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しばらく走っていると、地面に緑の草が見渡す限り広がっている場所に差し掛かりました。そこをまた更に進んでいくと今度は再び、草の生えない乾いた土の地面がやってきます。
「そこの青い岩の手前で止まるぞ」
「はい!」
私はアートの指示に従って目的地の手前で馬を止めました。続いてアートもルドガーさんも止まります。
宿屋で言われて思っていたよりもずっと近かった森の前には、昼になる前に到着できました。こんなに近いなんて、急いで来なくても良かったんですよね。私たちはそんなわけで森の前で馬を降りました。
「この森でしょうか?」
私が尋ねると、アートはゆっくりと頷きます。
「ああ、間違いない。看板も立っている」
アートが指差した方向を見ると、たしかに大きな白い看板らしきものが立っていました。近くに寄ってよく見ると、表面が非常につるつるした固い素材でできた看板のようでした。見たこともない素材です。木でもないし、鉱石でもなさそうだし。軽くノックしてみるとゴンゴンと鈍い音がして、うーん、不思議な感触です。
その白い看板には手で掘られたとは思えないような綺麗な線で、文字のような、図形のようなよくわからないものが書かれていました。
『三坂月』
……と。私はアートのほうを振り返って、看板のことを聞くことにしました。
「これ、なんて書いてあるんですか?読めます?」
「ミサカツキ。多分、ここが入り口だな。」
「何語なんですか?」
やはり文字だったようです。見たこともない形状だったので不思議な感じがしたんですよね。簡単に読めちゃうアートは凄い!……って、事前にここの地名を知っていたからかもしれませんが。
「日本語だ。日本というのはもう何万年も前にアースから無くなった国の一つだが、まあ、その情報がある理由というのが、やはりちょっと話せないオカルト的な話なんだが」
あーあ、またオカルトですか。アースって、つまりこの前話していましたけど私たちがいるこの〝星〟のことなんですよね?何万年も前の記録なんか、無事に保管できる物なのでしょうか?そんなに時間が経つと紙も朽ち果てちゃいますよ。そんなわけがわからない国の文字すら読めちゃうなんて、どんだけ万能なんですか?アートは。
「それ、あなたの家のご長寿的な話と関係あります?何万年も隠れ住んで情報を保管している絶滅危惧民族の老人がいるみたいな?」
何万年も生きてたら流石に体に苔とか生えてきそうですけど、まずアートも人間かどうかすら怪しいので、可能性はゼロではない気がするのです。超生命体みたいな。
「関係あるが関係なく、当たっているようで外れているな。」
「ええ?」
煮え切らない回答に、私は首を傾げました。
「……機密事項なんだ。結婚してからでないと話せない」
あ、そんな申し訳なさそうな顔しなくていいんですよ。
「それでは仕方ないですね」
ならば深く追求しないでおくことにします。公爵家の人間しか知ってはいけない国の重要機密とかだって、たくさんあるんでしょうし。
「森に入るか。ルドガー、ここは関係者しか入れないから馬二頭と荷物をここで見ていてくれ」
「はい!かしこまりました」
あれれ、ルドガーさん意外とあっさり引きましたね。護衛なのに。この森にはそれだけ特別な事情があるということなのでしょうか?でも、だって初めて来ると言っていたのに。
「ロイス。手を」
「は、はい!」
アートはパシッと私の手とると、レオンさんの手綱を引いてずんずん森へ進んでいきました。このままの速さで近づいたりしたら木と木の間隔が狭くて、馬のレオンさんは通れなくて木に激突してしまうんじゃ?とも思ったのですが。驚いたことに、私たちが近づくと森が「ゾゾゾゾゾ」みたいな音を立てながら変形して道を開けたのです。
「うわっ!!」
アートはそんなことは気にせずにそのままのスピードで前へ前へと進んでいきます。私も必死に早く足を動かしてアートの歩幅に合わせました。
「さっさと進むぞ、道はすぐに閉じる」
「え?!は、はい!」
