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1 足音の怪-1

(厳しさと弱さについての記述)


 これは某高校に通う、A子さんという女生徒の体験した本当の話である。


 私は、その日、家で描くつもりだった美術の絵の課題を、学校に置き忘れてしまっていました。

 その事に私が気づいたのは、もう自宅に着いてからの事で、その時間から急いですぐに取りに戻ったとしても、学校に着く頃には、辺りは真っ暗になってしまいます。

 私は、嫌だとは思いながらも、その課題は明日までに仕上げなくてはならないものだったので、我慢して学校に取りに戻る事にしました。

 もう夕刻を過ぎた放課後の学校には、ほとんど人影がなく、部活で残ってる何人かの生徒以外は先生の姿すらありません。

 そのわずかに残っている生徒達も、外の運動部の生徒で、もう帰り支度を始めています。校舎内は真っ暗で、誰か人が残っている様には見えませんでした。

 一応、通用口のドアは開いている様で、中に入る事はできます。

 私は、恐る恐る中に入ると、職員室の明かりが灯っているのを発見しました。

 そうです。誰か先生が残っていなくては、通用口のドアが開いている訳はありません。私は、少し安心しました。

 しかし、職員室から離れ、その明かりが徐々に届かなくなり、暗さが増してくると、恐怖感は再び私の中で膨れ上がってきました。

 課題は美術室に置いてあります。美術室は職員室と、反対の校舎の三階にありました。

 もう廊下にはほとんど明かりがなく、非常口の電灯だけか心細く点いている以外は、まったくの闇でした。

 そしてその時、私は思い出してしまったのです。美術室の前の廊下には何かが『出る』という話を。

 私は、そういった類の噂話を信用するタイプではないのですが、状況が状況だけに、妙に気になりました。

 三階に着き、もう美術室は目の前です。私は自然と早足になり、廊下を行きます。

 その時、

 ヒタッ

 何かが、聞こえました。しかし、

いや、気の所為だったのかもしれない。

こんな時だから、幻聴か普段では気にも留めない様な物音が、オーバーに聞こえたのかもしれない。

 そう思う事にして、私はその音を無視し、美術室に入りました。

 課題は、私の席の引き出しで簡単に見つける事ができました。

 ところが、私が、さあ帰ろうと、美術室の出入り口に近づくと、何かの物音が聞こえてくるのです。

 私は思わず立ち止まり、聞き耳を立てました。脂汗が滲みます。

 ヒタヒタ

 ヒタヒタ

 それは、さっき廊下で聞いた音に似ていました。

 ヒタヒタ

 よく聞くと、それは廊下を誰かが素足で歩いている音の様に聞こえます。

 こんな時間に一体誰が?

 私の恐怖感は高まり、心臓がドキドキしてきました。美術室のドアには、ガラスがついていて、廊下を見る事ができるのですが、そこからは誰の姿も見えません。

 ヒタヒタ

 ヒタヒタ

 廊下からは相変わらず、足音が響いてきます。

 私は唾液をゴクリと飲み込みました。

 恐怖で縛られて、一歩も動けません。気がつくと冷や汗が全身から出ていました。

 ヒタヒタ

 ヒタヒタ

 廊下の足音は、行ったり来たりを繰り返し、いつまでも往復しています。私はしばらくそこから動けずにじっとしていたのですが、自分の冷や汗で濡れたシャツが、ピタリと背中に張り付くと、ハッと我に返りました。

