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当世妖怪気質~妖怪と暮らすということ~  作者: 剣月しが
本編 ~妖怪と六法のある生活~ 【完結済】
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第十話 御壁様が見ている <中編>

中編

 御天道様が見ている。


 今でも覚えている。この世に生を受け、そろそろ古希にも差し掛かろうとしている私が、子供の時分に、母から言われた言葉だ。


 たとえ人が見ていなかったとしても、悪事を働けば太陽がしっかりと見ていて、後々必ず天罰が下る。当時は放埒(ほうらつ)な悪餓鬼だった私が、人の目の届かない所であっても、なるべく品行方正でいようと思ったのだから、その言葉は私の人格形成の上で軽からぬ力があったように思う。


 確かに人間という生き物は、何者かに見られていると思うだけで、存外、背筋が伸びるものらしい。


 そういえば、昔、「パノプティコン」というシステムを聞いたことがある。


「パノプティコン」は十八世紀末にイギリスの思想家ジェレミー・ベンサムによって発案された監視施設であり、刑務所や工場などに用いられたそうだ。


 その形状には様々なパターンがみられるが、基本的には、監視者側から監視対象者を見ることができるのは当然として、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という構造に核があると言われている。すなわち、恒常的に自分が見られているかもしれないと思わせることによって、行動にある種の心理的な制約を課そうとするものなのだ。


 現代においても、これを応用し、学校の試験監督が、試験中、黒板の前ではなく、教室の後ろに立つことによって、学生に心理的な圧力を与え、カンニング等の不正を行わせないようにする場合があるみたいだ。


 人間の目だけでもこれだけの効果があるのだから、御天道様、つまり太陽というレベルでの、一種の信仰に近い、神的なまでに大いなる存在の目には、計り知れない程の力があるに違いない。きっと、私の親世代、それよりも遥か昔から、人々の人格の陶冶(とうや)に寄与し続けてきた筈だ。


 御天道様――つまり、太陽という象徴は、世俗の薫陶において、無くてはならないものなのだ。


 しかし、最近では太陽信仰というものを耳にしなくなってしまった。


 天網恢恢(かいかい)()にして漏らさずという言葉も、その機能を失いつつある。


 もう人々は太陽を畏れなくなった。


 分からなかった。一体どうすれば良いのか、私には分からなかった。


 私が()ねこびているだけなのか。


 人々は日中、建物に隠れ、地下に潜り、夜でも忙しなく働くようになった。太陽の恩恵について机上で理解していても、それはどこか他人事のようでもあり、それぞれの行動規範にまで影響を及ぼすものではないし、なんなら紫外線や熱射を槍玉に挙げ、太陽を蛇蝎(だかつ)視する者までいる。


 ギャンブルの資金にする為、賽銭泥棒をする老人。歩き煙草をした後、それを路上に捨てる大人。違法にアップロードされた著作物と知っていて、それを好き勝手する子供。近頃は、誰も見ていないなら何をしても良いかの如く振舞う輩も目に付くようになった。


 私は隔世の感すら覚えた。


 動かなければ、と思った。妻子が無く、金だけを持った男が老境に差し当り、今更新興宗教の真似事を始めてみても、何かが変わるとは思えない。寺を模して堂を(こしら)えたりしたものの、私は梵学(ぼんがく)の類に明るくないし、教義らしい教義などは全くと言っていい程、持ち合わせていない。


 しかし、衆愚から膿を剔出(てきしゅつ)する必要があると思われてならなかった。似非(えせ)の太陽信仰であったとしても、彼らにもう一度、道徳心を芽ざす切欠を与えてやらなければならないと思ったのだ。


 ただ、そんな思い付きが上手くいく筈も無かった。




 私が、人々の御天道様による涵養(かんよう)の忘却に成す(すべ)が無く、ただ髀肉(ひにく)(たん)を託つしかできないでいると、ある日、不思議な現象が起こった。


 それは太陽の沈み切った夜だった。


 私が長い廊下を歩いていると、突如、私の眼前に、存在する筈の無い壁が現れたのだ。


 その壁には二つの目玉だけが存在していて口が無く、それでも何かを言いたそうにこちらをじっと見つめていた。暫く無言で睨み合っていたが、殊更(ことさら)敵意などは無いようで、私が御堂まで行こうとすると、その壁は私の後をのそのそと付いてこようとした。


