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やめましょうよ、だって?
まさかロイスが殺すな、なんて言ってくるとはまったく思っていなかった。青天の霹靂である。
この男は〝悪人〟だ。それは間違いない。
もしかしたらこの男のせいで山賊に襲われて無一文になって、道に迷って行き倒れてしまった人がいるかもしれない。大切なものを運んでいる途中の人がいたかもしれない。貧しくて死んでしまう人だっていたかもしれない。
それを見逃してきた山賊たちも、この男と同様に悪い奴らだと私は思う。
「こ、こんな小さい子ども、よく分かってないんですよ、事情とか……殺す必要ないんじゃないですか?こんな、戦ってたら分かりますよね?この人が弱いって……」
「私や戦えるものにとっては弱くとも、普通の人間にとっては脅威になり得る。能力を使えば人殺しだって容易にできるだろう」
だから殺しておいた方がいいに決まっているのだ。今だって、いつでもこの男は植物で襲わせてロイスやルドガーたちを絞め殺すことが出来るだろう。やろうと思えば。能力は、武器や兵器と同じで持つ者が違えばとんでもない凶器になり得る。
「死人は出てないんでしょう?行方不明の人も……盗みはすごく悪いことですけど、やっぱり、殺すまでしなくても……」
「ロイス。頼むからどいてくれ。すぐに終わる」
死人が出たと聞いたことはないが、そんなこと分からない。これから出るかもしれないし、もう出ているかもしれないし。危険なものは先回りで潰しておいた方がいいに決まっているのだ。
「アート、お願いですから、これ以上あなたのことを嫌いにさせないでください」
「っき……嫌いに……なる気か……?!君が私を……?!」
というか〝これ以上〟ってどういう意味だ?まさか、既に多少は嫌いになってしまったのか?一番好きだって言ってくれていたのに、こんなことで?!
一般人であるロイスが人を殺すことに抵抗を覚えるのは分かる。だが、私は〝戦争〟という状況において〝敵兵〟という相手国に命令されて戦っていた〝悪人ではない人間〟を幾人も殺してきた。今更、悪人を殺すことなんかに躊躇いはないのだ。戦争以外で殺したことないけど。
「あなたはとても優しくて、国のことを考える立派な人です。努力家で真面目な人だと思っていたのに……今のあなたは、一番楽な方法で物事を解決しようとしています!」
「!?楽な方法……?!」
どういう意味か分からなかった。楽な方法?なぜこの男を今殺すことが、私が楽をすることになるのか?
というか、そんなに私を優しくて立派で努力家で真面目と思っていてくれたなんて……嬉しい。ロイスは好きだとかはたまに言ってくれるが、具体的にどう思っているかはあまり言ってくれないのだ。いや、そんなこと考えてる場合ではないのだが。
「そうです。この神の人を殺さずに説き伏せ、この森の数百人の人々全員の次の生活の場を与えて、あるべき罪の償いをさせるのは……それはそれは大変なことでしょう。
でも、苦労してでもそれをするのが!全てを救おうとするのが!本当にあるべき立派な領主というものではないのですか?!あなたにはその力があるのだから!アート!あなたになら出来るはずです!」
神の人ってなんだ。
でも、確かに出来ないことはない。国に提案して他に公共事業を立ち上げてそこで働かせるとか、他にできることはあるのだろう。でもそれは、この男を殺してからでもいいんじゃないだろうか?この男を説き伏せなくても殺せば森は元に戻るだろうし、それから考えればいいと思う。
「でも、私は別に正義の味方とかではないし……」
「この人は子供たちにこんなに慕われているんですよ?大人だってこの人を慕っているか、慕うように洗脳するなりされているはずです!そんな中でこの人を殺せば信者たちの反感を買ってしまい、また多くの血が流れるかもしれません!この人を説得して、住人たちが大人しく森から出て行けるようにする手続きを踏むべきです!」
うーん、確かに……肥大化した無知な人間たちの集団は大概に気が大きくなっているものだから、なにをしでかすかわからない。大人数いるから一斉に森から飛び出して犯罪をしまくる恐れもなくはないし。
それにしても、ロイスがこんなに必死に食い下がってくるのは初めてではないだろうか。初対面時からロイスは家出にしつこくついてくる私に、ついてくるなとさえ言ったことが無かった。多少迷惑そうにはしても言葉で本気では相手を否定したり拒絶できない人間なのだと思っていた。
