プロローグ 洗脳と平和
物語が進むと、多少、凄惨な表現も出てきます。
気をつけて下さい。
吉田教育学園。
教育現場に起きる様々な問題。または、現代教育そのものの、根本的な問題を理解し解決する事を目的として開かれた、幼稚園から中学校までの教育を一貫して行う事のできる学校法人である。
その為、この学園では開設当初から、先進的な発想の元に様々な革新的試みが実施されてきた。その事は、多くの方面から注目され、高い評価を受けているのだが、その中でも特に注目を集めているのは、家庭内での教育者の教育、つまり親の教育を積極的に行うという、学校外での教育活動であろう。
何と、産婦人科に母親となる女性が通っている状態から既に親の教育を(もちろん、父親に対しても)始めるのである。
これは、今までどこの教育機関でもほとんど行われてこなかった試みである。
多少の反論はあったものの、この方策は大勢の支持を得、今もなお続いている。
そして、実際にこの方策の効果はあった様で、この学園では学級崩壊などの他の教育機関が抱える個々の問題が全く発生していない。
これについて、元某教育大学教授の現吉田教育学園、学園長、吉田惣一氏はこう語った。
多々の教育現場で起こっている学級崩壊や、いじめなどの様々な問題は『感情の発達というモノも、技能や勉学と同じ様に、学習によって身に付いていくモノだ』という考え方を、どこの教育機関でもしてこなかった事が原因であると私は考えています。
そのため、我が校では、感情を中心に教育を行っていくという発想を重要視しているのです。
例えば、喜んだり悲しんだりという単純な感情も実は、ある程度は学ぶ事によって深まったり、広がったりしていくものだといいます。
この発想がなかったばかりに、現代教育は成績至上的な、受験教育に陥ってしまったのでしょう。
感情が発達していない人間の、自己のコントロールの仕方は、規則や倫理によって欲望を無理矢理に抑える方法です。これでは、表面上社会に適応している様に見えても、人格そのものはとても不安定な訳です。それに対して、感情が発達している人間は、欲望そのものに働きかけ、強くしたり、弱くしたりが可能な訳ですから、とても安定しています。
そして、この感情発達の学習は、学校内だけでは限界があるのです。家庭でも適切に学習せねばなりません。
しかも、感情を学習する事は、理論や規律を学習する事より、遥かに早期での、つまり生まれた頃からの教育が重要になってくるのではないでしょうか?母性的養護の喪失によって起こる人格障害、マターナル・デプリベーションや、スキンシップの欠乏による感情の無い子供の発生、サイレントベビーの問題などがそれを証明している様に思えます。
氏は、教育現場から家庭へのアプローチの必要性を、感情をコントロールする学習のためだと説明したわけである。
まだ推論の域を出ない意見ではあるが、
実際に効果があった以上、他の…
雑誌記者・野戸大介は五年前に書かれた、自社のその記事から目を離し、ドアを見た。
(もうそろそろ、誰か来てもいい頃だろう)
彼は、今、吉田教育学園の待合室に居て、学園長との面会が許されるのを待っていた。もう何週間も前に取材を申し込み、やっとつい先日、約束を取り交わしたのだ。今日がその日である。
彼は、この学園。特に、学園長は何か怪しいと踏んでいた。
確かに、この学園の教育方針は素晴らしいし、先進的で、一見、非の打ち所が無いように思える。
しかし、野戸が詳しくこの学園を調べてみると、何かおかしいと思える点が幾つか見つかったのだ。
まず、何故かこの学園では、転入生の受け入れを原則として認めていない。他の学校から生徒を受け入れようとしないのだ。
だから、最初の学年が入園し、幼稚園、初等部を経て成長してくるまでの八年間、中等部には生徒が一人も居なかった。
