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メイリー家の質素な邸宅で、ヒステリックな女の叫び声が響き渡っている。窓の木枠にグラスがぶつかって割れ散る音も。そして、その音をたてているのはロイスの母でも父でもなく、姉のシャーロットその人だった。
「あいつは!ロイスはどこに行ったのよ!!」
「お、落ち着きなさいシャーロット……き、きっとあの子はすぐ帰ってくるわよ、公爵家も捜索しているようだし……」
母がシャーロットを宥めるも、シャーロットの激情はちっともおさまらない。
「もう2週間経とうとしているのよ?!早く連れてきてよ!!」
「シャーロット様、どうか落ち着いてください!あなたらしくありませんわ、お優しいシャーロット様……」
「使用人ごときが私に話しかけるんじゃないわよ!!みんな出て行け!私の視界に入るな、不愉快よ!!役立たずども!!」
「きゃあっ!!」
縋るように泣きそうな顔で言ったメイドの一人に、シャーロットは近くにあった花瓶を思い切り投げつける。その形相はいつもの穏やかで外面のいいシャーロットでは考えられないような、怒りに歪んだ恐ろしい顔だった。その怒りは、明らかに異常であると言ってよかった。
家族も使用人達もみんな思っていた。あんな娘など、居なくなってせいせいするじゃないか。両親はロイスをちっとも愛していなかったし、黒髪は不吉だし。
嫌がらせの標的にして話のタネに笑うのは楽しかったが、いなくなってもどうとも思わない。公爵家に嫁いだら金蔓になっていたと思うとかなり残念だとは思うものの、そこまで癇癪を起こすほどの思い入れはなかった。使用人たちも、仕事をなすりつける相手がいなくなるのは不便だがそこまで気にしてはいない。
だがシャーロットは違った。
シャーロット=メイリ―は愛していた。
自分の双子の妹、ロイス=メイリ―を。
ロイスは自分と同じ日に生まれた姉妹なのに、自分とは違ってちっとも愛されなかった。それをシャーロットはずっと見ながら成長してきた。
自分は両親からも親戚からも、あらゆる来客者たちからもかわいらしい、美しいと褒められる。
黒髪で冷たい印象も受ける妹は両親から酷く冷たくされ、使用人たちすらも遠巻きにして馬鹿にしていた。
でも、それについてシャーロットが何かを思うことは無かった。なぜなら、シャーロットにとって妹以外の人間など、どうでも良い存在だったからだ。
両親も、自分に言い寄る男も、祖母や親戚たちも。すべて無価値で、どうだって良かった。シャーロットは対人関係の要領がよかったから、なんとも思っていない相手にでも平気で笑顔で接することが出来た。
だからそれを利用して、ロイスが羨むように皆に笑顔を振りまき、気を引こうとしたりもした。
でもロイスは誰に何を言われても、どんな扱いを受けても、顔色一つ変えなかった。
シャーロットはこう思った。
ロイスは自分にこんなにも愛されているのに、まさか、私のことを見ていないのではないか?自分はロイスしか見ていないのに、ロイスは自分に興味が無いのだろうか?
そして、そんなことがあって許されるものか……と思うようになる。シャーロットは物心ついたときから、既にロイスへの歪んだ愛情を募らせていたのだ。
なんとも思っていない両親とも愛想よく接して仲良くした。自分が好かれたいのではなく、ロイスを一人きりにするためだ。ロイスが一人になれば、いつか必死に自分に縋ってくるかもしれない。
自分に。愛されようとするかもしれない。その、なににも興味の無さそうなポーカーフェイスを、自分が崩してやれるかもしれない。ロイスの心も自分の方を向くかもしれない。
シャーロットとロイスが5歳になった頃。
そう、シャーロットは幼かったが、その日のことをよく覚えていた。父方の祖母が家に訪ねてきたのだ。その時に祖母が訪ねてきたのは半年ほどぶりだった。昔は祖母はこの家に一緒に住んでいたが、少し遠方の親戚の家が老後は過ごしやすいだろうと引っ越していったのだ。メイリ―家は質素で小さく、階段も急だ。老人には住みにくい家であったと言える。
メイリ―家に住んでいたころ、祖母も当然のようにロイスをないがしろにしていた。家にやってきた祖母が、いつもの調子でロイスに暴言を吐いたところを、興味もなくシャーロットは眺めていた。
「お前はいつ見ても感じの悪い顔だね!それにその黒髪、相変わらずあの男と同じ汚い色だ!」
ロイスは祖母に出会い頭そう言われて、きょとんとした顔をした。いつもなら落ち込んだように下を向いてポケットに手を突っ込んで、床の木の模様の数を頭の中で数えはじめるのだ。そういう時のロイスは面倒だと思っているだけで、落ち込んではないないのだとシャーロットは知っていた。でもその日は違ったのだ。
「あなたは誰ですか?」
ロイスは本当に。
ロイスは、本気で祖母のことを忘れている様子だった。祖母の顔色が一瞬にして青くなり、それから真っ赤になってロイスを怒鳴りつけはじめたのをシャーロットは呆然と見ていた。
生まれた時からずっと一緒に過ごしていた祖母。それが半年いなくなっただけで誰だか分からなくなる?
