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我が愛すべき公爵様は照れ隠しに走り去った後はすぐ、森に食料を届けに行ってしまいました。1人で行くと言って、お供も連れずにです。なんといってもルドガーさんは見張りがありますからね。アートを守れる人間なんてそもそもいないんですが。アートは馬車の運転が荒いので心配だったんですが、見送っている分にはそこまで荒くないので、あの時は急ぎすぎていたのかな?
そして、アートの乗った馬車は一時間もすれば戻ってきました。まあ、そんなに距離もありませんからね。
「アート、もう森から戻って来たんですね」
「ああ。一人一人に配るのも変だし、荷物だけ全部置いてきたんだ」
と、言いながらもチラチラと向こうを見て、なんとなく私の顔を直視しにくそうにしています。心なしか顔もまだ赤いように見えますし。照れ屋さんですね、もう。本当にまともに結婚生活を送れるんでしょうか?普通そんなに照れませんからね、22歳の公爵様が。
「喜んでましたか?」
「ああ。なんか、跪いてまで感謝されてしまったな。3日間はこれで十分足りるとか言って」
「馬車に乗りきるくらいの量で200人以上が3日も暮らせるんですか?!まあ、それだけ困窮してたんでしょうけど……」
想像できません。ほんと、どうやって暮らしてきたんだか。山菜が毎日無尽蔵に生えてきてたんでしょうか?でも確かに、森の神の力で植物の蔦とかは伸ばしてましたしね。生やせてたんでしょうねえ。草とか植物だけ食べて生きていくのはつらそうに思えますけど。
「まあなんにせよ、この街で食料を大量買いして店に喜ばれ、配って森の民に喜ばれ……良いことしてるみたいな錯覚に陥るな」
「いや、良いことしてますよ。間違いないです」
結果的には森の人たちにとってもいいことな気がしますしね。大体、アートはこんなことする必要、本来はないわけですから。荷物だけ取り返して立ち去るのもアリだったわけですからね。親切心からの慈善事業でしかないのです。
「じゃあ、見張りを交代してくる。昨日はずっとルドガーに任せてしまってな」
そう言って、アートはすぐにルドガーさんと見張りを交代しに行くことになりました。
「私もついていっていいですか?昼まで。昼からはラーラと服を買いに行こうと言ってるんです」
「それはいいな。じゃあ、時間をつぶしていくといい。何か面白い話でも披露しよう」
そんなわけで、私は少しいつもの調子を取り戻したアートに、また「よくわからないけど興味深い話」を色々と聞きながら、一緒に見張り部屋の前で立っていました。
数十分が経ち9時くらいになると、なんと、早くもエインズワース家から連絡がいったらしく数人の兵士がやってきました。使いの書状を出したのは昨日なのにです。でも、国の中で一二を争う大きい公爵家ですからね。居場所がわかれば早急にみんな飛んでくるのでしょうね。軍隊の支部が、各地にいくつかあったりするのでしょうか。
バタバタと階段を上がってくる音がして、兵士の中の1人、茶髪の背の低い男の人が鎧をガチャガチャ言わせながらアートの元に駆け寄ってきます。あとから数人の兵が続いて上がってきました。
「アーチボルト様ぁ、黙っていなくなるなんて酷いですよ!俺たちどんだけ急いできたと思ってるんですか!」
「情けない声を出すな」
昨日、キスされただけで情けない声出しながら逃げだした人の発言とは思えません。アートは仕事相手とか部下の前だと途端に冷静でキリッとした顔になりますね。ギャップのある男はいいですね、モテますよ。かっこいいです。
「今はイズミ様が家の仕事を取り仕切ってくださっています。しばらくはこのままでも構わないとの事ですが、冬の王都での国王生誕祭には一度顔を出せとのことです」
ああ、多分アートのお父さんですね。イズミさんというんですか。聞いたことのない変わった名前です。アートのご家族はみんなきっと物知りなんでしょうし、異国の名前なのかもしれません。
「ああ。父にはあらかじめ書状を出していたからな。それに用事が終わればもう屋敷には戻る。今月中には終わる予定だ」
「それはなによりです!ただ……奥様が大変お怒りでして……」
「母様が?な、なんでだ」
奥様って、アートのお母さんですよね。アーサーさんでしたっけ?って、そりゃセドリックさんが呼んでたあだ名か。
「イズミ様から奥様に〝ベルラの劇場の改修予定が早まったから、式典について来て欲しい〟と嘘をついて連れて帰られたそうで、奥様は〝くだらない嘘をつくな、こんなことなら自分だけでも仕事場に残ればよかった〟と……」