アートの言う通り、少し首だけ振り向くと私たちが通った途端に後ろから森が再び閉じていくのが見えます。ザワザワザワ、大きな音を立てる森が生きているみたいで、正直なところとても怖かったのですが。アートがしっかりと手を繋いでいてくれたし、すぐ背後にはレオンさんも一緒にいるので私はなんとか森の向こうへたどり着くことができました。
「な……なんじゃこりゃーー!!!」
私は腰を抜かしそうになりながら、人生で一番の勢いのツッコミを入れました。なぜアートが平然としているのか理解できないほどでした。
森を抜けると、そこは別世界だったのです。さっきの看板とはまた違いますが、謎の素材でできた高い建物が並んでおり、地面なんかは、タイルのようではあるのですがなんだかつるつるしていて、継ぎ目のない大理石のようです。窓ガラスらしきものは、見たことがないくらいに歪み一つなく鏡のようで、建物の向こう側がはっきり見えてしまいます。アートの言うところの「おーばーてくのろじー」というやつでしょうか。
そして、数歩その地面を建物の方へ進んだところでアートが立ち止まりました。街の中にはちらほらと白い服を着た人たちが歩いていますが、かなり少ない人数のように感じます。彼らは私たちには特に興味もないようで、気にせず歩きまわっていて忙しそうでした。
そうして呆然としているうち、目の前から黒髪の男の人が歩いてきました。
「あ、向こうから来るあの人がここの主だ。写真で見たことがある。ロイス、少し下がれ」
「は、はい!」
こんな異世界みたいな場所に連れて来られて完全にビビっていた私は、すぐさまアートの後ろに隠れました。アートは私のその様子を見て少し笑いましたが、笑い事じゃないですよ!こんなもの見て、なんで笑ってられるんですか!どうやって造られた建物なんだ?!とか思わないんですか?!
「お前は確か……」
「はじめまして。アーチボルト=エインズワースと申します。家の記録であなたの顔は存じておりました」
アートがこんなかしこまった態度で誰かと話しているのを見るのは初めてで、私はなんとなく緊張してしまいます。そして、アートに呼びかけられたこの街の主さんらしき人はアートの前で立ち止まりました。主さんはアートを見下ろしてジロジロと顔をながめまわします。アートだって背が高いと思うのですが、それよりさらに高いのです。ちょっと威圧感があって怖いくらいでした。
「その見たことあるような顔……アシュレイの孫の、孫の、孫の、孫の、孫だったか?」
指折り数えながらそんなことを言った主さんに、アートが頭を下げます。
「は。エインズワース家の現当主です」
「そうか。アシュレイは最近めっきり顔を出さない薄情な奴だが、あいつの子孫なら、実質あいつ本人のようなものだからな。顔も似てるし、まあ歓迎しよう」
主さんはよく見れば、驚くほどの美青年でした。キリリとした男らしく、かつ美しい顔立ち。見た目は若いのになんだかやたらと感じる謎の風格と、威厳。もしかしてこの人も、エインズワース家の方々のように歳をとりにくい体質の方だったりするのでしょうか?アートに敬われているのを見ると尚更、なんだか怖いような。私と同じ珍しい黒髪は、私なんかとは比べ物にならないくらいサラサラで光っています。そんな主さんは、アートに話しかけながらもゆっくり私たちの方へ歩み寄ってきました。
「そこの奴。面倒な呪いにかかっているな。それを解きに来たのか?」
先程、孫の孫の……とかアートに何か引っかかることを言っていましたが、レオンさんを見てすぐに呪いと分かるなんて、やはり魔術師さんたちは特別な力を持っているんですね。
「分かるのか」
レオンさんが喋りました。でも、分かっているならいいですよね。人前で喋っても……
「あ、あの彼は自国の呪術師に馬にされてしまったらしく……」
私がおどおどしながらも説明しようとすると、なんと主さんは少し進んで私の目の前に立って、じろじろと今度は私を見はじめました。それで、なにやら真剣な目でまっすぐに私を見つめてきます。美人さんにそんな風に見つめられて、私はあたふたと視線を彷徨わせてしまいました。なんですか、なんですか?!
