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京都の海

 風が海から吹き上げてくる。空はどんよりと暗く、今にも大粒の雨を降らしそうな重い雲が、低くうねっている。

 裕志と遥は、高台にある橘家の「丹後の別荘」と言われている建物の、数寄屋門の前に立った。


「遥、僕ここから先には行けないから……」

 門の前で裕志は止まった。遥の両手をそっと握って

「大丈夫だから。これでどうなっても、この先ずっと一緒にいることに変わりないから」

 と微笑む。そう言われても、肩から背中に掛けての、尋常ではない緊張が取れるはずもなく

「うん。終わったら、マッサージ行きたい……」

「ははっ、分かった。連れてってあげる」

「じゃね。行ってくるね」

「うん。待ってるよ」

 正門の脇にあるくぐり戸を通り、広大な敷地に足を踏み入れた。


 玄関までのアプローチが緩やかにカーブしているため、玄関が見えない。両側には見事な日本庭園が広がり、右手は築山があり、池が先の方に見える。左手は芝生がずっと広がり、更に奥に高低様々な木々が配されている。遥は庭のことなどよく分からなかったが、ここでゴルフでもできそうだなと、何とも緊張感と懸け離れた気持ちで眺めながら進んだ。


「お待ちしておりました」

 玄関は、そこだけで20畳以上はあるかと思われる広さで、正面には荒波と松の、見事な彫刻が施された(けやき)と思われる衝立が出迎える。黒光りした床は、黒檀なのではないか……。いちいち全てに感動しながら、50代のお手伝いさんと思われる人の後についていく。

 建物の外側に沿ってずっと配されている廊下を何度か曲がる。どの場所からも庭園が望め、まるで博物館か美術館にでも来た様な錯覚に囚われる。組子の飾り障子が見事な一室の前で、お手伝いさんは廊下に(ひざま)ずいた。


「お客様をお連れ致しました」

「通しなさい」

 そこには、羽織姿の93歳とは思えないほど矍鑠(かくしゃく)とした、白髪の老人が座していた。四葉電機株式会社の会長、橘宣彦その人である。


 座布団が用意されていたので、横に座り頭を下げた。

「久留宮遥と申します。本日はお時間を頂き、ありがとうございます」

 静かに微笑んでいた宣彦は、遥を促して楽にさせる。

「はるばる遠くまで、ようお越しになりました」

「いえ……」

「思ったより、優しそうなお嬢さんやなぁ。武勇伝残しはったとは、思われへん」

「武勇伝……ですか?」

「こうビリビリっと、しはったとか」

 両手を顔の前まで上げて、書類を破く仕草をする。遥は、誓約書のことだと、咄嗟に頭を畳に擦り付けた。

「申し訳ありません。考えが至りませんで」

「ははは、いいですよ。頭、上げて下さい。その時におっしゃった言葉が、至極もっともなお言葉でしたさかい、気にも留めておりません」

「……はい」

「少なからず皆の心が、あの言葉で動きました。『行ってきます』や『いただきます』を言う相手も、『ただ微笑むだけ』の相手すら、裕志にはおらんかったんやなぁと……。皆自分のことやないさかい、見過ごしておりました」

「はい」

「遥さんは、裕志のどこに惚れはった?」

 いきなり本題に切り込まれ、遥は覚悟を決める。心の思うままに答えようと姿勢を正した。


「悲しみを……、共有できる方かと」

「……それは、あの子が家族の縁が薄いことと関係ありますか?」

「はい」

「あなたは、ご両親も妹さんも祖父母も、まだご健在だと聞いておりますが」

「はい」

「……1人、幼くして亡くなった弟さんがいらっしゃったかな?」

「……はい」

「聞かせてもらえませんかな」


 遥は、以前裕志に話した弟の死のことを、自分の心情も包み隠さず話した。静かに聴いていた宣彦は、暫く沈黙した。


「話しづらいことを話してくれて、ありがとう」

「裕志さんにお話した時……、分かって欲しいと思って、お話した訳ではなかったのですが、裕志さん、その時おっしゃったんです。ご自分は、日本に来て、祖父母に愛されて本当に幸せだったって」

 

 ――でも、その幸せには、いつも小さな罪悪感が潜んでいた……。違う?


