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当世妖怪気質~妖怪と暮らすということ~  作者: 剣月しが
おまけ ~宿主たちの幻のような日々~
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第四話 小さな箱庭の中で <前編>

 冷蔵庫から取り出したばかりのトマトの(へた)を、短く持った包丁の先端で、深く()()く。


 よく熟れているように見えるが、飛沫は立たなかった。


 均等に切り分けられた果肉は、清潔な皿に赤く冴えながら、季節感のない毎日を過ごす私達に、逃亡者として初めての夏の訪れを告げていた。


 妖怪倶楽部は、構成員に対する保障が手厚かった。構成員たる私は、半ば無条件で衣食住を用意され、まるで幼児のように生活の全てを妖怪倶楽部に依存していたのだった。


 カサッと新聞受けに手紙が投函された音がして、朝食の準備が中断される。


「また、妖怪倶楽部からみたいです」


 妖怪倶楽部は、過保護なくらい生活の全てをサポートしてくれている。とはいえ、電子端末までは提供してくれなかったので、倶楽部と私達との間の連絡手段は手紙が主だった。


 向こうから不意にやってくる一方通行の伝達方法は、私達の生活に、突発的な衝撃を与えた。何故なら、その内容が決まって「近い内に仕事の依頼がある」という不気味な予告だったからだ。


 しかし、対価無しに得ることに慣れ、自らの本能的な感覚が徐々に(にぶ)っていく堕落的な毎日の中で、いつか倶楽部から依頼されるだろう仕事への興味は、すっかり薄れてしまっていた。


 見た者を不安にさせる不気味な黒一色の封筒の端を丁寧に裂き、私は無感動に手紙を取り出した。


「やっと仕事の依頼か! 私はもう暇で暇で……あと少しで死んでしまうところだったぞ!」

「いえ、今回も仕事の依頼じゃないみたいです」


 卓袱台(ちゃぶだい)の前で朝食を待っている長壁姫(おさかべひめ)――姫さんは、明らかに落胆した表情を浮かべた。


「ただ、今回は予告だけじゃなくて……。構成員に対しての注意喚起があるみたいです」

「ん? 注意喚起?」

「近頃、この辺りで宿主や妖怪を襲う辻斬りが現れたそうです。なので、夜道など気を付けるように、だそうです」


 部屋に流れる不穏な空気とは異なり、彼女は、私の言葉を聞き、呵々(かか)大笑(たいしょう)した。


「えっと、あの……?」

「いや、すまん。ただ、いよいよ妖怪が夜道を出歩けない時代が来たかと思うと可笑(おか)しくて、つい」


 ヒィヒィとお腹を抱えて辛そうだった彼女は、すぐに落ち着きを取り戻し、「命の危険なんて話、何百年振りくらいかのう」と、遠くを眺めながら過去を懐かしんでいる。私とは対照的に、彼女は感情が豊かだ。


「辻斬りって、あの辻斬りでしょうか?」


 私は、時代劇などに登場する、刀を用いて人を殺める通り魔の姿を想像していた。


「どうだろうねぇ。この平和な時代に、日本刀を下げた危ない奴が往来を徘徊しているとも思えないしのう」

「確かに、そうですね。」

「きっと目立たんように、どこかに何かしらの刃物を隠し持っているんだろう」

「刃物……」


 果汁に濡れた包丁と俎上(そじょう)の惨状が目に入り、冷や汗が滲んだ。彼女と(おり)の中で出会うまで、自分の命に対して投げ遣りだった私は、突如芽生えた不安に似た感情に、戸惑いを隠せなかった。


「理由はどうあれ、宿主という生身の人間を斬るというのは分かるが、妖怪を物理的に斬るというのが少し引っ掛かるぞ」


 ――犯人は、妖怪が見える存在。或いは刃物を持った妖怪そのもの、か。


「妖怪って……死ぬのでしょうか?」


 今のは配慮に欠いた発言だったと、私は口に出してから少し後悔した。


「んー、どうだろうねぇ。ただ、お前さんと会う以前の記憶があんまり残ってないから……。まぁ、仮に死ななくても……。うーむ、分からん! 朝餉(あさげ)にしよう!」


 彼女は、(しばら)く手を(こまね)きながら思い沈んでいたが、やがてその思考を放棄した。


 個人的に妖怪は不老不死というイメージが強かったのだが、どうやら本人は、死の概念について、よく分かっていないようだった。


 トースターの中で食パンが焼かれたままになっている。今にも消えそうな小麦の残香が、差し迫る余熱の死期を知らせている。きっとまだ熱は冷め切っていない。


 私はいつものように結ぼれた感情を持て余していたが、それもまた朝の賑わいの一つだと、晴れそうで晴れない気塞ぎのまま思った。


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 平日も休日もなく過ごしていた。


 制限されている訳ではないが、脱獄囚がのうのうと往来を闊歩する訳にもいかず、スカウトの男と出会ってから今日まで、私達の生活は妖怪倶楽部の与えてくれたアパート内で完結していた。


