27
遠い遠い昔、ある田舎の村に酷く醜い男が住んでいた。
顔はガマガエルのようにボコボコの汚い皮膚をしていて、体はずんぐりとした巨体。服はボロボロ、腕や足の皮膚もゴツゴツとしていてひび割れ、黒ずんでいて目元はいつも腫れていた。そして、呪われていると言われている黒髪も、村人の男への当たりを強くする。
誰も男に近寄らなかった。醜いと罵り、遠巻きにし、力だけある化け物だと蔑んだ。里に熊が襲ってきたら皆が男に殺せと命令し、男が熊を殺しても誰一人として感謝などしなかった。都合のいい時だけ利用され、用のないときはただ化け物として扱われる人生を、男はずっと送ってきた。
男は誰より純粋であったから、それを疑問には思わなかった。頭が悪かったと言ってもいい。生まれた時から両親からすら罵られてきたから、自分はそうあって当然なのだと思っていた。
自分は村の人々を守るために生まれてきた存在で、力が強いからこそ人に言われるままに生きねばならず。醜く生まれた故に人を愛することも許されないのだと。
そのことについて、深く悲しいと思うことすらなかった。男にとってはそれが普通だったのだ。村人は男も女も、子供も若者も老人も、金持ちも貧乏人も皆等しく男を見下していた。ああはなりたくない、自分はアレよりはマシだ。あれは、この世で最も醜い存在だと。
重い荷物を運ぶ老人を助けようとすると「お前が触ると商品が売れなくなる」と怒鳴られた。
転んだ子どもに手を差し伸べると悲鳴をあげられ、皆から石を投げられながら怒鳴られた。
怪物である自分には人と関わる権利などないと分かってはいながらも、男は誰かと関わろうとする。話を聞いてほしかった。話しかけてほしかった。好かれていなくたっていいから、ただ普通の人間に話すみたいに。
それでも男は誰かを憎むことも恨むこともしなかった。
そんな男に、とある狐が目をつけた。その雌の狐は村の子どもに自分の子どもを殺されたことを恨んでおり、力の強いその男を利用して復讐しようと思ったのだ。
女狐は人間の女に化けて、山の奥にある男を隔離するために村人たちが作った粗末な作りの小屋を訪ねて行った。男は今日もいつものように狩りを終えて、その小屋に戻ってくる。男はこの小屋が好きだった。自分のために誰かがなにかを作ってくれたのは、これが初めてで最後だったからだ。
男は小屋の前に立っていた見たことのない美しい女に驚き、後ずさった。
「今日から私がいつもお側にいます。アゼル様」
男はその時27歳であったが、名前を呼ばれたのは記憶にある限り10年以上ぶりだった。両親は男がまだ子どもの頃からあまりの醜さに気が狂ったようになり、男を置いて逃げるようにして村を去ったからだった。両親以外に男の名を知る者はなく、村人は男を「のろま」と呼んでいた。
「お前は誰だ、醜い俺が恐ろしくはないのか」
男は少しも恐れる様子のない女狐に驚き、手を握られて驚いて飛び退いた。
「恐ろしくなどありません。あなたを罵る村人たちがおかしいのです」
女狐にとって、人間の容姿などどうだってよかった。男がどんなに醜かろうと、美しかろうと、自分は復讐のためこの馬鹿な人間を利用するだけ。そう思っていた。だが、女狐に手を握られてそう言われた男は黙ったまま大粒の涙を流しはじめる。
「もし、どうして泣くのです。あなたは誰より強いというのに」
驚いた女狐が男の背をさすると、男は自分の目元を乱暴にこすって涙を拭った。
「俺は誰にも人間として認められず、話もできず、化け物として死んでゆくのだと思っていた。お前に話しかけられて、本当に嬉しい」
女狐は、男を哀れに思った。
しかしそれでも女狐にとって男は利用するための道具でしかない。同情する気はあれど、その目的を前提として女狐は男と親密になっていった。
女狐は男の服を洗い、料理をし、共に食事をして過ごした。男は食料を取ってきて、女狐が家に居座ることになんの異論も唱えず自由にさせた。時には女狐が薪を取ってきたり、男が女狐の髪を梳かしたりもした。
でも、男は女狐に愛を伝えることも触れることもしようとはしなかった。女狐にはそれが不思議だった。自分は人間の中でも美しい人間に化けていたからだ。
「私を女として魅力的だとは思いませんか?」
「魅力的だとも。近くにいるだけで心臓が痛いくらいだ」
「まあ、かわいいことをおっしゃるのね。あなたは体が大きいけれど、優しくって誰より心が綺麗だわ」
女狐は、男と時間を過ごせば過ごすだけ男に惹かれていった。女狐は男の醜い肌を平気で触れたし、そう、男の恐ろしい顔すらも愛おしく思えた。ただ普通に人間の女が恋をするみたいに。
ある日、共に食事をしながら男が言った。
「なあ、お前は本当に美しいな。俺は醜いと自分で分かっているが、次に生まれてくるときはお前を口説いて良いくらいの美丈夫に生まれてくることにするよ。だから、そろそろお前はどこかへ行ったほうがいい。お前ならどこででもやって行ける。こんなところに俺なんかといるべきじゃないんだ」
「まあ、そうなれるアテでもございますの?」
女狐は男と冗談を言い合うまでに親しくなり、その頃には、男に今までもったことのない感情を抱くようになっていた。