「小さな、罪悪感……」

 その言葉を、宣彦は小さく繰り返す。

「はい……」


 宣彦は出されていたお茶を、静かに啜った。ゆっくり席を立ったかと思ったら、宣彦の背後にある書棚から、何かの資料を一式手に取り、座卓に戻ってきた。その1つを開き、遥の前に差し出した。

「その写真は、終戦間近の航空隊を写した写真です」


 遥はセピア色に変わった写真を眺める。テレビや映画でしか見たことのない、零戦と思われる航空機を背に、6人の搭乗員と、3人の軍服を着た青年が映っていた。

「私は、一番左に写っています」

 言われた青年を確認すれば、微かに面影が残っている。皆、笑顔でも悲しみでもない顔をして、毅然とした佇まいで写っていた。

「はい」

「久留宮さんは、特攻隊というのを知っていますかな?」

「あっ、はい。この皆さんは、特攻隊の方々なのですか……?」

「そうです。私は、当時20歳でした。整備士として姫路の海軍基地に配属されておりました。そして、終戦間近に迫った頃、私の基地からも、特攻隊が出撃するようになった……」

 宣彦は遠くを見る目をしながら、思い出話を語る。いつのまにか、京ことばが影を潜めていた。


「1番右の搭乗員が、桜木健吾という名前で、私より2歳上の操縦士でした。もうその頃には、ほとんど上級士官はいませんでしたから、特攻隊の兵は、予備学生や予備生徒出身の16歳とか17歳とかの、搭乗歴も少なく、技量も未熟な若者ばかりになってましてね。桜木さんの年齢の人は少なかったから、年の近い私とはよく話をしました」

「優しそうなお顔ですね」

「ええ。郷に奥さんと、生まれたばかりのお子さんを残して来たとのことで、よくその写真を見ながら話をしてくれました。その彼が出撃した日、彼の機体がエンジントラブルで途中で引き返さざる得なくなりましてね……。当時は、よくあったことです。物資も少なく、作られる部品も粗悪品ばかりになっていましたから。まぁ、鍋やヤカンを集めて、女学生や小学生が作っていたんですから、当然ではありますがね……。特別なことではなかった。しかし……」

 宣彦は息を整えるかのように、言葉を止めた。


「そのまま終戦になってしまったんです」

 死を覚悟し仲間と共に飛び立ったのに、戻ってきてしまった……。いや、皆に遅れは取ったが、機体の故障が直れば、すぐにでも後を追い飛び立つ。そうして、無事任務を果たしたならば、仲間の元に胸を張って行くことができる。それなのに……。

「桜木さんは、お辛かったでしょうね」

「ええ。終戦のいわゆる玉音放送を聴いた時は、その場から1時間も2時間も動かずに、ずっと泣いておられました。このまま、お仲間の後を追って自害でもされるのではないかと、皆で心配したものです」

「そうですか……」

「その桜木さんが郷に帰る際、私に言われました」


 ――これからの私の人生は、全て彼らの犠牲の上に作られていく。その罪悪感に、私は耐えられるだろうか……。


 遥は、ハッとして宣彦の顔を見た。宣彦は遠かった目を遥に戻して、静かに微笑んでいた。

「今でも年賀状が来るんですよ。もう彼も95歳にならはるんですが、お元気らしい」

 そう言って、何枚かの年賀状を見るように促される。

 1番最近と思われるものを見た。そこには、子、孫、ひ孫、玄孫と思われる総勢20名近くの家族写真が載っている。

「あぁ……」

 思わず声が漏れてしまった。そっと写真を撫でて、机に戻した。よかった……。

「その写真を見て、そんな顔をするお人は、その罪悪感を経験した人だけなんやと思いますなぁ」

 いつのまにか戻った京ことばの柔らかい響きが、遥の気持ちを優しく撫でるかのように、心に沁みこんでくる。

「どんな悲しみに会おうとも、どんな罪悪感に苛まれようとも、我々は生きていかなければなりません。できることなら、悲しみは分かち合って半分に、喜びは共にしながら倍にできる相手がいた方が、楽しおすなぁ」

