第四話 小さな箱庭の中で <後編>
この世界が高次元に生きる者の仮想空間かもしれないと気付いたときから、私はまともに暮らすことができなくなった。
いつもどこか浮足立っているというか、地に足が着いていないというか。自分が生きているということ、延いては自分が存在していることすらも確信が持てない感覚に苛まれるようになってしまったのだ。
たった今、私の目の前で活動し続けているPCゲームのキャラクターが、プレイヤーである私の存在を認識できないように、私自身も、私の認識の及ばない高次的存在によって活動を強いられているのではないかという不安は、私の日常を死よりも恐ろしい現実に変えた。
私は家を出ることができなくなった。狭い部屋の中で、ゲームや漫画、小説といった自分より低次の世界に依存することによって、心の安定を保つことしかできなくなってしまったのだ。
「我思う、故に我在り」というデカルトの命題は、私を助けなかった。
きっと私の思考と高次的存在の思考は等号で結ばれているのだ。そして、私の人生がゲームのように操作され、不用意に痛めつけられたとしても、高次的存在は痛くも痒くもない。
どうしても認識の及ばない存在の影響下から逃れられないと悟った私は、なるべく行動を控えざるを得なかった。
これは籠居という私の精神的欲求だったのだが、この自縛的な決断すら、私と外界との関係を断たせるための、何者かの操作なのかもしれなかった。
私の世界は、このアパートの内だけに存在していた。
不足した生活用品は、ネットで外注すれば速やかに充填可能だったし、ゴミは溜めておいて、限界が来れば、アパートの一階にある集積所まで出しに行けばよかった。
何も生産せず、仕送りの金と最低限の糧を消費するだけの暮らしにおいて、肉体的欲求は満たされているとは言い難かった。それでも高次的存在に抗っている間は、私の精神的欲求は満たされ続けていた。
満足な豚ではなく、かといって不満足な人間でもない不気味な化け物が私だった。
暫く大学に行けていないことは、まだ親には伝えられていない。
通う意義が見出せなかった訳ではない。
大講義の景色。すなわち、百数十人の学徒達全員が、黙って同じ方向を眺めている様子が怖く感じられて仕方がなかったのだ。
集中の途切れた者達が、SNSを確認したり、文庫本を読み出したりする代り映えのしない授業風景も、高次的存在の多様性が表顕されているようで、私にはどうしても耐えられなかった。
時間の感覚を狂わせるような、激しく不規則なBGMが流れているヘッドホンを外すと、閉め切られた蒸し暑い部屋に、扇風機の空を切る音だけがあった。
――この空虚さだ。
この空虚さこそ、私のような人間には丁度良いように思えた。
確かに私は今、この部屋で生きている。
授業で使われないのに、半強制的に購入させられた大学指定の分厚い学術書が数冊、本棚から溢れ、部屋の隅で抱えた膨大な知識を持て余している。堆積している知識の重層性は、触れたくない程の塵埃と私の繊弱な精神によって保たれていた。
環境学の教科書が一番上に見えている。その講義で、「エコロジカル・フットプリント」という用語を聞かされたことが思い出された。簡単に言うと、「その土地に生きる一人の人間が消費した資源を賄うために要する土地面積の指標」というものだ。
仮に、アメリカに住む一人あたりの資源消費量と同じ量を、世界中の人々が消費したとすると、その消費された資源を賄うためには、地球5個分以上の土地が必要となってくるのだそうだ。
この小さな箱庭の中で、私が消費する資源量など高が知れている。賄うためには、恐らくは……丁度、このアパート一室分の土地が必要になる程度だろう。
埃っぽい部屋の床は散乱しているようで、どこに何があるか全て分かっている私の支配下だった。
少し換気をしようと思い、これは私自身の思考だと強く自分に言い聞かせ、窓を開けると、近くの公園から蝉の声が聞こえた。同時に感じられた初夏の熱気と乾いた土の匂いが、私の治めている世界を包み込んだ。
「もう夏だな」と、私は無意識の内に呟やかされていた。
この土地で消費しきれなかった資源が数袋、玄関の扉の前で閉じ込められたままになっている。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
背後から大口径の銃弾が私を貫いた。呻きが洩れたが、痛みは無い。
その場で反射的に腹這いになり、近くの丘陵で射線が切れていることを確認した私は、バッグから包帯と薬剤を取り出した。
雨で泥濘んだ山野で匍匐しながら応急処置を行っていると、遥か昔の記憶が呼び起こされた。それは私が小学生のときの体験だった。
かつて私は、友人と交互に見張りをしながら、見通しの良い一車線に仰向けに寝転がり、空を見上げるという遊びをしていた。
一体この悪戯の何が楽しかったのか私は全く覚えていないが、今思えば、ほんの数秒の間、やってはいけないことを試みているという背徳感、車が来るかもしれないというスリル、友人に命を預けているという信頼の確認等が愉快だったのかもしれない。
全幅の信頼、服従の意思表示として、仰向けになり腹を見せる動物がいるらしいが、人間も満天の下に腹を曝け出せば、全てを擲ち、身を――命でさえも、委ねているような感覚に陥るものだ。
そんな馬鹿馬鹿しい行為を幾度か繰り返し、あるとき私は、軽い思い付きで半回転し、腹を車道に付けた。アスファルトに俯せになった私の鼻先には、細かな石の欠片が散らばっていた。そして、今でも忘れられない、仰向けのときには無かった恐怖が途端に差し迫って来たのだ。
