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昼頃まで休まず走り、2時を回った頃に両方の馬車が止まりました。私がアートの方を向くと、アートは「ああ」と思い出したような顔をしてから、荷物袋から紙の包みを取り出しました。
「街の中央に到達したら一旦休憩することにしていたんだ。サンドイッチを買っておいたから食べよう」
「わーい!」
「君の好きそうなのを適当に何個か選んだんだが、大丈夫かな。嫌いなものはないか?」
「私、好き嫌いはないので」
基本的には貧乏人ですからね。出されればなんでも食べなきゃいけなかったし、その結果としても、これといって食べたくないものがなかったわけです。嫌いなものはないのです。おいしいものは全部好きですけど。大抵好きなものしかないっていうのは生きていく上でラッキーなことですよね。
「結構飛ばしましたが揺れませんでしたか?」
「あ、私は大丈夫でした。揺れるとなんだか楽しいし」
「私も平気だ。午後からは私が馬車を引こう」
えっ?アートが馬車動かすんですか?なんか嫌だなあ、森に入る時とか運転荒かったし。ちょっと喋ったら舌噛んじゃうレベルの揺れでしたから。レオンさんなんて酔っちゃってましたし。
「じゃあ私も運転席座っていいですか?二人くらい座れそうじゃないですか。」
「いいぞ。君も馬車のひきかたを覚えるといい」
よくそんなこと言えますわね、オホホ。私はせめて馬に近い方が揺れがマシかと思って言っただけなんですよ。まあ、アートと雑談をしたいという面もあるにはあるんですが。でも、アートの動かすガタガタうるさい馬車では会話もままならないかも。
「アーチボルト様、出来るだけ安全運転でお願いします」
ルドガーさんからの切実なお願い。ルドガーさんがそう思っているということは、やっぱりアートは馬車を動かすの下手くそなんですよね。きっとそうです。
「あなたは自分が揺れに強いからって他人の乗る馬車への配慮が足りないんです。前にも一度だけ運転を任せたら積み荷の中のツボが割れてしまって中に入ってた塩がそこらじゅうに散らばって大変なことに……」
「分かってる!……分かっている。あの時は急いでいただけだ。それにここら辺は平らな土地だから平気だ」
あ、自分の運転が荒い自覚はあったんですね。そしてルドガーさんはやっぱり、上司であるアートに対してはっきりと物を言うというか。
私ならきっと上司がいたらヘコヘコして、なにを言われても「そうですね!その通り!よっ!さすが公爵様!」な〜んて適当に相槌打って誤魔化しそうです。いい加減な人間ですみません。
「セディ、俺が荷物を持とう。足元に気をつけてくれ」
「ありがとうねレオンちゃん」
「うわ〜あんたほんとにセディ狙ってんの?ダメダメ、セディはもっと筋肉ムキムキのちょっとブサイクめな男がタイプなんだから!あんたみたいなきれい目な男じゃ無理無理!」
「なんだと!鍛えればそのうちにそうなれる!」
「ブサイクにはなれないでしょ?!」
「ふ、ふふ……レオンちゃん、あなたよく分かんないけど、ほんとに、な〜んか良いわね〜!全然会ったことないタイプっていうか。威張ってるように見えて、アタシみたいなのも女扱いしてくれる紳士だし?」
「女扱いだなんて。あなたの体が男だろうが女だろうが、心が女性ならあなたは女性だ。紳士でなくてもあなたを女性として扱うのは人間として当然のことだ」
「んもうっまともな人間ぽいこと言っちゃって!でも、本当にそんなことないのよ?バケモン扱いされてもおかしくないんだから。アタシだってデザイナーとして有名になる前は、こんな図体のオカマなんてって馬鹿にされてたし。」
「……許せない。あなたはとても美しいのに」
「ありがと。レオンちゃん、ほんと変わってるわねえ。いい子ね、輝いて見えるわ」
そういう話は二人きりの時にやれ。……と、言いたくなるようなことを話しながらセドリックさんたちはこっちに歩いてきて、絨毯のようなものを地面に敷きました。そして、大きなバスケットをその上に置きます。それからセドリックさんは私たちに近づくと、にっこり笑いました。