「はい……」


 遥にお茶を勧め、遥が湯呑を置いたところで宜彦は声を掛ける。

「今日は、よう来てくれました。裕志の顔も見たいが、また今度、遊びに来るよう伝えて下さい」

 宣彦がどう判断したのか告げられることはないまま、面談の終わりを示唆される。遥は後日、何らかの連絡が来るのだろうと思った。礼を述べ、宣彦の前から辞した。

 廊下に出た遥は、庭園の先に見下ろせる海に目を奪われた。その場で動けなくなった。


「どうしました?」

 背後から宣彦が廊下に出てきて、遥の横に並んだ。

「これが、いつか一緒に見たいと言っていた海なのかと……。雪が降っていたって」

「そういえば、裕志が初めてこの家に来た時、雪が降ってましたなぁ。あの子が10歳でしたか……。ここからじぃーと、同じ様に眺めとりました。不安そうな、悲しそうな、聡明な横顔を思い出しました」

 しばらく2人で海を眺めた。遥は宣彦に別れを告げる。

「雨、降らなくてよかったです。裕志さん、門の前で待ってくれているんです。彼ならきっと、雨の中でもそのまま待ってるだろうから、ずっと気になっていました。本当に今日は、ありがとうございました」

 そう笑った笑顔に、宣彦は小さく目を見開く。この笑顔を向けられたからこそ、裕志はこの子を手放せんのやなぁ……。

「久留宮さん」

「はい」

「裕志を、よろしゅう頼みます」

 そう言うと、宣彦はゆっくりと頭を下げた。

「はい!」


 裕志は門の前ではなく、少し先の方にいた。そこからは、小さく海が見える。その後ろ姿は、そこだけまるで時間が止まったかのように、周りの空気まで動かなかった。

 その背中に向かい、遥は声を掛ける。

「裕志さん!」

 裕志は弾かれた様に振り向く。遥は裕志の胸にそのまま駆け込んだ。あんまり勢いが良かったので、遥を抱えたまま2、3歩後ずさった。

「おっと……。遥ちゃん、太った?」

「え~、ひどい! 私、頑張ったのに。一生懸命頑張ったのに―!」

 と体を離し、文句を言った。

「うん。本当に、よく頑張りました」

 そう言って、遥の頭を何度か撫でる。裕志は遥と目線を合わせるように屈み、優しい声で微笑みながら聞いた。

「で、どうだった? 会長は」

「優しい方でした」

「うん」

「弟の話をして……」

「うん」

「特攻隊の話を聞かせてくれて……」

「う……ん?」

「裕志をよろしくって」

 遥が笑顔を弾けさせる。裕志は小さく息を吸って、目を見開く。

「……遥ちゃん!」

「やったね」

「お手柄だ! 本当に……」

 君はどこまで僕に幸せをくれるのか……。そのまま、裕志は片手で両目を抑えて、俯いてしまった。「んっ……」と小さく息を詰める。遥には嗚咽に聞こえた。

「裕志さん……」

「……うん。ありがとう、遥ちゃん」

 声が、小さく震えている。少し待ったが、まだ顔を上げてくれない。

「これで、また一緒に出掛けられる?」

「うん……」

「蟹クリームコロッケ、食べに行ける?」

「うん」

「鴨鍋も食べられる?」

「……うん」

「さと子さんの、石狩鍋も食べに行っていい?」

「もぅ遥ちゃん、食べることばっかだ」

 やっと顔を上げて、笑ってくれた。そして、遥をグッと抱きしめて

「ありがとう」

 と、もう一度囁いた。

 

