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当世妖怪気質~妖怪と暮らすということ~  作者: 剣月しが
おまけ ~宿主たちの幻のような日々~
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第五話 無機物の思考

 

 ソファーでうたた寝をしていた座敷童子さんが、がばりと飛び起きた。


 彼女は上半身を起こしたまま放心している。照れなのか、よく見ると彼女の頬にほんのりと赤味がさしている。


「怖い夢を……見ました」


 悪夢の内容は敢えて尋ねなかった。平素から紳士を志す私としては、野暮な質問をして、淑女(レディー)に恥をかかせる訳にはいかない。たとえそれが妖怪の女の子だったとしても。


 恐らく原因は寝心地の悪さにあったのだと思う。


 普段、彼女は子供用のパジャマに着替えて就寝しているのだが、今の彼女の装いは、かつて私達が出会ったときと同じ、深い紅色の小袖だった。


 外出時、彼女は好んでこの和装に身を包んだ。


 私は浴衣くらいでしか帯の窮屈さを知らないのだが、もしかすると彼女の身体には、帯の締め付けによる日頃の疲れが溜まっていたのかもしれない。


「大丈夫? 今日は、疲れちゃった?」

「いいえ、全然!」


 座敷童子さんが広告を見て行きたそうにしていたので、私達は午前中、近所の公園で開催されていたフリーマーケットへ足を運んでいたのだった。


「いろんな品物があって楽しかったです!」


 すっかり落ち着きを取り戻した様子の座敷童子さんが、テーブルに置かれている今日の戦利品に、すっと手を伸ばした。


 小さく垂れた袖が、(わず)かに揺れている。


 私は可愛らしい洋犬の縫いぐるみを胸に抱きしめている彼女の笑顔を眺めながら、今日一日の出来事を追想した。


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


「わぁ! 凄い人です!」


 ここ数日間雨は降っておらず、今日も見事な青空の下、イベント初日ということもあってか、フリーマーケット会場は、かなりの数の買い物客で賑わっていた。


 私は、興奮する座敷童子さんの足の向くまま、人が(ひし)めく中を上手く抜け、広い敷地に密集している店を覗いて回った。


 どの店にも、要らなくなった雑貨や小物類、使わなくなった日用品などが、店主の思い思いに並べられていた。


 暇そうに文庫本を読んでいる者や、店先で顔馴染の隣人と世間話をしている者、訪れた客に商品説明をしている者。店主の姿勢は様々だったが、どの店主もギラギラと商売気を表に出すことはせず、どちらかというと、各々が一期一会のコミュニケーションを楽しんでいるように見えた。


 大方会場を散策し終えたところで、店主の(こだわ)り――品揃えが、一際(ひときわ)異彩を放っている店が目に入った。


「涼介さん、見て下さい! お人形屋さんです!」


 座敷童子さんが駆け寄った先には、一畳ほどのスペースに、木彫りのこけしや、小さく精巧な日本人形などが、テーブルの上に横一列に整えられていた。まるで日本中の工芸品が一堂に会したような趣きが、そこにはあった。