嫌味ではない。ロイスはそんな冗談を言う人間ではない。それは、両親や祖母が分からなくてもシャーロットにだけは分かっていた。ロイスは、意味もなく他人に嫌味を言ったり嘘を吐いたりする人間ではないと。
その日、シャーロットは両親からロイスと同じ黒髪で、戦争から帰った時に祖母や親戚の顔を忘れていた祖父の話を聞いた。そして両親は、ロイスは祖父と同じで物忘れが激しい上に冷たい人間なのだと言った。
シャーロットはロイスが冷たいかどうかなどどうでも良かった。そして、こう思った。
いつかロイスが家を出て両親やあらゆる親戚のことを忘れたとしても、自分だけは。この世界で自分だけはロイスに忘れられてやるのものかと。
どうしても自分という存在をロイスに刻みつけなければならないと。自分のことを忘れるなんて、絶対に許せないと。絶対に絶対に絶対に絶対に、絶対に許さないと。
だからシャーロットは、とことんロイスの敵になることを決めた。一生忘れられないくらいに傷つけて、自分を見たら必ず、嫌なものとしてであろうが心の底から明確に思い出すように。ロイスの大切なものは片っ端から捨てたし、使用人たちにもロイスを嫌うように吹き込んだ。酷い言葉も思いつくだけ浴びせかけたし、ありとあらゆる面倒ごとをロイスに押しつけた。
ロイスをもっともっと、もっと一人ぼっちにさせようとした。双子の姉妹の自分だけを見るようにと。
でも、ロイスはシャーロットを見なかった。面倒そうに、いつも怒るでも悲しむでもなく。興味無さそうな目で相変わらずシャーロットのことを見ていた。シャーロットとは正反対の真っ黒な目で。でも、その頃にはシャーロットはロイスのその無関心な瞳をも愛していた。
ロイスがどんなに自分に興味がなくても、自分のことを見ている時のロイスの目に、自分が写っているのを見るとき。シャーロットは1番の喜びを感じた。
シャーロットの愛はどうしようもなく歪んでいたが、同時に誰にもやめさせることができないほどに強靭で硬く、揺るぎのないものだった。
シャーロット=メイリーはロイスを愛していた。
だから、シャーロットはとうとう苛立ちを周りにぶつけるのにも飽きてやめた。急に静かになったシャーロットに、家中の人間が胸をなでおろした。だからシャーロットにとって、無価値な人間たちは無機物と変わりない。物に怒鳴り散らしても仕方がなかったのだ。
でも、ロイスが、公爵だろうが他の男だろうが、女だろうが誰を見ることも許せない。自分に会わないことも許せない。公爵家に嫁ぐときに嫌味を言った時も、ロイスに対してではなく公爵に嫉妬していたからだった。
ロイスが誰かのものになるのが許せない。
許せないったら許せないのだ。
「……顔を……見せてやらなきゃ……声を聞かせてやらなきゃ……叩いてあげなきゃ……捨ててあげなきゃ……一人にしてやらなきゃ……」
ぶつぶつ、ぶつぶつ……
呟きながら爪を噛むシャーロットの異常性に、その時まで両親すら気がついていなかった。
心優しく可憐で、春に咲く花のような美しいシャーロット。誰からも愛され、誰からも認められ、誰からも褒められた。誰にでも優しくて平等で、公平で、あらゆる人に笑顔を振りまく愛想のいい理想の令嬢。男爵家に置いておくのはもったいないくらい。
……ただ一点の異常さを除いては。
シャーロット=メイリーは、妹への異常なまでの執着心を抱えていた。
朝。食卓に降りてこないシャーロットの部屋に訪れた母親は、呆然と呟いた。
「シャーロット……?」
部屋はもぬけのから。窓が全開になっており、非常用のための大きめの鞄もなくなっていて、棚に並んでいた宝石類もない。
ベッドのシーツはきっちりと畳まれ、ドレッサーの前の化粧品類は全て無くなっている。
「シャーロット!!どこへ行ったの!!誰か!!」
母親の悲鳴は小さな邸宅内にはすぐに響き渡る。
シャーロットは、全てを置き去りにして。




