3 死亡動機X-9
田村と、水島君と、深田くんが、救急車で運ばれた。
どんな経緯でそんな事になったのかは、まだ不明で、詳しい事情は分からないけど、田村と水島君は、それぞれ血を流したらしい。体のどこかに刺し傷を負ったとか…。
深田君は、それを見てまた気絶したらしい。彼もそれで病院に運ばれたんだ。
始めは、ショックを受けたけど、3人とも死ぬような事はないという話を聞いて、私は落ち着く事ができた。
最近、こんな事が多いから、多分、慣れてしまったんだと思う。でも、これで、相川さんと友人関係にあった人間の中で何もないのは、ついに私一人になってしまった……。
………。
良く知らない私の判断だけど、今回の事件は、天野さんの時のそれと、シチュエーションが似てるのではないだろうか?
相川さんの友人に事件が起きて、それを目撃した深田君(何故か、今回も彼だ)が気を失い、関わりのある人物がそれを発見する。
似てると思う。
前回、発見したのは水島君だった。そして今回、それを発見したのは、なんと相川さんだったらしい。
更に、その後、救急車を呼んだり先生達に知らせたりしたのも相川さんで、保健室の木下先生が、救急車が来るまでの間に応急処置が施せたのも、逸早く知らせた彼女のおかげだ。
しかし、本来なら評価されるべきであろうその行動は、今回の場合、却って彼女の立場を悪くさせる結果を招いてしまった。
それには今回の事件が、天野さんの自殺の時と同じ様なシチュエーションであった事も、少なからず災いしたんだと思う。
発見のタイミングも良すぎたんだ。
生徒会役員でも何でもない彼女が、どうして昼休みに、生徒会室を訪れたのかも分からない。
色んな事が不自然過ぎた。
だから多分、それらの事が原因で、相川さんが呪われてるという噂は、この昼休みのわずかな時間内に、このクラスの中、否、この全学校内で、疑いようのない事実として、認知されるようになってしまったんだ。
扱いも、前より酷くなっている。相川さんを見つめる不特定多数の視線は、恐怖とそこから来る怒りに満ち溢れていた。
蔑視。と、別視。
そんな中、私は揺れていた。
ちょっと前と同じ様に…。
相川さんが呪われているとするなら、やっぱり簡単に謎は埋まる。天野さんの自殺も、崎森君の事故も、そして、今回の田村と水島君の事件もその所為にしてしまえばいい。
でも、
田村と、水島君が何でそんな事になったのか、今の私の握っている情報じゃ理解できないけど、きっと訳があるんだろう。田村も水島君も、両方とも命を失うほどの怪我じゃないそうだから、後で聞けば、それは分かる。天野さんの自殺も、私達から見れば謎だけど、理由がないとは言いきれない。そして第一、私は、少なくとも崎森君の事故に関しては、それが、謎なんかじゃなくて、ちゃんと理由…、原因があるのを見てる。ちっとも謎なんかじゃない……。呪いなんか持ち出さなくても、それらは解決できるんだ。
私が、本当に謎に思ってるのは、そんな事じゃない。私が、本当に謎に思ってるのは、相川さん自身だ。
確かに、不自然過ぎるんだ。
何で相川さんは、生徒会室にタイミング良く現われる事ができたんだろう?現場に居合わせたわけじゃないけど、聞く限りでは、まるで事件が起きるの知っていたみたいに思える。なにかしらの関わりが、今回の事件と相川さんの間にあるとしか考えられない。だとするなら、これで相川さんは、少なくとも、今回の事件と崎森君の事故、この二つの事件に関係を持っている事になる。
だから、呪いじゃなくても、何らかの形で相川さんが、この連続で起きた事件に関与してる可能性は、充分にある。それじゃなくても、相川さんの知り合いが次々と、不幸に遭っているというのは事実なんだから。
そこまで考えて私は、皆が私を見守る奇妙な視線に気が付いた。
呪いを信じるクラスメート達は、嫌悪でもない、恐れでもない、同情でもない視線で、私を見ていた。
(そうか!)