 こんな所にいつまでもいられない。

 私は、この場所から逃げ出す決心をしました。

注意深く、足音を聞きます。足音は、一定のリズムで廊下を往復しているようでした。

私は、そのリズムを憶え、足音が一番遠くになったときを見計らうと、ドアを開け、勢い良く飛び出し、そのまま全速力で廊下を走りました。

 暗闇の廊下を走り抜けていく最中、私は背中が引きつる様な恐怖を覚えました。あの足音が、追って来るかもしれない、そんな事を考えてしまったからです。

 実際、ヒタヒタという足音が微かに耳に入ってくる様に思えます。私の足音が反響してる訳ではありません。だって私は上履きを履いているのです、そんな足音にはならない。

 私は夢中で逃げました。

 通用口を通り抜け、学校の外に出ると、私はようやく、落ち着きを取り戻しました。

もう、足音は追ってきません。

 それから、私はできるだけ明るい道を選んで自宅へと帰ったのです。

 その後で、詳しく友達から美術室の廊下に出るお化けの話を聞くと、どれも私が体験した話とそっくりでした。

 私はさっきも書いたように、この手の話をあまり信用しません。だから、或いは、あの足音は私の幻聴だったのかもしれない、とも考えています。

 ただ、あれが私の幻聴だったとすると、何故、他の多くの人も全く同じ場所で似たような体験をしているのでしょうか?この事に、どんな説明をつけたらよいのか私には分からないのです。


因習。旧弊的な雰囲気。意味の、必要のあるなしに拘らず、護るべきだとされている約束事、ルール。

例えば、上下関係とか。

 今時、珍しく、古くさい仲間意識のある学校。

 はっきりいって、僕はこの学校が大っ嫌いだ。しかも、これで私立だというのが、また信じられない。教師どもの頭も硬いし、校則まみれで束縛感も強い。こんな学校だと知っていれば、入学などしなかったのに、と思うほどだ。

 ここは、そんな学校だ。この学校では、野球部が、今だに全員丸坊主にしていても違和感がないだろう。却って、納得できるほどだ。

 こういった因習がある学校では、たいてい新入生の立場は、身分制度上の最下層に位置する。

 だから、去年、一年間は最悪だった。何か理不尽なプレッシャーを、常に感じていなくちゃならない。

 表面上、従っている振りをしてないと、すぐに目を付けられる。何か嫌がらせを受ける。

 迷惑な学校だ。

 どちらかというと、解放感を好み、自称、個人主義の僕にとっては、苦痛以外の何ものでもない。かといって、逆らう程の根性もないし、従っている方が無難だという事も分りきってる。

 だから、大人しく我慢していた。

 今年から、進級してやっと2年になる。まだ上に先輩はいるが、去年よりはましだろう。もっとも、こういった類のプレッシャーは、何も上級生だけから感じるという訳じゃないから、そんなに楽観視できない。

 ただ、先輩という権力者になった事で、少しくらいは、この学校の悪しき因習を破壊してやろう、いや、できたらいいな、くらいは思っている。

 そんな、僕が二年に進級して、少し気になってた奴と同じクラスになった。

 こいつは、個人主義、かどうかは分らないが、とにかくマイペースな男で、周りの目も気にしない。

 当然、周囲の風当たりも強く、何人かの人間がその事で動いたらしいが、そいつはそれを無傷で切り抜けたという。

 どんな方法を使ったのか分らないが、喧嘩が強いとかいったタイプではないから、腕力を使った訳じゃないだろう。

 噂話だから、どこまでが真実だか分らないけど、この学校のあり方に反感を抱いている僕としては、興味をそそられる。

 その男、吉田誠一は昼休みの今、窓際の自分の席で何かの本を読んでいる。

 僕は、まずは接触を試みてみようと、近づいて行った。

 吉田は、猫の様な雰囲気のある、目の大きな童顔の男で、背もそんなに高くないから、一見すると高校生には見えない。まだ、中学の一、二年くらいに見える。

 本当に、どうやって周囲の圧力を切り抜けたんだろう?とてもそんな能力がある男には見えない。

 「よう、何の本を読んでるんだ」

 僕は、まずそうやって話し掛けた。

 「怪談」

 吉田は、上目遣いでこちらを見ると、素っ気無くそう答えた。

 「怪談?何でそんなものこんな時期に読んでんだよ。夏だろ、そういうのを読むのは」

 「別に季節は関係ないよ。いつだって読みたい時に、読むさ。それに、この学校の怪談もでてるんだ。少し、興味があって…」

 「えっ、この学校の話が載ってるの、少し見せてくれよ」

 吉田に、その話を見せてもらうと、某高校とはなってはいるものの、あからさまにこの学校である事がばれてしまう内容だった。

 「特集、怪奇スポット。へぇ、うちの学校って心霊スポットの一つだったのか。そういえば、妙に怪談話多いよなこの学校。まあ、こういう因習に取り付かれた場所って、大概、こういう話は多いもんだ」

