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3 死亡動機X-11

 僕は、天井を見ていた。


 今は、意識がはっきりしてる。

 しばらくは意識が混濁していて、何がなんだかは分からなかった。

 ただ、サイレンの音を聞き、車に乗せられて何処かに運ばれていく、奇妙な夢のような感覚だけは少し覚えている。

 その運ばれてきた場所が病院である事には、僕は混濁したその意識の中で既に気が付いていて、だから、はっきりとした感覚を取り戻せた後、僕は混乱する事なく、自分の置かれている状況を把握できた。

 僕は、病室のベットの上で寝ている。木下先生が、心配そうにそんな僕を見守っていた。

 そういえば、なんだか、前にも似たようなシチュエーションがあったな、僕は、そう思った。

 「大丈夫?」 そう木下先生は尋ねてきた。

 「全然、平気です。それより……」

 僕は、水島君達の方が気懸かりだった。

 「水島君達は………」

 すると、木下先生はあの時とは違って、ゆっくり微笑んで、

 「大丈夫よ。大した事はないわ。二人とも、もう、とても元気よ」

 と、言って僕を安心させてくれた。

 ただ、僕は薄々だけど、それを聞く前から二人は大丈夫なんじゃないか、とは思ってた。おぼろげにだけど、事件の後の事や、救急車の中での記憶があったから。どうやら僕は、完全に意識を失っていたわけではなかったらしい。

 「運が良かったのかしらね、出血の割に、傷の方は酷くなかったのよ」

 木下先生は、その後、更に続けてそう言った。

 僕は、それを聞いてこう思った。

 ……、多分、運が良かったのだけが、原因じゃない。

 自分の中に躊躇いがある時、人は無意識に手加減をしてしまう事があるらしい。例えば、自分の事を刺す場合なんかがそれだ。

 だから、多分、あの女生徒は、無意識の内に手加減をしていたのじゃないだろうか?

 もちろん、確信があるわけじゃないけど、僕は過去にこれと同じ現象を体験してる。実感できるんだ。

 あの人は、僕の事を殺したくはなかったんだ。だから、本気では刺せなかった…。あの女生徒だって……

 ……………。

 木下先生も、その後にそれと同じ様な事を言っていた。

 その後、僕はもうここ、ベットの上で寝ていなくても大丈夫だと主張して、病室を出たいと木下先生に頼んだ。木下先生は、心配そうな顔をしていたけど、同室に居た医者が認めてくれたので、僕は病室を出て、待合室へと向かう事ができた。もう、すっかり元気なのに、大袈裟な扱いを受けていたくはなかったんだ。

 廊下を歩いていると、前から見た憶えのある20代後半くらいの男の人が歩いてきた。

 誰なのか、少しの間、思い出せなかったけど、

 「やあ、もういいのかい深田君」

 と、その人が僕に話し掛けてきて、その人が、浅野とかいう少年課の刑事さんである事を思い出した。

 「ちょうど、君の所へ向かう途中だったんだよ」

 刑事さんは続けて、そう言ってきた。

 僕の所へ?心配してくれていたのだろうか。

 それから刑事さんは、急に深刻そうな顔つきになって、こう言ってきた。

 「事件の時の事を、話してほしいんだけど……」


 僕は床を見ていた。


 待合室の、少し薄暗く、少し冷たい、雰囲気の中で、無機質なワックスがけの光を反射するタイルを、僕は見つめていた。

 不意に降り出した雨の音。

 ザァ―――。

 病院の中にまで聞こえてくる激しい雨音、土砂降りだ。

 「まだ、何も話してくれないのですか?」

 刑事さんが言った。

 「まだ、ショックから立ち直ってないんですよ。事件のことに触れるのは、もう少し、待ってください」

 木下先生がそれに返す。僕の事をかばってくれている。

 そう、僕はまだ事件の事について何も話してはいなかった。

 話せなかったんだ。

 ただ、それは別に木下先生が言うようにショックを受けて、そこから立ち直れないのが原因じゃない。僕は、迷っているんだ。何を、どう喋って良いのか。水島君は、あの時、笑っていた。