そして、問題はここからなのだが、ようやく中等部が始動したかと思うと、今度はその中等部で最初からトラブルが発生した。
学級内で、グループが幾つかに分れ、対立し、軽い紛争まで起こすようになってしまったのだ。しかも、それは一つの学級で起こったわけではない。ほとんど全ての学級で、グループ同士の対立が見られた。
この紛争は、この学園、中等部の慢性的な問題となり、以後これと同じ問題が中等部に進級してくる他の学年にも三年間、毎年連続で発生した。
この事は、世間でも少なからず話題となり、一時は騒がれたが、死傷者が出るだとかいった深刻な事態が発生している訳でもなく、やがては忘れ去られていった。
その時の学園側の釈明は、だいたいこんな内容だった。
初等部から中等部へ移る時のクラス変更に原因があるのかもしれない。自校では、初等部の時に、担任と、児童との関わりを重要視するため、一切クラス変更を行わない。中等部に入って初めて、クラス変更を行うのだが、この時の環境の変化が、何か生徒に影響を及ぼしていると考えられる。今後は、問題解決のためにこの方面から、検討していきたい。
ところが、去年、中等部が始動してから四年目の年に、この問題は、まるで計った様にほとんど発生しなくなってしまった。
不自然である。
これまで、三年間も解決されなかった問題が、この年になって突然、きっぱりと解決されてしまったのだ。しかも、調べてみると学校側が原因として上げた、クラスの変更方法には一切修正が為されていない。
そして、不自然な点はこれだけではなかった。この学園の主だった教師達は、そのほとんどが学園長・吉田惣一の、教授時代の元教え子達だったのだ。
これは、何かある。
野戸は、そう考え、それを探る意味で取材の申し込みを行ったのだ。
野戸は、まだ待たされている。暇なので、辺りを見回した。
小奇麗な部屋だった。吉田教育学園の評判は上々である。高い入学金や授業料であるのにも拘らず、希望者は毎年定員オーバーだ。
恐らく、かなり儲かっているのだろう。それがこの部屋にも現われている。
吉田学園の校舎は真っ白で立派だった。
まるで、病院みたいだ。野戸はそう思った。
なんで、こんなに真っ白なのだろう?野戸がそんなどうでもいいことを考えていると、コンコンとノックの音がし、キーと、待合室のドアが開いた。
「お待たせしました」、秘書みたいな女性が現れて、ペコリとお辞儀をする。
やっと取材ができるらしい。野戸は、妙な気合を入れ、椅子から立ちあがった。
それから、野戸は学園長の部屋に通された。待合室と同じ様に、小奇麗な部屋だ。窓辺に立ち、外を見つめる初老の男が居る。
彼が、学園長の吉田惣一氏だろう。
野戸は、部屋の中央に置いてある接客用と思われるソファーに勝手に腰を下ろす、
「あなたが、学園長の吉田さんですね」
そしてそれから、野戸はそうその初老の男に向かって、話し掛けた。
初老の男は、外を見つめたまま何も応えない。野戸は構わず、喋り出した。
「素晴らしい学園造りを為さっておいでだ。今日は、その事についてお聞きしたくて、参りました。単刀直入に言いますね。中等部の紛争の問題、一体どの様な方法で解決したのですか。僕の様な教育現場の素人には、それが不思議で堪らないのです。世間ではあまり騒がれなかったが、僕は興味があります。是非ともお聞かせ願いたい」
初老の男は、相変わらず何も応えない。
そして、野戸もまたそれに構わずに、慇懃無礼な口調で、喋り続ける。
「この学園では、他の教育現場で発生しているような問題があまり発生していませんね。なのに、なぜ、他の教育現場では発生していない紛争などという問題が発生するのですか?それに、まだ疑問があるんです。紛争が起こる生徒達の精神は、仲間内だけのルールがある小社会を形成しているという意味で、いじめが発生する状態と似ていると思えるのです。なのに、何故か、いじめの方はあまり発生していない。どうしてなのでしょう?」