 寝坊した朝に覚える焦りの溶け込んだ苛立ちなどは、もう思い出せなくなって久しい。


 仕事が忙しかった頃の私に言わせれば、天にも昇るような毎日ということになるのかもしれないが、夫と死に別れた今の私からすると、広がり続ける虚無感に呑まれないように耐えるだけの毎日だった。


「このアパートには、いわゆる引き籠りが多いみたいだ」


 突然、にゅっと壁から姫さんの首が突き出てくる。


「おかえりなさい」


 私は、どこまでも冷静に応じた。彼女が玄関からではなく、妖怪の能力で壁を透過し、誰が住んでいるか分からない隣の部屋から帰ってきたのだ。


 私が平静を保っていられるのは慣れのせいだ。彼女は、時々この部屋からいなくなり、短時間でひょっこりと戻ってくる。


 妖怪は一般人には視認できない。しかし、この二階建てアパートは妖怪倶楽部のアジトの一つらしいので、私のように妖怪と接することのできる人間が住んでいないとも限らない。


 挨拶も無しに勝手に壁からお邪魔するというのは、少しというか、かなりリスクのある行為にも思える。無礼どころの騒ぎではない。見つかったら只では済まされないだろう。


 しかし、今まで何事もなかったみたいなので、隣人達には見つからず、上手くやっているということなのだろう。


「今日は、遂に二階を端から端まで偵察してきたぞ!」


 私達のいる部屋は二階の一番奥に位置しているので、彼女は二階の部屋全てを覗いてきたことになる。(てい)よく偵察と言っているが、これが彼女の単なる気紛れに過ぎないのは、日々暇を持て余して機嫌を損ねている彼女の言動からも明白だった。


 彼女は無聊(ぶりょう)(こじ)らせ過ぎて、危ない思想を持ち始めてしまったのかもしれない。


「お前さんに危害を加えそうな人間は、いなさそうだった!」と、彼女は上機嫌で言った。


 当然といえば当然なのだが、このアパートにも人が住んでいるのか、というのが唯一の印象だった。


 極力外出を避ける生活の中では、隣人との邂逅(かいこう)は、ほぼ絶無と言ってよく、それに第一、アジトならではのギミックなのか、壁の持つ防音能力によって、周囲の会話や生活音などが一切耳に入ってこない仕組みとなっているようだった。


 面接――と言っていいのか分からないが、スカウトの男に妖怪倶楽部への入団を認めてもらった際、このアパートに、妖怪倶楽部の構成員や無関係の非構成員を含めて、数人の先住民がいるとは聞かされていたが、それらの生活実態は不明そのものだった。


「危害……ですか?」


 生に対する執着が希薄になっているとはいえ、平生から身の安全に気を配らなければならないのは、私が脱獄犯だからか、それとも妖怪の宿主だからか。


 私は今一つ自分の話のように思えず、まるで他人事かのように間の抜けた返事をした。


「今までも何度かこっそり覗いてきたが、ここに住んでいる奴は、引き籠りがちの大人しそうな奴ばかりだったよ」

「姿を見られたりはしなかったんですか?」

「ん? あ、あぁ勿論! 私の姿が見える奴は、二階にはいないみたいだった!」


 彼女は明らかに狼狽(うろた)え始めた。私の目を正視できない程の焦りから、彼女の嘘や心惑いが透かして見られた。ステレオタイプな目の泳ぎ方――私はそれを非常にコミカルな動揺の仕方だと感じた。


「バレてしまっては、た、大変だからのう!」

「きっと倶楽部の方々は、一階に住んでいるのかもしれませんね」と、私は敢えてそれに気付かない振りをした。


 彼女は、私の知らない間に倶楽部の人間と接触して、何か情報などを得ていたりするのかもしれない。その構成員や妖怪には特別関心が無い筈だったのだが、彼女の言う引き籠りがちな住人の存在に、私は少しだけ興味が湧き始めていた。


