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馬には案外人の手も借りずに簡単に乗ることができて、安定しているし動かし方もなんとなくわかりました。私、元々結構運動神経はいいほうなんですよね。
「ロイス、馬に乗るのが上手いな。本当にはじめてか?」
アートが褒めてくれました。私は褒められると調子に乗るタイプなので、必死にそれを頭に押し込めて誤魔化すように笑います。
「いえ、多分この馬さんが大人しい子なだけですよ。すごく乗りやすくて、ハハ……」
しかし、私のこの発言は馬屋さんによって取り消されました。
「いや、あんたが選んだからそれに乗ってもらっただけで、そいつはこの中で唯一の暴れ馬なんだ。あんたが触っても大人しかったから乗せたんだが……あんたは馬に乗るのが上手いよ。」
いや、初心者を暴れ馬に乗せないでくださいよ!とは言いたいところなのですが、この馬は本当に大人しいし毛並みも気持ちよくて、栗色の綺麗な色をしていました。顔もなんというかタイプだし、たてがみの生え方もとてもかっこいいのです。
暴れ馬、とは言いますがそんな素振りは全くありませんし。
「世話してやってもちっともなつかねえ。何年か前に手がつけられないってんでうちが引き取ったんだが売れもしれえし、買ってくれるってんならそうだな……10000ヴァルでいいぞ」
「10000ヴァルですか?!」
馬にしてはたしかに破格なので驚きですが、私の旅資金の3分の1くらいは持っていかれてしまいます。公爵様は自分が金を出すと言っていましたが、この暴れ馬くんを飼うのは完全に私の好みなので彼に買わせるのは嫌でした。
「高いか?5000ヴァルでもいいぞ」
「5000ヴァル?!値引きすぎじゃないですか?!」
「じゃあ10000ヴァルで買うか?」
馬屋さんはなんとなく面倒そうにそう言いました。どうやら本当に、この馬が邪魔なようですね。心なしか馬も不満そうな顔をしています。私はとりあえず馬から降りて馬の顔を撫でました。そして少し考え、頷きます。
「いえ!5000ヴァルで買わせてください!!」
「よし、売った。」
「待てロイス」
「うわっ?!」
交渉成立、私が袋から5000ヴァルを取り出して渡そうとすると、その手をアートがガシッと掴みました。私は驚いてアートの手を振り払い後ろにザザッと下がります。いえ、びっくりしただけなんですよ、ほんと。そんな悲しそうな顔をしないでくださいよ、アート。
「……私が払うと言っただろう」
「いえ、これは私の馬なので!それにあなたにこんな高いものを買ってもらう筋合いは元々ありませんから!あなたはさっきの黒い馬を買って、それぞれ乗って行きましょうよ。私ほら、値引きしてもらいましたし!」
そう、だって私はそもそもこの人の求婚を断って家から逃げ出している人間なわけですからね。って、ああ!アートが更に悲しそうな顔に!