その恐怖とは、死の恐怖だった。
地に伏す私の頭蓋を潰していくタイヤ——紛れもない轢死の恐怖だった。
自分の命と死が結び付いた初めての体験だった。私はそれ以来、その悪戯をしなくなった。
液晶の中では、自分の命と死の結び付きは、体力ゲージという細長いメーターで、視覚的に判別することができる。幾ら被弾したとしても、きちんと投薬さえすれば致命傷を回避できる世界においては、命の価値が安い。
処置を終え、背後の死角から貰った一発の出所を突き止めようと立ち上がった瞬間、眼前で手榴弾が炸裂した。
――これは、死んだな。
項垂れたままヘッドホンを外し、私は大きな溜め息を吐いた。
私の分身が爆散する姿を見ても心が動かないように、自分の命運が高次的存在に握られているという感覚も、自発的な蟄居に励み、目を伏せても今日が終わらないような日々の暮らしの中で、すっかり順化してしまっていた。生産的な活動を何もしない引き籠りには、命の危険など無い。
死を告げる暗転の後、何の操作もしていなかったので、ゲームは自動的にメニュー画面に戻っていた。
私は自分の命に寸毫の価値も見出せなかった。もし再びメニュー画面に戻れるのならば、人知れず、私も、この部屋の中で、静かに……。
私は無感情のままディスプレイの電源を落とした。液晶に反射する私の虚無感は、十数インチの平面世界の中にあった。
するとその時――
「ふむ、ここが一番奥の部屋か!」
暗い画面に映る自分の肩越しに、和装の女性が見えた。
驚いた私は、勢い良く振り返る。
「お!?」
こちらに気付いた女性と目が合った。
「す、済まない……」と、彼女は焦りの混じった表情をして言った。
私は唖然としたままで、声すら掛けられなかった。
「き、今日は天気が良いから、散歩とか……してみてはどうだい?」
彼女は、両手の人差し指で奥の玄関を示しながら、そう言い残し、後退りで、そろりそろりと壁の向こうへ戻っていった。
低次の存在が高次の存在を認識できないのは、そうプログラムされていないからだ。
逆に言ってしまえば、三次元に生きる私がこうも日々怯え、悩まされ続けていた“高次への認識”の芽生えすら、その存在からの干渉によって創り出されたものに違いない。
ゲームや漫画、小説で稀に見られる、メタ視点のある作品のように、敢えて私に高次的存在のことを認識させた理由は分からない。
それでも、夢か幻か、それとも彼女が高次的存在そのものだったのか、壁に消えていった雅やかな女性の謝罪と外の世界への勧奨は、何か私に対する啓示のように思われた。
私が天啓だと感じてしまっている今、現在進行形で、重要な役割が私に与えられつつあるのかもしれない。彼女が言うように、もう私自身の意思で、外へ出てみてもいい頃合なのかもしれない。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
今までは最低限の用事を済ませたら、それこそ逃げるように、急いで部屋に帰っていたが、今日は違う。邪魔だったゴミをまとめて集積所に出した後、私は裏の土手の方へ回ってみることにした。
落ち窪んだ土手に降りて周囲を見渡すと、近くの私道で、数人の作業員が舗装されているコンクリートを剥がし、黄土に塗れながら水道管の工事をしているのが見えた。
すぐそこの一段だけ高くなった歩道を、帰宅する小学生の列が通っている。子供達と同じ目線で立っていると、私までその列の一員のような錯覚さえしてくる。
清澄とは言い難い湿気た夏空の下、久し振りに外の景色を眺めていると、何故だか分からないが、いつかのように広がる大地の上に横たわってみたくなった。
土手に隣接している畑では、一羽の烏が、作物も雑草も生えていない、ただ畝だけが整えられた表層を、忙しなく啄んでいる。その傍に……。
「何だ、あれは」
――高次元の存在?
地面から伸びた半透明の物体が、くねくねと怪しく揺らめいていた。
私は、その正体を突き止めようと、じっと目を凝らした。
その瞬間――
背後から刃物のようなものが私を貫いた。呻きが洩れたが、痛みは無い。
どうやら出血もしていないようだ。
しかし、身体の力が入らず、立っていられそうにもない。
その場で、私は前のめりに倒れた。冷えた土の温度、匂いが直に伝わってくる。
膝から静かに崩れ落ちたので音は立たず、助けを呼ぶ声も出せそうにない。
銃弾の飛び交う戦場で、仰向けになっている者は死者だけだが、姿勢低く地に伏す者は、前のめりに死んだ者か、或いは死に抗い、生にしがみつこうとする者だ。
私は、そんな命の価値の異なるゲームの世界に思いを馳せながら、際限のない睡魔にも似た、意識が遠退いていく感覚に抗った。
少しでも生にしがみつこうと足掻き、土塊を握る。鼻先の小さな水たまりの中に、まるで青空を閉じ込めているかのような倒景が広がっている。
お読みいただき、誠にありがとうございました。
同じ二階建てアパートの端と端なのに、天と地ほどの差がある引き籠りたちのお話でした。そんなキャラクターたちの夏の出来事ということで「籠居の夏」「引き籠りがちな住人」、後編の方が先に草稿が完成したということで「地に伏す」などと、珍しくサブタイトルの案が、執筆の進捗具合とともに、コロコロと変わっていった第四話でした。ちなみに、箱庭は、夏の季語なのだそうです。不思議。
おまけに入ってから各話に新キャラが登場している気がします。実は、お話しのテーマや構想を考えて推敲していくのと同じくらい、新キャラの設定を練るのが楽しかったり。
読者の皆様に気に入っていただけていたら、幸いに存じます。




