3 死亡動機X-12
その場に流れる雰囲気は、最悪なものになっていた。
田村さんは、泣き出しそうな目で、こちらを見ている。
僕は、田村さんの登場で、動揺してしまって、うまく会話を、水島君との口裏合わせをできないでいた。嘘を田村さんに指摘されるのが恐かったんだ。
水島君は、何も喋らず、俯いていた。
刑事さん達は、僕達の態度がおかしい事に気付き始めたようで、僕達の事を疑っている。
「水島君。本当の事を話してちょうだい。どうして、ナイフがあなたのお腹に刺さったの?」
木下先生が訊いた。 「事故です。僕が体勢を崩してしまって、その場所に、偶然、田村さんが立っていただけです」
水島君は、顔を上げるときっぱりとそう答えた。
「それは、本当なの?」
木下先生が、少しきつい口調で再度尋ねる。
「本当です」
水島君は今度も毅然として、そう言いきった。この精神力は凄いと思う。
「それでは、田村さんはどうしてナイフなんかを持っていたんだい?」
今度は浅野刑事が、それに言及して質問をした。
水島君は弱々しく答える。
「それは、知りません……。でも、この怪我を僕が負ったのは、事故でなんです。刺されたからじゃありません」
少し、その声は震えていた。
「それでは、田村さんに何でナイフなんかを持っていたのか訊いてみようか?」
浅野刑事は、言った。
水島君は何も答えない。
浅野刑事は、田村さんを見る。
田村さんは、泣き出しそうな声で、語り出した。
「私は、水島君の事を刺すつもりで、ナイフを持っていました。なんで、水島君が私の事をかばってくれるのか知らないけど、確かに私は水島君の事を刺したんです」
田村さんは、そう語り終えると、泣き出してしまった。
ウッウウッ、ウッウッ
声を殺している。
「水島君。彼女をかばいたい気持ちは分かるけど、それが本当に彼女のためになるとは限らないの。彼女は、自分が罪を犯した事を認めている、そして犯した罪は償わなくてはならない。お願い、本当の事を話して………」
木下先生が、そう水島君に語りかけた。
水島君は俯き、消え入りそうな小さな声で、それに応える。
「本当に、悪いのは僕なんです。罪が償わなくちゃいけないものなら、それをしなくちゃいけないのは僕の方なんです。だから…」
水島君が何を言ったのか、最後までは、聞き取れなかった。
その発言の意味は、僕には分からない。もちろん、浅野刑事にも、木下先生にも分からないだろう。ただ、彼が、水島君がとても苦しんでいるという事だけは、僕には、はっきりと感じ取れた。
でも、何もできない。
もう議論は僕の存在を無視して、そのまま行われている。この場にあって、僕はトコトン無力だ。こんなに、水島君も田村さんも、苦しんでいるのに、僕には何にもしてあげられない。
例え僕が、嘘の証言をして、全てを誤魔化そうとしても、もう何の効力ももたないだろう。
僕にできる事は、もう祈る事だけだった。
必死に、必死に、
誰か、お願い助けて。
このままじゃ、悪い結果しか待っていない。
誰か、お願い助けて。
「深田君」
水島君が何も言わないのをしばらく見守ってから、浅野刑事が口を開いた。
「本当に正しいのは、どっちの証言なんだい?もうこんな状況で、誰かをかばうのは無しだよ。正直に、話してくれ」
なんで?
僕に二人が不幸になるとどめを刺せっていうの?
僕は、何も喋れない。もう、どう言ったら、良い結果になるのか分からないから。
誰か助けて、誰か助けて!
みんな、おかしいよ。なんでこんなに苦しまなくちゃいけないの?笑って済ませば良いじゃない。なんでそれができないの?世の中そんなに、ちゃんとはしてないよ。いい加減で、いいはずなんだ。
みんな病気だ。自殺病に罹ってる。
木下先生も、浅野刑事も、田村さんも、水島君も、馬鹿親父も、そして僕も、世界中の全員が、みんな何かに騙されてる。みんなが一斉に騙されてるから、それに気付けていないだけ。
誰か、この病気治してよ。
誰か、誰かぁー!