 その時私は、こいつは塗り壁というあの有名な妖怪に違いないと推察した。そして、同時に、私は太陽ではない大いなる何者かに選ばれたのだと確信したのだった。


 正に天啓だった。


 その日以降、私は思い付きに過ぎなかった太陽信仰を軽々と捨て去り、この塗り壁と共に、自分で言うのも可笑しな話だが、奇を(てら)った新興宗教を始めることにした。


 それが「御壁教」だ。


 洗脳方法を深く学び、妖怪の使役も様になってくると、(おの)ずと信者も増えてきた。


 (しばら)くすると、妖怪倶楽部という団体から接触があった。その団体と少しビジネスの話を交わし、ついでに紹介された、この辺りを縄張りとしているゴロツキ――網切(あみきり)とかいう危険な妖怪を使役している――を用心棒として雇用した。塗り壁が私の前に現れてからというもの、全ての物事が順調に進んだ。


 正直な話、こんな老い()れが世直しに自らの役割を見出だすとは思いもしなかったが、まぁ、聞いてくれ。


 人間誰しも、得体の知れない視線を感じた経験の一つくらいあるだろう。


 摩天楼の隙間を歩く時。誰もいない部屋に独りでいる時。風呂場で洗髪をしている時。


 そう、その時だ。


 御天道様ではない。


 ”壁”が私達を見ているのだ。


 (よこしま)な我々人間に天罰が下されようとしている。今こそ世道人心を正すべきなのだ。


 その良からぬ企ても、不躾な行いも、甘えた考えも。全て――




 御壁様が見ている。




「まぁ。お嬢さんには、要らぬ説法だったか」


 今、私の眼前にいるのは能登川家の娘だ。


 畳の上で瞑目し、静かに正座をしている姿は、いかにも良家の令嬢といった居住まいだ。染み一つ無い肌。胸襟を越え、脇腹のドレープまで長く伸びた黒髪が、清潔な白いノースリーブから覗く二の腕を撫でていて、その身形や肌の白さからも彼女が深窓の佳人であることが窺える。


 私は拙い教義の冒頭を彼女に掻い摘まんで話したものの、彼女を御壁教の信者の一員に加えようとは考えていなかった。


「一体、私をどうするつもりですか」


 彼女は目を開き、毅然として私に向き合った。


 どうしようか、と私は思った。自らの権謀術数が(つつが)無くその目的を達成したのは良いが、その後の処理は場当たり的に解決しようと考えていたからだ。


「長浜凛という女性は、凄く警戒心の強い方なんだ。同時に……正義感が強い」


 私は、窓が無く外光の射し込まない御堂の薄黒い壁を見ながら、彼女の質問をはぐらかすように言った。


「長浜さんが……どうしたんですか」

「長浜凛を連れて来るには、直接的な方法では駄目だった。お嬢さんを態々(わざわざ)ここに呼び付けたのは、(さら)われたと勘違いした長浜凛が、自らの足で我々の施設内に侵入してくるのを待つ為の罠だったんだよ。」

「罠? どういうこと?」


 無論、彼女は私の計画など知る由もないのだから、その狼狽(ろうばい)振りも致し方の無いことではある。しかし、妙に芝居染みたというか、一流の舞台女優のような表情にも見える。何か被虐体質とは異なる、もっと純粋に、捕らわれの身たる自分の悲劇的現状を悦んでいるかのような……。私の勘違いかもしれないが。