瞬時に、私は理解した。
相川さんの呪いが事実であるとして、何らかの災難に遭うのは、もう私しか残されていないんだ。
この不思議な視線の正体は、恐らくそれだろう。皆、恐れつつも好奇の目で、そしてその中途半端な感情でちょびっとの可哀想に思う気持ちを押し潰して、私の事を見てるんだ。
少し、相川さんの気持ちが分かったような気がした。
意外だな。
私に災難が降りかかるなんて、そんなふうには全然考えていなかったから、そう思った。
私は結局、黒板の文字を消せなかった。いきなり飛び込んできた事件の所為で、動揺したからだ。
相川さんは、あの文字を見て何を思っただろう?悲しい、辛そうな表情を見せたのだろうか?私は、それを見ないように努力したから、分からなかった。
授業が、始まる。
昼休みが終わって、直ぐの授業は国語だった。幸村先生の授業だ。黒板の文字は、先生が来るまで残っていた。誰もそれを消せる勇気を持っていなかったんだ。
先生は、入ってきてその文字を見るなり酷く厭な顔をして、そして、あっさりと、何でもない事のようにそれを消した。
そして、そのまま平常時と同じ様に、授業を行った。でも、なんだか幸村先生は、普段よりも少し機嫌が悪いように、私には見えた。
そして、授業が終わる。今日の全授業は、これで終わりだ。HRが始まるまでの間、教室内の空気は雑然とする。ほとんど全員の話題は、相川さんの事だった。
ザワザワ、ザワ
厭な音。
その音は、互いに共鳴しあい、無様に膨張し続けた。
その音響の中、とうとう、誰か一人が言った。
「相川さん。この学校から、出て行ってもらえないのかな?」
直接に、相川さんを攻撃する言葉。
(!)
私はそれを聞いて、どうしようと思った。それは、幾らなんでも言ったらいけない言葉なんじゃないの?
怒りが、、、、沸いてきた。
常識で、考えてよ。モラルはないの?そんなの私は嫌いだけど。今は、それに頼ります。誰か、反論してよ!
(もう、この空間は、一般世間から隔離された別世界。その思いは、通じない。通らない。魔法の国)
呪われてると思われてる、私の立場じゃ、それはできないんだから…。
それは、いい訳だった。
結局、私は言い訳してる。
そして、誰かが言ったその攻撃の言葉が、切っ掛けだった。皆が、相川さんに対する敵意を剥き出しにし始める。
「出て行ってくれなきゃ困るのよ!」
「他に、誰かこれ以上、死人が出ても良いっていうのか!」
「木垣さんも可哀想だよ……」
うるさく、ざわめき、ざわつきだった。何かに肯定された人間の欲動は、外からみれば、とても、とても、醜く見え、今回の場合は、それは嗜虐の本能、或いは、防衛の裏返しか。とにかく、呪いという武器を手に、彼らは己が内の倫理を打ち破り、それら欲動を解放させていた。
否、今のこの空間世界の倫理では、相川さんを攻撃するのは正しい事なんだ。彼らは、正義を行っている……。
人の、本当の優しさは何処へいったの?
私は、ここで悪寒を覚えた。
相川さんは、こんなのに耐えられるんだろうか?私がもし言われている張本人だったら、耐えられない。
そう思ったその時、
ガタリ。
相川さんが、席を立った。
皆が、それに注目する。
相川さんは、目に涙を溜め、
「何よぉ!」
絶叫した。
それで、皆が黙る。
「私の事を、呪い殺そうとしてるのは…。本当に呪い殺そうとしてるのは!私じゃなくて、あなた達の方じゃない!」
相川さんは、そう大きな声で叫んで、泣いた。
号泣だ。
その言葉が、私に衝撃を与える。でも、どうする事もできなかった。
私は、弱い人間だから…。周りの目が恐いから…。
恥ずかしい。
相川さんは、そのまま走って、外に出て行ってしまった。
一瞬、教室内は静まりかえる。それから、一気に、また煩くなった。
もう、皆が何と言っているのか私には、聞こえてこなかった。訳の分からない方向に思考が飛び、世界が内も外も混乱していた。
担任が、いつの間にか来ていて、HRが始まっている。その声も私には届かない。
内の世界に閉じ篭もり、私は相変わらず言い訳ばかりを探していた。
相川さんが、いけないんだ。
何も、話してくれないから…。
相川さんが、いけないんだ。
分からない事ばかりするから…。
私は、何にもできない。だって……、
最初から、何もかも、秘密を話していてくれれば、良かったんだ。相川さんには、最初から何か秘密があった…。隠し事さえなければ、きっと私だって、闘えていたんだ。
黒板の呪いの文字だって消せていた。
皆に反論もできた。
私は、弱いんでしょうか?