 ――水島君と、田村さんの証言の内容が食違っているんだ――

 僕が、どうして事件の事を話す必要があるのかと刑事さんに尋ねると、刑事さんはそう返してきた。その所為で、どちらの証言が正しいのか、第三者の証言、つまり僕の証言で確認しなくてはならないらしい。それがなくても、いずれは話さなくちゃいけない事なんだろうけど、今はそれが早急に求められているらしい。

 水島君は……

 ナイフが自分の腹部に刺さったのが、単なる偶然だと言っているのだそうだ。偶々、自分が転んだ所に、田村さんがいて、ナイフを持っていた。その所為で、怪我をしてしまったんだと、そう主張しているらしい。

 田村さんは……

 水島君の事を自分が意図的に刺したんだと言っているのだそうだ。自分は、水島君の事を恨んでいて、それで水島君の事を刺したんだ、と。そしてその後、罪の意識に苛まれて、自らの事も刺したんだと、そう主張しているらしい。

 二人とも全く違う事を主張している訳だ。どちらの証言を信じるかによって、この事件の内容は、全く異なってくる。水島君の証言が正しいのなら、この事件は単なる事故だけど、田村さんの証言が正しいのなら、この事件は傷害事件になってしまう。だから、刑事さんはかなり困っているのだ。

 幸い、今のところ、この場に来ている警察関係者は、浅野さんただ一人だけなのだそうだ。警察に通報を受けた時、どうやら今回の事件は、単なる事故として伝わったらしい。

 ――この場で、問題を解決してしまえば、大事にならないで済む――

 そして、どうやら浅野さんは、そんな事を考えているらしかった。

事故は、連続して起こるというけど、ここ最近で、起こったこの学校絡みの事件はこれで3回目だ。いい加減、面倒な事は勘弁してほしい。というのが、浅野さんの正直なところらしかった。

床を見つめながら、木下先生と浅野刑事、二人の話を、僕は聞き続けた。

 水島君達に、お互いに、お互いの証言が食違っている事を伝えても、まず水島君は、田村さんは自分の腹部にナイフが刺さったの見て、混乱してそんな事を言っているんだと言い、田村さんは、そんな事はない。勘違いしてるのは、水島君の方だと言ったらしい。結局、平行線だったのだそうだ。何の解決にもならなかったのだという。

 もし、傷害事件だとするなら、犯人は自首しているのだ。事は、簡単に済むだろう。しかしだとするなら、この場合、被害者の方が嘘の証言で犯人をかばっている事になる。そんな事……、あるのだろうか?

 考えられなくは、ない、かもしれない。

 一方、水島君の証言が正しい、としてみる。その場合、田村さんは、無理に罪を被ろうとしてるのだ。これは、おかしい。だが、もし本当に田村さんが勘違いをしているのだとすれば、考えられなくもない。田村さんは、水島君の事を憎んでいた。それは、本人も認めているのだ、間違いない。だから、偶々、起きた偶然の事故に、自分の願望が重なって、自分の犯行だと思い込んでしまった。この筋書きなら、あり得るかもしれない。

 結局のところ、仮定で考えれば、どちらのケースも可能性としては、考えられる。ただ話し合っていても、事態は全く進展しない。

 と、いうような事を、刑事さんと木下先生は語り合っていた。

 僕は、その話を聞きながら、ずーっと床を見てた。僕の目の前で、わざわざ議論するのは、きっと僕に早く話して欲しいからなんだろうと思う。でも、

 でも、僕は話せない。

 確かに、僕はあの現場に居て、事実を見てる。でも、僕が見た事実だって、表層に出て来た現実の一部でしかないんだ。その奥に、どんな真実があるのか、まだ分からない。

 僕が話せば、多分そんな断片だけで全てが決められてしまう。このままじゃ、多分、そうなるだろう。

 僕は、それだけは我慢がならなかった。

 水島君は、笑っていた。笑いながら刺されたんだ。

 あの、笑いの裏には何かある。それで、彼が事故だと主張しているなら、僕は何も証言できない。事実を有りのまま伝える事が、常に良い結果を生むとは限らないから、僕はなんて証言したら良いのか分からない。

 あの時、水島君は、わざと刺されたんじゃないのか?

