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「私の一番古い記憶は……」


私は少し考え込み、ぼんやりと頭の中に人影を思い浮かべました。女の人の声と、何人かに取り囲まれる小さい私。


女の人は私の腕を強く掴んで言うのです。


「お前はあの男と同じ黒い髪に、ああ、おぞましい……あの冷血なところまで引き継いでいる!お前はあの男と同じようにまた私を……」


私を睨みつける目。それが怖くて頭から離れないのです。


ああ、あれは誰だったのでしょうか。声は覚えているのに顔が思い出せません。そう、老婆の声だったからあの人はきっと私の祖母……いえ、ひょっとしたら叔母さんなのかもしれません。その目が何色だったのか、それが誰だったのかは思い出せないけれど、ただ、酷い憎しみを向けられた感覚だけが頭に染み付いています。


そう、一番古い記憶がそれでした。


それで、たしかその頃から両親の私への嫌がらせは始まったのです。きっと、その〝何か〟が原因で、私は嫌われたのです。


「ロイス?」


少し黙り込んでしまった私に、アートが心配そうな顔を向けてきます。私はそれに慌てて次の言葉を考えました。


「……あ、ああ。古い記憶でしたね。うーん……家の庭の木から落ちた記憶でしょうか。痛かったなあ」


……と、嘘をついてしまいました。本当にあった昔の記憶ではあるんですけど。でも、アートの方からこんな意味のわからない質問をしてきたんですから、おあいこですよね。


……私が家族や祖母から嫌われたその、なんらかの〝欠陥〟が、いつかこの人のことも失望させてしまうのかもしれません。そうしたら彼は私に愛想をつかしてしまうのかもしれません。それが悲しいから、私は彼との結婚から逃げるのでしょう。


結婚したら、一緒に居なくてはならないから。彼に嫌われても、彼が私から離れられなくなる。彼に嫌われてもきっと、私はみっともなく、彼にしがみつこうとしてしまう。


「木か。木登りが好きなのか?」


「いえ、その日は洗濯物が木の上に引っかかってしまって……」


「そんな小さい頃から家事をやらされていたのか?」


「言われてみればそうですね」


そうでした。5歳くらいだったでしょうか、親が姉ばかり構って私には見向きもしませんでしたから、私は頑張って子どもにできないような仕事をすれば親が構ってくれると思っていたのです。実際は、出来るなら働けとこき使われるようになっただけでしたが。


「私、両親のことが昔は好きだったんです。でも、彼らが私のことを好きじゃないのだとわかると、すぐに好きじゃなくなって。」


「当然だ。自分を嫌っている相手をなぜ好きにならなければならない」


そう、そんな当たり前のことが今は分かるのに、昔は必死で両親に好かれようとした。頭が悪かったのです、私も。


「じゃ、私があなたを嫌いになったらあなたも私を諦められますか?」


ちょっと意地悪ですが、聞いてみます。


「君は私を嫌いにならないし、私も君を嫌いにならない。私はそうなるように努力している」


「……自信家なんですね」


「そうか?」


そうですよ。自分が嫌われない絶対の自信なんて、私には全くありません。頑張ったって自分は嫌われてきたのです。いえ、自分が頑張ったと思い込んでいるだけで、私はまだまだ努力が足りなかったというだけなのかもしれませんが。


「君がこれから私を嫌うとすれば、何か理由があってのことだろう。子どものころから君を嫌っていた家族には理由がない」


「……あるかもしれないじゃないですか。私が何か、取り返しのつかないことをしたとか」


アートはそれでも顔色一つ変えずに、すぐに言葉を返してきます。


「本気で恨んでいたり憎しみがあるなら、公爵家に嫁ぐからって急にご機嫌とりなんかしてこないだろう。であれば、恨みはないが邪魔者扱いしているだけだ」


「言い切れますか?そんなこと」


「言い切れる。少なくとも私は、君がこれから何をしようと、誰に何を言われようと嫌いにならない。」


何をしようと、誰に何を言われようと。そんな人間いるのでしょうか?私がとんでもない悪人だったら、この人、間違いなく破滅しますよ。まあ、私にそこまでの悪いことをする度胸なんかありませんが。