その話を聞いて、初老の男、吉田惣一は初めて微かに反応した。か細い声で言う。
「いじめは………、必要なかったんだ」
「?、今なんと」
吉田氏の発言の意味が分らない。野戸は困惑したが、今度は吉田氏がそれに構わず喋り出した。
「あなたは、頭の良い人のようだ。その通りです。いじめは個人と個人では発生しない。いじめは常にその背景となる価値観体系を持つ集団があってはじめて発生するのです。だから、いじめ問題を解決するには、その集団を発生させないようにするか、或いは、誰かがその価値観の中に飛び込んで、価値観そのものを操作するかをしなくてはならない。我々の場合は、後者の手段を取りました」
吉田氏はいつの間にか、こちらを向いている。
野戸は、尋ねる。
「その方法は?一体どうやって」
「教師と、生徒達の世界を近づけたのです。生徒達のグループの一員に、教師も加えた。一緒に遊び、一緒に昼飯を食べ、それと、あなもご存知でしょ、我々は家庭内にもある程度干渉します。そして、教師は生徒の仲間グループの一員になり、内側からそのグループ独自の価値観を操作した」
野戸は驚愕した。そして、
「もの凄い、進んだ発想だ。しかし、それだけの能力があるなら、紛争の方だって……」
野戸は語尾を濁し、吉田氏を見た。
吉田氏は、微かに笑うと、静かに語り出す。
「……、野戸さん……。複雑系とか、フラクタル非線型とかの話を聞いた事はありませんか?」
「多少は……」
何故、そんな質問をするのかは分らなかったが、野戸は何も尋ねずに、その問いにそう答えた。
「これは、学問の一分野なんですけどね。単純な計算式に当てはまらない振るまいをする事象を研究する分野、とでもいいましょうか。例えば、天気だとか、人の動きだとかは、計算して完璧に予測する事はできないでしょう。そういった複雑な振るまいをする事象、或いは、単純な動きをしている様に見えて、複雑な要因が多数ある事象、難しいですから詳細を言えば違うかもしれませんが、それらを研究する学問の事です」
「はい、何となくは分ります」、野戸はすぐに応えて、次を促す。
この説明は恐らく、吉田氏の話を理解する上でどうしても必要なのだ。野戸は、早く吉田氏の話を聞きたかった。先のいじめ問題に対する見解とその解決方法の説明で、野戸は、吉田氏をかなり高く評価していたのだ。
「この分野で、扱っている事象は、実は自然界の在りとあらゆる現象に当てはめる事が可能なのです。先に言った、天気や、人の動きもそうですが、体内の運動、生態系の変動、経済の動向、だから、大変な注目を集めている。そして、この分野が見出した法則の一つに、自己相似性というモノがあります。これは、どこを見ても、似たような形をしているという性質の事なんですが、例えば、木の形全体を見た場合と、枝の一つを見た場合、似たような形をしているでしょう。その他にも、ある店の売上記録を見た場合、一年間のグラフの変動、一ヶ月の変動、一日の変動を見比べると、似たような形が現れるという例があります。そしてね、野戸さん、この自己相似性というモノは、何と生命発展の様子にも見られるのです」
「生命の……?」
本当に、どう関連してくるのかが分らない。ただ、今度も野戸は、それを尋ねる事を我慢した。
