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頭を掴まれたアートと一緒に上に引っ張り上げられると、森の木の上に出たはずなのに、気づけば祭壇のある小屋のすぐ近くに来ていました。ここ、景色が勝手に変わりすぎなのでは?上下とか位置関係とか丸無視ですか?
「ロイス、手を」
「あっはい!」
移動し終わると、アートは私の手を掴んで引っ張り上げました。それまではアートの服の裾を掴んで右手の腕力だけでぶら下がってたんですけどアートに不審に思われなかったか、それだけが心配です。それにしても人間が一人ぶら下がってもちぎれないなんて、頑丈な生地ですねえ!この服!
着地して下を見ると、何事も無かったぜってかんじに地面があります。私、地面から出てきたんでしょうか?土とかはついてないんですが。
その時、腕の主はとりあえずアートから手を離しました。
えらく長い腕だと思ったのですが、腕を引っ込めるとどんどん短くなって、普通の人間くらいの腕の長さになりました。神様って、体とか変形させられちゃうんですか?もはやそれは神様とも別物な気がするんですが。モンスターですよモンスター。
「さっきの小屋の前ですね」
「ああ。だが、行きたくともあれが目の前にいる」
祭壇の真ん前には得体の知れない〝それ〟が立っていて、私たちはそれと向かい合いました。それが居なければ祭壇に突っ込んでいって全てを破壊できたんですが、相手の強さが分からない以上、迂闊なことはできません。アートをここに引きずりこんだ腕の主は、苔の生えた古そうなお面を被っていました。見たところ、お面は木を削って作ったものでしょうか。
なんにしろ、ものすごく異質な感じで不気味です。服装は、高級そうな布地なのにやはり苔が生えたように汚れていて、全体的に緑っぽい色合いをしていました。アートが振り払ったそれの腕は石のように硬そうな灰色をしていて、やはり、そこにも苔のような植物がこびりついています。
人間というよりは、動く〝人間の形をした岩〟みたいなんです。一応はっきりと喋っているし意思疎通ができそうなので、仮面の下は普通の人間なのかもしれませんが。生き物と無生物の中間みたいな。とにかく、言い表せないような不気味さでした。得体の知れないものというのはなんだって恐ろしく感じるものですからね。
「アシュレイ=エインズワース!貴様が一度殺してくれたおかげで、私は本当に人間ではないものになれたぞ!後悔するがいい!まさか都合よく足手まといを大勢連れてやってくるとは思わなかったが……」
さっきからアシュレイ様がどうのと言ってますけど、どうやら人違いをしているみたいですね。似てますもんね、顔だけはね。というか、さっき殺されたって言ってましたけど生きてるじゃないですか?アシュレイ様、殺すならちゃんと殺しといてくださいよ。恨まれてやっかいなことになってるじゃないですか
「アシュレイ=エインズワースは私の先祖だ。だがもう死んでいる。私はアーチボルト=エインズワース。エインズワース家の現当主だ」
まあアシュレイ様、普通に生きてましたけどね。いやもしかして案外幽霊だったり?でも私思いっきり持ち上げて運ばれたりしましたし、実体ありましたよね。
「馬鹿を言うな!確かに髪は金色だが、そんなに全く同じ顔の人間がいるものか」
ところが居るんですよね、私見ましたもん。アシュレイ様の顔、どう見てもアートの色違いバージョンでしたもん。女の人でしたけど。そう考えたら、アートは女装しても綺麗に違いありません。そういうのどうですか?興味ありませんか?アート?
