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なんでも、どこぞの公爵様が私に一目ぼれをしたらしいのです。


名指しで求婚の書面が送られてきたそうなのです。


貧乏貴族であるメイリ―男爵家の娘である私に公爵様からの求婚を断れるわけはなく、親といえば一も二もなく大賛成。日頃からお前が金持ちと結婚すれば、とか娘じゃなくて息子だったらまだ役に立ったのに、とか散々言われて厄介者扱いはされてきたけれど、ついに家から売りに出される時が来た、というわけでした。


「公爵様にお願いして、きちんと我が家にも支援をするのよ。今まで育ててやったんだから」


「何の役にも立たないお前を育ててきたのはこの時のためだった。ようやく機会が訪れた」


私のあかぎれだらけの汚い手、割れた爪、家事を手伝っていて出来た脚の傷。今まで母や父が机でお茶して、お金もないのに浪費していた間に私がしていた家事は「何の役にも立っていなかった」ようでした。少なくとも、彼らにとっては。


「なんで私じゃなくてあんたなのかしら?はあ、何かの間違いだと思うけど」


「そうですわね、お姉さまのほうがお綺麗ですから」


「はあ?嫌味のつもり?」


「いえ、そんなことは……」


私には双子の姉がいて、でも見た目は似ても似つかず正反対。全然双子らしくありません。姉は両親と同じ綺麗な金色の髪、私は父方の祖父と同じ、黒い髪。姉はいつも私以外には天使のような柔らかい表情をしていて、大きくて丸い垂れ目と、綺麗な肌をしています。出会う人みんなを夢中にさせてしまうような。逆に私は切れ長の目なので気が強く見えるらしく、初対面の印象はあまり好かれないのです。


しかし街に買い出しに出た時などに出来た友人、服屋の娘さんであるアイリとは今も親しくしていて、彼女は私を〝いい人〟だと言ってくれました。友人はアイリ以外には思い当たらないし、そもそも田舎だから同年代の女の子に出会えることは少ないのです。同じようにして街で出会った年配の店員さんなどにはいい子ねえなんて言ってもらえるので、私が特別悪人であるとかはないと思うのですが。


ともかく私が何を言っても気に食わない様子の姉。今日はさらに不機嫌な様子で、この会話の後には私の部屋に勝手に入り机の上のものを地面に()ぎ払ってから去って行ってしまいました。いくら私の扱いが悪いとはいえ、なぜこうも私を目の(かたき)に出来るのかまったく不思議なものです。姉本人は周囲のみんなから好かれていて、私に対して劣等感なんて感じる要素はまったくないし、私以外には別人みたいに優しいし。人というのはまったく、よくわからないものですよね。


祖父は戦争で若くして亡くなったから、親族で黒髪なのは私だけでした。この国、アズライト帝国では金髪人口が非常に多く、黒髪は珍しいとされているのです。それと祖父は戦争でたくさんの人を殺したから、祖父と同じ髪色の私は両親も不吉だと言っていて、それもあって嫌われているようでした。


自分の子供なのに可愛いと思う気持ちは全くないのだろうか?と私は常々不思議に思っていましたが、正真正銘、私は彼らの実子だから驚きです。でも、そうして愛されずに育った割に私は今日、18歳を迎えるにあたって特にひねくれることもなく無事育っているから、やっぱり人間って分からないものですよね。


姉に対する悪感情も、実は大してありませんでした。両親が私を罵倒しているのを見て育ったのだから、それが普通だと思ってしまったのでしょう。習慣なのだから、きっと、多分、仕方のないことなのです。この家の中において、私は使用人からすら馬鹿にされています。食事は私だけパンが部分的にカビていたり、部屋の中に掃いた(ほこり)なんかを掃き入れられたり。自室は私がまとめて掃除するからいいんですけど、ゴミ捨て場みたいに扱われるのはやっぱり不愉快ですよね。