「いらっしゃい」


 ここの店主だろうか、テーブルの向こうの丸椅子に腰かけていた老婆は、私と視線が合うと、そう言ってゆっくりと立ち上がった。


「よかったら見てって下さい」


 私が黙って軽く会釈をすると、腰が悪いのか、老婆はすぐに丸椅子に座ってしまった。


 座敷童子さんは、人形に手を触れないように注意しながら、一体一体を真剣に吟味している。


「どれか気に入ったのがあったら、買って帰ろうか」


 妖怪を目視できない人達に不審がられないように、私はこっそりと(ささや)いた。


「わぁ、嬉しい!」と、座敷童子さんは、一段と目を輝かせて選定を続けた。


 私も幾つか手に取って、つくづくと品定めをしてみるが、格調の高さすら感じさせてくる人形達には、ふわふわと毛足の長い縫いぐるみのような分かり易さが無かった。


 人形達の止事無(やんごとな)い表情は、可愛さという概念に照準を合わせる私の眼をとことん困らせた。一々顔付きが、いとをかし過ぎなのだ。


「夫が蒐集(しゅうしゅう)家で、伝統的な人形とかを集めてたんだけど、去年亡くなっちゃって」


 老婆は座ったまま、営業戦略的な微笑みを浮かべることなく、まるで親族や友人などの近しい間柄と会話するかのように言った。


「沢山、集められてたんですね」

「そうなのよ。まだ家にも()()かいるんだけど、家で(ほこり)を被っているより、可愛がってくれる人のところに、と思って」


 私は、()()という数え方に違和感を覚えた。人形に対する愛情は伝わってくるが、まるで人形が生きているかのような扱いは、少し不気味にも思えた。


 すると――


 強風に(あお)られ、バランスを崩した小さなブロンズ製の立像が、テーブルの端から転げ落ちた。


「あ……」


 あまりに一瞬の出来事だったので、私は、口を開けて、ただその様子を眺めることしかできなかった。


 しかし、近くで人形を検分していた座敷童子さんがそれに気が付き、地面すれすれのところで、自由落下する像を両手で捕らえた。


「すごいね、ナイスキャッチ」

「ラッキーでした!」


 不自然に思われないように、私は老婆の死角から像を受け取った。


 その少女像は、手のひらサイズながら、青銅の冷たさや重さを充分に感じることができた。色々な角度からまじまじと観察してみると、髪の毛やスカートが風に(なび)く様子や、ピンと伸ばされた左腕の肉感、シャツの細かい皺などが細かく表現されていて、非常に洗練された印象を受けた。


 ただ一つ、その像には右腕が無かった。


「ごめんなさいねぇ。その子、今朝落として壊しちゃったのよ。何だかバランスが悪いみたいで、すぐ倒れちゃうの。だから、一応そこに置いてはあるんだけど、もう売り物じゃないのよ」

「そうなんですか」

「折れちゃった腕が見つからなくて。多分、その辺に落ちてる筈なんだけど」


 私も軽く見回してみたが、腕らしき欠片は見当たらなかった。


 隻腕(せきわん)の少女像の表情は、どこか他の人形達よりも陰鬱に見えた。しかし、もう一度比べ直してみると、それはただの気のせいで、度を越した尊さの他、特に変わった様子はなかった。


「やっぱりこの子達を見てると、自分達はご主人さまの(そば)に飾られてこその人形だ、なんて思ってる気がするの。だって、うちの夫が亡くなってから、ほんともう表情に生気がなくなっちゃったみたいな感じがするのよ」


 ――生気に満ちた人形もどうかとは思うが。


 一瞬ではあったが私も人形の表情が暗く感じられたことや、先程の老婆の人形の数え方も相俟(あいま)って、活きの良い人形の姿を想像した私は、何だか少し背筋が寒くなった。


 座敷童子さんの方へ視線を向けると、彼女は自分と同じおかっぱ頭をした日本人形を熱心に眺めているところだった。どこか親近感を抱いているようにも見える。気に入ったのかもしれない。


「その子にする?」


 私は小さな声で尋ねた。


 しかし、座敷童子さんは、その日本人形から目を逸らすと、少し残念そうな声色で、「う~ん、やっぱり止めときます」と、応えた。


 気に入っていたようにも見えたが、どうやらそうではなかったようだ。私は、自分の観察眼や洞察力の未熟さを思い知らされることになった。


 その後、私達は、数軒先の女児向けの玩具が陳列されていた店で、洋犬の縫いぐるみを()()だけ買って帰った。


 座敷童子さん(いわ)く、一目惚れだったそうだ。


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 一連の追想を終え、ホットコーヒーを一口含むと、生まれたばかりの口内炎が痛んだ。


 最近、食事中に舌を噛んでしまい、面倒だったので処置などを一切していなかったら、小さな炎症ができてしまったのだ。どうやら現在絶賛発育中らしい。きっと、このまま伸び伸びと自由に大きくなっていくのだと思う。


 そのとき――


「ひぃっ! 袖の中に何かいますぅ!」


 突然、座敷童子さんが右腕を振り回し、暴れ始めた。洋犬の縫いぐるみが彼女の手を離れ、無常にも彼方へと姿を消した。


「な、何、どうしたの?」


 ――さっきの悪夢の影響か?


 乱れる彼女の袖を掴み、狭い袖口から中を覗いてみると、奥の方に何か小さな針金のようなものが引っ掛かっているのが見えた。


 丁寧に外して、手のひらに転がしてみる。


 それは、ブロンズ製の小さな腕だった。


「涼介さん! 捨てて、早く捨てて下さいぃ!」

「え、これ、ただの人形の腕みたいだけど?」

「そんな禍々(まがまが)しい形なのに!?」

「ん? どういうこと?」


 訳が分からなかった。一体何が起こっているのか、私には皆目見当がつかなかった。


「まさか、そんな……」


 座敷童子さんは(おび)えた表情のまま、驚くように言った。


「それ、涼介さんには、ただの人形の腕に見えてるんですよね?」

「うん……。さっきの人形屋さんにあったブロンズ像の、折れた右腕に見えるけど」

「……もしかすると、それは小袖(こそで)()かもしれません」

「え、小袖の手? そういう妖怪がいるの?」

「はい……」


 ――その名称は、(いささ)かピンポイント過ぎやしないか?


