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コンコン。
「……んぐぉ?!」
朝、私は部屋をノックする音で目が覚めました。私が寝ぼけ眼でよろよろと起き上がってようやくドアを開けると、目の前にはキリッとした顔のピシッと綺麗な衣服を着た公爵様が立っていました。そういう服、毎日どうやって用意してるんですか?手ぶらに見えるのに!
「はい……って、公爵様?!」
「アートだ。」
完全装備の公爵様に、さっきまでよだれたらして寝ていた貧乏男爵令嬢。見るに耐えなそうなので、私は会話しながらもドアの裏側に隠れます。
「こんな朝早くにどうしたんで……うわーっ?!もう9時?!すみません!!」
そこでようやく、私は時計の時刻を見たのでした。
「ただの寝坊か。なら良いんだ」
「いや、良くありませんよ!1時間も待ってたんですか?!」
「気にするな。考えてみれば君は家出してるわけだから、同行者の私は君の生活時間に合わせるのが普通なんだからな。待ち合わせるのすらおかしな話だ。」
いや、家出するのに家出の原因が同行している時点で全然普通ではないんですけど。
「いえ、家出とは関係なく待ち合わせをしたのに遅れた私が悪いんです。普通とか普通じゃないとかの問題ではないんです」
「言われてみればそうだな。じゃあ私は部屋で待っているから君もさっさと支度しろ」
「え?はい!」
素直すぎてアートがすごい手のひら返しをする人みたいになっていますが、とにかく私は猛スピードで身支度をはじめたのでした。髪を梳かして、顔を洗って歯を磨いて、昨日まとめた荷物を持って。ちなみに、宿代は3日分全て先払いしました。
「アート、お待たせしました」
「早っ!そんなに急がなくても良かったのに」
「いえいえ、隣町の港まで結構かかるみたいですし」
「途中に民宿くらいあるんじゃないか?まあ、先を急ぐなら港まで駆けて行ってもいいんだが」
そんなことを話しながら宿屋の階段を降りて行き、玄関を出て馬屋のある方に歩き出しました。
「あ、でも私、馬を早く走らせるような技術無いかもしれないので、やっぱり途中で一泊した方が良いんでしょうか」
「行けるところまで行ってから泊まるところを探せば良い。馬に乗って移動するのはなかなか楽しいぞ」
「はい!楽しそうですね」
キャッキャウフフ、私たちはなんだかはしゃいでいました。かなり打ち解けてきてしまったからかもしれませんね。もうこれは、恋仲と言うよりは友達みたいなんですけど。
「ロイド、馬を取りに来たぞ」
私たちは馬屋のある牧場にたどり着いて、昨日の馬屋に入りました。私はまず目に入ったロイドさんに会釈をしてから、奥の方にもう1人誰か立っているのを見つけました。なんだか兵隊みたいな格好をした、どこか雰囲気が貴族っぽい男の人です。
「あっ!!」
その人はこちらを見ると、凄い勢いで走ってきました。私は驚いてアートの背後に移動します。この状況だと、十中八九アートの知り合いでしょうからね。公爵様は居なくなったら探されて当然なのです。
「やはりここに来ましたか、アーチボルト様!」
「……なんだ、意外と遅かったなルドガー」
ルドガーと呼ばれたその、アートと同じ歳くらいの男の人はかなり疲れたような怒ったような様子でした。赤みがかった茶髪に、活発そうな顔立ち。え?活発そうな顔立ちといったら活発そうな顔立ちですよ。それ以外の何者でもありません。
「花嫁を連れて逃亡するなんて、何を考えてるんですか!」
ああ、やはりなんらかの認識の齟齬が生まれてしまっているようです。まあややこしい状態ですし仕方ないのですが。ここは私のせいなのだと説明しておかなければ。
「あ、あのそれは私が……」
私が口を挟もうとするのを、アートが視線で止めてきました。黙ってろと言うなら黙ってますが。
「何を言ってる。口説き落とせるまで追いかけ回すのは我が一族の専売特許じゃないか」
専売特許だったんですか?というか口説き落とせてないって言っちゃうと、結局私が逃げてるのがバレてしまいませんか?