 「えっ?」

 僕が、そう発言をすると、何故か吉田は驚いた様な顔をして僕を見た。それから、

 「今言った、因習に取り付かれた場所って、この学校の事だよね。やっぱり、普通の人から見ても、一般的にそう思えるモノなのか。ふーん」

 一方的にそう喋って、勝手に何かを考え込みだした。

 「何を悩んでるんだ?」

 「いや、ちょっとした仮説があるんだけど、それが、もしかしたら正しいのかもしれないって考えてたんだ」

 「どんな、仮説?」

 仮説だと?普通の高校生から出てくる単語じゃない。やっぱりこいつ、変な奴なのか。

 「君には関係ないよ。ええっと、名前は、」

 「神谷だ。教えてくれよ、気になるだろ」

 実際、気になる。仮説自体も気になるが、こいつがどんな奴かも非常に気になる。もしかしたら、関わり合いにならない方が無難な相手なのかもしれない。

 吉田は、頭をポリポリと掻くと、何だか面倒くさそうに、語り始めた。

 「因習がある場所に、怪談話が多いって、今、神谷君、言ったよね。それは、何でなんだろうと思う?」

 「うーん。昔からの話が、受け継がれていくからじゃないのか。人がどこかで死んだなんて話は、実は結構、何処にでもありそうだけど、知らなけりゃ別に怖くもないからな。情報が伝えられるからって事になるのかな」

 「たぶん、その通りだと思う。そうして、情報は真偽を謎にしたまま、色んな経緯を経て、怪談になっていくんだろうね。つまり、人間関係が構築されなきゃ、怪談だとか、妖怪、神様の類は現われないんだろうと思う。じゃあさ、どうしてどんな人間関係、つまりどんな地域の文化にでも必ずと言っていいほど、妖怪や、神様はいるんだろう」

 何だって?そんな事、今まで考えた事もなかった。

 「別に、そんなの当たり前の話じゃないのか」

 「当たり前じゃ、答えになってないよ。理論的に考えないと。いいかい、君が言った理屈は、因習がある場所、つまり深い人間関係が構築されている場所で、怪談が生まれやすい、という事は証明しているけど、人間関係が構築されると、必ず、怪異が生まれる事の証明にはなっていないんだ」

 「知らないよ。人間が集まると、必ず、怪異が生まれるだって?そんなの分らないじゃないか。違うかもしれない」

 「でもね、この現代社会でだって、幽霊やUFOの存在を信じる人はいっぱいいるし、トイレの花子さんや人面犬、妖怪だっていっぱい生まれている。何か理由があるとは思わないかい?」

 そうして吉田は、何だか楽しそうに、僕を見た。僕が困っているのが楽しいのじゃなくて、純粋にこういった話が好きなのだろう。そんな感じだ。

 「分らないよ。降参だ」

 僕は、諦めてそう言った。

 吉田は、語り出す。

 「僕は、まずこう考えた。複数の人間が組織化されるためには、何が必要なんだろうか、と。簡単に思いつくのは、規律だとか規則だとかそういったモノ。でも、それらがなくても機能している人間関係はいくらでもある。仲間グループなんて正にそれだろう。規則なんてない。だから、規則は人間が組織化するための必要条件とは言い切れない。でも、仲間グループにだって暗黙のルールみたいなものはあるだろう。それが、規則や規律の萌芽だとも思えるのだけど、単純に、そう考えるのもどうかと思った。それらには、規則にはない柔軟性や許容性などの特性がみられるからね。では、この柔軟性や許容性の正体は何か、僕はこれを感情に着目するコミュニケーションの方法だと考えたんだ。それが、仲間グループのレベルでは、未分化の状態で規則と一緒に存在してるんじゃないかって」