「まぁまぁ、説法の続きでも」


 彼女の魔性に惑わされる隙を作らないよう、私は間髪を入れずに話し続ける。


「お嬢さんは今、自転車を運転しているとしよう。そして、たまたまハンドル操作を誤り、転んで足を少し怪我してしまった。この場合、思い付く原因は何だと思う?」

「……ハンドルミスなんでしょう?」

「そうだ。余所見をしていたか、疲れが出たのか、はたまた前日の寝不足のせいか」


 如何にも教祖らしく、声を御堂の底を這わせるように響かせながら、堂内を徘徊する。彼女の視線を動く私に集中させる。


「なら、その前日の夜、少しでもいい、御壁様の視線を鑑みず、祈りを欠き、(よこしま)なことをしていたとしたらどうだ? その考えられる原因の中の一つに”天罰”がふわりと浮かんでくるだろう。本来天罰なんて無い。たまたまハンドルの操作を誤っただけ。なのに、「御壁様が見ている」という言葉が頭に浮かんで消えない。私はね、人を洗脳する時、会話の節々にそのような言葉の使い方をするんだ。言葉で人間の心を揺さぶって行動を操作したり、言葉で因果関係の無い物同士を繋いでみたり。君も気が付かないうちに、私に洗脳されているかもしれない。最も手っ取り早いのは、頭が働いてない時に教義を叩き込むことなんだが。自己否定の言葉を叩き込んでやった傷だらけの頭でも良いし、睡眠時間を極端に減らした頭でも良いし、激しい運動や大声を立て続けに上げさせ酸欠の頭でも良い。本当は、その人物の所属しているコミュニティから隔絶してやれるとより良いのだが」


 洗脳のやり方など、今日日(きょうび)、珍しくない話だ。小説、映画、ドラマ、ニュース、探せばどこにだって転がっている。何なら専門書まで出ている始末だ。


 私は印象を強める為、懐から御壁様の顔を象ったお面を取り出し、(うやうや)しくそれを(かぶ)る。こんな格式張った儀式も、裏を返せば、お面という名のガスマスクの効果で、この御堂の中を私の独擅場(どくせんじょう)にする為の大仰(おおぎょう)なアトラクションに過ぎない。


「我々は特殊なお香を使うんだ。いや、違法な代物ではないんだよ」


 ――脱法しているかもしれないけど。


 私が御堂の壁に隠されているスイッチを押すと、連動して鐘の音が響き出した。この鐘の音は、雰囲気作りや儀式の開始を知らせる役割なのだが、信者や用心棒に御堂に近付かないよう警告する意味合いもある。


 そして、無色透明ではあるものの匂いと幻覚作用の強いお香の煙が、徐々に堂内を漂い始める。


「ただ匂いがね、キツくて。それで長浜凛の妖怪、煙々羅(えんえんら)に協力して貰おうと思ってるんだ。煙の処理を頼もうと。お嬢さんの解放と引き換えに」


 妖怪倶楽部から貰った妖怪の資料を見て、我々の団体に必要なのは煙々羅(えんえんら)の消臭能力だ、と確信した時のことを私は思い出した。


「それで、さっき私にメールを送らせたんですね。長浜さんに」と、彼女は言った。


 段々と姿勢が崩れ始め、目の焦点も合わなくなってきている。息遣いも心()しか荒くなったように見える。


 行き当たりばったりだ、と私は思った。


 彼女は能登川家の令嬢だ。信者にするつもりはなかったが、このまま我々の信者ないし檀家のような存在になって貰うとするか。現状、金に困っている訳ではないが。


 今までに信者から集めた多額の寄付は、正当な対価だと思っている。世直しなのだ。妖怪が見え、それを使役できるという選ばれた人間である私達が、それを成すべきなのだ。私は、そう自分に言い聞かせてきた。


「御壁様が見ている」


 私は座している彼女の後ろに回り込み、耳元で囁く。


「御壁様が見ている」


「止めて……」


 彼女が虚ろな目をしながら、自らの両手で耳を塞ぐ。


 ――無駄だ、助けなど来ない。


 この御堂には窓が無く、出入口も一つしかない。しかも、その出入口に繋がる廊下には塗り壁が立っている。外部からの侵入はできない。


 塗り壁は、選ばれた者以外――つまり一般人には、ただの壁に見えるらしい。しかも、周囲の壁と上手く同化した壁に。数人の信者に試してみたところ、塗り壁の立っている廊下は、ただの行き止まりにしか見えないそうだった。用心棒の男は塗り壁を認識できていたので、恐らく妖怪の宿主のみが認識することのできる擬態能力なのだと思う。


