の弱さを肯定付けるための、良い訳を探している。
今回は、彼女が、相川さんが、無愛想で他人とあまり積極的に関わろうとしていない事が、私の言い訳になった。
彼女は、ショートヘアーで、女性にしては背が高く、まるでモデルみたいに綺麗だ。その切れ長の瞳は、何だか睨み付けている様な印象があり、他人を寄せ付けない。
色素の薄い肌の持ち主で、鳶色の瞳をしている。その雰囲気は、時として何か別の生き物のような感じを周囲に与え、もしかしたら、その事が彼女の呪いの噂の一因になっているのかもしれない。
彼女は、転校して来てからしばらくの間、もといた学校の制服を着ていた。どうやら、それもまずかったらしい。この学校の生徒、否、生徒にかかわらず、この学校の文化(?)は閉鎖的で他を受け入れ難い。そのため、その事は少なからず、周囲の反発を買う結果となったのだ。
彼女は、完璧に、この学校の異分子として扱われるようになってしまった。そして、どこからか持ち上がった呪いの噂話。それが、彼女の孤立を決定づけた。
更に、彼女についての悪い噂話は、まだこれだけじゃなかった。
これも、やはり根も葉もない根拠のない噂話ではあるのだけど、これは呪いよりかはまだ、現実味があった。
なんと彼女は、金を稼ぐために売りを、つまり、売春をやっているというのだ。
本当に、バカバカしい。
偏見というやつは、どうしてこうも訳の分らない方向に暴走するのだろう。
たぶん、この噂は、彼女が美人である事に嫉妬した一部の、陰険な人達が流したものだろうと思う。
実際に、呪いなんか関係なしに、彼女に影ながら憧れている男子生徒は何人かいるらしい。彼女にしてみれば、迷惑な話だろう。
私は、彼女に対して、けっして、そんなに深く同情している訳ではないが、周りの目が気に懸かって、何もできないでいる自分を、くだらない言い訳をして、弱さを諦めている自分を、恥ずかしく思っていた。
だから、その時、偶々、デパートのファーストフード店で、彼女を見かけた時、私はしばらく思い悩んだすえ、結局、彼女に話し掛けたのだ。
他人の目には、偽善的に映ってもいい。これは、私の中の問題だ。私は、私の自分勝手で、彼女を利用して、強くなる。私は、私の中の醜さを認める。それでいい。
それは、私にとって、いちだい決心だった。
「今日は、相川さん」
相川さんは、一人でハンバーガーを頬張り、ジュースを飲んでいた。
私は、彼女と同じ様に、ハンバーガーとジュースを持ち、彼女の側面に向かって、そう話し掛けた。
彼女は、驚いた顔をして、私を見、私が彼女の正面の席に座るのを黙って凝視していた。
「この席、いいわよね?」
私は、そう尋ねる。
彼女は、やっぱり黙ったまま、こくりと頷いた。
「あなた、確か、木垣…」
相川さんが、初めて口を開いた。
「木垣天子よ。珍しい名前でしょ」
私は、にっこりと微笑んで、そう言う。
「どうしたの、突然、こんな処で」
「別に、ただ一人で暇だったから話し掛けたの。誰か、話し相手が欲しかったのよ。邪魔だった?」
「そんな事、ないけど。でも、あなたは今まで私に喋り掛けて来たことなんて、なかったじゃない」
「今まではね、これからは別よ」
私は、またにっこりと微笑んだ。
少し、わざとらしかったかもしれない。
でも彼女は、戸惑った顔をしつつも、私の微笑みに笑顔で返してきてくれた。
「あなたは、気にしていないの?私の噂…」
そして相川さんは、真顔で私にそう尋ねてきた。
「呪いの話?そんなの気にしてないわよ。小学生じゃあるまいし、本気にしてるわけないじゃない」
私は、そう答える。すると
「でも、クラスの人達は、それを信じてる人が多いみたいに思えるけど……」
彼女は、眉をひそめ、そう言った。
やはり、彼女もクラス内の雰囲気を察していたらしい。そりゃあ、そうかもしれない。
「うん、信じてる人は、信じてるみたいね。でも、私とか、全然信じてない人も、中には結構いるわよ」
私は慰めるような気分で、そう言った。
彼女は、それでも困った顔をして、私をじっと見てる。
「だいたい、あんな噂話、どこから出てきたのかしらね?バカバカしいわよ」