「なっ……ま、またそんなことを……」
アートが青くなってしまいました。無表情のままですが顔色が悪くなったのは見てすぐわかります。お母さまが怖いんですかね?母は強しって言いますし、人と関わるお仕事をなさってる方らしいですし。やっぱり仕事とかするのなら、気が弱くっちゃやってらんないですもんね。知りませんけど。
「あと、ルドガーから話は聞いているか?」
「はい!書状も確認させていただきましたし。見張りは我々が致しますね!」
「では頼んだ。ロイス、行こう」
「は、はい!」
たしか、森の住人を何人ずつかに分けて、各地に移住者として受け入れてもらう手続きをするんでしたね。私はどこにどんな街がどれだけの数あるのかさえ分かっていないので、ぜーんぶアート任せですとも。
「奥様もお気をつけていってらっしゃいませ!」
「アーチボルト様をよろしくお願いします!!」
「ぉおっ……まだ奥様じゃありませんが、し、失礼しますね。これからよろしくお願いします」
元気な挨拶です。アートは死んだ目で何も言い返しませんが、「余計なことを言うんじゃないぞ」って思っているのは、体からにじみ出る邪悪な空気から見てとれてしまうんですよね。なんとも能天気と言うか、アートと違って元気で陽気な兵隊さん達です。
「いえいえ!アーチボルト様が選んだお方ですから!」
そして恒例の、アートの「女を見る目」への謎の信頼。ルドガーさんもそんな感じでしたもんね。エインズワース家の人間が選んだ結婚相手は絶対まともだとかって。
アートと一緒に階段を降りながら、私は質問をします。さっき兵隊さんが言っていた事柄についてです。
「なんでアートのお父様は嘘をついたんでしょう?お母様も公爵家の仕事を?」
「いや……母は建築設計専門なのでそういう仕事はしないんだが、その、父さんは極端に母さんから離れたがらないんだ。一緒に居たいから意地でも同行させたかったんだろう」
「わがままか!!」
「そうだな。でも私は父に似ているとよく言われる。」
「そ、そうなんですね……」
アートがわがままだとは思ってませんけど、なんとなく納得です。きっと、奥様のことをものすごく好きなんでしょうね。私は仕事とか無いので、アートが嘘をついてなくてもはいはい、とついて行きますけど。
「ロイス、確か服を買いに行くんだろう?面倒な手続きとか諸々(もろもろ)は私がやっておくから、行ってくるといい。多分よく分からなくてつまらないと思うし……地理などについては、今度私が詳しく授業をしよう」
「そうですか?それは楽しみですね。お言葉に甘えて行ってきます」
こうして、私とアートはまた別行動することになったのです。
宿の部屋に戻るとセドリックさんはスッキリ目覚めていて、椅子に向かって何やら縫物をしていました。綺麗な布です。ドレスでも作っているのでしょうか?こういう作業って、ずっと見ていても飽きませんよね。どんどん縫いあがっていく様子は、まるで魔法みたいです。
一方のラーラはさっき起きました、というような寝ぼけ眼で自分の髪を梳かしています。手でです。なんという大胆な髪のセット方法でしょう。野性的というか。私ですら家にあったボロい櫛で毎日梳かしてましたし、旅に出てからこっそり新しいのを買って使ってるんですよ?せっかく綺麗な色の髪なんだから手入れしましょうよ。
「おはようございます、セディ、ラーラ」
「おはよ~」
「おはようロイスちゃん。アーチと話してきたの?」
「はい!相変わらずシャイでしたが、もう平気そうでした。使いが届いて兵も何人か到着しまして」
「まあ早いわね!まあでも、今は伝書鳩も導入されてるようだし、そのおかげかもね」
「伝書鳩ですか?鳥に手紙なんかつけて、落としちゃわないのかな……」
話には聞いたことがあります。鳩の脚に、巻いた手紙を括りつけて飛ばすんですよね。
「まあ、内緒にしなきゃいけない内容ならそうでしょうけどね。今は急いでるだけで隠すようなことでもないし。」
まあそうですよね。悪いことしてるわけでもないんですし。しいて言えば公爵様がこんなところに居ることがおかしいという点はありますけど。まあでも、国の中で起きた問題の整理をするんですしね。ハインの無責任領主も何らかの国からの制裁を受けることになるでしょう。同じことが起こらないよう、そういった対応を期待したいところです。
