第四話 スクリーンを眺めて <幕間>
一.五 幕間
近くで消防車のサイレンが聞こえている。
最近、近所で火事が多い。またこの辺りで発生したのだろうか。
「嫌だな」
どうやら、サイレンは私の住んでいるマンションの方角から鳴っているようだ。
私は少し不安な気持ちになり、無意識の内に歩調が早くなった。
私は今、帰途についている。
涼介君からのお願いで、座敷童子ちゃんの部屋着や下着を一緒に選んであげていたのだ。
確かに、一日中あの和装では、家の中でも全く寛げないと思う。
涼介君が言うには、部屋着は何とか大丈夫らしいのだが、やはり女児の下着は流石に少壮の男性一人では購入し辛いそうだ。妖怪は私達宿主以外には目視できないから。
今までは通販で選んであげていたらしい。
余り我が儘は言わないものの表情に直ぐ出てしまうという座敷童子ちゃんの性格を鑑みて、実際に品物を選ばせてやろうと考えた彼の心遣いから、父性が垣間見えた気がして私は何だか微笑ましかった。
日が落ちかかっている。
ほう、とついた吐息が白い。しかし、私がたった今出てきた年末商戦で騒がしい商業施設の放つ物凄い光量がそれを余り意識させないでいる。
私の自宅のマンションの近くには大型商業施設があり、そこで諸々選びましょうということになったのだった。
現地集合、現地解散。運転が大好きの私だが、マンションからは車を出す距離ではない。
冬の装いとイルミネーションを麗々しく飾り付け、煌々と輝くショーウィンドウの隣を歩いていると、先程、良さそうな店を見つけて色々物色していた時に、お子様用ですかという店員さんの世間話も兼ねた問いかけに対して、「ええ、まぁ、そんなとこです」と、涼介君が曖昧に濁したのだが、それと同時に、「はい、そうです」と、私が勢いで断言してしまったばかりに、私達の関係性について不審な目で見られてしまったことが思い出された。
お店を出ると、座敷童子ちゃんが壁に貼られた宣伝ポスターを発見し、観たいとは言わないものの興味津々な表情だった為、みんなで推理サスペンスの映画を観た後、早めの夕御飯を食べ、二人と別れたのだった。
しかし、友人と別れた直後というものは、何故毎回こんなに寂しくなるのか。
この現象は、私が独り暮らしを始めてから顕著になったように思う。けむおが座敷童子ちゃんのように話すことができれば、この感情が少しは薄らいだのだろうか。
私は外套のポケットの中にしまわれた両手をぎゅっと握った。
小さなビルの隣を過ぎると、壁に遮断されていたサイレンが格段に大きくなった。
このまま車道に沿って道なりに行けばマンションなのだが、けむおが動きを止め脇道の方をじっと見ていたので、私も足を止めて、そちらの方に目をやる。
そこには燃えている二階建ての民家があった。
二階の二つの部屋から勢いよく噴き出ている黒煙と火柱が、ゴウゴウと獣の唸るような音を立てている。
それは、まるで炎の化け物が、家の内側から、両腕で天井を持ち上げようとしているように見えた。
壊れて捨ててしまったドライヤーだったか、火加減を間違えてしまったフライパンだったか。どこかで嗅いだことのある焦げ付いた匂いが、一帯に充満していたが、私はそれがなんだったかを思い出せない。
辺りを吹き抜ける物凄い熱風が、人間という儚い存在を蹂躙しようとしているようで、熱を帯びた汗とも冷や汗ともとれる一筋の水滴が、私の頬を流れ落ちた。
ニュースやフィクション作品で知ったつもりになっていた火事の恐ろしさは、テレビやスクリーンの画面越しでは、完全には伝わってこないのだ。その上辺だけの認識を、私は塗り替えざるを得なかった。
消防車のサイレンがけたたましく響いている。
放水をしている消防隊員の後ろには、立入禁止のテープでも張られているのだろうか。その境界線から人だかりができている。
数人の野次馬が狂ったようにスマートフォンでその様子を撮影している。寝間着なのは近所の方達だろう。
薔薇の花弁や蛍の光などには到底喩えようもない純粋なる火の粉が、燃え盛る真っ赤な火炎の中から次々と産み出されていく。
その他の大勢の人々は不安そうな表情をしていながらも、どこか映画のスクリーンを眺めているようで、私もその一員だったことに気が付いた。
我に返ると、野次馬の中に見覚えのある人影があった。
「青葉?」
大学時代の同級生、能登川青葉が両手を皿のようにして小さな青白い炎を掌に留めているのが見えた。
青葉は何をしているのだろうか。掌の不自然な炎は妖怪なのか。
彼女はこちらに気付く様子も無かったが、私が呼び掛けようと数歩足を進めると、両手を大事そうにゆっくりと閉じ、そのまま野次馬の中に紛れてしまった。
さっき涼介君から聞いた悪い妖怪の話を思い出して、私はまた不安な気持ちになった。
その数時間後、青葉からメールが届いた。
「長浜さん、お久し振り。今日、あなたを映画館のホールでお見かけ致しました。もし宜しければ、今度の日曜日、あの和服の女の子を連れて、私のお家まで来てくれませんか。是非、貴方にお見せしたいものがあるの。一緒に妖怪のお話をしませんか?」
さっき映画館に青葉もいたのか、全然気が付かなかった。しかも、青葉は妖怪のことを知っているという。和服の女の子とは……、きっと座敷童子ちゃんだろう。
妖怪の話……。
私の周りを漂っているけむおを見ると、相変わらず穏やかで猶且つ無表情という不思議な表情だったのだが、この子は妖怪なんだという再認識から、何だか普段よりその存在が大きなもののように思えた。
そうだ、返信しないと。
さっきの火災現場と青葉との間に、何らかの関係があるとは思いたくないが、そう思わせるに充分なタイミングだったので、今はまだ、私の方からは青葉を火災現場で見かけたことを言い出せそうにない。
ただ、それでは青葉に対して何と返信すればいいのだろうか。事務的に、お伺いさせて頂きますなどと一言だけ返せばいいのだろうか。座敷童子ちゃんは私の妖怪ではないし、涼介君を巻き込む訳にはいかない。
けむおだけ連れていくか。
そう考えていた時に、スマートフォンが光った。涼介君からの今日の御礼のメールだった。
文末に添えられていた、『何か困ったことがあれば、僕で良ければ力になりますので。』という言葉に、一緒に画面を覗き込んでいたけむおの様子を窺うと、ふわりと大きく頷いたように見えた。
寒柝の遠鳴りが静かに耳に入ってくる。
次の日曜日までに、この辺りでは数件の小火騒ぎがあった。