「ああ。これだけ人に嫌われ憎まれてきた俺に、お前だけはいつも笑顔で話しかけてくれる。俺はきっとお前に恋をするために生まれてきたのだろう、と最近は思うのだ。だからきっと来世ではお前に恋してもいいような普通の人間に生まれてこよう」
「……私はあなたのことを醜いだなどと思ったことは一度だってありません。私、あなたのことが本当に好きなんですよ」
「馬鹿なことを。そんなわけはない。私は誰が見たって明らかに醜い。それでもいいのだ、こうしてお前に出会えた」
「アゼル様、私は本当に……」
男の目は、自分を決して女とは見ていないのだと女狐は気がついていた。男は、人間と交わるなどと考えることすら無かったのだ。自分は人間ではないから。化け物だから。女を愛する資格などないと思っていたから。
「アゼル様、私、あなたのことを愛しているんです」
女狐は恋をしていた。動物の中で最も醜いと思っていた人間の、さらに1番醜い男に。そのひたむきさ、優しさに。
「あなたと一生一緒にいたい」
「ラミス、本当に……?」
そうしてそれを、男はようやく受け入れた。
女狐と男は愛を確認しあい、数年間の間をまた共に過ごし、子をもうけた。女は一度も里に降りないため、男が妻子に恵まれていることなど村人たちは気づかない。男は今まで通りに、村では皆から虐げられて過ごしていた。
そんなある日。
村人の中の一人の若い娘が男に同情心を抱くようになった。
その若い娘は哀れなあの醜い男に、自分だけは親切にしてやろうと。愛してやろうと思って近づいた。そうすることでいかに自分の心が美しいか、と自分に酔っていたのだ。
女狐を愛していた男は当然のように、娘からの好意を退ける。
そうすると、若い娘は酷くプライドを傷つけられたと感じて、男に襲われたと村人たちに言って回ったのだ。村人たちは当然のように娘だけを信じ、男は村人たちから矢で射られ、石を投げられ、里を追われた。山奥に逃げ込んだ男は女狐と子どもと共に山を越えようとしたが、そこにはその若い娘が立って足止めをしていた。
「待って!どうして私の好意を無下にしたの?あなたみたいな醜い人が!その女と子どもはなんなの?私を愛するのなら村人たちを説得してあげる。戻りましょう」
娘の愛は屈折していた。同時に、それは愛ではないのかもしれなかった。それでも女狐以外に好意的に声をかけられたことがなかった男は娘を憎しみきれず、娘を押しのけて山を降りることが出来なかった。
自分なんかを認めようとしてくれた人間を、無下にすることはできないと。
女狐はするりと狐の姿に戻ると、黙って立ち止まったままの男の代わりに、その娘の首を食いちぎって殺してしまった。
男は愛する妻が人間ではなかったことに驚き悲しみ、人間をこれ以上殺させるわけにはいかないと、泣きながら女狐の背を剣で切り裂く。
力を失って地面にごろん、と転がった狐の口が開いて言った。
「あなたは人間を愛するにも、愛されるにも純粋すぎた。私はあなたを愛している。だから、あなたがもうこんな目に遭わないように、悲しまないように……あなたがもう、私以外の誰も愛さないように呪いをかけるわ」
それは紛れもなく愛する妻の声だった。女狐の死体抱きかかえた男は、泣きながら何度も女狐の体をさすった。
女狐が悪くないことは分かっていた。女狐だけが自分の味方でいてくれたのに、自分は結局人間だというだけで村人たちの命を選択してしまった。女狐に愛される資格など自分にはないのだと、男には重々分かっていた。
「もう、あなたは私の顔を思い出すことはない。さっきの女の顔も、ほかの村人たちの顔も。でも、息子の顔だけは……息子と一緒に、ただ、穏やかに……」
女狐はそのまま息を引き取った。
男は何もわからずぼんやりしていた息子の手を引き、女狐の死体を抱きかかえ、若い娘の死体を踏み越えて山を降りた。
「ラミス、次会うときはお前だけを愛すると誓う」
男は山を越え、遠い遠い村の山に移り住んだ。そして新しい家の横に女狐のための立派な墓を立てた。美しい息子と共に旅をしていたため、新しく住んだ村では男を露骨に化け物扱いする者はおらず、男は穏やかに暮らすことができるようになる。山奥に隠れて住むこともなくなった。
ただ、村人は噂していた。
あの男、いつまで経っても私たちの顔を覚えないのよ。毎日会ってる隣のおじいさんのことすら、会うたびにはじめましてって言うの。
おかしいわよね、息子さんは普通なのに。
ああ、だから前の村は追い出されてしまったのかも……
「お父さん、お母さんは本当にお父さんを愛していたよ。ほんとだよ」
「分かっているさ。分かっている……だからこそ、お前は幸せにならなければ。」
男の息子は村の娘と結婚し、その二人の娘は村の大地主と結婚。その頃に男はひっそりと病気で息をひきとったが、男の子孫の中にはごく偶に「極端に人の顔を覚えられない」者が出ることがあった。
正しくは、忘れてしまう者が。
その一見してはた迷惑な呪いは、純粋な男が誰かに傷つけられないように、という女狐からの愛だった。
女狐は男を愛しながら、男は女狐を思いながら死んだのだった。
ロイスの先祖、醜い男の話。