「人間に届けさせる文書とは別に、文書の写しを何羽かの鳩に結んで飛ばすのよ。5羽飛ばして3羽着けば上等ね。届かなくっても何日かすれば郵便で届くし。でも、こんなに早く来れるってことは伝書鳩がうまく届いたんでしょうねえ。どんなに馬をとばしても王都から半日近くはかかるもの」
「王都からですか?兵隊さんたちは王都から来たんでしょうか?」
「そりゃそうよ。兵なんかが家にうじゃうじゃいたら邪魔でしょ?王都に軍の本部があって、各家専属の部隊もあったりするのよ。鳩がベルラのエインズワース邸に手紙届けて、エインズワース邸からの手紙を軍の本部にまた届けて。」
「は、鳩って大変ですねえ」
鳩任せすぎません?私よりずっと社会に貢献してますよ、鳥たち。でもまあ、やたらと早かったのはそのせいだったんですか。なんだか未知の世界だなあ。アートの家には犬とか狐がいるっていってましたけど、鳩小屋とかもあるんでしょうか。
「まあその分、餌だけは保証されてるってわけよね。貴族んちは何十羽も飼ってたりするわよ。基本減るからね」
「勉強になります」
「ねーロイス、服買いにいこ!目、覚めたからさ!ぱっちり!」
「お、おわっ!行きましょうか。ラーラ、外寒いので上着を着たほうが良いですよ」
「そお?じゃ、着てこ!ちょっと待ってて!」
少し時間が早いですが、私はラーラと服屋さんに行くことになったのでした。服屋に来て入る服がないというのは悩みどころですが、パッと決めて買って出ちゃえば、もう次の機会には恥をかかずに済みますからね。この街に住むわけじゃないので多少恥をかいても平気ですし。
服屋さんに入ったラーラは、今まで以上にそれはもうハイテンションでした。好きなものの話をしている人って、なんか目が輝いていて好きです。確か望遠鏡の説明してた時のアートも、それはもう楽しそうでしたもん。自分にそういう夢中になれるものがないぶん、憧れちゃうんですよね。
「今の流行りはこれ!薄いピンクが人気なんだよね~。でも、いっぱいいると誰が誰だか分かんないっていうか、無個性っていうか。やっぱりガッツリ濃い色が良いな!赤とかさ!もしくは真っ黒か真っ白!」
「うーん、私は髪が黒いのでせめて服くらい黒じゃないのがいいですね」
「今着てるの黒いじゃん!」
「選べなかったんですって。バラバラの色だとつぎはぎがバレやすいので、染料を手に入れた時にまとめて真っ黒に染めたんです。でも、いろんな色があってかわいいな……」
なんだかみじめな記憶を思い出してしまいましたが、嫌な目に遭った分、これからは楽しいことばかりですよね。と、思って忘れることにしましょう。
「黒い髪って、こうしてみるとすっごくいいな。大体何色でも似合うじゃない?白もいいな~!」
「そうそう赤も良いわね~!こっちの青いドレスもいいかも!でも旅ならこっちの薄緑のワンピースもいいかも!!」
「そうね……って誰?!ロイスの知り合い?!」
突如として割り込んできた声に驚いて私が振り返ると。そこには当たり前のように居ましたとも、その人が。
「うわっ!!ア、アシュレイさっ、もごご!!」
私が言いかける前に、アシュレイ様は私の肩をガッと掴み素早く手で私の口を塞いできました。名前言えそうでしたし、前に言っていたお口にチャックとかいうのが適応されてないんですけど、本人がいたら喋れちゃうとか、そういうのがあるんでしょうか?
そんなことよりも驚くべきは、私が抵抗できないほどの脅威の腕力でした。この私が!家を持ち上げられるレベルのこの怪力の私が手を振りほどけないほどの!この人、人間じゃないんだろうなあ。間違いないです。モンスターですよモンスター。
「そ~なの私、ロイスの遠い親戚なのよ!よろしくねラーラ!」
「そうなんだ!確かに髪黒いもんね~!名前はなんていうの?何歳?」
「あー名前?マイリっていうの!20歳!」
「大人じゃーん!」
息をするように大嘘をつかないでください。偽名に嘘の年齢。あなた、200歳の間違いなんじゃ?
というか、ラーラ!女の子の格好してて女の子にしか見えなくっても、明らかに顔がアートにそっくりじゃないですか!わかるでしょ!親戚どころかアートの直系の先祖ですって!
「こ、こんなところでなにしてるんですか」
ようやく解放された私が呆然としながらたずねると、黒髪ロングでカワイイフリフリレースの服を着たアシュレイ様がにっこり微笑みました。
「旦那とのデートまでの空き時間に、ロイスにちょっかいかけにきたんだ~!」
「……」
私は呆れて口をぱくぱくさせるばかりです。
こうして約一時間の間、私はラーラと、ついでにアシュレイ様と一緒に服屋でドレスを物色することとなったのでした。