 「それが怪談とどう結びつくんだ?」

 僕が、そう問い掛けると、吉田は

 「うん、怪異は、人間同士の情報のやりとりによって生まれるものだろう。でも、規則やモラルには、どうもその根はあまりないように思うんだ。だから、」

 吉田は、そう言い掛けて、上目遣いで僕を見た。

 「その感情がどうたらいう方が、怪異を生んでいるとでも言いたいのか」

 僕はそう尋ねた。

 「うん」

 そう答えた吉田の表情は自信なさ気だ。

 「やっぱり、暴論かな。規則やモラルは、集団が、どんなに広がってもそのまま適応できるだろ。でも、感情によるコミュニケーションは、人間と人間が、直に接していないと取る事ができない。でも、この感情を中心としたコミュニケーションは、確かに集団を組織化させるために必要なんだ。それがなくては、バランスが崩れてしまう。だから、それを補完する意味で、現われるのが怪異なんじゃないかと……。だから、妖怪や神様は、何も怖いだけの存在じゃない場合が多いだろう。教育のための妖怪も多いし……」

 吉田はそう語ると、困った顔をして僕を見ながら言い訳でもするように、更にこう続けた。

 「怪異全てをこれで説明しようなんて、無謀かもしれないけど、少なくとも、一つの怪異の見方ではあると思うし、何かしらの人間心理の影響があるのは確実だよ。ユングが唱えた集合的無意識、この説を全面的に肯定する訳じゃないけど、これにも何か関係があるかもしれない。だから、怪異には、その土地の文化の特性が、人間の特性が、反映されるんだ。だったら、妖怪や神様を見ればその土地の特性が分るはず、つまり、この怪談からだって、ここの学校の特性が分るはずなんだ」

 そして、少し考え込むと、何かに思い当たったらしく。

 「そう言えば、フロイトやユングは、神話の分析を行っている。否、何も妖怪や神話に特定しなくても、物語全般にそれは言えるかもしれない」

 などと呟き、自説への自信を深めたのか、また勝手に考え込み始めた。

 どうやら、噂通り、かなりマイペースな奴だ、という事だけは確からしい。それにかなりの変わり者だ。どうでもいいような、何だか難しい理屈を必死に考えてる。

 「そんな理屈が、一体何の役に立つんだよ」

 僕は茶化すつもりで、そう言ってやった。

 すると、吉田は、視線をこっちに向け、何か人を小馬鹿にするような態度で、

 「少なくとも」

 と言い、少し間を空け、含み笑いを浮かべると、

 「僕が今、頼まれてる仕事には役に立つよ」

 と、そう言った。

 「お前が頼まれてる仕事?一体なんだよ」

 僕がそう尋ねると、吉田はうーんと考え込んでから、こう言った。


 「妖怪退治……かな?」



 放課後。

 チャイムと伴に、教室は突然騒がしくなる。

 吉田は、早々に帰り支度を整えると、教室から出て行こうとしていた。

 そんな吉田を、僕は逃がすものかと、教室のドアの所で捕まえる。

「ちょっと待てよ。このまま帰るつもりか。お前の頼まれてる仕事って何なんだよ。放課後になったら、説明するって約束だっただろ」

すると、

 「別にそんなに慌てなくても、逃げやしないよ。これから僕は、その事で司書室まで行くんだ。一緒に付いてくれば、詳しい事が聞けると思うよ」

 吉田は澄ました顔で、そんな事を言った。

 「うそつけ、逃げようとしてたじゃないか」

 司書室までの道のりで、僕は吉田にそう言った。態度には表さないが、絶対にこいつは僕の詮索を嫌がってる。

 「違う違う」

 吉田は無表情で、否定する。

 「何が違うんだよ。一人で教室を出て行こうとしてたじゃないか」

 「逃げようとしたんじゃなくて、忘れてただけだよ。単に」

相変わらず、無表情で吉田はそう言った。

「………、」

もしかしたら、からかわれてるのかもしれない。だとしたら、妖怪退治というのも冗談である可能性が高い。

 「おい……」

 「何?」

 「妖怪退治って本当の話だろうな」

 「本当だよ。ある意味では」

 まだ、本格的に知り合って、数時間しか経っていないが、こいつが変人である事は十分に分った。どうも信用できない。などと、その会話の後で疑心暗鬼に執り付かれていると、いつの間にか、司書室の前に着いていた。