 裕志は、雅彦に結果報告をしたいと、遥を連れて行く。タクシーで向かっていた。

「雅彦さんの奥さんも身体検査通らなかった人なんだ。できれば、遥に会わせておきたかった」

「怖い人?」

「遥に、怖い人っているの?」

 とニヤリとするので、

「今更分かったんだけど、裕志さんってドSよね」

「そうかなぁ。初めて言われたけど」

「そうです。間違いありません」

「今夜ベッドで確認してみる?」

「そういうとこだよ!」

 はははっと陽気に笑う。久し振りに手放しの笑顔を見て、遥も嬉しくなった。

「遥」

「ん……?」

「何にも言わずに帰るのは、もうダメだよ」

「うん……」

「僕、あれから夜中に必ず目が覚めるようになった。朝まで寝てしまうと、また嫌なことが起こる気がしてね……。これで、安心して寝られるようになる。頼んだからね」

「うん、分かった。また、叔父さんのギター持っていっていい?」

「そういえば、ギターもずっと弾いてなかったな……」

「あー、今思い出した! 裕志さん、ピアノも弾けるんでしょ!? 写真で見たよ。そういう大切なことは、早く言ってよね~。今度、聴かせてよ。絶対だよ!」

「やっぱり、怒られたか……。思った通りだ……。もう、たまんないなぁ」

 そう言って、遥の手をぎゅっと握る。恋人繋ぎで、ぎゅっと握る。

「これからはもう、嘘はなし。もう一度言うよ。僕のそばに、ずっといて欲しい」

 今度こそ心から返事ができる。もう、1人にはしません。

「はい」

 これでやっと、身体検査前の2人に戻ることができた。


「彼女が『噂の君』かぁ。始めまして、橘雅彦です」

「妻の由加です。さぁ、上がってください」

「こんにちは。お久し振りです。由加さん」

「久留宮遥です。初めまして。よろしくお願いいたします」

 ひと通りの挨拶が済んだところで、応接間に落ち着いた。すかさず裕志が礼を言う。遥も一緒に頭を下げた。

「雅彦さん、本当に色々ありがとうございました」

「いや、良かったよ。吉と出るかどうかは、本当に分からなかったからね。会長は、大ナタの様な人だから、不要だと思えばバッサリ切り捨てる」

「そうなんですか? とてもお優しい方でしたが……」

「ええ。実際に、2度と会えなくなった恋人たちもいたからね」

 裕志と遥は、改めて顔を見合わせた。本当に、良かった……。


「雅彦さん『噂の君』なんて、失礼ですよ。ねぇ、久留宮さん」

 由加が話題を変える。

「ああ、そういえば……。何ですか? 雅彦さん」

 裕志が質問している横で、遥は小さく苦笑いを浮かべた。皆んな、知ってるわけね……。恐るべし、橘家の情報網……。

「お恥ずかしいです……」

「何?」

 裕志は何のことだか分からないと、遥に小さく聞く。

「あれ、裕志くん知らないの? 彼女の武勇伝」

「? はい、知りません」

「えっと……」

 裕志に「説明して」と目で訴えられ、なかなかに恥ずかしい。

「誓約書をね、こうビリビリッ、パッと。気持ちよかったでしょうねぇ。私もやりたかったわ~。あれは、私達にしか分からない屈辱だものねぇ」

 あっという間に、暴露されてしまう。参りました。

「ほんとに、お恥ずかしい……」

「はっはっ。遥らしいなぁ、知らなかった」

「じゃ、その時彼女が言った言葉も知らないんだ」

「……あっ、はい。何言ったの、遥」

 と、またもや「説明して」顔だ。

「あの……、えっとね……」

 もう、この会話やめよう~。

「まぁ、それは2人きりの時に話したほうがいいかな」

 雅彦さん、助かります……。

「そうね……。私は、胸が一杯になりました。久留宮さんの言葉」

「そうだなぁ」

「あれはさぁ、ほんとに相手の事を想ってないと、分からないことだから」

 あれ?


