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戦場では常に冷静沈着、一見冷たいが面倒見が良く部下にも親切で、教養もあり、周囲からの人望は厚い。
それが私の知る上司であり主人、アーチボルト=エインズワース公爵である。だが、この旅に来てからはその性格を計りかねる部分も多い。やはりプライベートと仕事では違って当然なのだろうが、アーチボルト様がこう慌てたり怒ったりしているのを見たことがなかったので、新鮮だ。
朝、私が寝ぼけ眼をこすりながら森の主の部屋の見張りをしているとアーチボルト様が汗だくで走ってきた。どうやらロイスさまと何かあったようだな、と私は身構える。
「話があるんだが」
アーチボルト様は私に、いかにも深刻な話があるってかんじの顔で話しかけてきた。心なしか顔が青い気がするし、走りすぎたのか、酷く息切れをしている。
「ルドガー。お前はお前の配偶者にプロポーズする際、どのような場所でどのようなことを言った?」
突然だった。真面目な顔で何を言い出すのやらと私は面食らってしまい、聞き返す。
「な、なんですか急に」
アーチボルト様が部下のそんなプライベートに踏み込んでくるのは初めてだったので、なんとなく気恥ずかしくて私は苦笑いで誤魔化そうとする。
これはまあ、既婚者子持ちである私への、ただの相談なのだろうが。こんなに女にモテる美形の公爵様にそんな伺いを立てられると、なんとなく馬鹿馬鹿しいというか、居心地が悪いというものだ。私が既婚者でなければ煽りと受け取られてもおかしくないレベルである。
「もったいぶるな。私たちの仲だろう、包み隠さず話せ」
「どんな仲ですか!」
軍にいた時はかなり厳しかったし、アーチボルト様はいつも仕事ばかりなので、私ともそんなに砕けた間柄でもないのだ。それでも私はアーチボルト様を尊敬しているし、主人として誇りに思っているので薄っぺらな関係というわけでもなく……
「上司と部下だ」
当然の回答が返ってきたので私は少し呆れ顔になる。
「そういうのをパワハラって言うんだって、昔よく言ってませんでした?」
パワーハラスメント、略してパワハラ。アーチボルト様が使えない上官の悪口を言う時によく使っていた言葉である。異国の言葉らしいが、自分にしか理解できない独特な言葉で悪口を言う様はなんだか奇妙だ。誰のことも傷つけないという点では、良心的なものなのかもしれないが。意味は、権力を持つものが断れない下の者に嫌なことを強要すること……だったか?
「私の質問は嫌がらせではないし、別に減るものでもないだろう」
私の言葉に、心外だ、というようにアーチボルト様は少しムスッとする。減るもんじゃないですけど、減るんですよ!色んな精神力的なものが!
「恥ずかしいじゃないですか、そういうの。私はアーチボルト様みたいにキザな口説き方は出来ませんから、なんというか流れですかね……」
いや、アーチボルト様がキザな口説き方してるのかどうかなんて私は知らないのだが。顔がキザそうなだけで、別にキザではないのかもしれないし。基本は無表情で無愛想だが、ロイス様といると優しげな顔をしているので、好きな女性には明るくてキザなキャラクターで売っているのか?と思ったのだ。明るくもないが。元が真面目でお堅い人は、結局明るく振舞ってもどこかで真面目な雰囲気がにじみ出てしまうものなのである。
「流れ?流れとはなんだ?」
流れとかフワフワしたことを言って、この理屈っぽい真面目な人が納得するわけはないのであった。詳しく聞かれずとも済むような、もっとマシな誤魔化し方は無かったものか?と自分でも思うが、ここまできたら仕方がない。
「私と妻は、幼馴染でしたから……親同士も小さい頃からいずれ結婚するだろうと思ってたくらいですし、互いにそうなるものとして育ってきたというか」
幼馴染、お互いに好きあって、なんの争いも事件もなく平和に結婚した。子供も今のところいい子に育っているし、夫婦仲も良好。こんなぶっ飛んだ理由で旅なんかしている公爵様からしたら、平凡すぎてつまらないくらいなんじゃなかろうか。エインズワース家の歴代の花嫁はかなり個性的で、結婚も一大事件になるのが慣例だと言うし。……いや、慣例と言うのか?それは。
でも、今まで偶然会ったことのある先代の奥様は、本当に落ち着いた立派な人だったので、見る目はきっとあるのだと思う。まあ、ロイス様も普通の人間ではないし、妙な部分で肝が据わっているし。
「幼馴染か……それは……ついてるな。」
どんな感想だ。
「え?ハハ、ついてるっていうか、まあそうなんですかね?」
好きな女性であるロイス様に求婚を拒否されているアーチボルト様からすれば、まあ確かについてるヤツと思われても仕方ないのかもしれない。幼い頃から知り合いなら、ロイス様もあっさりアーチボルト様と結婚したかもしれないし。まあ、男爵家と公爵家では元々の身分が違いすぎるので、それでも特例なのだが。
「それでプロポーズは?」
そして、やはりアーチボルト様はグイグイ聞いてきた。
「ふ、普通ですよ……自然がいっぱいの景色の良いところに連れて行って、花と指輪渡して。幸せにするから結婚してくれって言って、妻から了承得て終わりですよ。」
「花を渡すのは結構キザな方なんじゃないのか?」
アーチボルト様にとってのキザであるという基準が分からなすぎる。
「まあ、一生に一度ですから花くらいは……」
「うーん……なるほど……」
ロイス様のほうも、よくこんな人にしつこく言い寄られて落ちないなあと思う。大抵の女性はアーチボルト様に求婚されたら即オッケーだろう。実際、公爵家や侯爵家、果ては異国の王女との縁談の話までもが山ほどあったようだし。顔・金・人望が揃った人間なので当然なのかもしれないが。
それらを全部蹴って「運命の相手だから」なんて理由で大して面識もない女性に猪突猛進できるのは、なんだか感覚が違いすぎて理解に苦しむ。そもそも、本当に見てすぐわかるような運命の相手、と出会える確率なんて如何程なものか。ロイス様と出会ったのも、王宮でのパーティかなにかで見かけただけらしいし。パッと見てすぐ分かる、というのはどんな感覚なのだろう?