「家に肖像画があるが、エインズワース家の者は顔が皆よく似ているのだ。私の父も似たような顔だった」
似たような顔って、自分で言っちゃうんですか?ていうか、ほんと親の顔が見てみたくて仕方ありません。私とアートの子どもでもアートとそっくりの顔面になったりするんでしょうか?……って、私は一体何を考えてるんだか……
「というかアートは男の人ですし、性別から違うじゃないですか」
「……?アシュレイ=エインズワースは女なのか?」
そこはどうでもよくないですか?というか、アシュレイって女の名前じゃないですか。地方によってそういうの変わるんでしょうか?アシュレイって女の人の名前だと思うんですけどね。
私の名前のロイス、みたいに男でも女でもあり得る名前もありますけど。あ、でも確かにアシュレイ様の見た目は確かに男の子っぽいかも。ガッシリしてるし。
「そんなことはどうでもいい。なぜこんなことをする?森に人々を閉じ込め、盗みを働かせてどうする気だ。この森の中だけで王にでもなった気になっているのかもしれないが、見つけた以上放っておけない。私たちの仲間と荷物と馬を返して人々を解放しろ」
そ、そうでした。今は私たち以外の行方が分からないのです。一刻も早く無事を確認しないと。あと馬たちも心配ですね。
「貴様にはこの森のことは関係ないだろう」
「国の人民たちの生活をできうる限り保証するのが、我々国を動かすものとしての務めだ」
そうだ!この犯罪者!警察に捕まれ!私は心の中でヤジを飛ばして応援します。が、相手が逆上するといけないので、表向きは黙っておきましょう。それにしても国を動かすものとしての務めって、意識高くてかっこいいですね。やはりアートは人の上に立つべき立派な人です。
「……生活を保証か……昔は私もそう思っていたものだが。フン、アシュレイでないなら卑怯な手を使うまでもないわ。ここにお前の剣がある。私と剣で戦え。勝てば森を捨て、潔く死んでやろう。まともな領主であるお前へのせめてもの配慮だ」
と、そう言ってその……アドルファスと名乗った男はアートの方に剣を投げ転がしました。なんでしょうその、正々堂々勝負しようぜ、みたいな空気?そっちが勝手に危害を加えてきたんじゃないですか!というかアートに武器与えちゃっていいんですか?強いと思いますよ?
アートは少し首を傾げて不思議そうな顔をしてから無言で剣を拾い上げると、刃を服で少し拭いたようでした。
「剣の扱いが悪いな。傷が出来てるじゃないか。よく分からんが、私は負けんぞ」
「えっ戦うんですか?アート、大丈夫でしょうか?」
大丈夫そうだけど、一応相手は謎の能力を使える神様もどきですし、地の利があるのはあちらでしょうから、心配でもあります。話し合いで解決するならそのほうが良いとも思うんですが。
「大丈夫だ。神は首を切り落とせば死ぬと聞いている」
「へ〜首を……怖っ!殺すんですか?!」
私、今からアートが人間の首を切り落とす所を見せられるんですか?優しいアートの暗黒面に直面することで今後気まずくなりそうでちょっと嫌なんですけど、まあ、そうしないとここから出られないのであれば仕方ないですよね。アートの言う通り、ここで襲われて身ぐるみはがされた人たちのことを考えれば放っても置けませんし。あ、私一人だったら関係ないし放っておきますよ。関わりたくないし。
「ああ殺す。相手に妥協する意思が感じられないからな。私は勝つまでここで待っていてくれ。目を閉じるなり後ろを向くなりして」
「分かりました。」
「あっ……もう服から手を離していいぞ。ロイスは真面目だな」
アートが離していいって言うまで絶対離すなとか言ったんじゃないですか。でもまあ、私は真面目です。それは本当です。とにかく私は頑なに握りしめていたアートの服の裾から、ようやく手を離したのでした。ちょっと生地に伸びた跡があって申し訳ないです。
「じゃ、ちょっと殺してくる」
「はい」
剣を空中でビュッと振ったアートは、そのまま、まっすぐに男の方へ歩いて行きました。目を閉じようかとも思ったんですけど、また急に足場が無くなったり別の場所に移動させられたり蔦が絡まってくるかもしれません。ので、私は目を開けたままアートと敵の戦いを観戦することにしたのでした。
「奴には不意打ちでやられたから負けただけだ。お前のようなただの人間に負けるものか」
ガンッ!アートが切りかかったのを、男は剣でガードしました。酷い音です。きっとすごい力で切りつけたんでしょうね。この威力を受け止められるのは凄いかも。
「私は別にただの人間ではない。謎の部族の原住民みたいなお前に剣術の嗜みはあるのか?」