「……それは嘘です。何をしても、だなんて」


「君は故意に人の嫌がることをする人間じゃない。3日しか話していなくてもそれくらいわかる」


真っ直ぐな目、きっとこの人はそういうことをする人に出会ったことがないのでしょう。意味もなく他人に嫌悪感を向けるような人間も、見下していた〝そういう存在〟に手のひら返して媚を売れるようなプライドのない人間も。公爵家ですから、当たり前かもしれませんが。


「私はそんな大層な人間じゃありません」


ああ、また卑屈になってしまいます。あなたのせいですよ、アート。


「うーん……なあロイス、私は君のことを漠然(ばくぜん)と好きだということしか分からないし、ほとんど君の生まれ育った環境のことも過去に出会った人のことも、何も知らない。君のすべてを知った上で私が君を嫌いになると君が思うとしても、なあ、すべてを理解しあって結婚している人間なんているのか?」


「そりゃ、結婚する相手のことなんですから……すべて知って結婚すべきじゃないんですか。結婚してからとんでもない過去や本性が明かされてももう遅いんですから。気を付けたほうが良いですよ、直感だけで選んだ私を完全に信用するなんて……」


「君こそ、会ってまだ三日なうえに自分に求婚してる男と二人きりでこんな人気(ひとけ)のない森に来るなんて気を付けたほうが良いぞ」


それ、自分で言うんですか?と私は少し苦い顔をします。そもそも、この人はわざわざこんなことしなくても力尽くで私を家に連れ帰るくらい簡単な事なんですから。気を付けたほうがいいとか今更な話です。


「あなたは信用に足る人間ですから」


「それは君にとってだろう?私にとっても君が信用に足る人間だというだけのことだ。君だって私の過去なんて何にも知らないだろうに」


「……まあ、それはそうなんですけど……」


ある種、卑屈な人間アピールをすることで嫌われようとの狙いもあったんですが。この人には何をしても無駄な気もしますね。私にはそう派手に嫌われるようなことする勇気もありませんし。


「君は自分の見た目には自信が無いのか?」


なんですか突然。


「気が強そうだと言われますし、見た目自体褒められたこともありませんし。自信はありませんね」


「私は君の切れ長の目が好きだし、艶のある綺麗な黒髪も好きだし、働いてできたらしい手の固くなった部分も好きだ。見た目だけの好みで結婚する者だっていくらでもいるが、私は君の見た目も好きだし、性格もおおむね好きだと思うのに君が理由で結婚できないのはおかしい」


そう言いながらアートは私の手を取って、掌をさすりました。驚きすぎて数秒固まっていた私ですが、くすぐったくて慌てて飛びのきます。アートもなぜかものすごく驚いた顔をしています。私のほうがびっくりしてるんですけど。


「び、びっくりするので急に触らないでください!」


「好きなのに?」


「いや、え?!何が?!好きとか関係ないじゃないですか!!」


「じゃあ今度から触っていいかと聞いてから触ることにする」


「は、はあ」


それはそれでなんか気持ち悪い感じになりそうで嫌なんですけど、ホントにこの人は素直です。


「結婚するか?」


「しません」


そこでこの会話は終了し、私の過去についてはそう特に言及されることもなく私は食べ終わったサンドイッチの袋をたたんで鞄に入れると、水の瓶を二つ取り出して片方アートに手渡しました。パン系のものを食べると口の中がぱさぱさになりますからね。


「はい」


「くれるのか?」


「はい」


「ありがとう、好きだ」


「はいはい」


こう、なんだか彼のさりげない告白を流すのにも慣れてしまいましたね。照れてないわけではないんですが。明日から海のほうに向かいたい、ということをどのタイミングで言い出そうかなあなんて私は考えていました。二人で森を更に進んでいくと、今日はまだ時間が早いので木々の隙間から木漏れ日が地面に落ちていてとても綺麗でした。


「なあ、今日は行けるところまで進んでみようか」


そう言ってアートが少し楽しそうに笑ったので、私も少し笑いました。


「いいですね」


本当に、この人と一緒に居ると楽しくて幸せで、たまらないのです。



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