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当世妖怪気質~妖怪と暮らすということ~  作者: 剣月しが
おまけ ~宿主たちの幻のような日々~
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第二話 鼓膜を叩く幻聴 <前編>

 バスに乗っている。


 バスが揺れている。


 バスの乗客は私のように何も考えていないかもしれないし、何かを考えているのかもしれない。


 液晶画面を眺めている者、目を伏せ眠りにつく者、前方の信号機の色を確認している者。


 ハンドルを握っている運転手からみれば、乗客はどのような存在なのだろうか。


 一人一人が大切な存在なのか、それとも形骸化してしまったサービス対象に過ぎないのか。


 どちらにせよ、そこにほんの些細な意識さえあれば、私達がシートベルトを着けている意味はあるのだと思う。




 バスに乗っている。


 バスが揺れている。


 空港から駅までを送迎するリムジンバスは、静かなことが多くて良い。


 話し声は無く、たまに乾燥した空気に気管を撫でられた女の咳込む声がするくらいだ。


 もう皆、疲れているのかもしれない。


 旅のアルバムの最後のページは、きっと空港での集合写真なのだろう。


 SNSなどの物寂しさを紛らわすツールの多い現代人は、内心の騒々しさと引き換えに、この乾いた寂寞(じゃくまく)の恩恵に浴することができるのだ。




 バスに乗っている。


 バスが揺れている。


 帰途という言葉の持つ寂しさは、高速道路を降り、街灯や街路樹が見え出すと、途端に胸に迫ってくる。


 窓の外に見える建築物の一つ一つを(つぶさ)に観察する気は起きないし、仮に観察したところで目新しい何かが見付かるといったことも無いだろう。


 バスの狭い窓にとって、ごく一般的なこの街の風景は情報量が多過ぎるのだ。


 高速道路のような変化の乏しい景色の中にこそ新たな発見がある。


 それこそ中央分離帯に設置されている不思議な形状をした眩光(げんこう)防止の為のオブジェのような。




 バスに乗っている。


 バスが止まり、乗客が降りていく。


 トランクを転がしながら駅に吸い込まれていく者達の非日常が、膨大な数の日常に呑まれ、次々と融け合っていく。


 その光景を眺めていると、私は不思議な気持ちになった。


 自分が何者でもないことに不安な者は、旅に出てみても良いし、そのまま変哲の無い日常を繰り返していても良い。


 どちらにせよ、いずれ己の(たくま)しさに気付くことになる、そんな気持ちに。


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 バス停から徒歩の距離にある駅前のホテルで一泊したが、私は余り眠れなかった。いつものことである。疲れが溜まると、逆に私は眠れなくなるのだ。今朝、洗面台の鏡を覗いてみたら、目の下に隈が深く刻まれていた。


 午前十時、ホテル一階のラウンジである。


 ウェイターに予約していないことを伝えると、私は窓際の席に通された。


 雨空を見る気にはならなかったので窓を背にして座ると、直ぐに氷の入っていない冷えた水とメニューが出された。


 いつも朝食をとらない私は、ホットのブレンドコーヒーだけを注文する。昨日の昼から何も食べていないが、空腹感は無い。


 辺りは騒がしく、呼応するように背後から大粒の水滴が窓ガラスに打ち付けられている音がしている。


 (しばら)くすると、ウェイターが小さな銀色のポットに入ったミルクと角の取れた角砂糖、高級そうなカップのコーヒーを一つの盆に並べ運んできた。そして、「ごゆっくりどうぞ」と、洗練された無駄のない所作で、静かに去っていった。


 右隣のソファー席では、タブレット端末を手にした男が、()せたチェックのシャツを着ている冴えない中年男性に、熱心に何かを教授している。どうやら、視覚情報に引き()られるということ、についての講義をしているらしい。


