第三話 光 <エピローグ>
エピローグ
今までに感じたことの無いような静かな夜更けだった。
再び我に返ると、私は玄関に立ち尽くしていた。その場に佇立したまま、依然として醒め遣らぬ神経の昂進を偏頭痛から感じとった。
それは外耳道に入り込んだ清涼な空気が頭蓋に浸透し、それが悉く脳に知覚されているような、鼓膜の震えとは異なる、もっと直接的な感覚だった。
先程までの無意識の私は、どうやら勢い良く回転する歯車のように肺を繰り返し活動させていたらしい。
横隔膜に粘着質の疲労がまとわりつくのを無抵抗のまま受け入れ、半ば導かれるようにリビングに置かれているソファに沈み、薄汚れた天井を眺める。
天井には琥珀色のしみや青黴の細い線があったが、忽ち蛍光灯のアークがその姿を曖昧なものに変えた。
「貴方は悪い妖怪に取り憑かれていました」
徐々に眩んでゆく視界とは対照的に、はっきりと冴えた認識の中で、座敷童子と名乗った妖怪の少女の声が響く。
妖怪を視認できるという余りに非現実的な現実に、私にはもう二度と鬱屈とした日々など手にすることができないのだと思い知らされた。
絶望という暗闇のなかでは、死という概念は光に似る。そして、多くの人間は、その光を眩く、そして美しく思うだろう。
誰しもが知らぬ間に絶望に陥る可能性があるのならば、その光は本当に救済たり得るのだろうか。
氷点下の屋外に置き忘れられた水槽に生きる鑑賞魚のような無自覚。私の頭上から澄んだ透明の光が降り、私を包み込むようにゆっくりと凝固させていく。
膝の上でちぐはぐに組まれた両手の指は、不完全なまま固定され、その重さを足の裏まで示した。それは体内の不純物が踵から爪先にかけて薄く沈殿したような、心地良い痺れだった。
目を開くと、白い掛時計が見えた。
まるで私がそれを目視した途端に針が動き出したかのように、この静寂に時を刻む音が加わる。
――時間は、その流れを私の感情なんぞに委ねたりはしない。
自らに強く反駁を加える。
――もう大丈夫だ。
近くに掛けられたカレンダーに描かれている鉄葉の木樵が、紺青の虚空を背にして、こちらを真っ直ぐと見ている。
――しっかりしないと。
頬を叩きながら、私は立ち上がった。
お読み頂き、ありがとうございました。
初めは、主人公のもとにやってきたのが悪い妖怪だったら、という着想で、第三話のプロットが作成されました。その後、カマキリやカタツムリやアリなどが、寄生虫に行動を操られるというイメージを人間に置き換えつつ、変哲のない日常と自殺という重いテーマを織り交ぜ、「光」という話が完成しました。
この物語から何か感じ抱く思いがあれば幸いに存じます。