私は、その視線を誤魔化す様に、そう言う。
すると彼女は、何故か俯いてしまい、そしてその体勢のまま声を発した。
「それね、実は私には、心当たりがあるのよ。多分、あの事の所為だと思う」
「えっ?」
原因があったのか。私は多少、驚いて興味を覚えた。
彼女は、俯いたまま、語り始めた。
「私のね、前にいた学校で、死者が出たっていうのは、本当の話なの。それで、私がこの学校に転校してきたのも本当の話」
彼女は顔を持ち上げ、上目遣いで私を見た。まるで、私の反応を確かめているみたいだった。その表情には、何か哀しい疲労感があった。
「その死んじゃった人、私の友達だったんだ………、私はその哀しい思い出から逃げるために、転校したの」
彼女は、疲れた悲しい涼しげな笑いを見せる。
それで、その結果、うちの学校に来て、今のような立場になってしまったのか、悲劇の上の悲劇だ。私はそう思ったが、続けて彼女はこう語った。
「でもね、勘違いしないで、私にとって、今の自分の立場はそんなに辛くないの。むしろ、楽なくらいだわ」
相川さんは微笑む。そして
「だからね、同情で、私に気を使ってくれているなら、大丈夫よ。私は平気だから。却ってあなたに迷惑をかけちゃう」
と言った。
驚いた。彼女は、私が思っていたよりも、ずっと強い人みたいだ。私なんかよりも、ずっと。
私は、それに感動して、本気で相川さんの事が好きになってしまった。その時、私はもしかしたら、目を輝かせていたかもしれない。
「ううん。同情なんかじゃないわ。私は、私の意志であなたに話し掛けたの。あなたとお話してみたかったから」
私は、それで興奮してそう応えた。
確かに、同情から彼女に話し掛けたのじゃない。でも、純粋に相川さんと話してみたかった訳でもない。だけど、興奮していた私にとって、そんな事はどうでも良かった。
そんな私の態度に、相川さんは少し戸惑っているみたいで
きょとんとした顔で、
「そう、なの。噂話なんか気にしないで、話し掛けてくれる人がいて、私も嬉しいわ」
と言ってきた。
私は、少し照れながらも
「ねぇ、私、相川さんの事、詳しく知りたいな」
と言う。
実際、もっとよく知らなくてはダメだろうから。無愛想で、接しにくいと思っていた相川さんは、実はこんなに話し易い人だった。
印象だけで、その人の全体を評価しようなんて間違ってるわよね、本当に。
それから、私達はしばらくの間、色々と話をし、彼女がアパートで一人暮しをしているという事まで分った。
今まで、親元を離れて暮らした事がない私には、その話は興味深く、面白かった。やっぱり、一人暮しは大変だそうで、今度、冷蔵庫の残り物を片付ける目的で、彼女の家に遊びに行く約束をした。
そして、その時の会話が切っ掛けになり、それから私達は、よく一緒にいるようになったのだ。
学校でも、自然にすれば、周りの目なんて案外気に懸からないもので、私達は気楽に会話をする事ができた。
やっぱり、呪いなんて根っから本気で信じている人は、高校生にもなればいないらしい。その事実が真実だったのは、どうやら私の心の中だけであったみたいだ。
いや、だからこそ、それが呪いなのかもしれない。私は何でもない幻想を恐れていた事になるのだから。
相川さんは、クールに見えて、時々、本当にくだらない冗談を言ったりした。その外見とのギャップが面白く、私達はそれでおおいに笑ったりした。
私達。
そう、私は相川さんと打ち解けて、しばらくが経つと、友人を一人、彼女に紹介していた。その友人は別のクラスで、噂話の影響もあまり受けていない。だから、という訳でもないのだが、その友人なら、なんとなく相川さんと気が合いそうな感じがしたからだ。
その友人の名前は、田村鈴子。
真面目で大人しいけど、実は結構しっかりしていて気も強い。責任感も強くって、生徒会役員で書記なんかをやってたりもする、よくありがちな、メガネ少女だ。
私達は、よく3人で遊びに出かけ、最近では彼女、相川さんのアパートに溜まるのが恒例になっていた。
そして、相川さんのアパートにある日、田村は、崎森とかいう男子生徒を連れて来た。