「そっちの馬の呪いは大したことではない。その呪術師はきっと本気で殺したり始末しようとは思っていなかったんだろうな。でも、お前は違う。お前の呪いは根深そうだ」
「わ……私ですか?!」
ビシッと指さされた私は驚いて声をあげます。私が呪われている?!たしかに家族からひどい扱いを受けたり、不安な人生は送ってきましたけど……呪われてるってほどではないのでしょうか!?今、アートと旅できていて幸せですし。
「これはお前だけじゃなくて……数代前からの呪いだな。お前の身内にも同じ呪いの人が居たんじゃないか?」
「わ、私呪われてなんていませんし身内にも呪われた人なんて……」
人聞きの悪いことを言わないで欲しいのですが、え?アート、なんでそんな怖い顔してるんですか?私、本当に呪われてたり?やめてくださいよ!聞いたことありませんよそんなのは!
「気づいていないだけだ。これは何かの動物の呪いだな。お前の先祖が何かをしたんだろう。それで、定期的に呪われた子が生まれるようになった。お前の呪いはだいぶ薄まってはいるが解くことは難しい」
あの、私たちはレオンさんの呪いを解きに来たのですが。
なんだか私が呪われてるという話に完全にシフトしてませんか?目の前に馬にされた人間がいるのに、一見なんともない私の方がキッツイ呪いにかかってるんですか?私が気づいてなかったなら、知らずにいたほうが幸せだったのでは?教えないでもらえます?馬になるより悲惨な事ってあります?
「ロイスの呪いはどんなものなんです?解くことはできるんですか?」
アート、完全に信じてますね。こんな不思議世界の主さんなんですから信じた方がいいのでしょうが、私からすると急にそんなこと言われても……というかんじなのです。
「さてな。できんことはないが……お前、本当にアシュレイに似てるな。あの家の者はみんな似たような顔をしている。ハハハ!あいつはこんなことしたら激怒してくるがな」
「むわっ!!やめてください!ちょっと!!」
主さんは私との会話を切り上げると、アートの顔を手でむにむにと引っ張ったり、髪を持ち上げてみたりしはじめました。アートは不服そうに抵抗したりしています。なんだか、親戚の子どもをかわいがるおじさんみたいな?いや、知りませんけど。
「ああそうだ。表にいるルドガーとかいう男も連れて来い。アシュレイの子孫割り引きで、部屋が山ほどある建物ひとつ貸し出してやる。どうせ呪いについての説明もあるし……1週間は滞在することになるだろうからな」
「1週間も滞在してご迷惑ではありませんか?」
アートがぐしゃぐしゃにされた髪型のままで尋ねます。なんだか、この人の前だとアートも形無しですね。完全に子ども扱いというか。多分主さんはアートよりも年上なんでしょうが。
「最近まともな客が来なくてな、ちょうど暇をしていたところだった。アシュレイにも恩着せられるし、お前とお前の嫁の面倒くらい見る余裕はあるからな」
「嫁じゃありません!」
一応否定しておきます。私を助けることで彼の家に恩を着せられても困りますからね。
「あの、アシュレイ様って生きてらっしゃるんですか?」
アートがなんだか青い顔で主さんに尋ねました。
「つい先月もビーフシチューを作れと言って押しかけてきた。自由奔放なやつだ、昔から」
「そ……そうなんですか。」
アシュレイ様って、確か10代くらい前のエインズワース家当主で、60歳で失踪したとかいう方だった気が?いや、まさか。気のせいですよね。伝説とかみたいなものだってアートも言ってた気がしますし。聞き間違いか、冗談のはずです。ていうか、びーふしちゅーってなんですか?
聞きたいことは山ほどありましたが、そんなこんなでとりあえず、私たちはミサカツキの主様が用意してくださった建物に、1週間ほど泊まる事になったのでした。
今回も読んでくださってありがとうございます!




