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階段を降りた私はそのまま宿屋から出て、財布1つポケットに入れて街を歩きはじめました。


「はあ〜いい天気だな」


こういうことを思うだけでなく口に出してしまうのは、今私が平常心でない証拠でした。なんだか偉そうなこと言っちゃいましたけど、全部兵隊さんたちにも聞かれていたわけですし。少し時間を置くと、途端にものすごく恥ずかしいことを言ったような気になってきます。アドルファス氏だって私よりはずっと年上なんでしょうに、あんな偉そうなこと言っちゃいましたし。


アートに会うのも照れ臭いし、アートが万一宿屋に戻ってから私を探したりしたら、兵隊さんたちにさっきの話をまるっと暴露されかねません。そうなると更にアートと顔を合わせづらくなってしまいますよね。ああ、いやだいやだ。どうしよう、伝言を伝えたら即座に立ち去れば良かったかも。


そんなことをもやもやと考えているうち、私の足取りはどんどん加速していきました。そんなわけで私が地面を睨みつけながら、掌を握りしめながら、ずんずんと道の真ん中を進んでいた時のことです。


「きゃあー!!誰か、あの男を捕まえて!!ひったくりよ!!」


中年くらいのセレブそうなご婦人の、そんな叫び声が聞こえたのです。驚いてバッと顔を上げると「いかにも俺は悪いヤツです」って感じのガラの悪いハゲの大男が、似つかわしくない小さな趣味の悪いキラキラのバッグを手に掴んでこちらに走ってきます。あっ、やだ、こっちに来る気ですか?!


「どきやがれっ!!」


男は窃盗犯の自覚があるのかないのか、こそこそ隠れる様子もなく人をかき分けてご婦人から逃げてきます。ここは見たところ治安も良さそうな街に見えますし、窃盗犯以外の街の住人たちは小綺麗な格好をした「犯罪者とは全くの無縁」ってかんじの人ばかりですから、男を捕まえようとする人も見える範囲にはおらず。


「きゃー!!」


「逃げろ逃げろ!!」


悲鳴をあげてザアッと男に道を開ける人ばかりです。いいのかそれで、泥棒なのに。


しかしよく見れば男の図体がすこぶるデカいのと、刃物を持っているのが見えたので仕方ないよなあ、と私は妙に納得しました。窃盗犯を捕まえようとして殺されちゃ人生馬鹿らしいってもんですよね、子連れであれば子供も危険ですし。よって、逃げるなり男から離れることは自衛の策としては賢い行動であると言えるでしょう。


ですが私はまた事情が違います。私なら簡単にこの男を捕まえてバッグを取り返すことが出来るでしょう。男が刃物を持っていたとしても、両腕を折ってしまえば刺される心配もありませんからね。普段ならば人前で目立つ行動は避けたいところなのですが、目の前で犯罪者とその被害者がいるのに何もしないことには心苦しい部分がある、というのもまた私の正直な気持ちでした。


男とぶつかるフリをして殴って気絶させるとか、離れたところから投石して気絶させるとか?


でも、殴って殺してしまったら危険ですし石を投げて体を貫通させてしまったり、最悪関係のない人に当たってしまう可能性だってありますよね。ああ、どうしようどうしようと悩んでいるうち、男は私のすぐ前まで迫ってきていました。


「どけ女!!」


「あっ!」


「?!」


私はこのままでは刃物を持った大男が宿屋の方角に行きかねないと判断し、慌てて男の脚を足でひっかけて転ばせてしまいました。しまいました、というか意図をもってそうしたわけですが。転ばせたからと言ってここからどうするかは考えていなかったため、私は心底困りながら男が立ち上がるのを待ちます。襲いかかって来られれば仕方がないのでぶちのめしますが、なにもされない可能性のほうが低いですよね、怖そうな男ですし。


「うーっ、うーっ……!」


……ところが。男は何秒経っても起きあがる様子がなく、ただ低い唸り声のようなものだけが聞こえてきたのです。周囲は、一度静まり返ってから騒然としました。大騒ぎになる前に立ち去ろうかなあと思っていた矢先、バッグを取られたのであろうご婦人が息も絶え絶えに追いついてきます。


「はあ、は、はあ、あなたが捕まえてくださったの?ありがとうねえ、若そうな女の子なのに勇気があって偉いわねえ、何かお礼をしないと」


「いえ、い、いいんですよ。人として当然のことをしたまでです」


また偉そうなこと言っちゃいましたけど、そんなことよりも一向に目を覚まさないこの男のほうが気になって仕方ないです。足を引っかけただけのつもりだったんですけど。というか、実際足にしか触ってないはずなんです。他にはなにもしてません。本当ですよ。