「ロイス……」
話したくないことは、いつも愛想笑いでごまかすくせに。私が家族を殺そうか?と聞いた時にも怖いとは言ったが茶化すような感じで、本気でなにかを嫌だと訴えてきたことはなかった。
不安そうであれば、寄り添えるだけ寄り添おうとしてきたつもりだった。ロイスのことが好きだからだ。毎日何時間でも語り合いたいし、綺麗な景色でも見ながら食事がしたかった。
こんな状況になんかなりたくなかった。私は誰かを殺すのは平気だし後悔もしないが、快楽殺人者ではない。ムカつく人間だからって理由で人を殺したこともない。
嫌いな人間を殺したらスッキリするんじゃないか、と思ったからロイスの親についてもそう言ったが、それはロイスの今までの人生の全てにかけて長い間酷い目にあわせたからで、そうでなければ殺そうか、なんて言わなかった。
ロイスの家族の話を聞くまで、誰かを殺したいほど〝憎い〟なんて思ったことはなかったし。
なのにどうだ。こんな望まない状況下で、私が愛しているロイスは、悪人を守る子供を庇って私と向かい合っている。憎いから殺すのではない。悪いから殺そうとしているのに。
私はロイスのこの行動を裏切りだとは、もちろん思っていなかった。ロイスは私の敵になったわけではないし、本気で決別して相手の味方になったわけでもない。
でも、やはり彼らを庇う気持ちも分からない。子供が出てきてから急に飛び出てきたのを見ると子供を殺すのは残忍だと思ったのかもしれないが、私だって本当に子供を殺す気などなかった。
どかなければ殺さずとも蹴飛ばせばいいし。私だって子供が嫌いなわけではない。ただ、悪人を庇うような子供に興味がないだけで。しかし、ロイスは子供を蹴るなんてそれだけでも私を軽蔑して嫌いになるかもしれない。
考えれば私は戦争と家と貴族社会のこと以外はほとんど知らない。こんな場所でこんな目にあうのももちろんはじめてだ。子供を蹴飛ばすかも、なんて状況に陥ったことだってもちろんない。
「私は、こんな事は初めてなんだ。楽をすることだと君は言ったが、確かにそうなのかもしれない。他の選択肢を考えることを私は怠っていたのかもしれない。でも、かといって上手くいく他の明確な手段が思いつかない。ルドガーたちだって今どうしているかわからないし……」
とにかく今、この男を殺さないことをロイスは望んでいるのだということは分かった。だったら私はこの男を殺さずにいよう。ロイスが望むなら。でも、そのせいでロイスに何か危害が加えられたらどうすればいい?
「あなたは戦争以外で人を殺したことがないんでしょう?公爵だしいくら殺そうと揉み消せるのに、殺したことがないんですよね?今まで罪を犯さず生きてきたのに、殺人に罪悪感がないからなんていうフワッとした理由で1人目を殺してみていいんですか?損ですよ!逮捕はされなくても、後味悪いですよ!」
後味……後味なんて別に気にならないからこそ私は平気で殺せるわけだが、ロイスにずっと残忍な人間だという印象を残してしまうと思うと、これは人生において最も不利益なことなのかもしれない。でもそもそもコレは普通の人間ではない神もどきだし……多分年数が経ってるから戸籍もないだろうし……
「でも、死なないものは危険だ。寿命ある我々では責任が持てない」
「あなたは100年以上余裕で生きられるんですから大丈夫ですよ!!次の代の強い人に任せるか、どうしてもヤバい悪人だったら、私たちが責任持てなくなる前に殺せばいいんです!!」
うーん、面倒な気もするが一理ある。というか、結局殺すかもしれないのか。私たちって……別にそうなってもロイスに人殺しなんかさせる気はないのだが……手を汚させたくないし。
「喜べ、私の慈悲深い婚約者のおかげでお前の未来への選択肢が増えたぞ。
今お前が私に殺されて、残った森の人間たちが皆、罪人として逮捕されるか。
お前が私の指示に従い森の人間たちに盗みをやめさせ、お前は森から離れて私の監視下のもと生きるか。
……後者であればここに住む者たちの生活は保証しよう。森に囚われていたのだから仕方ない、ということにして罪も出来る限り減刑になるよう努めよう。前者であれば私たちはお前を殺してそのまま立ち去るが……お前をこれだけ慕っている人間達を、お前は見捨てられるのか?」
なんか、こっちが悪役みたいになってるがこいつが一方的に悪い。妥協できるのはここまでだ。ここまでだぞ、ロイス。お前がこれ以上文句言うなら、泣くからな!