「はい、生物は原始、単独で生きていました。それがある時、恐らく何らかの危機に直面したのでしょう、複数の生物が共生し、作業を分化し始めたのです。ミトコンドリアは呼吸を、周りを取り囲む大きな細胞膜を持つ生物は、防御と攻撃、べん毛をもつ生物は移動を、と。それで真核生物が誕生しました。そして、同じ種類の真核生物同士で群れだしたのです。恐らく、これが細胞群体でしょう。そして、ある一時、またこれらは、作業を分化し始めました。ある細胞は食べる事、ある細胞は光を感じる事、ある細胞は考える事、と。そして、恐らく、これが多細胞生物の始まりです。更に、この多細胞生物同士で群れ始める。組織化が進めば、やはり作業の分化は起こるのです。すなわち、それが社会です。アリを見れば分りやすいですが、アリは一つの社会で先天的に完璧に作業を分化している。エネルギーの調達や、巣の製作を行う働きアリ、防御、攻撃を担当する兵隊アリ、そして、生殖の役割を担う女王アリ。この様に、生命では、ある性質を持つものが未分化の状態で、まず統合され、組織化の発展と共に、作業を分化していくという過程をたどるのです。そして、これは、どこを観てもよく似ている。すなわち、 自己相似性です。地球は、それ全体で、一つの細胞の様だ。ガイア理論ですが、これも生命の自己相似の現われでしょう。生物全体で作業を分化しているのです」
吉田氏は語りに語って、一気にそこまでを説明した。
野戸は、何とか吉田氏の話を理解している。難解な内容というよりは、今までの世界観とは違う捉え方だからだろう。分り難い。
「これを、人間社会で考えましょうか。多細胞生物が群れ、まず形成したのは家族、この中でも作業は分化されていますね。父親の役割、母親の役割、よく言う性役割でしょう。そして、家族が集まって、また一つの集団が形成される。そして、農業地帯、工業地帯、商業地帯などとまた作業の分化が起こる。世界が貿易やネットワークで繋がれば、国によって農業国、商業国とまた分化していく。これからは、ITの時代だとよく言われますが、これは、未分化の状態での統合の事なのでしょう。いずれは、国境の無意味化が起こり、作業は、人類全体で分化していくと考えられます」
吉田氏は、ここで、一旦話を切ると、野戸の様子を観た。野戸は何だか観察されている様な気分になる。
実際、吉田氏は野戸の様子を確かめていた。
「しかし、ところが、ですね野戸さん。知能を持った生物の社会では、この作業の分化は、他の生物とは少し違った所があるのです。それは、家族というモノを境にし、生理的な領域では、遺伝子が情報を伝えるのに対し、社会的な領域では言葉や人間自体、文化が情報を伝えているという点です。だから、人間社会では単純には作業の分化は起こらない。それには、人間の心理の影響も混ざってくる。そして、だから人間社会での自己相似には、本来の生命の性質を残した、人間の心理が投影されるのだ。という仮説が立てられる」
確かに、面白い話だが、それがどう本題と絡むのかが分らない。吉田氏がそこまで語り終えると、野戸は遂に堪えきれなくなって、吉田氏にこう尋ねてしまった。
「大変興味深い話ですが、一体、それが本題とどう関係してくるのですか?僕には分かりません」
すると、吉田氏はまた静かに言う。
「……戦争は、野戸さん。戦争の正体は、一体、何だと思いますか?」
「は?」
また、訳の分らない質問だ。そう思いながらも、野戸は一応こう答える。
「国と国との、利益の奪い合いではないのですか?」
すると、吉田氏はゆっくりと頷きながら、こう語り出した。
「なるほど、そうですね。確かにそういった面もあるでしょう。略奪戦争など、まさにそれだ。利益の奪い合い、或いは、自らの利益を守るための行動、それでもいい。しかしね、野戸さん。私が今まで話してきた事を踏まえると、もう少し、突っ込んでは考えられないでしょうか?」
野戸には、吉田氏の質問の意図が分らない。野戸が何も答えられないでいると、吉田氏はこう言った。
「人間の心理は社会に投影されるのです。そして、戦争という社会現象によく似た人間の心理状態があるとは思いませんか?」
野戸は、変な顔をする。彼にはもう、答えを考える気はなかった。吉田氏の解答を待っている。
吉田氏は、独り言の様にこう呟く。
「戦争とよく似た心理状態」
吉田氏は、野戸を見つめ
そして、言った。