僕は、心の中で絶叫した。
下を見る。床を見る。卑怯な僕の得意技。黙秘する事しか、僕にはできない。
「深田君!」
浅野刑事が、声に凄みを加えてもう一度言った。
僕は思った。
もう、ダメだ。
その時。
キィーーーッ
妙に印象的にドアが開いた。
そして、誰かが入ってくる。僕は顔を上げた。
「この事件は、事故でも犯罪でもありませんよ、浅野刑事」
その誰かは、そう言った。
コツコツと足音が近づいてくる。
暗がりから明るみに、メガネが反射し、丸く光った。
惚けた目、優しそうな目。
それは、その人は、幸村先生だった。
なんで先生がここに……、
「深田君、もういいんだ。無理して黙ってる必要はないんだよ。ああ、ここには病気が蔓延しているねえ。君もこの雰囲気に巻かれてしまったんだ」
幸村先生は、驚いている僕に向かってそう言ってきた。
先生は僕らを助けに来てくれたんだろうか?
「どういう事です、幸村先生。あなたは何かを知っているのですか?」
浅野刑事が尋ねる。刑事さんもこの闖入者とその発言に驚いてるんだ。
「ええ、」
幸村先生はそう応えると、惚けた目を鋭く浅野刑事に向け、そして、言った。
「水島君と、田村さん。二人とも自殺未遂なんですよ浅野さん」
自殺未遂……。水島君がわざと刺されたんだとするなら、確かにそういう解釈もできるかもしれない。でも、なんで幸村先生がその事を知っているのだろう?あの光景は、僕しか見ていなかったはずなのに。
ふと気付くと、幸村先生の後には、まだ誰かいるようだった。女の子が二人、部屋に入って来る。
「田村!」
その内の一人がそう言って、田村さんに駆け寄った。あれは、木垣さんだ。もう一人は、相川さんみたいだ。彼女も近づいて「大丈夫?」と声をかけた。田村さんを心配しているようだった。
なんで彼女達まで、ここに来たんだろう?
「何を言っているのですか幸村先生?それに、この娘達は…」
その光景を見ながら、木下先生が尋ねた。木下先生にもこの事態がよくのみ込めていないんだ。
「水島君は、わざと田村さんに刺されたのですよ、木下先生。恐らく、死ぬつもりでね。だから、深田君は証言できなかったんだ。そうだろう深田君?」
そんな木下先生達の戸惑いを尻目に、幸村先生はきっぱりとそう言った。木下先生と浅野刑事が、僕に注目する。
「本当なの、深田君?」
僕は、びっくりした。やっぱり先生は分かっていたんだ。でも、どうして……。
「その通りです。田村さんに刺される時、水島君は笑っていた。だから、僕は……」
そして僕は、動揺しながらも、そう真実を告白してしまった。もう大丈夫だと思ったんだ。きっと幸村先生が、良い結果に導いてくれる。そんな気がした。
刑事さん達は、その僕の言葉を聞いて、目を更に大きく見開いた。
「なんだって……。そんな事…」
浅野さんが漏らす。そして、それから、水島君を見た。
「本当なのかい?水島君、君は……」
水島君も愕然としていた。幸村先生を見つめている。彼も、不思議なんだ。
「亜美から、聞いたんですか?」
そして、そう水島君は発言した。
亜美、相川亜美?彼女が何か関係してるのか?なんで、彼女が出てくるんだろう?だから、彼女はやって来たのだろうか?
