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レオンさんに呪いが1週間ほどで解けるらしいと伝えに行くと、どうりで体調が悪くなったわけだ、とおっしゃいました。ここに着いてからのレオンさんは、謎の黒い塊を吐き出したり尻尾だけ無くなったりと露骨な体の状態の変化があったそうなのです。なんだか病気みたいですよね、治るのにも苦しい思いをするだなんて気の毒です。


それから、アートと私は畑で少しだけ収穫の手伝いをして。また喋らない女の人にお礼のクッキーとお茶をいただきました。


その晩はアートにおやすみを言って、それぞれの部屋に戻って。


ふと、私はなんのために呪いを解くのだろうか、と考えました。


家族の顔なんて忘れてしまいたい気もするし、使用人たちの顔もみんな忘れてしまいたいと思うのが普通なんじゃないのでしょうか?いい思い出なんてない。大好きな人もいない。友人のアイリのためだけに呪いを解いても、もうあの街に戻るかどうかも分からない。


心のどこかで元の家に帰るつもりでいるからこそ、私は呪いを解こうと思ったのではないでしょうか?それは過去を断ち切れていないからで、結局は家族とのつながりを持っていたいなどと思っているからなのでは?


そもそも誰かを大切に思う権利なんて私にあるんでしょうか?仲良くしてくれた友人のアイリに対してまで、顔を忘れたっていいかもなんて考えている薄情な私に。


アートは私と一か月以上離れないからいいけど、と言っていました。でも私はアートと結婚する気がないのだからいつか別れは訪れるでしょう。人生で一人も無条件に一緒に居られて、離れても互いを思い合えるような相手が作れないのは寂しい気もしますが、私にとってはこういう人生のほうが向いているような気もするのです。


一人でどこまでも旅をして、どこかの山奥で一人でひっそり死ぬような人生が私にはお似合いなのかも。


でももし、もしもアートと結婚するのなら。公爵夫人がまともに人の顔も覚えられないようでは困りますよね。その可能性がゼロではないのなら、自分も不便だし呪いを解きたい気もします。


……私は、アートのことが今まで出会った人間で一番好きなんだと思います。他に自分をこんなに思ってくれる人に出会った事がなかったから。でも、私のこの世で一番好き、は軽すぎるのです。そもそもアートしか知らないのですから。そんな、数少ない好きな人の中で一番にアートを選んだとして、私よりももっとアートを好きな人が他にたくさんいるかもしれません。


私よりもアートをよく知っている人だってたくさんいるでしょう。自分よりも教養深く立派なお嬢様たちを押しのけてまでアートと結婚する度胸が、私にはないのです。求婚してきたのはアートなのだから気にする必要はないのかもしれませんが、今となってはそれでは私の気が済みません。私はアートに、意地でも迷惑をかけたくないのです。アートの足手まといになりたくないのです。


アートがこんなにも私を大切に思ってくれるのに、私はどうしようもなく意気地なしでした。


私はどうすればいいのかまったく、わけが分からなくなってしまったのです。


そんなことを考えて、気づけば夜の三時。


私はなんとなく眠れなくて、不思議な素材の柔らかいベッドから起き出して、部屋の中の小さい机の横の椅子に座りました。なんとなく、不安でした。


コン、コン、コン。


「ちょっといい?」


そんな時、私の部屋のドアを誰かがノックしたのです。こんな時間にです。でも私は、大急ぎでドアを開けました。


「アート、あの私……え?あ、あなたは誰ですか?!」


完全にアートだと思ってドアを開けたのに、暗い廊下に立っていたのはアートに顔がそっくりの、知らない少年でした。珍しい、私と同じ黒髪の。


「アートの……ご家族さんですか?」


ぽかんとしてしまいました。だって顔がアートにそっくりなのです。エインズワース家の方はみんな顔が似ているみたいなことを先生が言っていましたし、ひょっとして……と思いました。でも、どちらにせよこんなところに居るのは不思議ですよね。年齢的にアートの弟、とかでしょうか?


