3 死亡動機X-6
………………
私と、相川さんは、救急車に一緒に乗りこんで、そのまま病院まで崎森君に付き添った。もちろん、その間、私達は一言も会話を交わしていない。気まずいどころじゃない。重過ぎる沈黙だ。
崎森君は、素人目にも重傷で、助かるのかどうか、分からなかった。
私は、確かに心配をしていたけど、その感情は、その他の幾つもの不安や、謎や怒りや悲しみと混ざり合い、鈍くなっていた。
人間の脳は多分、同時に色々な感情を感じられる様にはできていないんだ。
怒りと笑いは、同時にはやって来ない。
その所為か、それからの私は、幾分かは、冷静だった。
私は、病院に着くと、まず学校に電話した。幸い、事務の人か誰かが残っていて、その他の先生にも知らせてくれた。私は、それから田村にも電話をした。彼女に知らせるのは、酷かも知れないけど、多分、知らせなくちゃいけないんだ。
田村は、私の話を聞くと、電話の向こうで取り乱した。
「落ち着いて」
私は言う。 落ち着ける訳はないだろう。
「まだ、どれくらいの怪我かも分からないから」
少なくとも、軽傷ではない。
「でも…、」
田村は、何かを言い掛ける。
「稲尾病院だから」
私は辛くなって、そう言ってから、一方的に電話を切った。これ以上は、私の口からは、説明したくない。相川さんの事を、なんて言ったら良いのか分からなかったから。
待合室に行くと、相川さんは壁にもたれ掛かり、暗い顔をして、俯いていた。
何にも言わない。
時が流れた。極上の、厭な時間が。
しばらくして、まずは先生達が駆けつけてきた。
やって来たのは、保健室の木下先生と、生徒指導の根津先生、そして司書教諭の幸村先生だった。
相川さんと私は、簡単な状況説明をした。
もちろん、相川さんと崎森君が裸でいたなんて言える訳はない。崎森君が、相川さんのアパートに居た事、そして私と入れ違いにして出て行って、車に轢かれた事。そんな事を説明した。
再び、重い沈黙が辺りを支配した。
先生達が来たからって、事態が好転する訳じゃない。当たり前だ。
ただ、根津先生と幸村先生は、何故か二人だけ離れて、何かヒソヒソと話をしていた。
田村は、まだ来ない。距離が離れているからだろうか。それとも来る気がないのか。現実に直面するのが、恐いのかもしれない。
田村が来るより前に、警察の人、天野さんの自殺の時にも関わったらしい少年課の刑事さんがやって来た。
その刑事さんには、根津先生が説明する。本当は、私達が説明するのが筋なんだろうけど、自然とそういう流れになってしまっていた。違和感はない。
私はその間に、色々と考えた。
相川さんと、崎森君はいつから、あんな関係にあったんだろう?田村が、崎森君の事を好きなのを知ってるくせに。酷い。
やっぱり、相川さんの方から誘ったのだろうか?
あの噂話を、信じるならそうだろう。
相川亜美
私が、私達が、彼女だと思って付き合っていた人物は、実は存在していなかったのだろうか?私達は、偽者の人格と友達になっていたのだろうか?
厭だな。そんなのは、
相川さんを見る。不安そうな、怯えたような表情で、俯いている。
この表情が、嘘だ何て、信じられない。
あの人の好い相川さんが、嘘だった何て、信じられない。
だとしたら、物凄いペテン師だ。
私達は全員、騙されていた事になる。裏に、悪魔が住んでいたの?表層人格、ペルソナめ!
……痴話喧嘩だったのかな。あの会話も、あの態度も。
二人は、前々から喧嘩していた、と考えてみる。教室に入ってきた崎森君を見て、だから相川さんは、その所為で怒りが込み上げて来た。確かに、崎森君が深田君を責めるのは、理不尽だ。でも、そんな事くらいであんなに興奮するのはおかしい。だから、それとは別の理由で、相川さんは崎森君を追いかけて、その怒りをぶちまけたと考える方が自然だと思う。
二人に、その後で、なにがあったのかは分からない。ただ、何かがあって、二人は仲直りしたんだ。それで、相川さんのアパートで、セックスをした。ところが、ここでまた何か感情のもつれがあったんだろう。
それで、また喧嘩になった。
それが、私が相川さんのアパートに入ったあの時だ。
そして、興奮した崎森君は、冷静さをなくし、事故に遭った。
でも、この筋書きは、何かおかしい。
会話だ。
「オレは、悪くないからな!」
「嘘よ。あなたの意志だわ。あなた達が悪いのよ、あなたはよく考えもせず、その原因を他の人に押し付けてるだけだわ」
相川さんは、『あなた達』と言った。
こういう、仮定はどうだろう?
