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幻覚かと思って一度窓から目をそらしましたが、追加で声が飛んできます。
「ロイス、傷が痛そうだけど大丈夫?」
「!お、おっ!え、はい!」
うわっ!あの人か?!と思って二度見すると、乗っていた窓枠の上から降りて、窓際にアシュレイ様が立っていらっしゃいました。今日は青年ぽい格好をしていて、腕なんて組んでカッコつけちゃって、色男って感じです。ほんとに女の人なんですか?この前はなかったのに、なんか肩とかガッシリしてるし。世に言う肩パットというやつですか?
というか、ここ二階なんですけども。一体どうやって窓から入ってきたんですかね。外に木とかもないし!窓のまわりに掴まれそうなとこもないし!
「こ、こんにちはアシュレイ様。この部屋、すぐにアートが戻ってくるかもしれませんよ」
一応忠告しておきます。なんだか、いつも全ての情報を理解した上でバレないタイミングに登場してくるので、今の状況も分かってはいらっしゃるんでしょうが。
「痛そうだけど大丈夫?」
あ、返答しなかったら同じ問いを繰り返していくスタイルなんですか?なんだかなあ。笑顔が恐ろしい、本当に心配してます?まさか怒ってるんですか?本当にすみません。殺さないでください。
「大丈夫です。痛いですけど、生きてるから痛いわけですしラッキーですよね、アハハ」
「ラッキーではないと思いますけど……治してあげましょうか?」
「えっ治せるんですか!一瞬にして?!」
それはラッキーなんですが、それはそれでなんで急に治ったのか怪しまれて変な噂が立ちそうでもあるんですよね。ここのお医者さんとか、もう先日来た時に公爵だって名乗った気がしますし。
「そんな便利グッズはない」
ありませんでした。やっぱりね。分かってたんですけどね。一応聞いてみるのは大切だと思うんです。
「傷口を縫い合わせて、上からテープ貼るんですよ。あとは自然治癒ですが、多少の身動きは出来ますから頑張れば婚約お披露目のための社交場に出られますね。アートに治療してもらった後、バレないように屋敷で私が縫ってあげますよ。」
「ひえっ!縫う?!針と糸で?!嫌ですよ!!!!刺されるより痛そうじゃないですか!怖いし!お医者さんでもないのに!!」
アシュレイ様も特殊なテープによる治療を推奨してきましたが、皮膚を縫うという正気の沙汰とは思えない提案をしてきました。そんな、服や靴じゃないんですから。人体はそんなに頑丈ではないはずです。
それにしても結婚自体は来年になるのに、もう社交界のお話ですか。実感わかないなあ。アシュレイ様的には私というアートの未来のお嫁さんに社交力を求めているんでしょうが、人付き合いってそこまで得意じゃないんですよね。頑張る気はあるんですけど、怪我が長引いたらパーティとか、先延ばしに出来ないかな?という怠け心もあります。
「私は器用なほうだし、この国の医者よりはずっと上手く治療できるんだけどなあ。あ、なんか勘違いしてるみたいですけど針と糸ってわけじゃなくて、ホッチキスみたいな器具があるんだけど……麻酔もあるから、別に痛くはないですよ。というか、怖いと言いますけど、針と糸で縫う治療法もこの国にはありますし。不衛生で原始的ですけどね」
「ほっちきす?」
「うまく説明できないですね」
アシュレイ様がへた、と困ったように笑いました。キリッとした顔が急に親しみを感じる表情になって、面食らっちゃいます。アシュレイ様はそのまま私のベッドの横の、さっきまでアートが座っていた椅子に腰かけました。
それから私の方を向いたアシュレイ様は突然両手を私の目の前に出すと、パン!と勢いよく打ちあわせました。私がびっくりしていると、アシュレイ様は打ち合わせた手をすり合わせながら徐々にずらしていって、また突然パッと開きます。すると、その手の中には大きな赤いリンゴが乗っていたのです。
「うわーっ!す、すごい!どうやって出したんですか今の?!袖には入りそうもないし!!」
「ほーら皿も出てきますよ」
私が驚いてつい子どもみたいに喜ぶと、アシュレイ様は得意げに笑って、なんと服の袖から大きな白い皿を取り出しました。そして、その皿の上にさっきのリンゴを置いたのです。
こちらもとても袖に入るようなサイズの皿ではないんですが、どうやったんですか?!……と、驚いている隙にまたアシュレイ様は右手をグーにして私の前に出してきました。そこに左手の親指と人差し指を突っ込んで、何かを引っ張って取り出します。アシュレイ様の右拳の中からずる、ずる、と鞘に入った小さいナイフが出てきて、左手にナイフを握ると、右手をパッと開いて見せたのです。
「うわあああ!!ナイフ、それ、右手より長いのに!!折り曲げて入れて置いて、腕力で元に戻したんですか?」
「いや、そんな力尽くなものじゃ……秘密があるんですよ。教えないけど。あっ、私は実は魔法使いなんですよ」
「教えてくれないんですか」
教えてくれませんでした。残念です。でも絶対魔法使いではないんだろうなとは思います。
そうして無からナイフと皿とリンゴを取り出したアシュレイ様は、のんびりした様子で鼻歌なんか歌いながら、リンゴの皮を剥きはじめました。なんだかすっかり居座る空気感ですけど、アートが戻ってきたらどうするんでしょう?