幸村先生は、
「まあ、そうだね。でも、だいたい僕にはもう分かっていた事ではあったんだ。当事者以外の人が混乱するから、順を追って、この事件を説明していくよ。君にとってみれば辛い事かも知れないけどね、そうしなきゃ、この現状は打開できないから」
と、水島君に説明してから、田村さんを見た。
「田村さんにも、まだ少し分からない事があるんだろう?君は、水島君がわざと刺された事は知らなかったはずだ」
田村さんは、不思議そうな顔をして、やはり、愕然としていた。
「私が、知らない事?水島君がわざと刺されたって、なんで……」
そして、田村さんはそう呟いた。
浅野刑事は、それを聞くと
「しかし、幸村先生。それでも田村さんが、水島君を刺したという事実は変わらないはずです。これは罪になりますよ。犯罪じゃないというのは…」
と不服そうにそう言った。
幸村先生は、それを聞くと少し含み笑いを浮かべた、そして、
「その通りです。しかし、田村さんが、精神状態を操作されていたとしたらどうです?司直の手に委ねるかどうかは、僕がこれから話す内容を聞いてからでも遅くはないと思いますよ」
と言い、それから、
「さてと、浅野さん。まずは天野小夜子さんの自殺の事から、説明を始めます」
講義を始めた。
「天野さんの自殺?彼女の自殺が今回の事件と関係があるのですか?」
木下先生が、驚いて訊く。幸村先生は、直ぐに答えた。
「大いにありますね。彼女の自殺がなければ、今回の事件は発生していなかった。ここにいる二人が、自殺をしようなんて思わなかったはずだ」
「一体、どういう関連性が……」
浅野刑事はそう呟いた。その発言を無視して、幸村先生は、
「浅野さん。警察では、天野さんが自殺をした動機について、何か分かったのでしょうか。できれば聴かせて欲しいのですが…」
と質問をした。
浅野刑事はそれを聞くと、困ったような顔をしながらこう答えた。
「動機ですか…。親や友人に訊いても分からずに、結局、思春期に有りがちな、不安定な精神状態の所為だと判断されましたが…」
「つまり、分からなかった、と」
「はい」
浅野刑事は、憮然としていた。
「まぁ、当然でしょうね。天野さんが家族に話している可能性は少ないだろうし、その秘密を知っている人達はまず話さないだろうから」
「あなたは、分かっているのですか?」
「少なくとも、その切っ掛けになった事がなんであるのかは分かっていますよ」
幸村先生は、即答した。
「それは?」
浅野刑事は尋ねる。
「浅野さん。天野さんが、自殺をした場所を考えてみて下さい。何かおかしいとは思いませんか?何故、彼女は自分の教室でもない他人の教室で、あんな時間に自殺してしまったのでしょうか?」
僕は、幸村先生がそう言うのを聞いて、初めて疑問に思った。そういえば、何故なんだろう?変だ。
「自分が死ぬ場所を、無意味に選択するとは考え難いと思いませんか?何か訳があったはずです。他人の教室で、死ななくちゃいけなかった訳が……」
幸村先生は、声を萎ませる。水島君を見た。
浅野刑事も、木下先生も何も答えられなかった。
見かねて、幸村先生は言う。
「ここで、深田君の証言を思い出して下さい。深田君の証言は、まず、生徒会室から鈴の音が聞こえてきた事から、生徒会がまだ活動していると考えた事、つまり、誰かが生徒会室に居て、その誰かはどうやら水島君であった可能性が高いという事実を指しています。そして、次の証言は、黒板に、"勝手に女になっちまえ!"という文が書かれていたという事です」
「それが、何か……」
浅野刑事が、分からない、といった表情でそう言った。木下先生も、同様に分からないようだった。
「こういう推論は、成り立ちませんかね?」
幸村先生は、言った。
「"勝手に女になっちまえ"という文は、天野小夜子が最期に誰かに何かを伝えるために残したメッセージだった」
(!)
幸村先生は、突拍子もない事を言った。
浅野刑事達は、訝しげな顔をしている。何を馬鹿な事を言っているんだ、とでも言いた気に見えた。
幸村先生は、それでも泰然としている。二人の態度にまったく臆していない。
僕は考えた。
もし先生の言っている事が正しいのだとするなら、僕のあの記憶は、幻想なんかじゃなく、真実だったという事になる。でも、だとするなら……、水島君。君は、
あの手の感触……
「何を言っているのですか?"勝手に女になっちまえ!"なんてそんな意味の分からない文、一体誰に伝えると…。まさか、暗号文だったとでも言うのですか?」
木下先生が、そう当然の疑問を口にした。
幸村先生は、それに整然と答える。
「違いますね、そのままの意味です。確かに、常識で考えれば理解はしにくいでしょうが…」
語尾を濁し、そして水島君を見た。
「考えてみて下さい。深田君の証言が正しいとするなら、水島君は天野さんが自殺したあの時間帯、まだ学校に居た事になる。でも、彼はそうは言っていない。つまり、嘘をついた事になる。そして、思い出してください。あの"勝手に女になっちまえ!"という黒板の文を消す事ができ、何もなかったと証言できるのも、また彼だけなんです」
