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部屋に戻ってからはしばらくセドリックさんと雑談などを交わした後、ベッドに座って服を畳んだりしていました。
すると10分ほどして、ラーラがシャワーを浴び終わって戻ってきました。布で濡れた頭をガシガシ拭いています。ああ、そんなに乱暴に拭くとせっかくの綺麗な色の髪が傷んでしまいますよ。
この宿は大きいので、シャワールームがついていて助かります。私の家なんて、大鍋でお湯を沸かして水と混ぜたものを浴びるという荒業による入浴でしたから、暖かい湯が勝手に出てくるのは本当に家出してよかったという感じです。田舎なので、それが普通ではあるんですが。
アニスの街中は水道が通っていました。すごいですよね、どうやって町中に水道管を行き渡らせているんでしょう?ハインとかであれば金属加工が発達しているんでしょうから、水道管の大量生産が可能な気がしますが。どちらにしても凄いですけどね。
田舎では水道、下水道の整備もあったりなかったりで、私の故郷ではトイレも汲み取り式でした。でもアニスやハインの中央のほう、ここレイアスでは最新の水洗トイレです。表向きは分かりませんが、この街の地面の中にも、何百という水道管が張り巡らされているのでしょうか。それはどこに繋がっていて、どう処理されているのでしょう。うーん、世界は謎だらけです。
……まあ、寒くて乾燥した国なので、シャワーなんて数日に一度入れば十分なんですが。でも流石に森などを歩いた後は、土ぼこりやら乾いた木の蔓の破片なんかが気になりますからね。スッキリさっぱりしたいですよね、設備があるならね。
「ふう~。先に戻っててゴメンね!なんでか分かんないけど、急にめちゃくちゃシャワー浴びたくなって!ていうか、あれーっロイス、結局薄ピンクのワンピも買ったんだ!」
「うん。やっぱり流行りものって気になっちゃって。えへへ……」
そう、ラーラはあんまり好きじゃないみたいでしたもんね。ミーハーっぽくてなんか恥ずかしいですけど、こんな機会じゃないと一生着ることも無さそうですし。
「へー、ふーん……なんか思ったよりかわいいなあ。あたし、流行りものアレルギーっていうか、みんなと同じって嫌!みたいなとこあるからバリバリ偏見の目で見てたかも。ロイス、似合うね!」
「ありがとう。というか、本当はア……マイリさんに買ってもらっちゃったんだけど」
私がそう言うと、急にラーラはきょとんとした顔になりました。何か変な事でも言ったかな?と私が思っていると、ラーラは私の肩についた糸くずを取り払いながら言ったのです。
「マイリさんって?知り合いでもいたの?」
「え?!だってさっき……いや、なんでもないや。ちょっと遠い親戚の人に会ったんだ」
ま、まさか。ラーラは、さっきアシュレイ様に遭遇したことを忘れている?そんな、30分も経ってないのに?私よりよっぽど重傷じゃないですか。記憶喪失ですか?……という冗談は置いておいて、これ、ラーラ、アシュレイ様に何かされましたね。
でも、深く追求するのは得策ではないように思えるのでやめておきましょう。アートとかに聞かれたら、遠い親戚に一か月以内に会ったことあるのか?って思われそうですけど。
「そういえばさっき、なんだっけ……森の主?みたいな人は1時頃に連れて行くって、兵の一人が言いに来てたわよ」
セドリックさんが思い出したようにそう言いました。席を外していた間に兵隊さんがここに来たようですね。
「そうですか……だったらまだしばらく時間がありますね。少し用事があるので出てきます」
「あらそう?戻ってきたら作りかけのドレスの試着、してよね!」
「はい!ありがとうございます」
機会があれば、とは言いましたが伝言を頼まれたのに言わずに終わるのもなんとなく気持ち悪いので。私は一度頼まれたことは終わらせるまでずっとモヤモヤしてしまうタイプの人間なのです。
見張りの兵隊さんはいるでしょうけど、少しくらい、ドア越しになら会話が出来るでしょう。出来なかったらできなかった、という言い訳が出来ますからね。誰に言い訳するのか知りませんけど。自分への言い訳かも。
宿の廊下を歩いていると、ふと自分がピンクのふりふりワンピースを着ていることを思い出しました。しばらくはなんとも思わなかったのですが、アートに遭遇したらどうしようと思うと急激に恥ずかしくなってきてしまい、部屋に戻って着替えてこようかなあと思案していると。