あの大人しそうな田村が、と。私も相川さんも驚いたが、同じ生徒会役員で会計を担当している仲間なのだそうだ。
ただ、田村の態度は何かあやしい。
その生徒会役員の男子生徒は、目つきが悪く、陰気であまり印象は良いとは言い難かったが、よく見るとなかなか、いい男だ。
その数日後に、誤魔化す様に他の生徒会の仲間を連れて来たのも、何だか変だ。
どうやら、田村はあの崎森とかいう男子生徒に惚れている。それは、その後の田村の態度を見ていてもはっきりと分かった。
しかし何故、田村はあんな陰気そうな男子を好きになったのだろう。同じ生徒会役員ならば、他にもっといい男がいると思う。
私がそう言うと、田村は
「何で、私が崎森君の事を好きだって決めつけてるのよ」と、怒っていたが、私がその辺りの事を突っつき回していると、
「良く知りもしないで、あんまり悪口ばかり言わないでよ。彼は、不器用で無愛想だけど、けっこう優しかったりもするんだから。それに、人付き合いが上手くって、うわべだけで友達作ってる人達よりも、よっぽど純粋なのよ」
と頬を赤らめて、熱く語ってくれた。
これは、本物だと、私と相川さんは顔を見合わせ、肩をすくめる。
相川さんは、
「そうね。そういうものかもしれないわよね。変に誰にでも優しくて、人当たりがいい人って、却って信用できないわよ。もしかしたら、こっちが騙されてるかもしれないって気分になるわ」
と言って、田村を助けた。
「相川さん。あまり、田村を甘やかさないでよ」
私はブスッとしてそう言った。
すると、相川さんはこちらを向いて、
「そういえば、木垣さん。生徒会役員ならもっといい男がいるって言ってたわよね。それ誰の事?気になってる人がいるの」
と、こう尋ねてきた。
どうやら、話題の矛先は私に向いているらしい。
「別に、ただ、私達と一緒のクラスの水島君なんかいいと思うけど。確か、生徒会長でしょ。彼」
私は、できるだけサラッとそう言った。これ以上、私に話題が集中しては堪らない。
「俗的ね。天子にしては…。典型的な美形じゃない」
田村は、そうつまらなそうに言う。
「一般論よ、一般論。私が言うのは飽くまでね」
生徒会長・水島香。彼は、この学校では有名な美男子で、彼に憧れてる女の子も少なくないらしい。全体的に色素が薄く、脱色なんかしなくても髪は茶髪で、サラサラしている。その鳶色の瞳は、まるで白人みたいだ。性格も明るく、優しくて面倒見が良いから、皆から人気もあってしかも、カリスマ性が高い。当然、人望もある。先生達からも、一目置かれている存在だ。
正に、非の打ち所が無い人物だと思う。
ただ、私は少しだけ感じていた。彼には、何か他人を寄せ付けない、暗さが、少しだけある。彼の様な人間に生まれれば、きっと人生楽しそうだって思えるけど、彼には彼の苦しさがあるのかもしれない。
私はその時の会話で、水島君の事を思い出して、何故かそんな事を考えた。
ちょっとだけ、相川さんと重なる。
もし、彼女が転校生という立場じゃなかったなら、きっとこの学校で水島君と同じ様な立場の人間になっていたのじゃないだろうか。性格が良くて、綺麗で、強い。
そして、彼女にはやはり、水島君と同じ様に暗さがある。それは、単に悪い噂の渦中の人という不幸ではなく、もっと根が深い様に私には感じられた。
私は、相川さんを見る。
その時は屈託なく、明るく笑っているように、見えた。
目の前が真っ白だった。
体が、酷くだるい。
夢だ。
これは、夢だ。
心のどこかで気がついている。
だから、この真っ白い景色は、僕の脳が創り出した幻想で、なら、この白には何の不思議もないはずだ。ただ、僕の脳が真っ白を認識してる。それだけだ。
ただ、この白に巻かれる僕の世界は、酷く不快で、僕はここから逃げ出したくて堪らなかった。
この白が、ぼくをだるくさせているんだ。なぜ、そうなるのかは分からない。ただ、ぼくはそう決めつけ確信していた。
ああ、脳から離れない。
僕が、その不快、だるさを嫌がっていると、突然、彼方に黒い場所が見えた。
あすこは、何だろう?