「……学校でやった」
「ほお~学校ときたか。成績は?」
「うるさいぞ!!!」
「普通の人間よりは戦えるようだが、所詮は少し能力を得ただけのただの人間だな。剣術大会五回連続2位の私の敵ではない!」
あっ多分、それも王子が1位なんでしょう?“忖度”ってやつですよね?八百長っていうか。
……はじめは互角の強さに見えました。二人はしばらく剣を交え、剣同士がぶつかり合う鈍く固い音が響くのを私はぼんやりと眺めます。個人的には、仮面を被って視界が悪い中でこれだけ戦えるのもすごいと思ってしまうんですが。
とうとうアートの一撃が、男の右腕を抉り切りました。
うわっ痛そう!私は思わず視線を別方向に向けてしまいます。地面を見ると、黒っぽい血が、線みたいに染みついていました。
血を見た途端、生き物なんだっていう実感が急に沸いてきました。すると妙に怖くなってしまって、私はその地面の血から目が離せなくなります。
力が強いのと、人を殺せる度胸があることは別のことです。私はやろうとすれば簡単に人の首を絞めて殺すことが出来るでしょうし、腕やら脚を引きちぎることだって容易でしょう。それこそデコピンで人間の首を吹き飛ばせる可能性すらあります。でも、自分と同じ生物である人間にそんな恐ろしいことを実行できるのはまた別の問題だと思うのです。倫理観ていうか、なんていうか。
ふと思い出します。私の家族は、祖父が戦争で多くの人を殺した残忍な男だと言っていました。家族は人殺しは悪いことだと言っていました。いいえ、きっと誰でもできれば殺さずに済む方法を選びたいに違いありません。人を殺すのは悪いことで、怖いことですから。
でもアートにはそれはないのです。思えば私の家族を殺そうか、とも言ってましたし。
アートが戦争で人をたくさん殺した、と言っていたのを聞いても怖いなあとしか思いませんでした。自分の目の前で殺さないなら別にいくら人を殺していても構わないかな、とも思っていたのです。
でも、きっと私はアートに人を殺してほしくないのでした。
私の目の前じゃなくても、アートが人殺しをなんとも思っていなかったとしても。だって国の人たちを大切に思っているアートが、だから今あの人を殺そうとしているアートが、非常に矛盾しているように思えるのです。あの人だってこの国に住む人間であれば、国民じゃないですか。
盗みはしてるけど殺人はしてないし。ラーラだって生きてるし。同じ犯罪を普通の人間がやっていても、罰則として極刑になることは無いはずなのです。強制労働には従事させられるでしょうが。そもそも戦争や正当防衛以外での殺人は、公爵だろうが王様だろうが犯罪であるはずなのに。
大勢を助けるためには犠牲が必要なのかもしれませんが、こんな、“悪いことをしているから殺す”なんていうのは、私には“楽をしようとしている”ようにしか見えません。あの男を殺したほうが楽に問題は解決するのかもしれませんが、他の方法を考えないのは堕落した考えに思えます。
大体、知り合いでもないし相手方の事情も知らないのに。まあ、向こうから戦おうと言ってきたんですが。
ああ、どんどん男は追いつめられ、アートの顔には返り血がへばりついて、服にも血が染みこんでいます。一度だってアートは攻撃を受けていません。かすり傷すら負っていません。その光景が、私には“弱い者いじめ”に見えて仕方なかったのです。
「アート……」
小さく声が漏れましたが、もちろんアートには聞こえません。アートは、男を追いつめて足で胴体を押し抑えたところでした。剣を男の首に向け、切断しようとする間際だったのです。
「これで終わりだ。本当に対策を講じたのか?不意打ちなんかじゃなくても、私の先祖ならお前を殺すことなど容易だっただろうな」
「く、そ……こんなところで……」
その時でした。
「やめて!!神様を殺さないでよ!!」
「?!なんだ、貴様!このガキ……」
「神様は僕たちのために森にかくまってくれてるんだ!僕たちは好きでここに住んでるんだ!!」
子どもが数人走ってきて、アートの脚にしがみついたのです。私はどうしていいか分かりませんでしたが、ふとアートが以前言っていたことを思いだします。
戦争以外での私怨での殺人はしたことがないと。
「そこをどけ。邪魔をするなら子供でも殺すぞ」
そう言ったアートの冷たい目を見た瞬間、私は男に覆い被さった子供の前に飛び出ました。
「や……やめましょうよ、アート。ハハ、こ、子どもじゃあないですか、こんなこと……」
「……ロイス?」
ああ、私は何をしているんでしょう。
ロイス貴様、裏切る気か?!