 興味の湧いた私は、少し耳を(そばだ)ててみることにした。


「名前や、見た目だけで、()()()()()を想像するだけ。トレーニング。これは数をこなすしかない。もう五十人くらい練習する」


 何やら、これは特別なイメージワークの手法らしい。ここだけを抜き出して聞くと、まるで人肉嗜食者(カニバリスト)の禁欲のような不気味さを呈している。静かで厳かなクラシックと(やかま)しく()びた話し声の不調和の中で、私は声だけを拾い続ける。


「思い込みや存在の認識。これは、知り合いであればあるほど、情報が多いから気を付けなければ駄目なんです。常にフラットな状態でエネルギーを活用しないと。例えば、ビジネス的には素敵な人かもしれないけど、私生活は表情が違うみたいな場合もある、ということなんです」


 ……何のことはない。人肉嗜食者(カニバリスト)の正体は、スピリチュアル商法の営業、その真っ只中だったという訳だ。言い方は悪いが、捕食・被捕食の構造には変わりがない。


 背中から餌としての哀愁すら漂う中年男性は、「マイパワースポットはどこか。温泉、家、このラウンジでも良い。その一番はどこか考えてみるんです」という胡散臭い男のボディランゲージ付きの熱弁に、一々大きな相槌を打っている。


「時期が変われば、人や環境も変わる。半年に一回くらいは自分を見つめ直す。自信がない、不安。それが当たり前。その状態が改善されたらやる、ではなくて、その状態のままやる。実践が大切」


 コミュニケーションと想像力の大切さを、ここからは見えないが、タブレット端末のデータ付きで示しているらしい。どうやら潜在意識とナントカが結び付くとイメージで癒されるのだそうだ。全く理解できない。しかし、これは間違い無く日本語なのだ。


「エネルギーを放出、エネルギーを動かす。光らせるんです。イメージで光らせる。光のシャワー。私の場合は手からチャクラを出して光らせて調整していくイメージ。やり方は人それぞれで……」


 私は、ここらで一切の興味を失ってしまった。




 外は土砂降りの雨である。


 フルオートのサブマシンガンの弾丸のような、などというどこか既視感のある雨の比喩が浮かんでくる私の脳には、糖分か何かが足りていない。まだ疲れが残っているのだろう。


 コーヒーは飲み干してしまっていたので、水の入ったグラスを手に取ると、ホテルの名前がデザインされている厚紙のコースターがグラスの底に張りついた。


 清らかな物を少しでも身体に取り込もうと冷えた水を一気に半分以上飲んでしまったが、激しい雨音を聞きながらだった所為(せい)か、まるで雨樋(あまどい)から直接()んできたもののような風味さえ感じられた。清涼さは全く無かった。


 テーブルに置かれたグラスを一筋の透き通った雫が流れていく。私がそれを無心に眺めていると、白く清潔なシャツを着たウェイターが足早に水を注ぎに来た。仕事が早い、と私はそれに感動さえ覚えた。


 すると突然、左から大きめの咳払いが聞こえてきた。そちら側の席には、男女一人ずつが対面で座っていて、どこと無くぎこちない雰囲気だった。


 対話の隙間に度々(たびたび)無言の時間が流れている。お見合いのようなものなのだろうか。


 今日の天気の話や、電車ですもんねぇという返答、曖昧で弱々しく鼓膜を震わす彼らの声を聞いていると、私の度重なる長距離出張の肉体的疲労が増していくような気がした。


 男性の投げ掛けた会話の種に優しく水を注ぐような、「あー」という理解ないし同調の言葉と首肯を女性が返し続ける。男の姿勢は固く強ばっていて、彼の口から発せられる敬語が余所余所(よそよそ)しく響く。


 私の正面、通路の向こうには予約者用のテーブルが並んでいる。


 そこにいるアジア系訪日外客の団体が、物凄い声量で何かを話し合っている。だが残念ながら、私には日本語以外の言語のリスニングに覚えがなく――それすらも先程のスピリチュアル商法の会話で自信を失いつつあるが――いくらボリュームが大きくても、カクテルパーティ効果をフルに活用しても、全くの無意味なのである。


