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「……おかしいな……」
「どうした?」
「……妙ですね。姉だけがいません。出入りしている様子もないですし……」
一番高い丘の上に、私とロイスだけで来て、頭から布を被ってこそこそと街中を眺める。
1時間ほど無言で街のあちこちを眺めていたロイスが、やっと望遠鏡から目を離して私のほうを見た。どうやら姉以外の顔は確認できたらしい。すごい集中力というか、目が疲れないのか?なんて思ってしまう。
タカムはぐるっと見ただけで全部見渡せてしまうくらい、本当に小さな街だ。こんなところから出ずにずっと暮らしてきたなんて、想像もつかない。
「部屋の中にいるんじゃないか?窓が木製だから中が見えないな」
ロイスの家はかなり古い作りなので、窓がガラス張りではない。でもこの街は見る限り大体そういう窓が多く、今時珍しいくらいだ。だから日中は店も家も窓を開け放している者が多い。昼間なのに窓を閉め切っているメイリー邸には何か不自然というか、不気味な雰囲気があった。今日は寒いので閉めている家もあるにはあるが。
木の窓だから開けるか閉めるかしかないが、閉めたら外が見えなくて真っ暗、夜などに開けたら不用心でかなり不便そうだ。
「しかし、昼間なのにあんなに窓を閉め切っているのは不自然です。母がやたらとやつれた顔をしていますし……なにかあったと見て間違いないでしょう。父も青い顔してますし」
「姉はお前のものを勝手に捨てるようなやつなんだろう?もういいんじゃないか?親だけで」
私が言うと、ロイスはまた望遠鏡を覗きはじめた。
「ダメですよ。親も姉も同じ程度の存在として認識していますので、片方だけ覚えていて片方だけ忘れるというのは不平等というものです」
「ロイスは世界は全て平等であれと思うか?」
律儀というかなんというか。
街の人や友人は覚えておけば良いと思うが、自分にきつくあたる家族のことまで覚えておく必要はあるのだろうか?私と結婚すれば会う必要もなくなるだろうに。もっと雑に考えて良いんじゃないかと私は思うのだが。まあロイスが私と結婚する気に全くならなかったら、もしかしたら家に帰って元のように家族と暮らす未来も無くはない……のかも?
「いえ。別に相手への敬意とかではないんです。グラスが10個並んでいるとして、そのうち9個に水が注いであったら残りの1個にも水を注ぎたくなるでしょう?」
「お前の例えはよくわからないな」
「それはお互い様では?」
確かに私は自然とロイスに分からないような例え話をしてしまう時があるが、これは感覚として分からないという意味で……などと私が思っている間も、ロイスはまだ望遠鏡を覗いている。はじめは不思議だ!と驚いて色々見て笑っていて可愛かったのだが、どんどん真剣な顔になるのがなおかわいい。
「……雪、結構降りはじめましたね。……仕方ないので、もう街を出ましょう」
「いいのか?」
「ええ。まあ、万が一私の呪いを解くのが遅れても、お姉様は私なんてどうでもいいと思ってるでしょうし。いないなら仕方ないですよね」
「そうとも。そもそも呪いが解ければすべて思い出すかもしれないしな」
無責任なことを言ってしまった気もするが、私にとってはロイスが大事なのであってロイスの家族は別に大事ではない。ロイスにとって大切な家族なら考えるところだが、ロイスにきつく当たる人間たちなんてただの敵だし結婚式にも呼びたくない。
「これ、返します。ありがとうございました。面白いですね、変わった発明品というか」
ロイスが私に望遠鏡を手渡した。先生から貰った、二つの目に当てるように出来ている、真ん中で畳める物だ。素材は表面は金色だがプラスチックを塗ったもののようだ。なんとなく手抜きなような?まあ、そこまで出来のいいものをもらっても扱いに困るが。
「本当にな。実に興味深い。そこまで古くも見えないし、もしかしてあの人が自分で作ったのかも」
「うーん、だとしたらこのおしゃれな金属の細工とか、こだわりがすごいですね。職人じゃないですか」
「ああいう色々なものが見たことのないものばかりのところに行くとワクワクしないか?未知の世界だ」
「アハハ、なんかもう、夢だか現実だか分かんなくなりそうで私は怖いですかね」
まあ、私は大体事前に本で情報のみは持っていたから、ロイスの反応が普通なのかもしれないが。虫メガネなんかは普通にあるのだが、それもかなりの貴重品とされていて研究者くらいしか持っていない。そんな状況なのにも関わらず、眼鏡は普及しているのが不思議である。
「でも楽しいです。家でぼんやり過ごしてるより、ずっと色んなことが起きて」
「それはそうとも。君はこんな、一目で見渡せてしまう世界だけに住んでいたから」
「この前までは、ここが世界の全てだったんです。あなたが追いかけて来なきゃ、今だって……」
「……ロイス?」
ロイスは、そこまで言って何か神妙な顔をして考え込んでしまった。それから、その強い瞳でまっすぐに私の目を見つめる。私はあまりの気迫になぜだか息がつまって、その場からピクリとも動けなくなってしまった気がした。
「……アート、あなたって」
なんだ、なんだ、なんだ?
思い出すわけなくないか?
「……私、なんとなくあなたと昔、話して……」
「おい、いつまで街を見てるんだ?いつまでもここにいると知り合いに見つかるかもしれないぞ」
「あ、レオンさん」
私は、はっと我に返って上を見上げた。フードで赤い髪を隠して、お邪魔なレオンが私たちの後ろに立っている。ロイスはすっくと立ち上がるとレオンに笑顔を向けた。
「そうですね。アート、もう行きましょう」
「……ああ。」
そうしてその日は結局、ロイスが途中まで言いかけていた言葉は、聞くことが出来なかった。