ようやく追いついてきたご婦人のお付きのような若い青年たちが2、3人走ってきて、男からバッグを取り上げます。若いくせに中年のご婦人より走るのが遅いって、クビですよクビ。あ、もしかしてご婦人が物凄い俊足(しゅんそく)なのかも?それからうつぶせで倒れたままの大男を呻きながら仰向けにひっくり返し、その様子を確認していました。


「この男……足の骨が折れて失神しています」


「泡を吹いている……両足とも折れているようです」


「驚くべき脚力だ……尊敬に値します」


今の私の顔を鏡で見ることが出来れば、きっと目に見えて青くなっていることでしょう。サーッと血の気が引いて顔面が冷たくなっていくのを体で感じましたから。


「まあ!お嬢さん、力が強いのねえ」


「そ、そんな馬鹿な!私は足を引っかけただけですし、きっとその男は元々骨がもろかったんですよ、アハ、アハハ!そうに決まってますよ!!」


私はまさかのことに真っ青になりながらも、愛想笑いを浮かべて全力で頭を横に振りまくりました。そりゃ慌ててたから少し勢いはつけちゃいましたけど、蹴る気は無かったんですし足を引っかけただけなのに、両足を骨折しないでください!!ご婦人も「お嬢さん力が強いのねえ」じゃないですよ!そんな次元の話じゃないでしょう!


「バッグが帰ってきて良かったですね、私は少し急ぎますのでこれで失礼します」


「まあ、お礼もできてないのに……」


「奥様の恩人の方、どうかお名前だけでも!」


「な……」


私は必死の形相で詰め寄るご婦人のお付きの人たちの気迫に顔を引きつらせながらも、少し後ずさって距離を置いて言いました。


「名乗るほどの者ではありません!!では!!その男は任せます!!」


そして、走って逃げだしました。後ろからは呼ぶ声が散々聞こえてきましたが、これ以上の騒ぎになってアートとかに見つかっては怪力バレしかねませんからね。ああ、こんな目に遭うなんて。私の故郷は家族こそ陰険で邪悪でしたがものすごいド田舎で窃盗事件なんてイベントは起こらないくらい治安は良かったのです。だからこそ私は自分の力がバレないまま生活できていたんだなあとしみじみ思います。


しばらく進んで路地を曲がり別の道に入ると、私は呼吸を整えてまた歩きはじめました。


大変なことが起こったために自分がなんで一人で歩いてたんだっけ?と混乱してしまいましたが、とにかく一人で歩いていたということは気分転換の散歩でもしていたんでしょう。私は何事も無かったかのように一人で散歩を続けることにしました。


そういえばアートと一緒に木の下で見た畑とか、田園の方を見に行きたいなあ。……と思って路地をさらに横へ横へ移動していきます。ようやく畑が広がる風景が見えてきました。住宅街を背にして田園の方を向くと心地のよい風が吹き、非常に心が穏やかになってきました。


そういえばたしか、新しいかわいい服を着てアートに会うのがなんとなく恥ずかしいからって出てきたんでしたっけ。でも、そんなのどうでもいいですよね。こんなにいいお天気で穏やかで。(わずら)わしい家族のことも考えなくていいし、現在私の抱える悩みはただ自分が呪われてるってその一点だけなのです。


気分のいい私が畑をぼんやり眺めていると、遠くの牛で荷を引いている人たちの騒ぎ声が聞こえてきます。目をやると、どうにも牛が畑の溝にはまってしまったようでした。そんなことってあるんですねえ、もっと気をつけて進まないと。牛って重そうですからね、人の手で溝から助け起こすのは大変な事でしょう。というか、牛は自分で上がれないのかな?


そう思って見ていると、その慌てている人たちの中から小さな男の子が走ってきて私に話しかけました。


「あの、お父さんに、他にも人を呼んで手伝ってもらおうって言ってて、それで誰でもいいから呼んできてくれって言われて、それで、だから、お姉さんも手伝ってもらえませんか?」


うーん、そのお父さんもまさかこの少年が女性を呼んでくるとは思わなかったでしょうね。普通力の強そうな男の人を呼んでくるだろうと思うでしょうし。まあ、ある意味私に声をかけたのは最良の選択ではあったのかもしれません。


「いいですよ。機嫌がいいので手伝います」


「わあ、ありがとうお姉さん!」


たまには気まぐれにでも、無償の善行をはたらくのもいいでしょう。やらない善よりやる偽善とはうまいことを言ったものですよね、あっはっは。


そんなわけで私はそのちょっとおバカな少年のあとに続いて、田園を牛の方へ歩いて行くことにしたのでした。














次回もロイスの平和なお散歩です。

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