 何故かそう思えてならなかった。

 木下先生、浅野さん。二人は黙り込んだ。

 僕は床を見ていたから、分からないけど、多分、彼らは、僕を見てるんだ。

 その時、不安が過ぎった。

 このまま、不自然に黙っていたら、あの女生徒、田村さんが意図的に水島君を刺したんだという結論に、行着いてしまうのじゃないだろうか?

 単なる事故なら、僕が話せないのはおかしい。傷害事件だからこそ、話せないのだという事になりはしないか?

 僕は、息を飲み込んだ。焦っている。

 「木下先生……」

 床を見つめながら言った。

 逃げるのは、黙ってるのは、僕の得意技だったけど、今は逃げる事ができない。

 顔を上げた。

 「木下先生…。あの、僕は確かに、水島君達が血を流すのを、見たんですけど……。その、それがショックで、記憶がはっきりしないんです…。だから、水島君と話をさせてくれませんか?そうすれば思い出せるような気がするんです」

 精一杯の、打開策だった。

 水島君と話ができれば、少しでも僕が何を言えばいいのか分かる気がしたんだ。

 木下先生と浅野さんは、顔を見合わせた。目で話し合っている。

 「つまり、どちらの証言が正しいのか、今の君の記憶じゃ、判断がつかないって事かな」

 浅野さんが言った。

 「はい。前の時、天野さんの時も、記憶が混乱したみたいだったから、不安なんです」

 僕は、答える。

 それを聞くと、浅野さんは納得したような顔をした。

 「なら、しょうがない、認めるよ。水島君と話しても良い。但し、僕達も付き添う。疑ってる訳じゃないけど、一応、念のためだ。これは責任問題だからさ」

 浅野刑事はそう言って、僕と水島君の面談を認めてくれた。



 水島君の病室は、彼以外、誰もいなかった。なんだか簡素で、窓際のベットに一人でいる水島君の姿は、とても寂しそうに見えた。

 水島君はベットの上で、上半身を起こし、窓の外を見ていた。土砂降りの雨で、おぼろげになった外の景色を……

 僕達が入室すると、水島君はゆっくりと顔をこちらに向けた。僕の姿を認めると、不安そうな表情が弛緩し、笑顔になった。

 僕の存在が、今の彼にとってプラスになっているんだ。

 僕はそう実感すると、その事が嬉しくて、彼と同じ様に、表情を崩して、笑ってしまった。なんだか、緊張が解ける。僕も、安心する事ができたんだ。

 そして、彼のベットの横にある椅子の上に腰を下ろした。

 じっと、見つまる。

 何を、話そう。

 直接に相談できたらベストなんだけど、そうもいかない。

 飽くまで、木下先生と浅野刑事、この二人に分からない様にして伝え合わなくちゃいけないんだ。

 僕は、何を話して良いのか迷って、とりあえずこう尋ねた。

 「体の方はどう?大丈夫なの」

 すると、水島君は

 「うん。大した事はないよ。さっきまでは、少し気分が悪かったけど、今は全然大丈夫かな」

 と笑いながら答えた。

 「そう…、良かったね」

 こんな事を話したってしょうがないのに。浅野刑事が見ている。なんとか、しないと。

 僕はこわごわ口を開いた。

 ばれないように……、

 「あの、水島君。なんで君は生徒会室に行ったの?僕は君の跡を追って偶然、君達が怪我をする所を見ちゃったんだけど、ちょっと不思議に思ってさ…」

 僕はこの質問で、水島君が僕がここに来た理由を察してくれる事を願った。僕が、怪我をした、という表現を使った事から、まだ事件の真相を話していない、と理解してくれると思ったんだ。