でもきっと仕方ないのです。私はこの家ではゴミのような存在、どう扱っても怒る人間などいないのですから。


公爵は、貴族なのにこんなボロボロの服を着て健気(けなげ)に働いている私を見かけるでもして、同情心でも覚えたのでしょうか?それとも公爵というのはものすごい年寄りで、貧乏貴族くらいしか若い娘を売らないから仕方なく私を選んだのでしょうか?でも公爵家といえば王家に次ぐ大権力を持つ家ですから、お年寄りでも嫁いでくれる金目当ての娘なんかいくらでもいる気もするのですが。


なんというか、こんな状況でもこの家を出られてどこか安心している自分がみじめったらしくて、悲しくなってきます。でも、公爵家に嫁げるということはこの国においてかなり幸せなこととされているのだから、おいそれと不満は言えません。まだ本人に会ってもいないんだし。ひょっとしたらものすごくいい人なのかもしれませんし。


「ああ!もう家事なんてやめなさい!手が荒れるでしょう?」


公爵家に行く日が一週間前に迫ると、母は今までにないくらい私の行動に気を遣うようになりました。これが親切なのか、はたして私には分かりませんが。


「はい。きっとお役に立ってみせますわ」


私はどう返すか少し迷うと、いつも微笑んで誤魔化してしまいます。両親に対する私の笑顔は、いつだって作り物でした。本当はここにも居たくないし、公爵家にだって行きたくない。でも、死にたくもない。結局のところ私は他にどうしようもないからと流されて生きていくのでしょう。これまでも、これからも。無価値と言われればそうなのかな、と思って、そんなことないよと友達に言われれば、それもまたそうなのかな、と思って受け入れる。


受け身で、努力家でもなくって、真面目なわけでも不真面目なわけでもない。勉強は人並み、家事も使用人程度に出来る程度。けれど公爵夫人になるのなら家事なんてやることもなくなるだろうし、それも結局のところ無意味でした。なんの取り柄もなくって、一目ぼれされるほど容姿が良いとも思えませんし。


私は全くの家事から解放されて、することも無いので久々に外に出て、近くの丘に向かいます。


「あーあ」


丘の下を見渡すと、やたらといい天気でため息がでました。今はブルーな気分でいたいのに、こんな空を見ていたらどうでもいいかと思えてしまうからです。


この街はいい街だと思います。のどかで、田舎だけれど緑がいっぱい。レンガ造りの街並みは田舎にしては洒落ているし、小さいけれどかわいい帽子屋さんだってあります。いつかお金を貯めて、あの帽子屋さんに飾ってある、紺色(こんいろ)で小さい綺麗な石のついた帽子を買いたいと小さい頃から思っていました。小さい(かわ)(かばん)を持って、その帽子をかぶって、動きやすい格好でいろんな所へ行ってみたいと。


半端に裕福な家にずっと住んでいなくたっていいのです。きっと、畑で働いたり、どこかに雇ってもらって細々と、誰かの役にたって生きているほうが幸せなのだろうと思うのです。そうして生活して、偶然出会った人といつか恋をして、それで結婚出来たらなんて素敵なのでしょう。見ず知らずの相手に一方的に気に入られて所有物のように明け渡されるより、きっと私はそのほうが楽しいと思っていました。


……ところで、今日の私はなぜだか、鞄に所持している(わず)かな宝石を全部突っ込んできていました。お金も全部。あと、ついでに大袋に服の替えまで何着か突っ込んできたのです。別に深い意味はなかったけれど、なぜだか今日はそうしようと思ったのです。思ってしまったのです。ほとんど無意識だったけれど、今の私はどこにでも逃げられてしまいます。逃げ道は、目の前に広がっていました。