「一階は、面倒だから、また今度」


 彼女は、私に深く問い詰められなかったことに安心したのか、卓袱台の前に腰を下ろしながら、奇々怪々な無季俳句を一句()んだ。


 ――また今度、一階も行くつもりなんだ……。


 彼女の好奇心がいつかトラブルの種にならないだろうか、やはり不法な侵入は制止した方がいいだろうか。幾つかの憂いが私の心中に生まれた。


 そんな人の気も知らず、手持無沙汰な様子の姫さんは、束ねてあった紙を卓袱台の上に広げ出した。


 それは、新たに構成員が加入したとかで、数日前、倶楽部から送られてきた顔写真付きの資料だった。新メンバーである能登川(のとがわ)青葉(あおば)という女性は、誰もが一度は聞いたことのある会社の役員の一人娘らしく、その他彼女の個人的な情報が仔細に記されていた。


 私達の個人情報も、このように他の構成員に筒抜けなのかと危惧したが、そうではないみたいで、資料に添付されていた手紙によると、一言、「追々、必要になるから」だそうだ。その断定的な言い方は、私が前々から感じていた倶楽部の得体の知れなさ、不気味さを一層強めた。


 また、逆に能登川青葉とやらは、既に私達のことを知っているそうだった。


 役員令嬢たる彼女の、財に物を言わせた情報収集力に私は感動を覚えたが、どうやら、私の面接時、偶然その場に居合わせていただけの話みたいだった。私の顔は見られていないそうだが、服装の目立つ姫さんは強く印象に残っているらしい、とのことだった。


 追々、必要になる――その追々が、一体いつになるのか、一向に仕事の便りが来ない生活の中で、これもその内忘れ去られてしまうのかもしれない。


 そんなことを考えていると、新聞受けに新たな封筒が差し込まれていた。


「どうせまた、近い内に、だろう?」


 姫さんは、散らかされた資料の上に肘をついたまま、ほとんど吐き捨てるように言った。


 彼女の無作法が伝染したのか、無意識の内に私も封筒を粗雑に扱っていた。


 ギザギザの切り口から取り出された手紙の内容は――


「来ました!」

「ん?」

「仕事の依頼です! 直ちに指定の場所に向かえ……場所は、聞いたことのない宗教団体の施設みたいです!」

「おぉ!」と、彼女は、大袈裟に身を乗り出した。「それで、仕事の内容は? 辻斬りか?」

「いえ、辻斬りではないみたいです。業務提携中の宗教団体から援護の要請があったみたいなのですが、慎重に概要を見定めろ、と」

「概要!」

「恐らく妖怪絡みの揉め事みたいです」

「妖怪!」

「場合によっては、介入しても良いみたいです」

「介入!」


 彼女は、遊園地行きを打診された子供のように虹彩に光を湛えながら、気になった熟語を鸚鵡(おうむ)返ししている。図らずも、語尾二文字でのしりとりに成功していることにも気が付いていないようだ。


 気を抜くと成仏してしまいそうな程の喜びように、うっかり彼女が本当に天に召されてしまわないか、私の方が心配になってくる。


「腕が鳴るわい!」

「姫さん、程々にして下さいね……」


 頼もしいような、危ういような。うわつく彼女を(いさ)めようとした瞬間、私は自分の感情が少しずつ取り戻されていることに気が付いた。


 それは、破天荒な彼女との暮らしの中で、自然とそうなっていったのかもしれないし、私が隔意なく心安立てに振舞えるように仕向け続けた、彼女の妙技なのかもしれなかった。


 ――それにしても。


「私も、変装とか……した方がいいでしょうか?」


 久し振りの外出に、私の胸も躍っているのは確かだった。


「マスクだ! マスクを用意せい!」


 フガフガと鼻息の荒くなった彼女程ではないが。

 お読みいただき、誠にありがとうございました。


 今回のおまけ・第四話 <前編>は、時系列的には、おまけ・第一話の後日譚、かつ、本編・第十話の前日譚となっております。ちょうど間くらい!


 また、視点となる人物は替わりますが、明日の午前中に後編を投稿したいと思っております。私事で非常に恐縮なのですが、引き続きお付き合いいただけましたら幸いに存じます。

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