なんで、何もできなかったんだろう?否、そんな問題じゃない。そんな所に、問題はあるのじゃない。
闘えていたかどうかに、価値を求めちゃいけない……。それができたって、悪い結果になっちゃ意味がないから…、私にとっての良い結果は………
そうかっ!、それが分からなかったんだ。だから、どう行動して良いのか分からなかったんだ。相川さんを助ける事が、私にとっての良い結果に結びつくのか、私はずーっと苦悩してたんだ。
HRが、終わった。チャイムが鳴る。
私の思考は、そこで止まった。それ以上は、考えられなかった。
だって、これから先を考えるには、相川さんから話を聞かなくちゃできないことだから…。だから、私は結局、また同じ思考を繰り返すしかなかった。言い訳だ。
相川さんが、何も話してくれないから、なんにもできなかった。それに、崎森君の事故だって、相川さんの所為である可能性が高いんだ。何も、同情する必要はない。私が、罪悪感を感じる必要はない。
進歩しない結論を、呪文のように繰り返す。私の中の、認めたくない行動に、なんとか他の理由を見つけようと迷走してる。
私は、そんな思考を続けながら、学校内を歩いてた。
行き先なんて決めてなかったけど、一応、足は無意識に部活のグランドへと向かっていた。制服のままで行ったって、しょうがないのに…。
今日は、部活をサボって、帰ろうかと思ってた。けど、まださまよってる。昇降口で、相川さんの下駄箱を開けた。外履きが、まだあった。相川さんは、まだ学校内にいるんだ。何をしてるんだろう?
女子ハンドボール部のグランドは、本当に学校内でも外れにある。だから、下校時で、学校周辺に居る生徒の数は多そうなのに、ここら辺には人があまりいない。
近くにある駐輪場も、校舎から遠いため、ほとんど利用する人はなく、寂しかった。
私は溜め息をついて、その人気のない駐輪場に座りこみ、空を見た。
なんで私は帰らないんだろう?
そう呟く。
空は、今は、ちょっと曇っていた。
私の、激しく回転していた思考は、今ではゆっくりと回っていて、私の疲れてしまった脳味噌は、ただただ、私に憂鬱を与える事しかしなかった。
そんな暗い片隅で、膝を抱えて、悩んでる、私の脳には、何が必要…。
その時、
「結局、僕の心配した通りになっちゃったみたいだね」
突然、頭の上から声が聞こえてきた。
私は、顔を上げる。
そこには、吉田先輩の顔があった。
随分と久しぶりの吉田先輩は、優しそうに、そして少し困ったふうに笑っていた。その童顔が、今は不思議と少しだけ、大人っぽく見えた。
吉田先輩は、自転車に乗っていて、どうやら帰る途中の様だった。この駐輪場の数少ない利用者の一人らしい。
吉田先輩の影が、私に覆い被さるようにしてかかっている。
「何を言ってるんですか?」
私は少し反発してそう言った。きっと、ずっと前に言っていたあの忠告の事だろう。何も知らない先輩に、簡単にそんなふうに言われたくない。
「不幸が起きてしまったんだろう。君達の仲間関係に……。僕は、だから、不安定だから気を付けろって、言ったんだ」
吉田先輩は、いつも通りの澄ました顔でそう言った。どうしてかは知らないけど、吉田先輩は、今の私の置かれている状況を知っているらしい。
「どんな経緯で、こうなったのかも知らないくせに、結果だけ見て物事を決めつけないで下さい」
私は、挑む様に文句を言った。
吉田先輩は、静然と答える。
「でも結局、君は相川さんの噂話を野放しにしてる。僕があの時言ったのは、君の心理状態が崩壊しやすいという事実だけだよ。僕が指摘した通り、君は、あの時の意志をなくしてしまってるじゃないか。あの時、君は個人の意志がしっかりしてるから、大丈夫だと言っていた。仲間意識に支えられている訳じゃないってね」
私は、それに反論できなかった。でも、納得はできない。私の精神状態が乱れたって、無理のない事件が続いたんだ。こんなのほとんど不可抗力じゃないか。
それに、仲間意識の支えがなくなったから、私は相川さんの噂話を野放しにしてる訳じゃない。相川さん自身が、信じられなくなったから…。分からなくなったから…。