 吉田は、ノックをすると返事を待たずに、いきなりドアを開けた。

 キィッ

 小気味良い不協和音が響き、奥の席に座るむさ苦しい男の姿が見える。

 男は、何か熱心に机に向かっている。こちらには気がついていないみたいだ。

 「失礼します、幸村先生」

 吉田はそう言った。

 司書教諭にして国語教師、幸村俊郎。何故か、この学校の歴史、学校史を熱心に書き綴る奇妙な先生で、常に司書室に閉じこもっている。しかし、生徒の間ではそれなりに人気があり、本人も生徒と会話するのが好きらしい。司書室を尋ねてくる生徒も多い。

 その所為か、この先生はこの学校の全ての事柄に精通している。現時点で、この学校に一番詳しい人間は、この先生かもしれない。だから、学校史を書いているのかも。いや、もしかしたら、逆に学校史を書くために、この学校の事を調べているのかもしれない。幸村先生は、そう思えるくらい熱心に学校史の創作に取り組んでいるのだ。

 「無視しないで下さいよ」

 そう言って、吉田はスタスタと幸村先生に近づいていく。そして、

 「あの仕事を、僕に無理矢理に押し付けたのは、先生でしょう」

 と言った。

 (何だって!)

 僕はちょっと驚いてしまった。

 (頼まれた仕事って、この先生が絡んでるのか?)

 「ああ、何だ君か」

 そう言って、幸村先生は顔を上げた。

白髪混じりの髪の毛、惚けた眼が、メガネのガラス越しに見える。これで、歳が30代前半だというのが、信じられない。かなり老け込んで見える。

「少しは、協力してもらいますよ。元は先生が頼まれた仕事なんだから、あんな面倒くさそうな事…」

 「しょうがないだろ、僕には何にも"できない"んだから、君に頼むしかない。手を加えるのは、あっちの役割だけど、多分やらないだろうから」

 「先生は"できない"のじゃなくて"やらない"のでしょう。全く」

 「僕の立場じゃ、"できない"んだよ。可能なら、やってるさ」

 吉田は何故か酷く厭そうな顔をして、先生を見た。まるで、先生を非難しているみたいだ。

 僕は、吉田と幸村先生のこの奇妙なやり取りをまったく理解できないでいた。この二人は一体どういう関係なのだろう。

 先生は勘弁してくれといった表情で

 「分ったよ、協力すればいいんだろ。一体、何をすればいいんだ」

 と、言った。

 吉田はまた無表情に戻り、こう言う。

 「あの女生徒が、悩んでるお化けの話の事なんですけどね。詳しく、その成り立ちを教えてくれませんか」

 先生は、それを聞くと、「それを調べるのが何かの役に立つの?」と呟き、ゴソゴソと何かを探し始めた。しばらくして、奇妙なファイルを取り出す。それには"怪談"と書かれていた。