「アハハ!筋合いがないってよ!坊っちゃん、フラれちまったな」
そんな時、急に馬屋さんがそう言って笑いました。公爵様相手ですよ?!と私は驚きます。まあ服装から金持ちのお坊っちゃんだと判断したんでしょうけど、まずいんじゃないでしょうか。流石に公爵様相手にこんな口をきくと何らかの形で処罰されかねません。
しかし、アートは全く動じていない、どちらかと言えば拗ねたような顔で馬屋さんに返事をしました。
「うるさいぞロイド。もう何度もフラれてるんだ」
なんと、アートは彼のことを名前で呼んだのです。ロイド、というのは間違いなく人名でしょうし。二人はなんだかわかりませんが打ち解けたような雰囲気ですし。
「え?!お知り合いなんですか?!」
「昔はアデル坊っちゃんと一緒によく遊びに来てたからな」
馬屋さん……ロイドさんは急に私にも砕けた雰囲気になって、不愛想そうな顔じゃなくなっていました。わかりますわかります、私も友達がその場に一人いるだけでかなり話しやすくなりますもん。
「アデル坊っちゃん?……というのは?」
しかし、知らない人物名を会話の中で出されると困ってしまうのもこういう状況でよくあることなのです。会話の流れからすればそのアデル坊っちゃんというのはアートと親しい間柄のどこかの金持ちの坊っちゃんなのでしょうが。
「アニスはメイスフィールド公爵領だといっただろう?メイスフィールド家の息子が貴族学校の同級生だったアデルなんだ。まだあとを継いでいないからあいつは侯爵令息のままだが」
アートが説明してくれました。つまりはここら辺の領主様の息子さんということですね。それに学校のお友達、うらやましいです。私も学校とか行ってみたかったなあ。
「そうなんですか」
私はとりあえずそう返事しておきます。
でもなるほど、だから迷いなくこの馬屋さんに来たわけですね。でも貴族学校は王都にありますし、王都や彼の家の領地の街からここはかなり離れていると思うのですが。まあ休みなどもあるのでしょうし、小さい頃はここら辺にもよく来ていたのかもしれません。
「で?お相手はこの人か?変わった風習だよなあ、あんたんとこの家も。一人決めたら口説き落とせるまで追っかけるとか」
「風習じゃない。そうしたいからしてるんだ」
「あんたの両親とか口説き落とすのに2年以上かかったんだろ?何年かかるかなあ、アート坊っちゃんは口下手だしな」
「うるさい。最長記録を更新してやる」
「いや更新しちゃダメだろ」
こんな不愛想そうな人に口下手だと言われるなんて、本当はアートは口下手なんでしょうか。確かに好きだとかしか言われてなくてキザな感じはしませんでしたけど、真面目そうで良いと思うんだけどなあ。
……というか、待ってくださいよ!それ、少なくとも2年は私を口説き続けるつもりだということですか?!絶対そんなにもちませんよ、私の精神が!
「と、とにかく!売ってくださるんですよね?この馬!」
「あーはいはい、ホントにその馬で良いんだな?」
「はい!かっこいいので!」
私がそう言うと、馬が得意げに鼻を鳴らしました。まるで人の言葉が分かっているかのようにです。やっぱり動物でも褒められると分かるんでしょうね、うんうん。
私が掴みだした5000ヴァルを手渡すと、ロイドさんは一枚ずつ数えています。アートはなんだか不機嫌そうに、向こうの黒い馬の所に行って毛並みをよく確かめているみたいでした。
「あの人が馬を一頭にしたかったの、金がもったいないとかじゃなくて二人乗りしたかっただけだと思うぞ。むっつりっぽいからな」
こそこそとロイドさんが私にそんなことを言ってきます。くっついて馬に乗るのって確かにカップルっぽいですけど、アートは単に私を心配してくれただけだと思うんですよね。でも、この人のほうがアートと付き合いが長いんでしょうから、何とも言えないんですが。なんといっても私、まだ出会って三日目ですからね。
「え?あはは、まさか。あんな立派な人がそんなくだらんこと考えてるわけないですよ」
「立派な人ぉ?そう思ってんのに結婚はお断りなのか?」
なんだか当然のような質問ですよね、確かに相手を嫌ってもいないのに結婚を断るのは変な話です。いったん家出してしまったので家に帰らなければならないのが億劫という部分は確かにあるのですが、重ねて思うのはやっぱり私の家族が卑しいというところです。あんな家族の元で育った私も卑しい存在なのです。
「あんな人間国宝みたいな人は、私みたいな疫病神と結婚しちゃいけないんです」
正直な感想でしたが、ロイドさんは心底困惑したような呆れたような顔で首を傾げました。まあ、そうですよね。私の家族のことなんてみんな知らないわけですし。
「は?……いや、アート坊っちゃんが凄い目で睨んでるからこの辺でやめておくが、あの人と結婚すれば大体のことは何とかしてくれるし、どうせ結婚することになるだろうから早めに覚悟決めたほうがいいと思うぞ。」
ええ、そんな私も薄々気づいていることを言ってしまうんですか。でも覚悟なんて決めませんよ、どうしてもアートと結婚したくなったら、それこそ全力で行方をくらますことにします。
「ロイド!!この馬はいくらだ!さっさと金をとりに来い!そして余計なことを喋るなよ!」
「はいはい、今行きますよ」
あんな焦ったような怒ったような顔をしたアートは、会ってからはじめて見ました。何を取り乱しているんだか私にはさっぱり理解できません。
しばらくロイドさんとアートは馬について話しているようでしたが、よく見ると昨日袋にしまっていた高価な石とかいうのを手渡していました。もしかして、その黒馬は50000ヴァルするんですか?!私の馬の10倍の額じゃないですか、どんだけ値引きされてるんですか私の馬は?!
