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名乗ったその、少年とも少女ともつかない人物に、アドルファスは心底動揺した。
「アシュレイ……エインズワース?エインズワース……公爵家か?」
エインズワース公爵家は、国内でも一二を争う名家。マットロック家なんかよりずっと力のある家だ。しかも、エインズワース領のベルラからハインまでには、結構な距離がある。
「そう。有名な家でしょ?あんたとは違いますけど、私も神に近い存在なんです。歳とったらバレるから、ずっと前に夫婦共々失踪させてもらいましたが」
「なぜそんな家の者が、わざわざこんなハインの森に来たのだ」
神に近い存在、というのはすんなり納得できた。この生きた森の中に入って、普通の人間が祭壇まで無傷でたどり着けるわけがないからだ。
「えっとですねえ、さっき言いましたよね?あんたを殺しに来たんです。
きっかけとしては、友達の孫の、孫の、孫?……子孫がここで友達の形見の大切なもん盗まれたとかで、まあそれは買い戻したんですけど……盗むのって、悪いことじゃないですか。
その盗まれた子は女の子なんですけど、殴られもしたらしいし。無抵抗の罪のない人を殴るのも、悪いことですよね。あと、神の権能を犯罪に利用するのも悪いこと。悪いこと尽くめだから、サクッとあんたを殺して森を解体しようって思ったわけです。」
「殺す……私をか?」
「だからそうだって!ハハ、分かるでしょ!あんたが元凶ですし!」
アドルファスはふと、自分が死んだらこの森はどうなるのだろう、と思った。自分を慕ってくれる住人たちのことは好きだ。でも、元々なんの解決にもならないと分かっていながら、セシルとの交渉のためだけに作った集落でもある。目的が消え、手段だけが手元に残ってしまったのだ。
「神の殺し方って知ってます?実は、完全に首を断つくらいしないと死んでくれないんですよね。私も死にたくなったら他の神にでも頼んで首をバッサリやってもらうつもりなんですけどね……でも、あんた実は死にたいでしょ?」
「私が死にたいだと?」
「あんた、ちっとも幸せそうじゃないですもん。長く生きていればそりゃ、人並みに悲しい目にだってあうでしょうけどねえ。私はあんたより確実に歳上ですが、そんな悲壮感に満ちた目なんかしたことありませんよ。死にたくなるようなことがあったのでは?」
いつも通りに仮面をつけているのに、アドルファスには明確に「見られている」という実感があった。黒い目、黒い髪。得体の知れない非人間。傲慢な態度、自分とは正反対のタイプ。
「なぜ自分が正しいと確実に思い込める?盗みは犯罪だが、ここの人々が暮らすにはそうするしかなかった。必要悪だ」
「何言ってんだか。寂しいからここに閉じ込めてるだけのくせに。お人形遊びか?坊ちゃん」
「っなんだと!!そんな……そうじゃない、そんなつもりじゃない!!」
癪にさわる、癪にさわる、癪にさわる!
アシュレイに煽りに煽られたアドルファスは、怒鳴り散らすことも黙ることもできずに、頭が沸騰しているような気分になった。はらわたが煮えくりかえって、ムカついて、嫌いで、憎くって、恐ろしい。とにかくこいつ、殴ってやりたい。
「ならなぜ自分で街を直さなかった?アドルファス!お前がしているのは全てくだらない言い訳だよ。自分の悪行の理由に他人を利用するな!他人には意地でもやらせるな!罪を背負わせるな!」
「領主がそうしろと言った!!追い詰められたのだ、こうする他なかったのだ!私は彼の息子を殺したのだから!!」
なぜ自分の名前を知っているのか、相手が何者なのか、アドルファスには考える余裕はなかった。ただ、相手の言葉を否定しなければ正気を保っていられなかったのだ。
「いいや。他にもあったはずだ。あんたは侯爵家の息子だっただろう?あんたは自分の親でも引きずってきて説得して、ほかにもやりようがいくらでもあった!〝誰を利用してでも〟という意地があんたにはなかったんだ!盗みより先に、やることがあっただろうが!!」
そうとも、そうだろうとも。その選択肢だってあっただろうが、街から出てはならない気がしたのだ。誰かに頼ってはならない気がしていたのだ。アドルファスの親はこの街を見捨てると言った。それも頭にきて、意地になってしまったのだ。
「なんでそんなこと……見ず知らずのお前に言われなければならない!!」
「あんたは弱くて、私は強いからですよ。アドルファス」
なんだ、そのめちゃくちゃな理由は。
……そう言い返す間も無く、アシュレイはアドルファスのすぐ近くに飛びかかり。
手にした剣で、一太刀で、アドルファスの首から上を吹っ飛ばしたのだった。痛みを感じる暇もなく。
「あの世でセシルと一緒に、親友に土下座で詫びろ馬鹿が」
アシュレイは剣についた血を服の裾でサッと拭うと、踵を返して立ち去った。それで全て終わったかに思えた。
アドルファスの永遠に続く泥の底のような人生は、幕を閉じるはずだったのだ。
「うえぇーん、やだ、神様起きてよう」
「首、くっついてよう、死んじゃやだよう」
頰に触れる柔らかい指。ああ、森の子どもたちだとアドルファスは気がついた。
首が熱い。どうも、子どもたちが首を拾ってきて、胴体に無理やりくっつけたようなのだ。
アドルファスは、首が少しズレながらもギリギリで息を吹き返した。神の体になっていたから生き返れたのかもしれなかった。自分を案じて泣く子どもたちが愛おしくて、涙が出てきた。
その日、仮面の下で、アドルファスはユアンが死んだ日以来はじめて、顔を歪めて号泣した。
生きている、生きている!
自分は、どうしてもこの小さい命たちを大切に守らなければなるまい。今度あの化物が殺しに来ても、返り討ちにできるくらいに強くなって。
アドルファスはそれから100年の間、今まで通りに盗みもして暮らした。アドルファスを殺したと思ったアシュレイはその後しばらく、他国などに渡って戻ってこなかったので気にもとめていなかったのだ。とんでもないうっかり屋さんである。
アドルファスは森を統治すると同時に、アシュレイが襲ってきても倒せるよう、計画も練った。自分の能力もありとあらゆる方法で試し、より強くなった。
そして現在。
「その顔!忘れもしない、貴様はアシュレイ=エインズワースだな!」
アシュレイにそっくりの顔をしたアシュレイの子孫をアシュレイと勘違いして、今まさに戦ってやろうと自分の力を最大限に発揮できる祭壇の目の前へ、引きずり上げたところなのだった。
や、やっと元の時間軸に戻りました〜!