 僕のその質問を聞くと、水島君は微かに表情を変化させた。

 僕はその反応を見て、水島君は僕の意図を理解してくれたんだ、と思った。

 「生徒会の仕事でね、さっさと片付けておきたいのがあったんだ。昼食を取る前にやっおこうと思ってね」

 水島君は、さらっとそう答えた。

 多分、それは嘘だ。本当はもっと別の理由があるんだと思う。あの時の水島君の様子はそんなモノじゃなかった。僕にはそんな嘘をついたって無駄で、直ぐに分かってしまうのに、水島君が平気でそう言えたのは、僕の意図を理解してくれた証拠だ。

 「ふーん。僕は普段、水島君は弁当を持参してるのに、教室の外に行くなんて変だと思って、跡を追ったんだよ。そんな事だったのか……」

 だから僕は、少し語尾を濁し、それに合わせてそう応えた。発言がわざとらしく聞こえないかと心配しながら。

 僕は横目で、刑事さんの様子を確認する。僕達の事を疑っている素振りはない。

 「あの時さ……」

 僕はいよいよ、本題を話し始めた。

 裏にどんな理由があるにせよ、どうやら水島君が、この事件を事故として済ませたいのだ、という事は充分に分かったから。それに、今この状況なら、うまく口裏を合わせられそうな気もする。もう一人の証言者、田村さんもいないから、嘘の証言を指摘される事もない。

 「僕には、水島君が影になって、その後ろの田村さんはよく見えなかったんだけど……」

 ところが僕がそう思って、そこまでを言い掛けたその時、突然ドアが開いた。

 そしてそこから、木下先生が顔を出したのだ。そういえば、この部屋に入って来ていたのは浅野刑事一人だけだった。木下先生は、何処へ行っていたのだろう?

 木下先生は、

 「ごめんなさいね、病院の先生に許可を貰ってて遅くなったの」

 そう言って、なんとあの女生徒、もう一人の当事者、田村さんを招き入れた。

 僕は動揺した。

 まさか、彼女がこの場所に、入って来るなんて!

 田村さんは、暗い顔をして、静々と入ってきた。怪我の方は大分軽い様だ。もう、一人で歩けている。

 田村さんは、そのまま誰も居ないベットの内、一番ドアに近い、水島君とは反対のベットに横になった。

 僕らが、不思議そうな顔をして、それを見つめていると、

 「当事者が二人とも揃わないと、どちらが何を勘違いしたのか、分からないままになっちゃうでしょ。だから無理を言って連れて来たの」

 と木下先生は、そう説明をした。

 僕はその時、目の前が真っ暗になるのを感じた。


 相川さんの告白が終わると、幸村先生は一端、私達をそれぞれの自宅まで車で送ってくれた。それで私達は、濡れた制服を脱ぎ、私服へと着替えた。

 それから、私達は直ぐに病院へと向かったのだ。幸村先生も、私も、相川さんも、慌てていた。何が起こっているのか、大体、私達にはもう予想はついているんだ。

 もう、これ以上、悲惨な事は起こって欲しくない。厭な時間が流れるのは、もう終わりにしないといけない。

 だから、そのために私達は慌てていた。

 人が不幸になる悪い結果は、防がなくちゃいけないんだ。

 病院に着くと、幸村先生は看護婦さんに何かを話した。多分、自分が教師である事を伝え、水島君達の病室に入る許可を貰い、案内してもらうつもりなんだと思う。

 ところが、それから先生は、看護婦さんから逆に何か事情を聞き始めた。そしてそれが終わると、こちらを向き、深刻そうな顔で、こう言った。


 「急がないといけないかもしれない。水島君の病室に皆が集まっているそうだ。事はどうやら、悪化しているみたいだ」

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