「あら、そっちはサンドイッチ?私たちはタコスよ。何個か交換しましょロイスちゃん!」
「たこす、ですか?」
「最近はどこに行っても流行ってる、どこかの異国のサンドイッチみたいなもので、具を小麦粉の皮で巻いたものなのよ。細切りの野菜とかも入ってるの」
「へ〜!流行には疎いもので知りませんでした。美味しそうですね」
「おいしいわよ〜」
私たちはその横に布のシートを引いて、そこに座ってサンドイッチを食べはじめることにしました。ちょっとしたピクニックみたいで、なんだかワクワクします。まあ、街沿いに来たので見える程度の距離には街があって、そこで食事してもいい気がするんですが。店で食えば?なんて言っちゃうのも野暮ですよね。
私の右からセドリックさん、レオンさん、ラーラ、ルドガーさん、そして私の左横にアートとなるように、私たちは輪になって座りました。
改めてなんなんですかこの団体は?奇妙なんですけど。人気が無い場所で本当に良かった。人通りがあればめちゃくちゃ目立つでしょうね、今のこの光景は。メンバーの髪色もやたらカラフルだし。
「お、このサンドイッチおいしいですねえ。アニスで食べたものとはやっぱり味付けも違ってますね」
さっぱり系というか、シンプルな塩味の中に滲みだすなぞの旨味というか。これは薄く切ってカリカリに焼いた鶏肉かな?おいしーい!
美味しいものしか存在しないのかこの世には?!いや、アートが用意してくれるものとたまたま入ったレストランの料理が当たりで、偶然全部が美味しかっただけですよね。まだまだ世界は広いですしね。
「そうだな。アニスは花びらとか入ってたもんな。君はなんでも美味しそうに食べるなあ」
「おいしいんですもん……もう一個食べていいですか?」
「ほんとかわいい。どんどん食べてくれ。永遠に美味い料理を用意して食わせ続けたい。それを横で無限に眺めていたい」
「本当に最近大丈夫ですか?風邪で頭が熱にやられてたりしませんよね?」
「どちらかというと恋の病だな。不治の病だ。」
「あっ!今のは寒かったですよ」
「……それは分かってる。恋の病というのはさすがに寒かったな」
そこに納得できる程度の冷静さがあって安心しましたが、穏やか笑顔から急に冷静な顔になるのはビビるのでやめてください。
そして次の瞬間、私の口の横にソースがついていたらしく、アートはハンカチを取り出すとさっと私の左側の口の横を拭いてきました。たまにこんなようなことをごく自然な動作でやってきますけど、どこで覚えたんですか。もしかして本能でやってのけてるんですか?育児が得意そうですね!!
「ありがとうございます、すみません」
「いやいい。それより、あんまり急いで食べると喉に詰まるぞ。それに何度も噛むことで満腹中枢が刺激されて食べ過ぎを防ぐことが出来るんだ。それが健康につながるんだぞ」
「は、ハヒ……満腹ちゅうすう?」
お母さんか!!いや、私は母親にこんなことされたことないですけど!!むしろ世間一般のお母さんもこんな具体的なことは言ってこないかも?!
「セディの好きな食べ物はなんなんだ?」
おっレオンさん、なかなか積極的ですね。馬車の中でも楽しくおしゃべりできていたようですし、さっきもイイ感じでしたし、案外上手くやってるのかも?結婚式には呼んでくださいね、余興で手錠を引きちぎる手品をやってあげますから。
「そうねえ、魚かしらね。海の魚が好きよ」
へー!セドリックさん、宿屋とかでは肉を食べてたから肉が好きなのかと思ってました。意外!でも、ここら辺は確かに魚料理って少ないですよね。海から離れてるから仕入れるのも大変でしょうし。
「そうなのか!!俺の国では刺し身やフライなんかが人気で、新鮮な魚がたくさんとれるんだ!ぜひ今度遊びに来てくれ」
おっいいじゃないですか、南の島ならではのセールスポイント!まさかの魚が好物相手に魚が特産品王子様!魚が特産品なのかどうかは知りませんけど!