「それは、葛藤です」
「葛藤?」
野戸は、目を丸くして驚いた。
「そうです。戦争の本質とは、人類全体を一つと観た場合の、どういった方法でこれからを生きていくのかを決めるという、葛藤なのです。分りやすく例を上げるなら、民主主義という策略で生きていくのか、社会主義という策略で生きていくのか、互いにせめぎ合っているでしょう。生き残った方が、より優秀な策略で選択すべき策略だと判断されるから、負けた方は、その策略を行うようになる。日本は負けて民主主義国家となった」
野戸は、まだ驚愕している。完璧には納得ができない。あまりにも大胆な仮説だ。そして、こう尋ねる。
「俗に、葛藤の表現で、天使と悪魔が戦っているというのが、使われますが、それは、そのまま、その通りだったとでも言うのですか?葛藤は個人内での戦争だと」
半信半疑の野戸には、はっきりとした賛同も反論もできない。中途半端な質問になってしまった。
吉田氏は、その問いに静然と答える。
「その通りでしょう。だから、戦争の時は、同じ主義主張をしている国同士が協力し合うのです。本質的には、国と国の対決ではなく主義と主義の対決な訳ですから、当たり前です。第2次世界大戦の時、日本は似たような全体主義を掲げる、ファシズムと手を組んだでしょう。おかしいとは思いませんか?自分が一番だと主張する集団同士で手を組むなんて、しかも、日本とイタリア、ドイツはかなり距離が離れている。利害が一致すると言ってしまえばそれまでですが、戦争が単なる利益を獲得するための行為なら、幾らでも他に効率の良いやり方は有ったでしょう」
吉田氏がそう語り終えても、野戸にはまだその答えが正しいのだという確信が持てない。そして、再度尋ねる。
「しかし、戦争というモノが、あなたが仰る様に、人類の葛藤なのだとすれば、平和な世の中など一体、いつになったら実現するのです。いつでも葛藤は起きる」
今度も仮説自体に対する反論ではない。しかし、野戸の声には反発の意が込められていた。
「そうですかね、それでは野戸さん。葛藤が一体どういった心理なのかを考えた事はありますか?葛藤の正体が分らなければ、葛藤がいつでも起きるとは言いきれないでしょう」
「葛藤の正体?いえ、ありませんが、しかし、さんざん、あなたが仰られた様に、どういった行動を取るのか悩んでいる状態の事ではないのですか。人は常に葛藤が起きる可能性を持っている」
「いえ、詳しく、その根を言及するなら、それは、それだけではないでしょう。行動の決定と同時に、今までの自分を変化させるという意味も含まれている。と、言うより、この二つが同時に起こっていると考えた方が正解かもしれません。そして、自分を変化させる行為とは、自分を壊す行為に他ならない。だから、葛藤の時に人は苦しむ。戦争の一つの形に、革命派と保守派の対立というのがある。これを個人の心理に置き換えれば、分りやすいでしょう」
野戸は、既に頭が混乱している。新しい考え方が短時間の内に、飛び込んで来過ぎたのだ。
少し、野戸は頭を整理しようと努めた。
吉田氏は、複雑系という数学の分野ででた自己相似性という性質を基に、人間社会には個人の心理特性が投影されると考えた。
そして、それを基に戦争の本質を葛藤だと結論付け、今度は戦争の特性を説明するために葛藤という心理について説明している。そして、その葛藤の説明に、戦争を使っているのか。
ん? 待てよ。
戦争の説明に葛藤を使い、葛藤の説明に戦争を使う、これは、プロセスが矛盾しているではないか。
野戸がそう疑問に思い、尋ねると、吉田氏はこう答えた。
「その問題は、人間社会の自己相似性を信用すれば、解決できますよ。戦争も葛藤も、同じ現象なのです。ただ、それを拡大して見てるか、縮小して見ているかの違いでしかありません。両方から学べばいい」
そして、吉田氏は更に続ける。