「でも……」
だから、私はこれまでの経緯を、吉田先輩に話した。吉田先輩だって、私が体験してきた事実を知れば、考えが変わるはずだ。
ところが吉田先輩は、話を聞くと
「それだけの事実で、相川さんがこの連続した事件に関与してると判断するのは、間違ってるんじゃないのかな。少なくとも、それほど深くは関係してないと思うよ」
と、前みたく私の考えを否定してきたのだ。
私は、予想していなかったその答えに動揺してしまった。
「だって、相川さんに関わった人が、どんどん事件に遭って……」
「うん。確かに皆、相川さんの知り合いだね。でも、そんな事を言ったら、君だってこの事件の関係者と全員知り合いだし、他の人だって例外じゃない。その水島君だって、田村さんだって、みんな知り合いじゃないか。それに事件に関わっている事だけで判断するなら、その深田君だって一緒だ」
「そんな…確かにそうだけど…」
吉田先輩にそう言われて、私はそう応える事しかできなかった。確かにその通りだ、当たり前の事実だ。そんな簡単な事にどうして気づけなかったんだろう?
愕然としてる私に向かって、吉田先輩は軽くこう言ってきた。
「きっと、君は相川さんに関する呪いの噂話に、影響されたんだね。それで、相川さんに注意がいき過ぎたんだ。冷静に考えれば、直ぐに分かる事なのに」
そうなのか。そうなんだろう。私は、自分の意志で判断してるつもりで、結局……
集団に巻かれている環境で、個人の意志なんて、本当に弱かった訳だ。私は、いつの間にか教室内の雰囲気に呑まれていたんだ。でも、
「でも、だったら、相川さんの謎の発言や、崎森君の事故の時の事や、今日の事件でのタイミングの良さはどう説明するんですか?何か関係が有るとしか考えられないじゃありませんか」
私は、残る疑問を質問した。
「確かにね、でも、関係があるとしても、それは、二次的な関わりなのじゃないかな?相川さんは、元は部外者で、巻き込まれたんだと考える方が、むしろ自然だと思うけど」
「何故ですか?理由は?」
私は、何か焦っていた。原因何て分からない。自尊心なんて捨ててやる。早く、吉田先輩の説明を聞いて、自分自身の考えを打破しなくちゃいけなかった。
壊れるのを、欲する時。厭な時間は、消し飛ぶんだ。
「言いかい。最初の天野さんの自殺の時の発言は、親しくしていたのに、天野さんが悩んでいたのに気づけなかったという意味で捉えれば、充分に理解できる範囲内だよ。何にもおかしい事はない。選択肢の一つとして、相川さんが何か関係してると考えるのにも難があるくらいだ」
吉田先輩は、珍しく厳とした顔をして、まずはそう説明した。そして、
「崎森君の事故の時は、君は何かがあった後のその結果しか見ていないから、相川さんと崎森君の間に何があったのか決め付けるには、無理がある。情報が足らな過ぎるんだ。君は、その足らない情報を、噂話と君自身の想像力とで補ってしまった。そして、先入観もあっただろう、そうだと思い込んでしまったんだ。多分、これが今回の事で、一番大きな間違いだね。この所為で君は、相川さんを信じる事ができなくなってしまったんだから」
と続ける。私は、ここで
「それは、分かります。それは、私も少し、おかしいような気がしていましたから。でも、他にどう考えれば良いのか…」
と少し、反論した。
吉田先輩は、それに対し
「だからって、思い込みはいけないよ。分からない状況は、どんなに先入観が働いたって、半信半疑で留めておかないと。世界が、誤って写る。君の主観で、他にどう考えれば良いのか分からないからって、現実は変わらないんだから」
と答えた。どうも、私がいっつも考えてる事と同じ様なセリフだ。普段なら、私にだって当たり前に見えていた事なのかもしれない。先輩は、更に続けた。
「そして、今日の事件だけど、相川さんは、やっぱり確信は持てないまでも、薄々、何かに感づいていたんじゃないかな。だから、タイミング良く現われる事ができた。情報が足りないから、飽くまで推論だけどね。少なくとも、事件の中心にいない事だけは、確かだと思うよ」