……廊下の窓から、アートとルドガーさんが歩いてくるのが見えました。
で、でもまあ茶色い地味な上着も着ていますし、ええ。全身ピンク色なわけでもないですし、派手なわけでもないですから。今までの小汚い格好よりは全然いいと思うんですよね。
それはさておき私はアートたちが宿に入るよりも早く、二階への階段を駆け上がりました。別に隠れたわけではないんですよ、ええ。
「おや、ロイス様!」
「お疲れ様です!何か御用でしょうか?」
見張りの兵隊さんは三人いました。ドアの両脇に一人ずつと、多分おしゃべりにでも来たのでしょう、もう一人は窓側のほうに立っています。私を見るとすぐにお辞儀をしてきたので、ああ、そんなことしなくていいのにと申し訳なくなります。まだ結婚したわけでもないんですし、貧乏な男爵令嬢ですからもっとフランクに接してくださって構わないんですよ。
「すみません、ドア越しでいいのでそこの部屋の男と少し話をさせてもらえないでしょうか?無理だったらいいんですが……」
「えっ?!構いませんよ!」
「どうぞこちらへ!」
なんという快諾。即座に私の希望は了承されてしまいました。
「危険かもしれないので私たちはすぐ近くに居させていただきますが、よろしいですか?」
「はい、もちろんです」
まあ見張りはあなたたちの仕事ですから取り上げるわけにもいきませんよね。ルドガーさん以外は私が自衛できるって知らないわけですし、一人にしろ、なんて言ったらものすごく不審がられることうけあいです。別にまあ後ろめたいことを言いに来たわけでもないですしね。
「あの、アドルファスさん……でしたか。聞こえていますか?」
「!……なぜ私の名を知っている」
私の声に、すぐに森の主……及び、アシュレイ様曰く“アドルファス”という名前の男は返事を返してきました。自分の名前を聞いて心底驚いたように、部屋の中からも立ち上がったようなガタッという音が聞こえましたし。なんでしょうね、隠してたんでしょうか。名前を知られてはならない理由があるとか?
「あなたには分かると思いますが、あなたを殺し損ねた人から伝言を頼まれまして。えっと……もう同じことを繰り返さないように、だそうです。次にやったら殺すと」
ここは少しマイルドに伝えておきましょう。原文のままだとなんだかまずいですからね。まあ、意味は同じですから問題ないですよね。
「言われずとも、もう同じことが出来るような力は残っていない」
「そうなんですか?でもまあ、また森に行って同じことをするかもしれませんし。あの人としてもそういう意味での言葉なんじゃないでしょうか」
兵隊さんたちは、私とアドルファスの会話を不思議そうな顔で聞いていました。まあ意味はよく分かっていないでしょうね。まさか送った文書にも“森に住んでた超能力者の男が森を変形させて山賊を守っていた”なんて書いちゃあいないでしょうし。そんなこと書いたら頭が変になったと思われることはまず間違いないです。アートのご家族ならあっさり信じるのかもしれませんけど。
「では、まあ用事はそれだけですので失礼します」
「待て。お前は……ロイスと言ったか?」
「はあ、そうですが」
森に居たときにアートが呼んでたのを聞いて覚えてたんですかね、物覚えの良い人です。いや、人ではないのかもしれませんが。なんでしょうね、また伝言とか言われてもアシュレイ様はデートに行ってしまいましたよ。
「お前は1人で生きようとすれば生きられるだろう。力をうまく使えば金にも困らず、好きなだけ自由に生きられるはずだ。それを、なぜあの男と共にあることを選ぶ?」
「……」
ああ、もしかして森に居た時の一部始終は把握されてるんでしょうか?だとしたら、手錠壊したこととか足に絡まった太い蔦を足で引きちぎりながら歩いてたこともバレてるんでしょうね。
まあ、私だって1人で暮らしていけるアテが全くなければ家出しようとは思わなかったでしょうし。いざとなれば力仕事とかで働いていこうと思ってましたよ。アートにこの宿は治安が悪いと前に言われた時も物知りだなあと感心はしましたけど、別に1人でいても殺されはしなかったでしょうよ。
でも、こんなところでそんなこと言ったら、この兵の人たちに力ってなんだ?と不審に思われるじゃないですか!