 一般人は入ってこれず、かといって、宿主が侵入してきたとしても、妖怪が外門に設ってある鏡に映ると、受信機に伝わるシステムになっている。妖怪倶楽部から購入した妖怪の資料を基にして、この付近の宿主の情報も調べ上げたので、誰にもバレずに宿主もここまでは入ってこれない。


 先程、座敷童子とその宿主が侵入し、御堂と真反対の座敷牢の方角に迷い込んだという知らせを受けてから未だに受信機のアラームは鳴っていない。今頃、用心棒が何とかしている筈だろう。まぁ、仮に奴が用心棒を退けることがあったとしても、座敷牢からここまではかなりの距離があるので――


 ――もう手遅れだ。


 私は、繰り返し耳元で囁き続ける。


「御壁様が見ている」


「御壁様が見ている」


「御壁様が見ている」




 すると突然、背後の扉が開かれた。




 ――全く、ゴロツキめ。儀式中は御堂に近付くなと言っておいた筈だぞ。


「おい! 今は儀式の最中……」


 そこにいた一人の男は、初めて見る顔だった。こいつは資料で確認したことのある座敷童子の宿主ではない。


「貴方が、能登川さんですね」

「何だ、お前は。うちの、御壁教の信者なのか」


 男は教祖たる私を完全に無視し、能登川家の令嬢に近付いて話し始めた。陰鬱とした表情をしているが、黒縁眼鏡の奥に宿っている目の輝きは、男の心の清廉さを象徴しているように見えた。


「大津さんから連絡を受けて貴方を助けに来ました。玄関にも味方が待機してます。逃げましょう。立てますか?」

「話を聞け! お前、どうやってここまで来た!」

「僕は……、ただ視線を感じた方に来ただけだ」


 ――視線だと?


「……塗り壁。壁があった筈だ! 左の廊下は行き止まりだっただろう!?」

「足が生えた奇妙な壁は、足の間を抜けて来た」


 ――塗り壁が判別できるのに、どうしてアラームが鳴らない。宿主が妖怪を連れて来なかったとしても……。いや、そもそもお前みたいな奴は、宿主の資料にいなかった筈だ。偶々(たまたま)資料の情報の及ばない遠くの地方から来ていた宿主が、妖怪をどこかに待機させて突入してきた……とか。まさか、そんな偶然があるのか?


 万全だった筈の守りが破られ、パニックになった私の脳の回路が白熱する。


「お前は、宿主なのか」

「僕は宿主じゃない。けど、宿主じゃなくたって、妖怪を視認できる人間はいる」


 侵入者の男は陰々滅々とした声色で私に返答しながら、令嬢に肩を貸している。


 老い()れの私だ。彼と正面から戦っても、肉体的には、まず勝機が無いだろう。ただ、企みを知られてしまった。こいつらを、この男達を、このまま逃がす訳にはいかない。


 そうだ……! こいつは、この御堂の空気を多分に吸っている。つまり、充分ではないかもしれないが、洗脳の下準備は整っているということだ。


 そう考えた私は、(おもむろ)に両手を身体の前に伸ばし、柏手の要領で一度だけ大きな音を立てる。


「止まれ。今からお前らは、動かぬ壁だ」


 蹌踉(そうろう)たる足取りの令嬢がピタリと止まる。


 よし。これで男の方も動けんだろう。


「能登川さん大丈夫です。僕が背負いますので、少しだけ我慢して下さい」


 壁の暗示を受けて動けなくなった令嬢を(おぶ)さり、男が御堂の扉を出ていく。


「待て! 何故だ。何故動ける!?」


 急いで私も廊下まで追いかける。


「僕には……もう洗脳は効かない」


 ――何だ、この男は? 洗脳に耐性があるだと?




 しかし……。




 ――詰めが甘い。


「そいつらを押し潰せ、塗り壁!」


 男達の目の前まで迫っていた御壁様が、ぐらりと傾き――

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