 どうやら、この学校に纏わる怪談を歴史順に集めた資料らしい。しかも、幸村先生著だ。これも、学校史の一つなのか、本当にすごい執心振りだ。

 「えっ……と」

 先生はパラパラとページをめくる。

 「あー、あった。これだ、これ。うーんとね、最初にこの話が出てくるのは、四年くらい前かな、結構新しい部類の話だな」

 「それで、最初は何処から出た話なんですか?四年前なら、どうせ記録取ってるんでしょ」

 「これは、最初は女子剣道部から出た話だな、概要はこうだ。剣道部は昔から厳しい部活で有名だった。ところが、ある冬の寒い日、練習中に一年生が一人サボって、美術室に隠れてしまう。美術室は、当時勝手にストーブを使って良くてね。その一年生は、一時の暖を求めて、美術室に行くんだ。ところが、美術室に潜みながら、その一年生は戦々恐々としている訳だ。先輩達が探しに来るかもしれないってね。それで、その恐怖感からしばらくじっとしているのだけど、ある時、ヒタヒタっていう足音が聞こえてくる。足袋の足音だ。これは、遂に先輩が探しにきたと思って、その一年生はますます小さくなって震えてたんだ。ところが、いつまで経ってもその足音は美術室の中には入ってこない。何も喋らず、ただ廊下を行ったり来たりしてる。これは、おかしい。そう思って、その一年生はドアを思い切って開けてみるんだ。すると、そこには誰もいない。一体、あの足音は何だったのだろうか?というのがこの怪談の原型だ。その前は何が原因で発生したのかは分らないな」

 「その後、話の内容はどう変化していったんですか。何か変化があったんでしょう」

 「うーん、これ以降は、この怪異を体験するのが一般の女生徒に変わったり、足音が数人に増えたり、何か声が聞こえて来たり、とか色々あるけど基本は同じだな。足音が聞こえてくるんだよ」

 「音の種類は、どうなりますか」

 「えっ?」

 「どんな足音が聞こえてくるのか聞いてるんですよ。どの話でも、足袋、つまりヒタヒタという足音が聞こえてくるのですか?」

 「ああ、そうだな。それが足袋から素足の音に変わりはするけど、基本はヒタヒタだよ。それが、どうかしたのか?」

 「いえ、分りました。それだけ聞ければ充分です。ありがとうございました。それじゃあ、僕は忙しいから失礼しますね」

 それだけの会話をすると、吉田は司書室を出ていってしまった。そして、「ああ、」幸村先生は、素っ気無くそう応えて、また、熱心に机に向かい始める。僕は仕方なく、訳も分らずに吉田の後を追った。

 吉田は廊下を、やはり無表情にスタスタと歩いていた。

 「おいっ」

 僕は話し掛ける。

 「結局、ほとんど何が何だかよく分らなかったぞ。お前、どんな仕事をあの先生から、押し付けられたんだ?」

 「でも、少しは分ったろ。僕の押し付けられた仕事は、あの本に出てた"足音の怪"に関係ある事だよ。美術部の女の子がね、足音のお化けに頭を悩ましてるらしいんだ。それで、美術部の顧問の青山先生が、幸村先生に相談を持ちかけたらしい、幸村先生は、何だかんだ言って、この学校に一番詳しいだろ。それでその仕事を幸村先生は、僕に押し付けたと、そういう訳さ。迷惑な話だ」

 「何で、足音の事聞いてたんだ。あんな事知って役に立つのか?」

 「うん、実はちょっと、気になる事があってね……」

 と、吉田は言うと、それ以上は何も語らなかった。スタスタと無表情で歩きつづける。

 (何処へ向かってるんだ?)

 吉田の向かっている方向には、教室もなければ、昇降口もない。

 「おい、何処へ行くつもりなんだ。帰るんじゃないのか?」

 「まだ、帰らないよ、少し確かめる事があるんだ」

 「確かめる事?」

 「うん、美術室へ行くんだ。多分、青山先生がいると思う。詳しい話を聞きに行くんだよ。何しろ、僕は、幸村先生から伝え聞いた話しか知らないからね」

 「なんだお前、仕事頼まれたって、幸村先生から間接的に頼まれただけなのか、なんでそんなに一生懸命にやってるんだ?その女生徒と親しい仲でもないんだろ」

 「僕もそう思うよ。僕に解決できる類の問題じゃないかもしれないしね。ただ、ここでこの話を無視しちゃ、僕がこの学校にわざわざ入った意味がなくなるんだ。あの先生、それを知ってて、僕に頼むんだから人が悪いよ」