僕は疑問に思った。その黒には、近づき難い未知の不安感と、好奇を揺さぶられる様な狂った誘惑が同じに在り、僕は、魅入られた様にそれを忘れる事ができない。
その黒は、徐々に白を侵蝕しはじめ、僕の世界に広がっていく。
いけない。
何故だか知らない。
僕は、恐怖を感じた。
その黒から眼を背ける。逃げるんだ
白へ
すると、いきなり目の前に人影が現われた。
その人影の姿には、何故か澱みがあり、僕はそれをはっきりと認識する事ができなかった。何だか、ぼやけている。
そしてその人影は、僕を捕まえると、僕を導き、どこかへ連れて行こうとした。
ああ、気持ちが良い。
なぜだろう。その人影に連れて行かれるのが、妙に心地良かった。このまま、何もかも忘れて、この先へ行くのもいいかもしれない。このまま…、
そんな事を考えた刹那、突然、その人影が僕を何処へ連れて行こうとしているのかが分かった。
彼方の黒い場所。
さっきの黒に、僕を連れて行こうとしてるんだ。
だめだ。
僕は、再び恐怖を蘇らせる。
そこへは、行けない。
僕は、何故だか知っている。
まだ、ダメなんだ。
僕は、暴れた。
人影が、暴れる僕を押さえ付けようとする。無理矢理、黒の中に放り込もうとする。
いやだーっ
その時、その人影が誰だかが分かった。
ああ、この人は、この人は、
その時、目が覚めた。
「深田君、やっと目が覚めたみたいだね」
気づくと、教壇の上に先生が立っていて、何かを書いている。どうやら、僕は授業中に居眠りをしてしまっていたらしい。
横を見ると、可笑しそうにしている男子生徒の姿が見えた。
「授業中に、居眠りは、あまりしない方がいいと思うよ」
その男子生徒は、僕にそう言って注意を促す。どうやら、僕を起こそうと努力してくれていたみたいだ。
それにしても、奇妙な夢だった。一体、どうしてあんな夢を見たんだろう?最後に、誰かの顔を見たような気がするけど、どうしてもそれが思い出せない。
僕が、そんな事を寝ぼけながら考えていると、突然、耳元でチリーンと鈴の音がした。
驚いて音のした方を見ると、僕を起こしてくれた男子生徒、水島香君が、悪戯っぽく微笑んでいた。鈴を持ち、それを掌の上で遊ばせている。そして、
「びっくりした?」
そう言って、にこにこ笑いながら、語り掛けてきた。
「びっくりしたよ」
僕は少しブスッとして、そう返す。
「まだ、寝ぼけてるみたいだったから、起こしてやろうと思ってね」
水島君は、また悪戯っぽく笑ってそう言った。
水島 香
体全体から色素が抜け落ちてしまっているのじゃないか?そう思わせるほど、彼は体全体の色素が異常に少ない。
その鳶色の瞳は、光の反射加減では赤褐色に見え、僕にはそれが時々、渇いた血の色に見える。
神秘的な雰囲気。
その色素の薄さと合わして彼の外見、姿形は、不思議な美しさを醸し出していた。
切れ長の瞳、すっと伸びた鼻。
淡い色の肌の上に、それらが形作られ、思わず、何か別の生き物を見ているみたいな錯覚をおぼえてしまう。
その良く整った顔が、たくさんの光を浴び、僕を見て、悪戯っぽく微笑んでいる。
彼の姿形は、同性の僕が見ても、………綺麗に見えてしまう。
僕は少し、ドキッとしてしまった。
彼の美しさは、そう、何だか性差を超えているんだ。
僕は頬を赤らめ、そして、それを誤魔化すように慌てて、彼に話し掛けた。
「その鈴は、一体何なの?」
彼は、澄ました顔で、
「この鈴?これはね、死神を呼ぶための鈴なんだ」
と説明をする。
「死神?」
「そう、死神。死を司る神様だよ。良く言うだろ、死神は鈴を持ってるって」
「そうなの?聞かないなぁ」
僕は、首を傾げた。すると、水島君は
「そうかい?まぁ、とにかく僕は、この鈴で死神を呼んでいるんだよ」
と、返してきた。
何だか、不気味な事を言う。