「え?!断られてるんですか?!じゃあ手紙とかでそれを知らせてくださいよ!!なんの連絡もなしに消えられたら困るでしょうが!!」
あ、連絡すればオッケーなんですか?やっぱり〝運命の出会い婚活〟に前向きなご家庭なんですね。なんですかそれは。
「知らせたら誰かしらついてくるだろうが」
「当たり前でしょう!あんた公爵なんですよ!どこかわからないところで野垂れ死にでもされたら困りますから!!」
この人は多分アートの部下やら護衛やら家の人みたいなんですが、物言いがきついですね。ヘコヘコしてないというか、なんというか。アートの自由すぎる言動にも原因はあるのでしょうが。
「でも、ロイス様のご家族もとても心配なさってましたよ。なんか、1ヶ月以内に帰らないとかなりまずいとかなんとか」
さすがに名前バレしてるみたいですね。でもまあ、黒髪だからロイス本人だと分かったのかもしれませんが。そんなことよりも……
「心配ですか?家族が私を?」
「気のせいじゃないか?」
私より先にアートがそう言いました。当然ルドガーさんは怒ったような顔になります。まあ、ルドガーさんは私の家族の普段の態度なんて知るわけもないんですし。
「アーチボルト様!そんなデリカシーのないこと言うからフラれるんじゃないんですか?!」
いえ、別にそれが理由なわけではないのですが。
「いえ、私は家族に酷く嫌われて生活してきたので、心配していると言うのが不思議だっただけなんです」
「え?!もしかして家出の理由ってそれですか?自分を虐げてきた家族が、公爵家という金持ちの家に嫁ぐことになった途端に擦り寄ってきたのが不愉快だったとか?ハ〜〜!!それ、3代前の奥様と同じじゃないですか!」
いえ、大体正解ですけど大体不正解です。というか、3代前の奥さんも逃亡旅行したんですか?逃亡旅行ってなんなんだって話ですけど。
「私は公爵様が立派な人だから、私のような卑しい家族の元に生まれた無教養な人間と結婚してはいけないと思うんですよ。それが大まかな理由です」
「そうなのかロイス?」
そうなんですよ、大まかにはね。まあちょっともっと言い難い細やかな心の負荷みたいなものもあるんですけどね。
「……ロイス様、深く考えすぎじゃないですか?あなたの家からエインズワース邸は遠いし、金とか集られても無視すりゃいいじゃないですか。そんな頻繁に押しかけてこれない距離ですし」
そんな現実的な観点からそんなこと言われても困るんですけど。でも、例えばシャーロットがエインズワース邸に押しかけてきて無理やり住んで公爵様が寝取られるかもしれないじゃないですか。
まあ、アートみたいな変人が相手だと、シャーロットの人に好かれる云々の能力は発揮できないような気もしますが。
とにかく結婚相手の家の者を手酷く追い返すのは角が立ちますし、そういう観点からも私の家と家族全員はとにかく良くないのです。
「それに貧乏だった私が急に贅沢な暮らしを手に入れたら、私の家族みたいに浪費家のクズになるかもしれないじゃないですか!」
「自分でそう心配してるなら大丈夫ですよ!なりませんって!絶対!」
ルドガーさんは何を馬鹿なことを、みたいな呆れ顔で否定してきます。
「初対面なのになんでそんなことわかるんですか!」
私は当然の質問をぶつけました。
「エインズワース家の歴代当主が直感で選んできた花嫁は確実に全員まともな人間なんですよ!!だからあんたもまともな人なんです!!」
「ええ?!そんな非科学的な!!」
エインズワース家関連の人たちはみんなこの直感花嫁信仰を信じきっているみたいです。あんまりにも自信満々なのでうっかり「そうなのかも?」とか思ってしまいそうですが、私は騙されませんよ。私なんかを騙してどうなるというものでもありませんが。
「俺だって非科学的だと思いますけど、実際そうなんですから。縁起がいいんですよ、選ばれた花嫁さんは。ちなみに歴代当主で初恋の人と結婚できなかった人はいません」
「そうやってプレッシャーかけてくるからじゃないんですか?!」
「ロイス、私以外とあまり喋るな」
「なんですか急に?!申し訳程度の独占欲を発揮してこないでくださいよ!」
ツッコミどころが多すぎて疲れてしまいます。本当に特殊なご家庭のようで、どうしても直感で選んだ人と結婚しなきゃ気が済まないみたいな。
もしかしたら国中を探せばもっと好きだ!って思える人と出会えるかもしれないのに、私みたいに偶然昔見かけたくらいの人間を断固として花嫁にしようとする。理解に苦しみます。私の結婚しない口実と言う名の逃げ場を一つずつ無くされていっている気もしますし。
「とにかく、公爵家に書状を出してきますからここで待っていてください!これからの旅は俺も同行しますから」
「えっ?新婚旅行に付いてくる馬鹿がいるか」
新婚旅行ではないですけど。
「公爵なのに護衛も付けずに放浪の旅に出る馬鹿がいますか」
そう言ってルドガーさんは駆け足で向こうに走って行きました。書状を出すんですよね。
「……よしロイス、そろそろ行こう」
「え?いやいやいや、まずいでしょう」
とは言いながらも、私はアートに促されるままに昨日買った暴れ馬さんに近づいて挨拶をします。鼻のあたりを撫でると嬉しそうにしていて、とてもかわいいのでした。
「あとロイド、お前……」
「俺はなんも喋ってませんよ。あの人が勝手に来ただけなんで」
「……」
「ほんとですって。」
ロイドさんとアートがなんだかギスギスした空気を発しながら話をしています。ロイドさん、話してないと思うんですけどね。口は固そうに見えるし。
「あなたの名前を決めないといけませんね」
私とアートはそれぞれ馬を引いて、とりあえず小屋の外に出しました。さて乗って出かけようかというところでルドガーさんが走ってきました。ものすごい速さで手紙を出してきたみたいですね。
「ちょっと!!なんで先に出かけようとしてるんですかあんたら!!自由か!!!」
いえ、これはアートに言われてですね……って、私も2人で旅を続ける方が精神的に楽そうなのでこの人を置いて行きたい気持ちもあったんですが。
「あーあ」
アートに私の口癖が移っちゃいましたね。
そんなこんなで、私とアートの奇妙な旅の仲間に、公爵家専属護衛兵ルドガーさんが加わったのでした。