「さっきも言いましたが、アートが戻ってきてしまうかもしれませんよ」
「ラミスが血のつながったロイスを洗脳できたのに、私にあの子を洗脳できないと思います?」
アシュレイ様はそう言って、こちらを見もせずにリンゴを剥き続けていました。なんというマイペースな。
「前に、エインズワース家の同じ血縁の人は記憶を弄れないから会わないんだって言ってたじゃないですか!!」
「そんなこと言ったっけ?よく覚えてないなあ。気のせいでは?」
言ってました。多分。だからお嫁さんにしか会わないんだって言ってたと思います。自分の記憶が疑わしくなってくるからやめてください。
「まあ、でも記憶を弄れるのと、思考や行動を弄れるのはまた別の話ですから。ラミスの記憶弄る能力はあれ、呪いだし。呪うってのは憎んでいるか、愛するあまりに憎んでいるかのどっちかですからね。負の感情ありきのものだから……」
理屈はよく分かりませんが、記憶はいじれないけど、ある程度、意識を乗っ取って行動を操れるみたいです。洗脳とか言ってるし。私が夢遊病になった時みたいに、今はアートがフラフラ徘徊してるんでしょうか?他のみんなも。お医者さんと話すにしては、みんな遅すぎますもんね。
「あ、でも私も頑張ればロイスの記憶くらいならいじれると思いますよ。負の感情なくても。あの子は……まあでも、無理かな。どうしても必要なら、血縁無関係な先生に頼めばいい事なんですけど。試しにロイスは家族円満だったって風に記憶にいじりましょうか?」
「いじらなくていいです……」
とかいって、すでに記憶をいじられた後だったりして。怖すぎます。それにしても、負の感情ありきの呪いって、ラミスは少なくとも愛してるからって理由で呪ってきてたと思うんですけど、どうなんでしょう。
「私、憎まれてたんですか?」
「まあ、悪霊と化してたから愛してるか憎んでるかわけわかんなくなってたのかもしれませんね。ほらこれウサギのリンゴ。食べなさい」
私の質問を軽く流したアシュレイ様が、変わった皮の剥き方をされた、食べやすそうな切り方のリンゴを皿ごと差し出してきました。またもや聞きなれない単語に、私は首を傾げます。
「ウサギってなんですか?」
「え?ウサギ知らないんですか?!マジ?!田舎もんなのに?!」
「なんで急に喧嘩売ってくるんですか?!」
結局アシュレイ様がウサギについて教えてくれることはなく、なんとも前衛的な形に剥かれたリンゴを、私は一つとってかじりました。いや、残った赤い皮部分の線とかがガタガタだし、実はアシュレイ様って不器用?それともこういう生き物なの?
「そういえば、この薬飲んでおいてくださいね」
アシュレイ様はそう言うと、小さな白い、平らな小石のような物を紙包みから取り出して、机に置きました。薬、これが薬なんですかね?薬と言われると、葉っぱを乾かしてすり潰して配合した粉末で、黒っぽい緑色の粉が主流なんですが。私はあまりお目にかかることもないんですが、そういう薬なら人の家で何度か見たことがあります。
「これは?」
「血がドバーッと出てたから、血を増やしやすくする薬。ロイスが寝てる間にも飲ませたんですけど、あなた寝てるときに飲ませようとすると、むせたりうなったり暴れたりするので。次は自分で飲んでくださいね」
寝ている間にお手数おかけしました……って、寝てる時に物を飲ませようとしたらむせて当然なのでは?いや、そうでもないのか……謎です。でも、もしかして私が今結構元気なのは、その薬のおかげだったり?
だとしたらここのお医者さんは別にヤブ医者じゃなくて、アシュレイ様の薬の効果が尋常でないだけだったのでは?あーあ、気の毒に。
「この白い小さい、石みたいなのが薬なんですか?」
「え?ああ。それは錠剤タイプの薬で、えーと……この国には無いから自分で飲んでね。他の人にあげちゃダメですよ、これフリとかじゃないですからね。門外不出、かなりの機密事項です」
じょうざい、うーん、聞いたことないです。でも、機密事項なら私みたいな一般人、知らなくて当たり前ですよね。国家機密というよりはエインズワース家の重要機密なんでしょうけど。まだ嫁入り前なのに、私のこと信用しすぎでは?
