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私たちの国アズライト帝国は冬の国と呼ばれるほどに寒く、夏はほんの短い期間しかありません。だから南の島国、と言われるとなんだか憧れのようなものを感じてしまいますね。南って暖かいと聞きますし。それに私の家出の旅って、結局は国内に限っていますからね。
世界地図とかいうものがアートの家の保管庫にあるらしいのですが持ち出し厳禁らしく、詳しくは知りません。なんでも、完璧な世界地図は今の技術では作れない「おーぱーつ」とかいう存在にあたるのだとか。外交をしている国の地図などはあったりもするのですが、南の島国と言われてパッと名前を思い浮かべられるような知識は私にはありませんでした。
私が知る他の国と言ったら、隣国のネフライト王国くらいでしょうか。アズライト帝国とネフライト帝国は、一つの島を二つに分けて存在しています。アズライトとネフライトは隣合った国なのに、領土争いをしたことが一度もなく、和平を結んだ関係で、姉妹国家と言われています。国家間の通行も比較的ゆるいらしいですし、まあ、ほぼこの国も大きな島国だと言っていいでしょう。互いの国の貿易も盛んです。ネフライトは魚がよく取れ、アズライトでは鉱石や、特産品の果物なんかがよく取れるので、互いに補いあっているわけですね。ネフライトのほうが気温は低いらしいんですけど、アズライトの海は荒れやすく、魚があまりとれないんです。
アズライトは帝国なので王様や貴族の権利がかなり強いのですが、ネフライトは王国で、比較的貧富の差が少ないのだとか。平和ですよね、噂程度にしか知らないんですけど。もしかしたらネフライトなら、政略結婚とかないのかもしれません。私も最終的には行ってみたいんですが、そこに行くには王都を通らなきゃいけないのが悩みどころなんですよね。
……と、話が脱線してしまいましたが今はとにかく目の前にいる、喋る馬問題についての話をしなければなりませんでした。
「ルドガーさんは喋る馬って見たことありますか?私は無知な田舎者なので馴染みがないんですが……」
「あるわけないでしょう!これは幻覚か白昼夢の可能性が高いですね」
ルドガーさんは半ば投げやりな様子で返事を返してきました。うーん、気持ちは分からないこともないんですよね、そう、馬って喋りませんもんね。田舎者でも知っている常識です。
「現実を見ろルドガー、これは夢じゃない。あの馬は流暢に喋っていたぞ」
「アート、ちょっと私の頬を抓ってもらっていいですか?」
「夢かどうか確かめたいんだろうが、私は君の頬を抓ることなどできない」
「なんでですか。軽くですよ?」
私は早くも現実逃避モードでした。でも、安物買いの銭失いとか言いますし、安い馬にも理由があるということなんでしょうね。ある意味では安い金で高いものを買った気もしますが、面倒ごとがプラスされたのでプラマイゼロです。
「気持ちの問題だ。好きな相手の顔に少しでも跡がついたらとか気になるんだ。今は爪とか伸びてるし。君が私の頬を抓るなら別にいいが」
「どう考えても公爵様の頬を抓る方が怖いんですけど……」
そもそもそれじゃ、夢かどうか私には全く分かんないですしね。無駄な行動はしないに限ります。
「お二人ともいちゃついてないで、あの馬について何か考えてくださいよ!」
断固としていちゃついてはいませんが、ルドガーさんの言う通り馬の人についての処遇は考えなければなりません。
私たちは馬から少し離れたところで三人、円陣を組んでこそこそ話し合います。誰かと円陣を組んだのは生まれて初めてですが、こんなに近いのにときめきも何もないのは不思議なものです。試合前みたいなかんじです。別に馬の人と戦う気は全くないのですが。
「南の島国の王子と言っていましたけど、アズライト帝国の言葉で話せるのはどうしてなんでしょう?」
「さあな。あの馬に聞いても良いんだが、本当のことを言っている確証はないしな」
「ちなみに貿易のある南の国で思い当たる節はありますか?」
「そうだな……エリゾアいう小さい国が、ガルドスという街の港から目と鼻の先にあるな。小さい島だしそこまで豊かな国でもないから、外交もあまり盛んではないが……あの馬に聞いてみるか?さっきから大人しくしていて逆に不気味だな。」
「ちょっと聞いてみますね」
大人しくしてても喋っても文句を言われる馬の人はなんだか可哀想です。実家での私みたい。いや、王子様なら私ほどの扱いは受けたことが無いんでしょうが、少なくとも馬扱いはされているはずです。いつから馬なんでしょう?