「ロイス、もう行くぞ」
「あっはい」
アートが私の方に歩いてきて、右手で私の左手をとりました。どさくさに紛れて手を繋いで歩くつもりなんですか?私は別にいいんですけど……
「明日の朝ここに馬を取りに来て、そのまま出発だ。宿の近くに馬を置ける場所がないからな」
「分かりました。あ、ロイドさんありがとうございました」
「どういたしまして。不機嫌な公爵様はごめんだが、素直なお嬢さんは大歓迎ですよ」
あれ、意外です。ロイドさんは私を素直なお嬢さん認定してくださったんですか。あとアートがまた不機嫌そうになってしまいましたよ。
「ロイド、アデルが来ても俺のことは言うなよ。くれぐれも」
なんでですか。せっかく友達がいる街に来たんだから会えばいいのに。というか、あなた友達の前だと俺って言うんですか。
「はいはい、金も多めにもらったし言うことは聞きますよ」
ロイドさんは手をひらひらと振って私たちを見送ります。アートがさっさと出て行こうとするので私は慌てて立ち止まり、さっき買った暴れ馬に言いました。
「あ、明日迎えに来ますから、ちゃんとそこで待っていてくださいね!」
値引きされたとはいえ、逃げられては困りますからね。暴れずに自分の定位置に戻ってもらいたかったのです。すると馬は少し鼻を鳴らして、自分が元入っていた場所に戻って行きました。やっぱり聞き分けのいい子じゃないですか、暴れ馬要素ゼロですよ。
「あはは……あんた馬屋でもやったほうがいいんじゃないか……」
ロイドさんはそう言って呆れ顔、アートはなんだか驚いたような顔をしていました。いや、動物でも話は分かるもんなんですよ、やっぱり。
「そうですか?」
「ロイス、とにかく街に戻って飯でも食うぞ」
「あ、はい」
アートに手を引かれて、私は馬屋を出ました。そのまましばらく手を繋いで元の道を歩いていましたが、私は手が汗ばんできてしまったのが恥ずかしくて手を離しました。
「!……」
「あっ」
すると、アートがものすごいショックな顔をしたので慌てて「自分の手が汗ばんでしまったので」と言い訳しようと思いましたが、でも、なにも取り繕う必要ないですよね。アートが今多少傷ついてもある意味私にはそのほうが好都合と言うか、心は痛いですがそのほうがいいんですよ。諦めてもらいやすくなりますから。
「私の手が汗ばんでしまったので……」
あ、言っちゃいました。
「気にしないのに」
「私は気にします」
「もう汗は乾いたか?」
「まだです」
やっぱり言わなきゃよかったな、なんて思いながら私はアートと並んで歩きます。まだ空は青く、明るいのでこれからどこかに行くのでしょう。私はどうせ明日旅立つなら昨日の森の方なんかに行ってみたいな、と思うのですが。
とにもかくにも、二人で今日もご飯を食べることになったのです。