二人とも後悔をしていた。田村を裏切るような、その情事を。そして、責任を擦り付け合っていた。
『あなた達』とは、崎森君と田村、二人の事だ。
この想像なら、少しは納得できる。
なら、相川さんは、見苦しく責任逃れをしようとしたのか。噂が真実なら、前の学校での事がある。もう懲りているはずだ。それで、自分以外の人間、崎森君を責めた。崎森君は、責められて、罪悪感が昂まり、もしかしたら、もしかしたら、わざと車に轢かれたのかもしれない。
普通の状態なら分からないけど、崎森君の精神は、恐らくこのところ、酷い状態にあったのだと思うから。推測でしかないけど、天野さんが自殺して、それで彼は荒れていたのかもしれない。
思い当たる事が、少なからず有る。
あそこで、あんな場面で、事故が起こったのも、偶然じゃなく、必然だったのかもしれない。
だとするなら、天野さんに続いて二人目の自殺者という事になる。
私は、神妙な気分になった。
呪い。
超自然現象だとかそんなんじゃなくて、その存在を信じてもいい様な気がした。
相変わらずに、病院内の待合室は奇妙な静寂に包まれている。そこにペタッペタッとスリッパで走る足音が近づいてきた。
田村だった。やっと来たんだ。
私が田村を見た時、田村はもう既に泣きそうだった。薄っすらと目に涙を溜めているのが分かる。
「崎森君は?」
そう尋ねてきた。
誰も何も答えられない。
「崎森君は?」
もう一度、声を発する。
「………、気をしっかり持ってね」
その二度目の問い掛けに、木下先生が、重い口を開いた。
「崎森君は、かなり重態で、もしかしたら命も危ないかもしれないの」
「そんな……」
田村は、目を大きく見開いて、放心したかの様に、そう呟いた。それから、田村は長椅子に突っ伏して、泣き出してしまった。
私は、そんな田村を見ながら、怒りが徐々に込み上げてくるのを感じていた。
もし、この状況が、私が推理した通りに起こったモノだとしたら。私は相川さんの事を、許す事ができない。
相川さんは、こんな田村の姿を見ながら、何を考えているのだろう?
相川さんは、哀しい顔をしていた。
あの顔が、嘘の表情なのかもしれない。
そう考えると、私の内の憤りは、ますますと強くなっていった。
どうにかしなくちゃ
私は、それで、相川さんと崎森君のアパートでの事を、伏せたまま、
「もしかしたら、崎森君は自殺かもしれない」
と、つい言ってしまった。
皆の視線が、私に集まる。
もし、私の推理した通りだとするなら、この発言は、相川さんにとって都合が悪いはずだ。否、それ以前に罪悪感を刺激するだろう。相川さんが、犯人であった場合にしか、効果のない攻撃の言葉だ。
田村が泣くのを止め、私を見た。
不思議そうな顔をしている。
「どういう事だい?」
そう発言をしたのは、刑事さんだった。
私は、返答に窮した。
この場で、私の推理を披露する訳にはいかない。田村が居る。田村にアパートでの事実を知らせるのは酷過ぎる。少なくとも、今の興奮した状態の田村には聴かせられない。
「崎森君の様子が、いつもとは違ってたんです。普通じゃなかった」
それで私は中途半端に、そんな説明をした。
「様子が、いつもとは違ってたって、どんなふうに?」
今度、質問をしてきたのは幸村先生だった。何か、少し興奮している様に思える。
そして、それとは対照的に、その後ろでは、根津先生が冷徹そうに何かを考えていた。私は、幸村先生と根津先生にその時、普通じゃない何かを感じた。
この興味の示し方は、変じゃないか?