「すみません、いつから馬になってしまったんですか?」
「一か月前だ」
王子様が一か月馬生活って結構辛そうに感じるんですが。でも、確かに人間が急に馬になって売り買いされそうになったら確かに暴れるかもですね。私でも暴れるかもしれませんもん。
「あなたの国はエリゾアですか?」
「そうだ!!知っているのか、ロイス?!」
「いえ、アートが知っているみたいです」
「そうか……」
別に私が知っててもアートが知ってても同じな気がするのですが、馬の人はなんだか残念そうです。アートとこの人、ウマが合いそうにないですもんね。あ、駄洒落とかじゃなく。
「あなたの名前は?」
「レオンだ」
「あ、いえ私がつけた名前ではなくて……」
私があたふたしていると、馬の人は続けて言いました。
「レオン=ムルエル=エリゾア1世。それが私の名だ。私の名前を偶然言い当てたお前は、私の運命の相手。人間に戻った暁にはお前を嫁に取ろう」
「なんだと貴様、大した国の王子でもないくせに叩き斬るぞ」
「アーチボルト様!すぐ叩き斬ろうとしないでください!」
そうですよ、ルドガーさんの言う通り、殺生はいけません。というか、まーた運命ですか。やめてくださいよ、大体この人本当にレオンて名前なんですか?そんな偶然ありえます?確率でいうと、今立っているここの地面に穴を掘ったらたまたま温泉が沸くくらいありえない話ですよ。いや、意外とあるのかも?ないですよね?
「運命以外に何がある。私は巡り会うべくしてロイスと出会った。馬屋に売られたことすらもロイスと出会うための運命だったのだ。」
「何が運命の相手だ。レオンというのはこの国の果物の名前だ。お前の毛の色が栗色だからレオンとつけただけだ。そうだろうロイス」
「あ、それはそうなんですけど……」
レオンとは栗色の固い殻に覆われた、中身はオレンジ色で歯ごたえのシャキシャキした、アズライトの特産品の果物の名前です。別に人名としても普通に使われている名前なのですが、馬の人、というか王子様に対してつけた名前はその果物が由来なのです。
「関係ない。私の国ではレオンは果物の名前ではないのだからな。大体、果物の名前は他にもいくらでもあるだろう!レモンにオレンジ、リンゴ、ハスヤコ、ラナモ、アユキツ!」
「その中に栗色の果物が一つでもあるか?!お前の色の果物はレオンくらいだ!!」
聞き覚えのないものもいくつかありますが、南国の果物なんでしょうかね?というか、そんなどうでもいいことで熱くならないでください!他人が言い争っているのは見ているだけで疲れますからね。
「運命かどうかは置いておきましょうよ。南の島エリゾアの王子であるあなたが1ヶ月前、どうして馬になって、どうしたら元に戻って、金の力で旅用の馬を弁償してくれるのか教えていただけますか?」
「ロイス様、その、本当の王子かもしれませんからもっと親切にして恩を売らないと……」
「エリゾアの王子なんかに恩を売っても一銭にもならんだろう」
金が欲しいわけではないのです。私は今、一般的なただの家出旅行中なのですから。馬を買ったのに馬じゃなかったわけですから、一大事なのです。私の旅費の6分の1をこの馬の王子様に使ってしまったわけですからね。
「……わかった。聞いてもらおうか、私がこうなってしまった経緯を。」
そうしてアートと私とルドガーさんは、馬の王子様の話を聞くことになったのです。
その頃、もう陽はほとんど沈んできていました。