「神様、僕たち、神様が死ぬよりはこの森から出て暮らすほうがいいよ」
「大丈夫?立てる?神様」
「……離せ。私を誰だと思っている。立てるに決まっている」
男が子供の群れから立ち上がると、ロイスが少し驚いた顔で横に避ける。多分この不気味な格好の神もどきが怖いのだ。怖いのならこんなことしなければいいのに、ロイスは一体なんのために?
私が殺人を犯すのが嫌だからか?目の前で殺されるのが嫌なのか?目を瞑っていれば、殺した後に見えないところに運んでも構わなかったのに。
「……条件を飲もう。私は森を守りたかったが、森自体ではなく、ここに住む人間たちを守りたかったのだから」
いや、それは知らんけども。血まみれで言われても命乞いにしか見えんけども。
まあ、こいつにとっても死ぬよりマシなんじゃないだろうか?負けたら潔く死ぬとか言ってた割にすぐ意見を翻してきたので驚いたが。
どうせこいつが100人襲いかかってきても、私に傷1つ負わせられないだろうし。そもそもこいつが森の人間たちを本当に大切に思っているのなら、あちらには人質が4人、こちらには数百人だ。なんにしろなんとでもなる。
「ルドガーさんたちはどこですか?」
「……」
ロイスの問いかけに、神もどきは私の後ろの方向を指差した。振り返ると、ルドガーが先頭でぞろぞろ歩いてくる。レオンは……気絶したまま、セドリックに背負われていた。好きな相手におんぶされる屈辱はいかなるものだろうか。黙っておいてやろう。
「大丈夫ですかルドガーさん」
「ええ。レオン王子はどうやら眠っているようです。頭にたんこぶはありましたが」
「そうですか……」
ロイスがほっとした顔をして、それから私の方を向いた。私は、次は何を言われるかとハラハラしていたがロイスはもうなにか意見しようとかいう態度ではなかった。なんというか、そう、顔面蒼白だったのだ。
「アート……」
なんだ?なんでそんな気まずそうな顔をする?そんな目で見ないでくれ。これ以上、何をどうすればいいというんだ?悪人相手に頑張って妥協したつもりなのだが。
「ごめんなさい、私なんかが出しゃばって」
「は?」
は?いや、別にいいんだが。うーん、やはりロイスのことを私は理解しきれていないのだろう。だからロイスから結婚を了承してもらえないのだ。
「ロイスは悪くない。そんな顔をしないでくれ」
話し合ってお互いの思っていることを理解しあわないことにはどうしようもない溝が、まだ、私たちにはあった。きっとそれは生まれて今まで生きてきた環境の違い、親や近しい人間の思想からの根本的な違い。
相手に無理に合わせる必要はないが、理解はしあわなければ我々は真に愛し合うことはできないのかもしれない。
「アート、ありがとう。あなたは正しいのに」
「こんなことに正しいも正しくないもない。君も正しいかもしれないし、私が正しいかもしれない。でも、君の考えを否定してまで殺さなければならない相手でもなかったってだけだ」
「はい」
「私たちはこれからの人生、話をしなければならない。きっとそこらへんの夫婦なんかよりたくさんだ。話し合える、というのは人間のいいところだ」
「そうですね。話をしましょう。私、話をしている時ばかりはあなたのことを好きにならずにいられないので……丸めこまれないか、心配ですが」
丸めこまれてくれ。でも、やはりロイスは私のことを考えてくれている。なにか、どういう観点なのかはわからないが。
「馬車はあちらに」
ルドガーがやってきた方の道を指差した。森はなんだか、さっきよりスカスカしていて見晴らしが良くなったように感じる。
「森の解体を見届ける。私とロイス以外は森から出たところで待っていてくれ」
「……はい。アーチボルト様」
「ロイス、気をつけてね!」
「ありがとうラーラ」
さて。言ったはいいが、これからどうしたものか。
話せば考える男アーチボルト