「さて、あなたが言った様に、葛藤はいつでも起きる可能性があるというのは事実でしょう。それは、避けられない。しかし、葛藤の性質を変える事は可能です。葛藤の苦しみ、それは自己変化の苦しみだと先に説明しましたね。そして、苦しみが大きいのは、自分の中で急激に変化する部分が大きいためか、或いは、変化の受け入れ方が下手なのか、という二つの要因がある。そして、戦争とは変化の受け入れ方が下手な場合の葛藤なのです。だから、戦争をなくすには、変化を受け入れやすい社会システムを構築すれば良いのです」
野戸は、また混乱した。そして、今度はその事を正直に吉田氏に告白する。
「すいません。分らなくなりました。葛藤イコール戦争ではなかったのですか?」
「戦争の本質が葛藤だとは言いましたけど、戦争の全てのファクターが人類の葛藤だとは言ってはいません。それに、戦争は飽くまで、表面に噴出した形の一つであって、その本質は、自己変化の選択という現象です。それがどういった形で現われるかは、社会システム次第なのです」
野戸は、まだ半信半疑ながらも、吉田氏の話を漠然とは理解した。そして、また尋ねる。
「それでは、その社会システムとは、一体、どんな?」
吉田氏は、何故か微笑を浮かべ、答える。
「民主、資本主義は、かなり優秀な変化を受け入れるシステムでしょう。自由と平等の理想は、変化の多様性と、複雑さを生む。今回の話には関係ないが、ホメオカオスと言って、複雑なシステムは高い安定性を持つのです。民主、資本主義の世の中では、常に変化を受け入れなくては、その集団は滅んでしまう。だから、変化を受け入れる。これは、自然界の生物達のシステムとそっくりですね。そして、変化を早く受け入れられる者は、生存競争にも強いのです。だから、民主、資本主義は今の世の中で強いのでしょう。ただ、まだ足りない。個人が、変化を受け入れやすい人格を形成しなくては、それは社会全体に投影されない。だから、かもしれません。内に、高い変化受容性を持っていながら、民主主義国家は、下手な変化の手段を外に向けて行うのです。つまり、戦争を行う」
吉田氏は、何故かその口調に妙な雰囲気を持たせている。そして野戸は、何か戦慄に近い、厭な予感を感じながら、最大の疑問を質問した。
「しかし、それを証明する手段はあるのですか? あなたの意見は、いつまで経っても仮説の域を出ないのではないですか?」
吉田氏はその質問に、静然と答える。
「だから、私は実験をした」
(えっ!)
野戸は、それが何の事だか、すぐには思い当たらない。しかし、まさか。厭な予感が確りとした輪郭を持ち始める。
失念していた。
元の話題は、この学園の"紛争"の事についてだったのではないか。
"実験"、と言った。
「あなた、まさか、この学園の生徒を使って実験を……」
野戸は、興奮して、震えながら、そう言葉を発した。
吉田氏は、対照的に、淡々と静かに語る。
「その通りです。初等部の時に、クラス変更を行わず、教師が入り込む事によって、仲間集団の価値観の固定と、安定化を行う。そして、中等部に進級すると同時に、その集団を分割し、混ぜる。学級内で、元同じクラス同士のグループが形成され、紛争が起こった。データを集めるため、三年間同じ事を行い、四年目は基本的には同様の事をしたが、変化を受け入れるという教育、別の価値観も世の中には存在し、それも真実でメリットもデメリットもあるのだ、という教育を付け加えた。すると、最初、多少の戸惑いはあったものの、直ぐに数種の価値観は混ざり一つとなった。実験は成功です。戦争は、いえ、カルチャーショック、文化のギャップによって発生するすべての問題は、変化を受容するという人格形成を行う事によって解決されます」
野戸は吉田氏の説明を聴きながら、いつの間にか、顔つきが変わっていた。神妙な、態度。目つきが鋭い。それは、静かな怒りを湛えた表情だった。