「その推論に、何か根拠はあるんですか?もしかしたら、相川さんが何もかもを仕組んだのかもしれないじゃないですか」
もちろん私だって、そんな事、本気であると思ってる訳じゃない。でも、私だって思い込みで結論を出してしまっていた、先輩だって、思い込みでの結論を語ってるのかもしれない。だから、一応、別の方向での可能性も、言っておかなくちゃいけないと思ったんだ。
「うん、まあ、根拠と言うか、そう考えた方がすっきりするというだけの話なんだけど。あるにはあるよ。君は、気づいていないのかな?この一連の事件には、知り合いの内でしか起こっていないという他、もう一つ共通項があるんだけど……」
「えっ!共通項ですか……?」
正直、私は相川さんの事以外で、この事件に何か共通する事があるなんて、考えもしなかった。
「最初に自殺したのが、天野さん。次に事故に遭って重傷を負ったのは、崎森君。そして、今日、怪我をしたのは、水島君と田村さん。これら事件の被害者は、全て生徒会役員なんだよ」
吉田先輩は、何でもない事のように淡としてそう説明した。
「これが偶然じゃないとするなら、ここ最近の事件が全部、生徒会の仲間内で起きた何かの問題に関連してるという可能性はかなり高いよ。それなら、相川さんは偶々、何が起こってるのか気づいてしまって、巻き込まれた、と考える方が自然だろ?」
そうか、そう言えば、そうなんだ。皆、生徒会役員だ。仲間の中で、何の事件の被害者にもなっていない、私と相川さんは、生徒会役員じゃない。
「ま、飽くまで推論だけどね。ただ、相川さんがどんな人物なのか、僕は詳しくは知らないけど、その相川さんが何か悪い事をやってるとして、動機はあるのかな?むしろ相川さんは得するどころか、どんどん立場が悪くなってるんだろう?そんな事をする必要はないと思うけど。相川さんは転校生だから、怨恨の類も考え難いし」
そうだった!相川さんは泣いていたんだ。辛そうな顔をしていた。そもそも、そこからおかしかったんだ。
私は、それに気づけなかった。なんて無力で馬鹿なんだ。クラスの常識に、侵食されていた。意味のない、人を不幸にするルールを、いつも憎んでいたのに、それを払拭できなかったんだ。
「先輩。私は、とんでもない間違いを……」
少し涙ぐみ、私は、呟いた。
なんなんだ、私は?この程度の事で、何をすれば良いのか見えなくなってたんだ。くやしい…。
後悔の念が、私の胸に押し寄せてくる。
先輩は、そんな私に哀れむような視線を投げてよこし、そして優しそうに笑いながら、
「個人にとって、世界はね、ごく限られた空間の事でしかないんだ。どんなにこの世界が広くっても、君は自分が触れられるモノ以外から、世界を認識する事はできない。それは誰でも一緒で、君は、この人間社会に住んではいるけど、本当は、結局、自分の周りにある限られた人間関係の中にいるだけなんだよ。そして、その空間での事実を信じてしまう。君が、この隔離された、学校という空間の中で、真実を見失ってしまったとしても仕方のない事なんだよ…」
と、説明してくれた。私を慰めてくれたんだと思う。
当たり前の人間の心理なんだから……。
その後、吉田先輩は、更にそんなふうに、寂しそうに呟いた。
それを聞きながら、私は、私の思考は、少し前に戻っていた。私は、何で家に帰らなかったんだろう?何で、学校をさまよっていたんだろう?今なら、簡単に結論が出るような気がした。否、答えは既に知っているんだ。
私は、相川さんの事を探していたんだ。
私は、相川さんの事が心配で、でも、私の中に迷いがあったから、それで、それが素直に表われなかったんだ。言い訳ばかりに熱中してた。
でもっ!今なら迷いはない。私の厭な思考は打ち砕かれてしまった。だから、
「吉田先輩!ありがとうございます。私、自分が何をしたら良いのか、吉田先輩のお陰で、分かりました!」
私は、そうお礼を言うと、きょとんとしてる先輩を尻目に、校舎に向かって駆け出していた。