「ラブレターという手もありますよ。あ、でも田舎の男爵家だと、学校とか行ってないか」
「ロイスは文字は読めるようだが」
「ならいいんじゃないですか、ラブレター」
いや、知りませんけど。妻にラブレターを書いたことがあるわけでもないのに余計な入れ知恵をしてしまった気もする。が、うまい提案が思い浮かばないので勘弁してもらいたい。結局、私のしたプロポーズの方法も暴露してしまったし。
あと、文字が読めるのなら、文字が綺麗だというのは結構好印象なんじゃないだろうか?手紙なら形に残るし、アーチボルト様の言うところの「ロマンチック」なものにカウントできる気がする。
「き……キスはしたか?」
「そりゃ夫婦ですから……」
モテモテ公爵様の言葉とは思えない言葉の連続である。既婚者に対してキスはしたか?って!
「どの程度の仲で手をつないで、どの程度の仲でキスした?結婚を了承されている場合は?」
……え?もしかして結婚の了解もらえたんですか?というか知りませんよ。そんな感覚は個人差があるでしょう!……とは言えないので、私は困り果てながらも苦笑いで返す。
「まあ、それも空気感でいいかなーってタイミングで。拒否されなければなんでも大概大丈夫でしょう、婚約してるなら」
「……」
腑に落ちない顔をされても、だって本当にそうなのだから仕方がない。いちいち相手にキスしていいかだの手を繋いでいいかだの伺いを立てるのもなんだか妙だし。いや、それが普通なのか?結婚して年数が経ち過ぎて、恋人の前段階の時のことなど記憶に薄いのだ。
「お前は妻が他の男と話しててムカつくことはあったか?」
「あー、結婚前はちょっとあったかもですね。そういえばアーチボルト様、前はレオン王子にイライラしてましたね」
レオン王子は、よく寝てよく食べる人だ。多分今もまだ部屋で眠りかけているだろうが、なんとなく憎めない。詳しくは分からないのだが、はじめて会った時は完全な馬だった。呪いで馬にされていたらしいが。
彼の呪いの解体作業には私も参加させられた。「全裸だったから」とかいう謎の理由で。しかしなかなか明るくて話しやすい人物なので、このごろは私とも親しくしている。セドリック卿に一目ぼれとは、かなり変わった人のようだが。
「そうだと思う。ロイスとあいつが親しげに話してるのを見るとぶち殺したくなった」
「怖っ!ロイス様には絶対言わないでくださいよ!?」
「もう言ってしまった」
「ええ?!」
仲が悪かったとは思っていたが、まさか殺意を抱くレベルで嫉妬していたとは。表向きには分からない自分の主の心の闇を見てしまった気がする。そんなに嫌なら、ミサカツキでロイス様が別れると行った時に置いてくれば良かったのにとも思うのだが。
「だがヤツがなにか悪いことをしたわけではない。嫉妬して殺したくなるという私怨を彼にぶつけるわけにはいかない。」
「凶暴なのか理性的なのか分かりませんね、アーチボルト様は……」
普段は至極理性的な人なのだが。色恋沙汰で豹変する人間は、意外と一定数いるものなのだ。前にそんな人に会ったことがある気もするし。
「今、ロイスに結婚のオーケーをもらえたんだ」
「え?良かったじゃないですか!この旅ももう終わりに出来ますね!あ、でもえっと……ロイス様の呪いを解きに行くんでしたっけ?」
「ああ。」
「でも、じゃあなぜプロポーズを?オッケー貰えたならいいじゃないですか」
「ダメだ。こういうのはちゃんと指輪とか渡した上でロマンチックな感じでもう一度かっこよくプロポーズし直すべきなのだ」
「そうですか……」
ヘンな人だ。というか今まで何回もプロポーズしてたんじゃないのか?
真面目が高じるとこうなるものなのだろうか?形から入るタイプというか、一定のイメージに理想を抱きすぎるというか。でもまあ、女性はこういう方がいいのかも?私も妻に結婚記念日とか、ロマンチックなことをたまにはしてみてもいいかもしれない。恥ずかしいからしないが。
「あと、キスまでしてしまった」
「ああ、だから焦ってたんですね。昨日も見張り当番代わりに来ないし」
少し嫌味を言ってみる。おかげで寝不足なのだ。レオン王子が話に来てくれたりして、暇はけっこう潰せたのだが。
「あっ忘れていた……すまない、寝てくるか?だが森に物資を運ばなければならないから、私が戻るまでは待っていてくれ」
「いえ、いいんですよ。もうじき兵も到着するでしょうから、そしたらゆっくり寝させてもらいます」
「ああ。お前には苦労をかけるな」
本当にそうだ。でも分かってくれてるならいいのだ。女とキスしたくらいでこんなに精神がガタガタになるピュアすぎる人だが、戦場では誰より頼りになるし。
「いえいえ。あなたの無茶ぶりには軍で慣れっこですからね」
「そうか。だが無理はするなよ」
「はい。あなた次第ですが」
普通の上官よりずっと厳しいが、気遣いも人並み以上。だからこそ断れないし、期待に応えようと思えるのだ。時折ものすごく変な人だが、理想的な上司ではある。
仕方ないからあと数時間、頑張って部屋の見張りを続けようかなと私は意気込むのだった。
珍しくルドガー視点回でした。