幸村先生は発言を止めた。そして先生は、じっと水島君を見続けた。
何かを訴えている。
(視線を受けて、)
水島君。
水島君は、
水島君は、ゆっくりと僕を見た。そして笑う。溜め息を少しつく。それから、言った。
「ご免ね、深田君。君を巻き込むつもりはなかったんだけど…」
浅野刑事、木下先生の両名が再び驚いて彼を見た。
「水島君。まさか、あなた本当に嘘を………」
木下先生が、言った。
「先生。刑事さん。疑問を解消してあげますよ。告白します。僕の犯した罪の訳を……、僕の秘密を……」
水島君は、寂しそうにそう言った。
幸村先生は、
「自分で、言えるのかい?」
優しく、そう言う。
「自分で、言わせて下さい」
水島君はそう応えた。そして、
「深田君。君はもしかしたら、もう気付いているのかもしれないけど……」
哀しそうに、薄目で、笑いながら、
「僕はね…」
言った。
「両性具有者なんだ」
やっぱり……
「手術によって、女になるか男になるかを選択できる珍しい人間なんだよ」
水島君は更にそう言った後、悲しく目を伏せた。
あの手の感触は、胸の膨らみだったんだ。
「それじゃあ、あの文は、そのままの……」
木下先生が、本当に驚いた顔で、呆気という感じで言った。
「この秘密は、ほとんどの人間は知りません。ごく一握りの人にしか教えてないんです。そして、その少ない人間の中に、天野さん、そして崎森君もいました」
水島君は、目を伏せたまま淡々と語った。
「崎森君も…」
僕は、声を漏らす。
それを聞き、水島君は僕を見た。
そして、言い難そうにしながら、
「僕ら3人は恋愛関係、にあったのです」
と言った。
僕の事を気にしながら、言った様に思えた。
「でも、この場合の恋愛関係は、俗に言ういわゆる三角関係とは異なります。天野さんは僕の事を男性として見、崎森君は僕の事を女性として見ていた訳ですから…」
つまり、水島君を中心に恋愛関係が成立していたんだ。普通なら、一人の異性を二人の同性が取り合うという形で、三角関係が成立するものなのに、それが違っていて、その中心には男と女が同じに居たんだ。
僕は、水島君のその言葉を複雑な思いで聞いていた。予想はしていたけど、少しショックだったから。
「そして、あの日です。僕ら3人は生徒会の仕事が終わった後、生徒会室に残りました。僕が提案したんです。話す事があるからと………。その時、言ったんです"僕は女になる"と」
水島君は言い終わると、何故か、相川さんを見た。
相川さんは、その視線を哀しそうに受けとめている。
この二人には、何があるんだろう?
「それを聞くと、天野さんは泣きながら、生徒会室を出て行ってしまいました。そして、生徒会室には、僕と崎森君だけが残されたんです。その後、崎森君は、僕にキスをしてきました……」
僕が廊下で鈴の音を聞いた、あの時だろうか?あの時、生徒会室では、そんな事が行われていたのか。
僕は、再びショックを受けた。
「無理矢理だったんです。僕は、崎森君を振り払いました。その後、その所為でか、ちょっと気まずい雰囲気になって、崎森君は帰ってしまいました。僕は、天野さんの事が心配になって、彼女を探したんです。そして、僕らの教室で、彼女が自殺しているのを発見したんです」
水島君は、事のあらましを語り終えた。
「どうして、正直に本当の事を話してくれなかったんだ、水島君。幸村先生、あなたもです。気付いていたなら、何故、我々に言ってくれなかったんだ」
浅野刑事は、少し苛立った口調でそう言った。
幸村先生は、それに対し淡とした口調で、応える。
「浅野さん。これは、極めてプライベートな問題なんですよ。水島君の立場で考えてみて下さい。罪を告白したくても、できないだけの理由が彼には充分にあったんです。誰も彼を責める事はできません。あれから、何も起きなければ、今だって伏せておくべき事だったんです」
浅野刑事は、それを聞いて黙った。
それから、幸村先生は僕らを見回すと、溜め息をつき、遣り切れなさそうにして更に語り出した。
「しかし、事態は更に不幸な方向へと転がってしまった。周りの人間を巻き込みながら……。水島君、まだ続きがあるんだろう?君の告白を崎森君は、間違って、否、早とちりして解釈してしまったんだね。君は、"女になる"と言っただけだ。それは、何も崎森君を選ぶ、という意味ではなかったんだろう?だから君は……」
僕は、それを聞き、こんな時だというのに真っ赤になってしまった。
なら、あの水島君の行動、状況からいって水島君が本当に好きな相手は、僕だ、という事になってしまうから。
そういえば、相川さんも、崎森君が僕を殴ったのを、逆恨みだと言っていた。
………。
と、いう事は、彼女は知っていたんだこの事実を、でも何でだろう?なんで、彼女は知っていたんだ?
僕は、相川さんを見た。
彼女は、この部屋で一番、哀しそうな顔をしているように、僕には思えた。