「貴様、ロイス様に生意気な口をきくな!」
アドルファスの言葉に、兵の1人が壁を叩いて威圧しました。そんな、よく分からんことで怒らなくても。でも、やっぱり上司の前では上司の恋人を極端に立てておかなきゃいけないんでしょうね、大変なお仕事です。そんなことしなくてもアートにあなたたちの悪口なんて言いませんよ。
私はアドルファスへの返答に少し困りましたが、とりあえず具体的なことは伏せて、フワフワとそれっぽい抽象的な発言をすることにより、この空気をうやむやにすることにしました。
「この世に本当の意味で自由な人間などいません。結局は目の前に提示されている何本かの道を選び、進んで行くだけです。」
「……どういう意味だ」
うーん、アドルファスのほうも少し動揺した声色で私の話を聞いていますから、それっぽいことを言わなければ……私は頭をフル回転させながら、思いついたそれっぽいことを述べ続けます。
「とりあえず、今この国での話ですが……貧乏な平民に生まれれば、学校で医学が学べないから医者になれません。王族に生まれれば国や政治の仕事以外には就けません。公爵家の一人息子が万が一、本気で小料理屋なんかをはじめたいと思っても、叶うはずもありません」
「だから自由な旅をやめて、無難に生活に困らなそうな公爵夫人になることを選ぶと?お前には主体性というものがないのか」
なんだこいつ?!ムカつくなあ、足の骨折ってやろうかと思いながら、それでも私は冷静を装ってしゃべり続けました。うーん、主体性がないと言われるとその通りな気もするんですよね。結局はアートに言われるままに行動することが多いというか。
「いいえ。アートは人を幸せにしたいと思い、実際にそう行動できる立場にいるという稀有な存在です。
私は、幸せとは〝選ぶことが出来ること〟目の前の道を、心から望んで歩いて行けることだと思っています。多くの人が真に望む道を歩けるようにと導く、優しいあの人のそばでその行いを見届けたい。
私はアートのように、人のために生きることは出来ないでしょうが……アートのために生きることはできるでしょう。愛していますから。
志を尊敬できるからこそ、共にありたいと願うのです。……あなたには分からないかもしれませんが」
うーん、即興にしてはそれっぽいことを言えたんじゃないでしょうか。実際、これは嘘ではありませんしね。本心を真面目なかんじに脚色して言っただけのことです。まあ、そんな面倒くさいことをいつも考えているわけではありませんが。
アートのことが好きだから一緒にいたい、ただそれだけでも別にいいんじゃないでしょうか。恋する乙女はね。
「……だが、望みがなんの問題もなく叶うことなど、この世にはそう多くない。他人が何を考えているのか、完全に理解することなど出来ないのだから」
「そうですか、それは説教ですか?」
「説教か……そうだな。失敗者としての助言だ。相手を信用しすぎるな。お前の力は無駄になるかもしれないぞ」
「私はあなたほど弱くありませんから、大丈夫ですよ」
「……」
あ、黙った。いえいえ、深い意味はないんですよ。まあ、少なくとも今のこの人より私の方が強いのは明確ですが。
ここでいう弱さとは物理的なアレではなくて、多くの他人を守るために悪事を働くことはない、という意味です。アートはそんなこと言わないでしょうが、もしアートに悪いことをしてほしいと頼まれても私は断れますし。
私は大多数の他人のために悪事を犯してまで自分を犠牲に出来るほど、優しい人間ではないということです。
「……本当に優しい人間は悩み抜いて死ぬ。お前たちにそれは無さそうだな」
「ええ。ありませんよ」
「お前たちが強いのならば頼んでおこう。ハインは私の友が心から愛した街だった。これから国を動かすのなら、どうか。これ以上不幸の底に落ちないように……」
「それはアートが決めることです。ですが……」
私は、少し考えてから窓の外を見ました。ちょうど街に数人の森の民たちが連れてこられたようでした。
「一応伝えておきます。森の人々のような存在がこれ以上増えるのも、後味が悪いですから」
それが、今の私の心の全てでした。別に森の人々に同情はしていないし、アドルファスにも同情はしていません。そもそも、この人がどうしてあんなことをしていたのかも知りませんし。
でも、ハインの街で見た飢えた子どもを思い出すと、今、彼も森にいればほかに移って普通に生活出来たんじゃないかと思うのです。不運にも森に入ることを選択しなかった貧しい人々は、これからも街で物乞いをし続けるのですから。
だから、ハインという街が変わるべきだということはまず間違いないのです。不幸な人間の溜まり場みたいなところですからね。
「それでは今度こそ失礼します。もう会うこともないでしょうが……」
「……」
「私はあなたのことを、殺されるほど悪い人間とは思っていません。自分をかえりみて、どこかで生きてください。すべきことをして」
「……お前は、私の父親に似ている。ああ、いいとも。反省するさ、いくらでも……時間はあるからな。
最後に名乗っておこう。私の名前はアドルファス=ノートン。私以外はベルラに移住したようだから、私の家族の子孫に会うこともあるだろう」
「それも一応、覚えておきます」
私は、兵隊さんたちの表情も見ずに後ろを向き、階段を降りていきました。もう話すことはありませんでした。彼の父がどんな人間だろうと、もうとっくに死んでいるのでしょうし、そもそも誰に似ていても関係ありませんから。
でも。
名前くらいは覚えておこうと思いました。彼は仮面を被っていたから顔なんて分かりませんし、私の呪いが解けようと解けまいと、顔を忘れることもないでしょう。
顔……つまりは〝自分という個〟を捨てて、手段を問わずに他人を守る姿勢。それだけは、私の心に多少の変化をもたらした気がするので。
そして、また伝言を預かってしまったなあ、と私は呑気に思うのでした。