「あの、そう、教室での事なんですけど………」
私は苦し紛れに、崎森君が深田君を殴ったあの話をした。
うまく、かわせたと思う。
私が、説明をし終わると、根津先生はわずかに口を動かした様に思えた。私は、変に思ったから、先生達の動きに注意していたんだ。
「始まったかな?」
その、口の動きはそう言っている様に、私には感じられた。
始まった?何がだろう。
しかし、そのすぐ後に、田村がまた泣き出したので、私はそれ以上を考える事ができなかった。
「違うわよ!動機がないわ。崎森君には、自殺をしなくちゃいけない理由なんてない!」
田村は、そう叫んだ。
それを聞いて、恐らくその場にいた全員が同じ事を連想しただろう。
動機なき謎の自殺。
天野さんの自殺。
同じだ。
先の自殺と同じだ。
私が、私の推理を公表しない限り、次の言葉が出てくるのも時間の問題だろう。
「呪いだわ」
やっぱり。
田村は、自らの発言でそれに気がづいたのか、泣くのを急に止めると、そう呟いた。
「相川さんの、所為よ!」
そして、そう叫んだ。相川さんを睨み付けながら。
相川さんは、ただ、ただ、悲しそうな顔をしていた。
私には、何もできない。
「君は、何を言い出すんだ?」
一人。この中では、唯一事情を知らないであろう刑事さんが、素っ頓狂な声を上げた。
木下先生が、言い辛そうに、本当に言い辛そうに、刑事さんに、相川さんの噂話についての説明をした。
相川さんは、辛そうに俯いている。
刑事さんは、説明を聞き終わると、
「そんな馬鹿馬鹿しい。そんな風聞、いちいち本気にしていたら、事件の捜査なんて、できませんよ。それに、下手したらこれは、名誉毀損の罪になりますよ」
と当たり前の事を言った。
そんな事は、分かっている。問題は、そんなところにあるのじゃない。どうやら、この刑事さんには、こういったメンタルな事情は読み取れないらしい。
ところが、現職の刑事さんの言葉は、それなりに効果が有った様で、田村はそれから大人しくなった。
その後で、木下先生が、
「でも、本当なの?崎森君が、深田君の事を叩いたって話は?」
と、少しでも呪いから話題を逸らしたかったのか、現実性のある質問をしてきた。
「そうですね、その話は、詳しく聞かなくちゃいけないかもしれません」
刑事さんも、木下先生の発言に賛同する。
「その話は、本当です。私も、同じクラスですから、見ていました」
相川さんが、その質問に答えた。
もし、私の推理が正しければ、この事実は、相川さんが自分の罪を隠す為に、有利な出来事であるはずだった。今まで、黙っていた彼女が、急に発言をしたのはその所為なのかもしれない。
「どういう事情があって、彼がそういう事をしたのかは知っているのですか?」
それを、相川さん(それとも私?)に質問したのは、根津先生だった。
「いえ……、あの詳しくは…」
相川さんは、返答に困っているようだった。
何を悩む必要があるんだろう?あれは、天野さんの自殺を止められなかった事を責めて、というのが動機じゃないのか?それ以外に考えられない。
だから私は、相川さんに代わって、そう先生達に説明をした。
根津先生は、うーん、と唸る。
「どうも、もう少し詳しい事情が知りたいですね」
そして、そう言った。
「呪いよ。動機何てないわ。呪いが原因なんだから」
田村が俯きながら、そう呟くように、また言った。
根津先生が、それを睨み付ける。
と、いっても田村は床を見てるので、その視線には、気付かなかっただろう。
すると、木下先生が、多分、なんとかしなくちゃと思っての事だろう、こう言った。
「あの、私、深田君を呼びましょうか?もしかしたら、詳しい事情が聴けるかもしれませんから……」
皆、この場所の、この状況に厭気がさしていたんだと思う。
誰も反対しなっかった。
少しでも、新しい展開の可能性が有るのなら、それに賭けてみたかったんだろう。
ただでさえ、重傷者の安否の報告を待っているという重苦しい場面なんだ。無理もない。
木下先生は、ゆっくりとその場を離れると、多分、電話を掛けに行った。
誰も反対しなかったけど、賛成もしなっかった、からだろう、皆の反応を確認しながら動いて、ゆっくりになったんだと思う。
ペタペタと、遠くになっていく木下先生の足音を聞きながら、私は、この事件に幸せな結末なんて有るんだろうかって、考えた。