「きっと私は今、取り憑かれているのだと思います」


 ――妖怪が妖怪に取り憑くなんてことがあるのだろうか。いや、あるのかもしれない。


「さっきのお店から付いてきちゃったってこと?」

「はい……。憑いてきちゃいました」


 ――腕だけが付いて……もとい、憑いてくるなんて。


「これって、どうすればいいの?」

「腕の持ち主の所へ返しに行けば、大丈夫な筈なんですけど……」

「じゃあ、まだフリーマーケットやってると思うし、今から返しに行こうか」


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 もうすっかり夜になってしまった。


 洗面台に置かれた歯ブラシ立てに、背丈の揃わない二本が並んでいる。綺麗に磨かれた鏡の前に、私と座敷童子さんが映る。


「お先にどうぞ」


 私は子供用の歯ブラシと歯磨き粉を取って、座敷童子さんに手渡した。


「ありがとうございます」


 彼女の小袖が揺れる。しかし、もうその中には何も存在していない。


 あれから私達は、例の人形屋を再訪した。


 そこで、見つけた右腕の先を店主に返したが、特別有り難がられるようなことはなかった。そればかりか、袖にするような態度、丸椅子から立ち上がらない対応、そこには、「あぁ、すいません」という老婆の簡素な返答――形ばかりの謝意があるだけだった。


 単に長時間の店番で疲れていたからという可能性もある。ただ、もしかすると、あの老婆は、亡き夫の形見だったとしても、なるべく人形達を手放したかったのではないだろうか。そんな気がした。


「ねぇ、涼介さん」


 歯ブラシを小さな手に握りしめたまま、座敷童子さんが静かに話しかけてくる。


「あのブロンズのお人形さんは、本当に、どこかのお家で大切に飾られている方が良いと思ってたんでしょうか」

「うーん、どうだろう。お婆さんは、そう考えてたみたいだね」

「私……、それよりも、どこか遠くへ旅してみたかったんじゃないかと思うんです」


 ――せめて片腕だけでも、という不屈の精神か。


()()()じゃないか、ってこと?」

「はい……」


 母親が亡くなり精神的に参っていたとき、それを表に出さないように私が気丈に振舞っていると、人間観察が趣味と普段から豪語していた、私の事情を知らない同級生から、「お前は、いつも幸せそうで良いよなぁ」と言われたことを、不意に思い出した。


 その私の内心に対して()()()の言葉は、私に怒りや呆れなどの感情を()き立たせず、純粋に、「あぁ、自分はいつも幸せそうに見えているんだ」と、自身の外観を再認させた。


 そして、観察という行為は飽くまで観察以上の効果を与えず、観察者は対象の外面を見ているに過ぎない、という一つの示唆を私に(もたら)したのだった。


 他人は自分が思っているより色々なことを考えているし、自分が思っているほど何も考えていない。それはきっと、妖怪も同じことなのだろう。


 人間の内心すら分からないのだ。妖怪の、しかも無機物の思考など、誰が知ることができようか。


 鏡に映る座敷童子さんの虚像は、どこか不安そうな表情に見えた。しかし、その内心は――


「うん。そうだったのかもしれないね」


 私は、座敷童子さんから受け取った歯磨き粉のチューブを軽く絞り、歯ブラシを持った手を動かし始めた。


 シャカシャカと軽快なリズムの中、背後、リビングで垂れ流されているテレビ番組から、オリンピックに向けての日本代表選手達の抱負が聞こえてきた。


 私は、すくすくと健やかに育った口内炎の痛みに抗うため、眉間に皺を寄せ、(すこぶ)る深刻そうな表情をしながら、「今まで四半世紀くらい、毎日ダラダラと歯磨きに(はげ)んできたけど、向上心を持って日々取り組めてたら、私も今頃、歯磨き日本代表くらいには選ばれていたかもなぁ……」などと、全くもって下らぬことを空想した。


「あのぉ……涼介さん、今日のこと怒ってますか?」


 座敷童子さんが、鏡越しに私の顔を見上げながら、心配そうにしている。


 私は急いで強張(こわば)っていた表情筋を緩め、「いやいや、全然怒ってないよ! ほんと、ぼーっとしてた」と、笑顔で返す他なかった。

 お読みいただき、誠にありがとうございました。

 一章完結後、いろいろなキャラクターにスポットを当て過ぎて、おまけ・第五話にして、漸く本編主人公二人のお話となりました。楽しんで頂けていたら幸いに存じます。

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