「……あの、由加さんって、もしかしてご出身は横浜ですか?」

「……あら、どうして分かりました? 訛ってました?」

「私も、横浜なんです。微妙なイントネーションと言うか、語尾が……。京都で聞くと、よく分かります」

「あら~、横浜のどちら?」

「旭区です」

「近いわ。私、瀬谷区なのよ」

 一気に打ち解けてしまった2人を見て、雅彦も裕志も驚く。こんなこともあるのだ。

「良かったな、遥。話ができる人ができて」

「うん。ありがとう。連れてきてくれて」

 盛り上がる2人をよそに、雅彦は静かに裕志に聞いていた。

「会長は何て?」

「遥によると、特攻隊の話が出たらしいんですけど、雅彦さん、ご存じですか?」

「……いや、知らないな。会長、戦争に行ってるからな。僕達では、一生聞くことがないことかもしれない……」

「そうなんですね……。遥が話してくれそうなら、聞いてみます」

「……なんでも話してくれるんじゃないの?」

「そう願いたいんですが、遥の中で話すべきじゃないと決まったことは、決して言わないから……」

「その強さも、会長の眼鏡に適ったのかもしれないな」

「はい……」


 遥が北欧の雑貨を扱っている会社に勤めていることから、2人の話はそちらに変わっていた。どうやら由加も今北欧の雑貨や家具に興味があるらしい。

「ちょっと見せたいものがあるわ」

 2階の部屋に、由加が大切にしているものが集めてあるらしい。遥は誘われて、確認する様に裕志の顔を見た。

「いいよ、行っておいで」

 嬉しそうに由加について行く。やはり、遥があの会社を辞めずに頑張っているのは、遥自身が会社で扱っている商品が好きだからなのだろうと、裕志は感じていた。


 2人がいなくなったので、雅彦が話す。

「さっきの、弁護士の前で彼女が言った言葉、知りたい? 裕志君の話からいくと、多分彼女は教えてくれないよ」

「僕が知っておいた方がいいなら、聞きます」

「君には『行ってきます』や『いただきます』を言う相手も、『ただ微笑むだけ』の相手すら、ずっといない。きっと、もし今君が死を宣告されても、何の未練も無く死ぬことができるのではないかと思う、とね」

 裕志は息をする以外に、体を動かせなかった。そんな風に遥は思って……。でも確かに、遥に会うまではそうだった……。

「彼女はね、自分じゃなくていいから、早くその相手を見つけろと弁護士に迫ったそうだ」

「……」

「その話を聞いて、会長は彼女に会うって言ってくれたんだよ」

「……そうでしたか……」

「でもまぁ、これは始まりに過ぎないからな。まだまだこれからが大変だ。頑張れよ」

「はい。これからもお力添え、よろしくお願いします」

 そう頭を下げたところで、2人が部屋に戻ってきた。


「裕志さん、由加さんのコレクション可愛いの。見て見て」

 遥が、スマホで撮ったばかりの写真を見せてくれる。

「ほんとだな。遥が好きそうだ」

「あれ? 私が好きそうって分かるの?」

「そりゃ……。部屋にも色々飾ってあるし、街で歩いててもそういうの見つけると、足が止まってるだろ」

「ひゃ~、バレてたか~」

 と嬉しそうに照れている。バレてないと思っている遥が可愛いし、面白い。そんな風に眺めていると

「仲がいいわねぇ、2人共。ご馳走様ね」

 と由加に言われ、今度は2人で照れた。これ以上からかわれるのも敵わないので、そろそろお暇しようと声を掛ける。また遊びに来いという2人に、丁寧に挨拶して帰路についた。


「遥、弁護士に何て言ったか教えて」

「今、聞くの……?」

 裕志の家に戻って玄関に入った途端、裕志は遥を玄関の扉に押し付けるようにキスをした。そこで愛撫まで始まってしまう。こうなるともう、裕志を止められないことは遥も知っている。なんだか、いつもと違う……。

「ん……。もう、裕志さんを1人にしないでって……」

「なんでそこで、諦めた」

 少し怒っているように聞こえる。このままでは、玄関の床に押し倒されそうな乱暴さで、本当にいつもの裕志ではない……。遥は裕志の顔を両手で無理やり自分の方に向けた。

「どうしたの? 何怒ってるの?」

 やっと裕志の動きが止まった。

「遥、ちゃんと分かって。他の誰かではダメなんだ。遥じゃなきゃ、微笑まない。もう君は僕の一部なんだ。僕の『好き』はそういう好きだ。自分を替えが効く存在だと思わないで」