「あーあ……」


勝手にまた、口からそんな声が漏れてしまいました。それしか感想がありませんでした。


そんなときでした。気力がわかずにそこから動く気の起きない私が、目を閉じたまま草原に仰向けで倒れ込むと、上から急に声が聞こえてきたのです。


「そんなところで大荷物を抱えて、どうしたんだ?」


それは男の声でした。私はものすごく驚いたけれど、驚きすぎて身動きが取れずに反射的に目だけ開けます。


「?!」


視界に広がるのは、金髪に青い目、爽やかな笑みをたたえた信じられないほどの美男子。その青年は、見たことがないくらいに眩しい顔面をお持ちでした。


私は大急ぎで起き上って後ずさり、丘から転げ落ちそうになりながら立ち上がって服についた草を大急ぎで払い落とします。レディーのたしなみというやつですね。そのキリッとした美形の青年は見るに20代前半といった容貌でやけに高級そうな青地の軍服を着ていて、いかにも金持ちの貴族の軍人です、という恰好をしていました。


そんなことより顔があんまり綺麗なもので、男慣れも美形慣れもしていない私は息苦しいような気分に襲われてしまいます。


そもそも同年代の男性と話す機会がほとんどなかったから、気まずいのです。大抵の男性は家に来ると姉の方に夢中になるので、私との会話の機会はありませんし。


ところで私は偶然出会った人と恋をしたい、みたいには言ったけれどもこの近所でそうなりたいわけではないし、いくら美形とは言えど初対面で馴れ馴れしい口をきいてくる他人に愛想よく接する気はありません。この人はなんだか高貴そうですし、姉の所にでも行っていただきたいと思います。


「はあ、家出でもしようかと思って。機嫌が悪いので用事があるなら他を当たってくれます?」


私がこんな感じ悪い態度をとることは稀にしかないのですが、今日は公爵家に行く4日前ということもあって気が立っていたのです。あえて、というところもありましたが。


「家出?それはまたなぜ?」


「色々と考えるのに疲れたんです。でも、多分結局しませんよ……」


まあ、私には勇気も根性もありませんからね。


「それは良かった、家から逃げられては困る」


「なんで困るんです?……ああ!」


私が驚いたように青年を見ると、青年は私の方へ二歩、三歩歩み寄りました。私は更に五歩後ずさったので距離は縮まりません。ここらへんで薄々、私はこの青年が公爵の関係者なんじゃないか?と疑い始めました。この高貴な格好、ひょっとすると、公爵本人かもしれませんし。


それに気が付いて「逃げられては困る」という言葉を頭でもう一度再生した途端、私は突如として、本当になぜか。逃げてやろう!と思い立ち、青年の居る方と逆方向へ走り出していました。


「あっ?!どこへ行く?!」


青年は酷く慌てた様子で私の後を追いかけてきます。私は坂に差し掛かると両足を曲げて草の上を勢いよく滑り降り、街の入り口まで俊敏な動きで走りました。路地に入れば街に詳しい私のほうが有利なのです。追ってくる足音が追い付く前に、私はそのまま近くに止まっていた顔なじみの荷運びおじさんに頼んで馬車の荷台に乗せてもらいます。十数秒して馬車が出るころにようやく青年が血眼になって追いついてきたけれど、そのまま馬車は隣町の畑に向かって走り出したのでした。


「ま、待て!!ロイス!!」


ロイスというのは私の名前です。ロイス=メイリ―。ちなみに姉の名前はシャーロット=メイリ―でした。家庭内では「おい!」とか「お前!」とか「あんた」と呼ばれていたので、アイリや街のおじさんおばさん以外に名前を呼ばれるとなんだか不思議な感じがしますね。感慨深いというか、知っていただいてありがとうございますというか。


それは置いておいて、青年が私の名前を知っていたことで公爵家やメイリ―家の関係者であるということはほぼ確定となりましたが、もう逃げ始めてしまったのだから引くわけにはいきません。つかまると怒られるなり叱責されるなりするかもしれませんし、このまま逃げれば怒られずに消息を絶つことも可能かもしれません。他に居住地を見つけてある程度安定したら、アイリにのみ手紙でも出そうと思います。