 「何の話だ?」

 すると、吉田は何か思い直したみたいな仕種をして、

 「君には、関係ない。悪いけど、余計な事だから、これ以上の詮索はやめてくれよ」

 と、言った。

 今までにない、きつい言い方だった。触れられたくない話なのかもしれない。

 そう思った僕は、だから、その事については、何も尋ねない事にした。納得はいかなかったけど。

 吉田は美術室に着くと、教室の方じゃなくて準備室のドアをノックし、入って行った。

 「失礼します」

 部屋には、青山先生が一人で絵を描いていた。青山先生は、僕らに気がつくと、

 「どうしたの?」

 と、にっこり笑ってそう尋ねてきた。

 この先生は、すごく人がいい。この学校の一般の教師どもと違って、融通が利く規格外の数少ない先生だ。美術部の女生徒を心配して、幸村先生に相談をするという行動も、この先生じゃなかったらしていなかったかもしれない。

 「実は……」

 吉田は、今までの簡単な事の成り行きを青山先生に語った。

 青山先生は、ふーん、と小さく音を発すると、

 「君が、森さんを助けてくれるっていうのか?」

 と尋ねてきた。

 森さんというのは、たぶんその女生徒の事だろう。青山先生の顔は何だか、半信半疑、否、どうこの訪問者を扱っていいのか分らない、そんな表情だ。

 吉田は無表情に淡々と、それにこう答えた。

 「助けられるかどうかは分りません。ただ、努力はします。だから、青山先生も極力、協力してください」

 その冷めた口調が却って青山先生を安心させたのか、先生は真剣な顔つきになった。

 「分った。で、何をすればいいんだ?」

 「その森さんを悩ましてる足音の話。僕は、幸村先生からしか伝え聞いていないので、確認の意味で、もう一度、話してみてくれませんか?」

 吉田がそう言うと、青山先生は頷き、ゆっくりと語り出した。

 「彼女は、絵画のコンクールへ出展する予定の作品を今、制作している最中でね。結構、遅くまで残って絵を描いていくのだけど、美術部の他のみんなが帰り、一人になってしばらくが経つと、足音が聞こえてくるのだそうなんだ………、


 辺りがシーンとなって、時計の音が少しうるさく聞こえ始める。

 先生も、もう帰ってしまってる。

 誰も居ない、落ち着ける空間。創作活動には打ってつけの場所のはず、なのに………。

 何故か落ち着かない。

 外は暗く。この美術室の中だけ明るい。

 集中できない。妙な不安が……。

 その時、

 コツ

 足音?

 コツコツ

 あれは、革靴の音?

 誰も居ないはずなのに…、どうして?

 その音は鳴り止まない。

 コツコツ

 緊張が襲い、胸が痛くなる。

 これ以上、進められない。

 コツコツ

 こんな状態じゃ、何も描けない。

 コツコツコツ

 助けて……。


 彼女は、その音が聞こえてくると、とんでもない不安に襲われるのだそうだよ。それで、どう仕様もなく結局、帰ってしまう。何故か、帰る事に決めると、足音は聞こえなくなるそうなんだ。創作活動の方も、遅れているし、彼女の方も、精神的にかなり参ってる。焦りもあるのかもしれない」

 先生は、そう語り終えた。

 すると、吉田は何故か先生の足下を見てから、こう訊いた。

 「先生、足音は、革靴の音だと、彼女は、はっきりとそう言っている訳ですね」

 「ああ、そうだな」

 先生は真面目な表情で、そう答えた。

 それを聞くと、吉田は何故か数度頷き、今度は、

「先生は、今日はサンダルを履いてますけど、普段は何を履いているのですか?」

と、尋ねた。

 先生はその質問を聞くと、妙な表情を浮かべて、こう答えた。

 「普段も学校に居る時は、たいていサンダルだよ。もしかして、僕を疑ってるのか?言っとくが絶対に違うぞ、彼女がその体験をしてる時、僕は既にこの学校から居なくなってるんだから」

 「いえ、分ってますよ。安心してください。先生がそんな事をしたってなんの得にもならない事くらい理解してます。僕は、そんな事を確認した訳ではありませんよ」

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