「家族かあ。微妙ですね、まあ家族っちゃ家族かな?ちょっと話したいんですけど、庭園に行きません?あの子も寝たみたいだし!」


「あ、あの!ちょっと……」


男の子は私の手首を掴んで走り出しました。私は腕を引かれるままに少年について走り出します。


「あなたは誰ですか?!」


「うーん、ちょっと言えないけど、そうだな、ミサキの友達!」


「ミサキって誰ですか?!」


知らない人に知らない人の友達と名乗られても困ってしまうというのが本音でした。走りながらだから声も途切れ途切れになってしまいますし、この人めちゃくちゃ足が速いので半ば引きずられてますし。


「え?あの人まだ名乗ってないんですか?あの人からメール来たから来てみたのに。あの、ここの地主っていうか、管理人ていうか。黒髪のデカい男ですよ。会ったでしょ?」


「せ、先生ですか?」


「あの人あんたらにまで先生って呼ばせてるんですか?!アハハ!なんでも昔から自分の名前が女みたいだから嫌いらしいんですけど、この国でミサキなんて男女以前に聞きなれない名前だし、恥ずかしがる要素ないですよね。あ、庭園上だからちょっとごめん」


「え?!ぎゃあっ!!」


マシンガントークをしながら少年は私の腕をぐいっと上に引っ張って、そう、私をお姫様抱っこしたまま足の力だけで上空に飛び上がったのです。私は驚いてぎゅっと目を閉じていましたから、目を開けたらもうそこは屋根の上。


庭園と言っていたのでミサカツキの中に庭園があるのかな、と思っていたのですが屋根の上に、上に向かって伸びた謎の梯子はしごがマヌケな感じで立っていて、少年は私を屋根に下ろすとさっさとそれに登っていってしまいました。


「あ、あの!上に何もありませんが!」


「登って登って!いいから!」


私が呆然としているうち、少年は梯子の1番上に登りきり、上半身から消えていってしまいました。足だけがまだ梯子を登っていて、登り切ると足の先まで消えてしまいます。怖くて私が梯子に登らず困り果てていると、上から少年の首だけがひょこっと出現しました。


「さっさと登って!見えないだけで向こうがありますから!」


「ひゃ、ひゃいっ!」


私は言われるがままに梯子を登り始めます。スカートなので梯子に登りたくないのですが、それはまあ仕方ないでしょう。深夜の3時なので他に誰もいませんしね。


私が先に何もない梯子を登りきると、ええ、たしかにそこには庭園が広がっていました。頭を上げたり下げたりすると、庭園が出現したり消えたりします。うーん、ファンタジーです。異空間です。


「よい、しょっ」


私が梯子の先の地面に手を伸ばしてよじ登ると、少年は庭園の中央あたりに置いてある白いお洒落な机の横の椅子に、お茶を用意して座っていました。にっこりと笑って。


「いらっしゃい。ここ、先生にわがまま言って昔の王宮の温室をそのまま再現して作ってもらったんですよね。綺麗じゃないですか?」


「は、はい……綺麗ですけど……」


ツッコミどころが多すぎます。この人の言動にしても、この非現実的な空間にしても。ガラスの壁がドームみたいになっていて、上を見上げると見渡す限り色々な植物や花が綺麗に植えられています。こんな場所、聞いたことも見たこともありませんでした。


「それで、あの、あなたはどちら様で、私にお話とは……?」


私はすぐに我に返ってそう質問します。少年は二人分のティーカップにお茶を注ぐと、私を手招きして椅子に座るように言いました。


「座って。基本的にうちの家系って、結婚前のお嫁さんはみんなワケありなんですが。今回のお嫁さんは狐の呪いだって言うじゃないですか、遺体を焼くとか説得するとか。知ってることについて参考までに話しておこうかと思って」


「私はお嫁さんじゃないです」


そこは否定しておきます。うちの家系ってことはやっぱりこの人はエインズワース家の方のようですね。アートをあの子って言ってたことからすると、アートより歳上なのかも。彼の家系は見た目が老けないと聞きますから、もしかしたらアートもずっとあの姿のままなのかも?究極の若作りですよね。


「みんなはじめはそう言うんですよね。頑固っていうか……あと、なんかロイスは卑屈そうだから恋愛指南れんあいしなん!とかしに来たんですけど。あの子もダメですけどね、彼女が悩んでんなら察して話聞きに来なきゃ。ガキっていうか鈍感っていうか」


「は、はあ」


この人、私の名前を完全に知り合いみたいなフレンドリーさで呼んできます。初対面なのですが。もう完全にアートのお嫁さん、及び身内認定されてしまっているのかもしれません、恐ろしいことですが。


「はい、では今日はまず。元舞台俳優の私が美声を用いて過去に聞いた、別の例の狐の呪いについて話をしましょう。よろしい?」


「……拝聴します。」


まあ、ちょうど眠れなかったことですし。この変わった人、アートに顔が似ているからなんとなく安心するのです。


そうして私は、大人しくこの黒髪美少年の話を聞くことにしたのでした。




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