「へー!生魚って食べたことないのよね、海に近い街でも中々新鮮な魚ってないから。外国にも興味あるし、遊びに行ってみるのもいいかもね!」
「え?!セディ、せっかく外国行くならもっと有名な国行こうよー!エリゾアなんて聞いたこともないし!」
おお、ラーラ!!なんてこと言うんですか、レオンさんが怒ってしまいますよ!セドリックさんはラーラを見て呆れたような顔をするだけで何も言いませんし!瓶のお茶飲んでる場合じゃないですよ!
「なんだと貴様!このモジャモジャ頭!そばかす馬鹿!!道化師!!!」
道化師?!どういう意味?!悪口なのそれは?!というか、おお、おお!!やめいやめい!!暴言はやめい!!アホな子どもみたいな醜い争いはやめい!!
「は?!これはわざとコテで熱してボリューミーになるように巻いてんの!!ファッションなの!!!バーカ!田舎もん!にんじん頭!!」
「なんだと?!貴様!馬鹿!!」
「ほらほら喧嘩しないの!」
田舎もんという罵倒は私にも響くので勘弁してください。どうやらこの二人、かなり相性が悪いみたいですね。目立って対立している場面を見かけなかったので知りませんでした。うーん、争いを好まないたちなものでこういった言い争いは見ているだけで居心地悪い気分になってしまいます。やめてくれないかなあ。
「アート、喧嘩がはじまってしまいましたよ」
「さっきの“にんじん頭”というあだ名は赤毛のアンにも出てきたが、金髪人口の多いこの国ではなかなか現実で使う場面もないし、良いものを見たなあ」
何をのんきにわけわかんないこと言ってるんだかこの人は。大らかすぎて心配になってきますよ。よくすぐ横で喧嘩されてそこまで無関心でいられるものです。
「赤毛のアンとは?」
でも、私も気になるので一応聞いてしまうから同類なのかも。さあアート、今日の豆知識ですか?
「赤毛のアンは、はるか昔の小説なんだ。かなりかいつまんで説明すると主人公は孤児院から引き取られてきた女の子で、かなり変わり者だが、とても頭のいい子だった。
その子の学校での話や、彼女を引き取ったカスバート家のマリラとマシューとの関わりや、その周りの出来事なんかを描いた話なんだ。大人になった後の続編もあるぞ。
その小説の中で、主人公である赤毛の少女アン・シャーリーがはじめて学校に行った際、同じ教室に居た3歳年上の生徒ギルバート・ブライスがアンの赤毛に対してニンジンと言ってからかったんだ」
「……お、おぉ。今度ぜひ読ませてもらいます。それで、アンはニンジンと言われて今のレオンさんよろしくギルバートブライスに対して怒ったんですか?」
アートが説明となると急に早口になったので、情報を頭で理解するのに少しタイムラグが生じてしまいました。とにかく主人公のアンはそのギルバートブライスという男の子に髪色をにんじんと言われたわけですよね。今のレオンさんのように。
「ああ。アンはその場で自分の授業用の石板をギルバートの頭で叩き割り、その後5年間ギルバートとは口をきかなかったほどに激怒するんだ。それだけ赤毛がコンプレックスだったようだな」
「石版を頭で割ったんですか?!怒りすぎ!!」
石版なんかで頭を殴ったら、下手したら死ぬじゃないですか!アン、強烈な人間すぎませんか?!い、いや!でも石版ていうのがどの程度の厚さなのか分かんないし、うん、きっと薄い板だったんですよね。
「だが、その後なんやかんやあって、ギルバートとアンは結婚し、7人子どもを設けたんだ」
「二人の間になにがあったんですか?!」
アートの説明はかいつまみすぎでした。でも、これ以上説明されると食事から完全に意識が飛びそうだったのでやめておきます。
「ちょっと公爵さん!聞こえてるから!あたしはこんな男とは絶対付き合わないね!」
「俺の方こそお前など願い下げだ!!」
争いながらもこちらの会話をしっかり聞いている観察力、うーん素晴らしい!そして争いは悪化しましたね。恐るべし赤毛のアン。これからもしばらく行動を共にするんだし、できれば仲良くしてほしいんですが。
「さっきのセリフはフラグが立ったとしか思えないよな、ロイス」
「言わんとすることは分からんでもないですが、もうそろそろやめておいたほうがいいですよアート」
「そうだな……ちょっとハイテンションになっちゃって……」
「あ、たこすも美味しい」
昼休憩は、そうして過ぎていったのでした。