とはいえ荷台の後ろに腰かけているため、走って追いかけてくる青年と向かい合ったままで移動している姿勢になってしまいました。これは非常にばつが悪い。ついでに言えば馬車は大したスピードではないため、距離は開いたり近づいたり、青年が手を伸ばして私が避けて、の繰り返しが続いてしまいます。


圧倒的に突き放すことはできていないのですが足場が悪いので、ずっと走っている青年の顔にはどんどん疲れの色が浮かんできました。ちなみに、青年が今おじさんに馬車を止めろと叫んだところで、馬車の音がかなりうるさいからほぼ聞こえないでしょうね。


やけに諦めが悪いので私はなんだか悪いことをしたなあなんて思ったりもしましたが、せっかく自分の意志ではじめて逃げることを選択したのですから、いまさらやめる気もありませんでした。


「あのー!疲れませんかー!諦めてお帰り下さい!」


ガタンガタン揺れる馬車に座ったままの私は、あまりにずっと走って追いかけてくる青年に少し気が引けてきてそう叫びます。すると青年は先ほどの爽やかな笑顔とは全く違う、必死で汗をにじませたつらそうな顔で叫び返してきました。


「帰らんっ!!ぜっっったいに連れて帰るから覚悟しろ!!」


「!!」


なんということでしょう、親切心で言ったのに!私はびっくりして、馬車に乗り込める程度に追いついてきた青年のおでこを、つい強めのデコピンではじき返してしまいました。


「うっ?!」


はじき返してしまいました、というか意図してやったわけですから〝偶然そうなった〟みたいに言うのはおかしな話ですけれども。ともかく私にどつかれた青年は後ろのめりになってよろけてしまいました。そのまま後ろに尻餅をついて倒れこんでしまいます。これは怒られるでしょうね、高級そうな服も土ぼこりがついてしまったでしょうし。でもデコピンごときで倒れるなんて鍛え方が足りないのではないでしょうか?


そんなこんなで青年を置いてきぼりにして、馬車は相変わらずガタンガタン揺れながら同じようなスピードで進んでいきました。


「ごきげんよう!」


少し青年と距離が出来て安心した私が笑顔で手を振ったその時、ガタンと一度馬車が大きく縦に揺れました。突如として馬車の車輪が道の端の溝にはまったらしく馬車は止まってしまったのです。おじさんは困ったように降りてきて、私は真っ青。でも、おじさんが困っているのに私だけこのまま荷物を持って走って逃げるわけにもいきませんでした。おじさんは親切心で私を乗せてくれたんですから。


「大丈夫ですか?私が後ろから持ち上げるので前に馬を引いてください」


「ああ、すまないなロイス」


そうこうしているうち、私の背後には先ほどの青年が不機嫌そうな顔で仁王立ちしていました。まあ当然ですよね、分かっていましたとも。でも私は馬車を動かすのに忙しいので、見なかったふりをして馬車の後ろの板に両手をかけて全力で押し上げました。その時です。


「……私も手伝おう」


青年が私の隣に立って一緒に荷馬車の後ろ板を持ち上げ始めたのです。驚くことに、青年の力が加わると馬車はあっさりと進みはじめてしまいました。少し進むといったん馬車が止まって、おじさんがお礼を言いにわざわざこっちに歩いてきました。


「ありがとうロイス!力が強いんだな……と、そっちの方は?」


「いえ、この人の力がほとんど……手伝ってくださった方です」


よく考えれば私はこの人の名前を聞いていませんでした。嫁ぐ先の公爵家の名前も2、3度聞いたとは思うのですが記憶にありません。


気まずそうに青年のほうを見やると、青年はにっこりと先程出会った時のようなさわやかな笑顔で言いました。


「私はアーチボルト=エインズワース。ロイスの夫になる男です」


……と。








読んでくださってありがとうございます!よろしければ、しばらくお付き合いください。

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