「だから、いじめは必要なかった、と言ったのですか」
「そう、その通り、それはノイズを走らせる。他校の生徒の受け入れを拒否したのも、そのためです。実験の精度をあげるためだ」
野戸は、沸沸と湧き上がってくる怒りを抑えながら、吉田氏を攻撃するための言葉を投げかける。
「これは、犯罪ですよ」
「犯罪ではありません。ちゃんと契約書に、実験を行うと書かれている」
「どうせ、実験の内容は説明していないのでしょう。皆、この学園の教育システムの事だと思っている。実験の対象とされた生徒の人生はどうなるのですか」
「それは、心配ないでしょう。自慢じゃないが、他の教育機関よりもよっぽど強いしっかりした人格の持ち主に育っている。感情を重視した教育は伊達じゃない。だからこそ、紛争は大した問題にはならなかった。彼らの人格形成が安定していたからです。彼らは、社会で立派に暮らしていけますよ」
「僕が言っているのは、そんな事じゃない。人が人の心を、勝手にいじくり回すなんて行為が、許されると思っているのですか? これは、人間としての、そう、これは倫理の問題だ!」
「倫理、道徳というモノは、必要から生まれるモノだ。通常の社会で、人を殺す事を認めては、秩序が保てない、だから人殺しは禁止されている。しかし、戦争では、人殺しは必要な行為だ、だから、人殺しは禁止されていない。私は、私の実験を社会において必要なモノだと考えている」
「しかし、それは、あなたの独り善がりじゃないか。一体、その安全性をあなたは、どう証明するつもりなんだ。あなたが何時、自分の利益のために、子供達を洗脳するとも限らない」
「分らないのですか。私はこれでも常に周囲から監視される立場に居るのです。ここの教師達だって馬鹿じゃない、自分達の行為が社会に対して害を為す行為だと判断すれば、私を糾弾する」
「しかし、あなたは、彼らに対しても、洗脳行為を行っているかもしれない。人が人を洗脳する事を認めては、いくらでも完全犯罪は可能だ」
「ならば、宗教はどうなります。あれは、洗脳行為だ。それに、そもそもが、社会に人間を適応させる行為とは、全てが洗脳なのです。それを行わなければ、人は人になれない。野生児、狼に育てられた少年の話。分らないのですか、あなたもこの社会に適応するために洗脳をされているのです。そして、第一、私が行っているのは教育であって、洗脳ではない。この二つは共通する多くの部分を持っているし、互いが、互いに利用できるが、同じモノではありません。私利私欲のために、人の心理を操作する方法を私は研究している訳ではない」
野戸は、反論ができなかった。
(そうかもしれない)
吉田氏のはっきりとした弁舌に押され、そう思ってしまった。
吉田氏は、更に語る。
「それに、ここの教師達を私が洗脳する事は、ほとんど不可能なんですよ。なぜなら、彼らには、人を教育する方法論。私が持っている能力と同じモノを教えている。方法を知っていれば、洗脳は効きません。たねを知られているマジックで、人を驚かせる事はできない。彼らがここに居るのは、飽くまで、彼らの自由意思です。だから、実際、私の教え子で、私について来なかった者もいる……」
そして、吉田氏は、くるっと背を向け、また窓の外の景色を見つめた。
「本当に、倫理の必要を求めるべき相手は、他にいるのです…」
吉田氏は、そう言い。か細い声で、ポツリと独り言の様に、更にこう呟いた。
「彼らは、今……」
野戸は、吉田氏に投げかける言葉をなくした。そしてそれと同時にふとある疑問が湧き上がってくるのを感じていた。
何故、吉田氏は自分にこんな話をしたのだろうか?
野戸は吉田氏の言葉に不気味な予感を覚えつつ、吉田氏と同じ様に、視線を窓の外に向けた。
青い空の下、白い大きな実験施設は、光を精一杯に反射して、静かに佇んでいる。