 そんなことを考えていると、左側の席で笑いが生まれた。男女の仲が少し(ほぐ)れてきたらしい。


 赤の他人ではあるが、良かった良かったなどと思いながら、外国人観光客のブランチを傍観し続ける私の視界の端から、写真のフラッシュが入り込んで来た。ツーショットの写真を撮るまでは仲良くなれなかったらしく、男女が互いの姿を撮影し合っている。それにどういう意味があるのか、私は知らない。


 ここで今回のお見合い(もど)きの会合は御開きのようで、奇妙な撮影会が終了すると、男性だけが、丁重な挨拶と共に、傘を握り締め去っていった。


 なるほど、こういう会合は男女が一緒に席を立つルールでは無いのか、と私が分析していると、席に残っていた女性が誰かに電話をし始めた。


「今終わったって言ってるやろ!」


 唐突に彼女は、電話の向こうの誰かに対して怒号を浴びせつけた後、怒気に満ちた舌打ちをした。


 まるで男と別れた瞬間、何か悪い物に取り憑かれたかのような豹変振りに、私は恐ろしくなってそちらの注意を止めた。




 正面では、まだ旅行者達が騒いでいる。


 いや、騒いでいるのかと思ったが、どうやら出発の身支度を整えているだけらしい。ウェイターと比較してそう感じてしまうだけかもしれないが、動作の一つ一つが野卑で、繊細さに欠けていて、テーブルに散乱した飲み残しと食べ溢しが、彼らの隠し切れない野性の証左のように見えた。


 私は妖怪の宿主である。そして、名前を聞くだけで子供でも胡散臭いと分かる怪しげな『妖怪倶楽部』という人外の存在を扱う団体のメンバーの一人である。倶楽部メンバーのスカウト業を担っていて、日本全国を飛び回り、今日の待ち合わせもその一環である。


 すなわち妖怪に取り憑かれた()()()()()()()()を勧誘するのが私の仕事ということだ。


 ――ただ。


 食肉嗜食(カニバリズム)、憑き物、野性、そして宿主。私は一連の人間観察から、何が普通で何が普通ではないのか、何が人間で何が人間ではないのか、もうその境界が分からなくなってきている。


 正常に活動している人々の中に、異物たる私が組み込まれているような感覚さえある。それは、まるでクロマキー合成のように私だけが背景に溶け込めていない違和感で、きっと睡眠不足からくる肉体的並びに精神的倦怠が引き起こした幻のようなものに違いなかった。


 遠くの席でホットココアを三つ頼む声がする。新たな声だ。


 この声が人間の物であれば良い。


 私はそう思った。




 結露の浮かんだグラスには、未だに充分な量の冷水が保たれている。


 私はジャケットの内ポケットから一つのフィルムケースを取り出した。その中に入れられた白い塊に影響が及ばないように、それを優しく振ってみると、消えてしまいそうなくらい軽く弱々しい音が鳴った。


 誰かに見られている気配を察知した私は、ラウンジの入り口付近に視線をやる。


 すると、豪奢(ごうしゃ)な和装を身に(まと)った女性に従うようにして、帽子を目深に被りマスクで顔を隠したもう一人の女性が私の前に現れた。


 彼女達が待ち合わせの相手だ。


 堂々たる佇まいながら妖艶な方が恐らく妖怪なのだろう。大時代(おおじだい)的な引眉であっても、美しさが隠しきれない相貌。加えて華美な姿。それに比べて、一見地味な宿主の方は酷く緊張しているようだ。(うつむ)いている面影は、どこか見覚えがあるような気がした。


 ――確かニュースかワイドショーだったような。


 まぁ、仮に彼女が世間を賑わしていたとしても、何ら問題は無いだろう。そういう団体なのだ、私達妖怪倶楽部は。


「まぁ、楽にしてください」


 私は自分の前の空席を示しながら、面接官としてではなく、半ばもう同僚のつもりで、そう言った。

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