僕は緊張しながら、病院に向かった。
考えて見れば、僕が話せる内容なんてほとんどないに等しい、同じクラスの生徒がいるなら、それ以上、僕に話せる事は、多分、ない。
それなのに、僕は水島君に会うために、会って質問をするためだけに、こうして病院に向かっている。
なんだか、行きづらい。
木下先生、或いはその他大勢の期待を裏切る事になるのは分かりきっている。
病院の玄関は静かだった。看護婦さんも見当たらない。もう閉まっているのかもと思い、僕はそこから逃げ出す理由ができたと、少しだけホッとした。
ところが、通用口みたいなところは開いていて、そこには木下先生が待ち受けていた。
僕は、既にこの現状から、逃げられなくなっているのだと知った。
木下先生は、僕のことを招き寄せると、
「ごめんなさいね。急に呼び出したりして」
と言った。
僕は、俯きながら、
「そんな事はないです」
と、小さい声で、しかし精一杯に、それに応えた。
木下先生の様子から、もう既に、僕がこれから向かおうとしているそこは、重苦しい雰囲気に包まれているだろう事が、容易に想像できた。
中に入ると、看護婦さんは事務所のような所にちゃんと居て、珍しいモノでも見るかのような目つきで、僕を見た。
僕は歩きながら、更に気が重くなった。
僕は、そういった重苦しい雰囲気が、とても苦手なんだ。もっとも得意という人は、あまり聞いた事はないけど、僕は、特に苦手な方だと思う。
廊下を歩きながら、顔を上げると、ポツリ、ポツリと人影が目に映った。
根津先生。幸村先生。浅野刑事。木垣さん。知らない女生徒、この女生徒だけが、唯一、椅子に座っている。
なんだか、どう形容して良いのか分からない、不気味な集会。僕は、不謹慎ながら、そう思った。
皆、暗い顔をしている。
嫌だ、
あの人達に、あの場に巻かれて、僕は自分でも分からない事を喋るんだ。
幸村先生ですら、暗い顔をしている。
あの場を形成する一部になっている。
やがて、その不気味な集会の出席者達は、少しづつ僕に向かって視線を集め始めた。僕は、この暗い気分になるための集会のスターで、僕の華々しい登場を、皆は心待ちにしてるんだ。
さあ!最悪の時間の幕開けだ。
僕は、入場した。
「今晩は」
誰に向かって言ったのかは、自分自身にも分からなかった。多分、この場の雰囲気そのものに向かって、僕はそう挨拶をした。
少し頷いて、僕のその挨拶に、先生達は返してきた。
深刻そうな顔で、
厭だ。
僕も、これで、深刻そうな顔をしていなくちゃならない。明るく、笑えるわけはない。ほら、もう深刻そうな顔に変わってきてる。自分じゃない何かになった。
「さっそくで、悪いんだけど」
声がした方を見ると、あの時の刑事さん、浅野刑事が居た。
「話してもらって良いかな?」
もちろん、崎森君に殴られた時の事だろう。
「でも、話すと言っても、何を話して良いのか……」
僕は、仕方なく正直にそう言った。
「何でも良いんだよ。例えば、殴れた時に崎森君が言った事とか、表情とか」
「言った事ですか……」
あの時、彼が口にした言葉は、
「確か、『お前が、深田信司か』、て言った後に、僕を殴って、『天野が死んだのは、お前の所為だ』て言いました」
「それだけなの?」
木下先生が訊いてきた。
「それだけなんです」
「様子とかは、どうだったんだい?」
「興奮していました。怒ってたみたいです」
「君には、何か殴られなくちゃいけない心当たりでも、あったのですか?」
突然話しに割り込み、それを尋ねてきたのは、根津先生だった。
「いえ、特には……。ただ、多分、僕は天野さんの自殺の時、傍にいました。それなのに、その自殺を止められなかった僕を、責めていたんだと思います」
「ふーん。なら、それがどうして今日だったのか。その原因に、心当たりはないのですか?」
「……いえ、ありません」
それを聞いて、僕は悩んだ。
そういえば、どうして今日だったんだろう?当たり前の様に考えていたけど、言われてみれば不思議だ。
「でも、もしかしたら、昨日、天野さんの葬式があったから、それで彼女の事を思い出して、怒りが込み上げてきたのかもしれません」
僕は、適当に思いついた事を言った。
「でも、彼女が自殺した時には、彼はなんにも怒らなかったんですよね?」
根津先生は、確かめるようにそう言ってきた。
僕は、その事情を知らない。
すると、木垣さんが、