「機密……ですか。疑うわけじゃないんですけど、これ、飲んでも副作用とか、ないですよね?」
まあ、すでに一度飲まされてたわけですから、今更なんですが。一応気になるので聞いておきます。
「ありますよ。私が独自に開発して調合したものだから効果は保証しますけど、結局のところ血を作るのは体だから、ロイスは人間なので体力使って眠くはなると思います。多少体に負担はあると思うけど、総合すれば早めに、痛みも少なく治ると思いますよ」
ロイスは人間なのでって、急に人間でない者の立場から人間扱いをされてしまいました。人間じゃない人の方が少ないと思うんですけど。というか、アシュレイ様も半分人間じゃないですか。
「だから長めに寝てたんですね、私……ちなみに、この薬の原料というか、どうして白いのかとかを教えてもらえますか?単純に気になって」
「ああ。中身の原料はまあ言っても分かんないと思うんで言いませんけど、全部なにがしかの植物ですよ。この国にないものばっかりですけど。白いのは、周りを糖衣……えっと、砂糖みたいな白い粉とかを固めたもので、包んで固めてあるからなんです。私は粉薬って苦手なんで、よく先生に作ってもらってたんですよね。オブラートってのもあるんですけどアレは包んだらこう、角みたいなのが喉に刺さるもんで、あんまり好きじゃなくて……」
「お砂糖ですか。すきです」
「あ、舐めちゃだめですよ?すぐ溶けてにが〜〜い味で死にます」
「死ぬんですか?!き、気をつけます」
「比喩表現って知ってる?」
半ば呆れたような顔で言われましたが、知ってますよ、知ってますとも。冗談か本当かなんて分からないんですから、歳下をからかわないでください。
そんな事を話して、アシュレイ様の薬については納得しました。が、私の心の中での1番の問題は解決していません。
「怪我が早く治るのは嬉しいですけど、私、人と話すのとか慣れてなくって、社交界なんて、公爵夫人としてうまくやっていけるかどうか……」
「いやそんな、適当でいいんじゃないですか?私も好き勝手やってたけどなんとかなったし、公爵家の肩書きさえあれば、ビビらせたもん勝ちですよ。でもまあ、仕事のこととか貴族間の勢力図とかは分かってたほうがいいかな。派閥とかありますし」
「勢力図を理解して行動してる時点で、適当でも好き勝手でもないような……」
それにアシュレイ様は功績とかあって立派なんでしょうけど、なんとなく何をやっても最高の顔面で許されるような気がしますし……
「いやいや、全体のことが分かってれば〝本当にやっちゃいけないこと〟はしないで済みますから。雑に堂々と行動することで変人の印象がつけば、面倒な友達づきあいとかもしなくてすみますよ?」
「でも、友達は……欲しいじゃないですか。」
せっかくですし。貴族に慣れるとも思えませんが、話ができる女友達がたくさんできるとたのしい毎日になりそうですよね。いままで友達の少なかった分、嫌われてきた分、人に好かれる人間になりたいというか。って、アシュレイ様って領主にまでなったのに、変人扱いされてたんですか?変人ですけども……
「ああ。こいつと仲良くなりたいな、と思えば2人きりのところに引きずり出して話して懐柔すればいいんですよ。公爵夫人相手に変な意地張る人も居ないでしょうし。」
「そ、それは権力で脅しているんじゃ……」
発想が恐ろしすぎます。それ、どんなに嫌でも断れないじゃないですか。権力を盾に迫るのはどうなのかなぁ。
「いや?はじまりはそんなでも、仲良く遊んで茶でも飲んで、合間に趣味の話やくだらない話でもすれば、1ヶ月も経てば本当の友達になれますとも。まあ、そうなれるかどうかは相性ですけど。色んな人と仲良くしていっぱい失敗して、人を見る目を養ってください。まだ、子どもなんだし」
急に良識のある事を言いださないでください。でも、できれば失敗したくないなあ。
「私、もう子どもじゃないです」
「100歳以下はみんな子ども!」
大抵の人間が100歳以下だと思うんですけど……
「じゃ、そろそろ行くから。前回よりキツめの薬だし、飲んだらしばらく寝ると思うから、寝ていいタイミングに飲んでくださいね。」
「あっ窓から出て行くんですか?!」
アシュレイ様はそのまま、入ってきた時の窓から飛び降りて、華麗に去って行きました。うーん、自由人。
その数分後にアートが部屋に戻ってきて、私はアートが二人分買ってきたサンドイッチを受け取り、一緒に食べました。それから夜になると、アートがベッドの隣の椅子で寝る、と言いだしたので止めて、向かいの宿屋に泊まるように説得をしました。
それからみんなが寝静まった頃、私はアシュレイ様に渡された白い薬を飲んで、眠りにつきました。
そうして、アシュレイ様の言う「しばらく寝る」の次元を測りきれていなかった私が次に目を覚ましたのは、なんと、それから3日後の朝だったのです。
次回、ようやくエインズワース邸に向け出発です。