何で、死神なんかを呼びたいのだろう。僕は、不安に思って、訳を知りたかったけど「コラーッ」と、話している事を先生に怒られてしまって、その先を聞く事ができなかった。
僕には、あの過去の事件があるからだろうか、何故かその時、居眠りしている最中に見た奇妙な夢とも重なって、不気味な不安を感じずにはいられなかった。
キーンコーンカーンコーン。
放課を告げるチャイムが鳴る。
やっと、一日の授業が終わり、学校から解放された。
あの事件、僕が自分から刺されて、自殺しようとした事件から一年が経ち、僕は一応、高校二年に進級していた。僕は、まだ何とか生きていて、友達も少しはできた。
と、言っても水島君、一人だけなんだけど。
彼が、何で僕なんかと一緒に居てくれるのかは分からない。
彼はクラスでも人気があり、性格も明るく、特異なカリスマ性も持っている。実際、彼はそれで生徒会長なんてポストにもついていて、人望もあるんだ。
僕なんかとは、雲泥の差だ。
それでも、そんな水島君が僕なんかと付き合ってくれているのは、きっと、彼が優しい性格の持ち主だからなんだろうと思う。僕は、その優しさに甘えているんだ。
まだ、騒がしい雰囲気の中、僕は水島君に話し掛けた。
「ねぇねぇ、水島君。今日、途中まで一緒に帰らない?」
すると、水島君は申し訳なさそうな表情をして、
「ご免、深田君。今日は………」
と、言いかける。その時、廊下から足音共に黄色い声が聞こえてきた。
「みずしまぁーっ、今日の生徒会、遅れないでよー」
あれは、確か副生徒会長の天野小夜子とかいう女生徒だ。活発で元気が良いので有名なので、僕も知っている。
「と、いう訳で、これから生徒会の集まりがあるんだ。すまないけど、今日は付き合えない。ごめん」
水島君は、本当に申し訳なさそうな顔で、そう言ってきた。彼が、そんなに謝る必要なんてないのに…。
だから、僕は彼に気を使わせたくなくて、笑顔で、こう言った。
「それなら、しょうがないね。大丈夫だよ、今日は一人で帰るから」
本当は、少し寂しかったんだけど、それを表面に出すまいと努力をした。
雑然とした教室が、急に別世界になったように思える。
久しぶりに、ひとりだ。
水島君は、もう既に生徒会室に行ってしまった。僕は顔を俯かせ、ゆっくりのたのたと、帰り支度をした。
それから、顔を上げた。
すると、ふと、ある女生徒と目が合ってしまった。どうも、彼女の方はずっと僕を見ていたみたいだ。
彼女は確か、相川亜美とかいう名前で、何ヶ月か前に転校してきた女生徒だ。何か知らないけど、呪いにかかっているだとか、訳の分からない噂のある少女。
何故、僕を見ているのだろう?
こうして、じっと見つめてみると、彼女は随分と美人だ。
僕はそう意識すると、照れくさくなって笑ってしまった。
すると、彼女もつられてか、笑い返してきた。
ドキッとした。
その笑顔は、誰かの笑顔に似ていた。
誰だろう?すぐには思い当たらなかった。彼女の印象が、その人物とあまりにかけ離れていたからだ。
けど……、彼女のその笑顔は、水島君のそれにそっくりだった。良く見ると、彼女と水島君は、似ているのかもしれない。ただ、彼女の場合、水島君とは違って、あまり笑わないし、無愛想で人付き合いもあまりしないから、イメージが重ならず、似ているのだという発想がでてこなかっただけなのかもしれない。
そういえば、彼女は色白でもある。
気づくと、教室内に残っている人間は、もう大分少なくなってきていて、彼女もいつの間にか消えていた。
僕は、少し虚しさを覚え、このまま帰るのに何か抵抗を感じた。
だから、僕はもう少し学校に残っていようと思い、結局、司書室に行く事に決めた。何も部活をやっていない僕が、学校内で放課後に立ち寄る場所は、そこしかない。