 遥は思い出した。初めて好きと言ってもらったあの時。


 ――ごめん、僕……、遥ちゃんが好きだ。どうすれば……、いい


「裕志さん、よく分かった。分かったから、心配しないで。もう、諦めない。裕志さんから離れないから」

 と言い聞かせるが、また愛撫が始まってしまう。だからー。

「裕志さん、もうダメ。怒るよ。まずは靴を脱ぎますよ。はい、どいて」

 となんとか手から逃れて、やっと応接間に入る。さと子さんに買ってきたお土産をキッチンに持っていき、そこに置いて任務完了である。さぁ、今日は疲れたから帰ります。

「マッサージ、連れて行ってあげるよ。約束だったでしょ」

 そうキッチンの入り口で不敵な笑いを浮かべる裕志がいるので、眉間にしわを寄せながら遥は答えた。

「なんか、嫌な予感がする。今日は帰ります」

「ダメ~」

 やっばりか……。結局マッサージ室と言いながら寝室に連れて行かれ、愛される。

 一応最初は背中を本当にマッサージしてくれた。どうやら、お祖母さんの肩もみは得意だったらしく「上手でしょ」と言われるが、あっという間にその手は前に回ってきてしまって、思わず「違うー」と叫んでいたが、そんなことは軽くいなされ、後ろから愛し続けられる。

「遥、どう? ほぐれてる?」

「んぅっ……」

 悔しいから、気持ちいいとは言ってあげない。でも、いつでもあなたは私の感じるところをちゃんと外さない。愛情をたっぶり浴びて、もう本当に離れられない。心配しないで、もう私もあなたじゃなきゃ、ダメだから……。後ろから1つになり、裕志の息遣いを耳元で感じながら、遥も意識が飛んでいく。

「あぁ……裕志さん……離さない……で……」

 私の言葉に応えて、ぐっと抱き締めてくれる。もう、何度も何度もあなたを感じているのに、どうしてこんなにいつも愛しさが溢れてくるのだろう。緊張の頂点に達した後、体中が弛緩していく……。


「さあ、送っていくよ」

「よろしくお願いします」

 明日は月曜日だ。さすがにこの家から会社に通うわけにはいかない。遥の家に向かうべく、Audiに乗り込んだ。

「早く、送らなくてもよくなりたいな。君が隣にいないベッドは、広すぎるからね……。これで先に進められる。今度、正式に遥の親御さんにも挨拶に行きたい」

「……ありがとう。両親に日にち聞きますね」

「うん。緊張するな……」

「えぇ~、裕志さんが~?」

「僕を何だと思ってるの。緊張ぐらいするよ」

「ふふ。会社の皆さんが聞いたら、驚くだろうなぁ」

「そういえばこの間、君のことバレた。女性だって」

「なんで~。残念……」

「ちょっと間違えて、遥って名前出しちゃって……」

「えっ……」

 思わず顔に血が上る。嬉しいやら、恥ずかしいやら。

「もう、いいんだ。これで君を皆に自慢することもできる」

「ええ!? 止めて、恥ずかしい……。この程度で、橘の彼女~!? って、絶対言われる。申し訳ない……」

 つくづく、自分がもっといい女だと良かったのにと、情けなくなる……。

「ふー、遥。ほんと何度言ったら分かるの……。君じゃないとダメだって」

「わぁっ、はい。そうでした。ごめんなさい。不出来な奴で」

 笑いながら、左手で頭をくしゃくしゃしてくれる。

「私、これから何をしたらいい?」

「う~ん、まずは、さと子さんの指南かなぁ」

「うわぁ、大変そう~。なんか、燃えてきた。頑張りまっす!」

「そう来ると、思った」

 2人で大笑いした。やっと、長い長い1日が終わった。

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