第八話 全ての視線とその行方 <前編>
私は自分を偽善者だと思う。
老人には優しく親切にすべきだと思っていて、偶にではあるが、行動を起こしてみたりもするが、実際は、超高齢社会に差し当たって増え続けて止まない老人達に、心のどこかで嫌悪感を覚えていたりするからだ。
人間の命だってそうだ。
戦争によって遠く海の向こうで亡くなる人達の情報は、いつも私を居た堪らない気持ちにさせるし、後に示される『戦没者』という統計では到底計りきれない遺族の感情を慮ると、身につまされ胸が痛くなるが、同じように、飢餓病苦によって遠く海の向こうで亡くなる人達の情報に対しては、根幹的な体制が変わらない限り募金などの活動をしても仕方が無いと心を動かされないでいる。
いくら受け皿を用意したとしても蛇口を閉めない限り水は溢れていくのだ、と正鵠を大きく射損ねた比喩まで浮かぶ始末で、本当に自分でも救いようが無いと思う。
その受け皿によって助かった命は確かに存在するし、それが今の力では閉められない固い蛇口を閉める契機になるかもしれないというのに。
温かい風呂の湯気と一緒に立ち上ってくる自虐は、こうした内観の後、恰も自分が他人とは異なる特別な人間であるかのように思わせがちではあるが、鼻歌なんぞを歌い始める頃には、きっと誰しもそんなもんだろ、と湯気のように消えていくものでもある。
その内容が深刻であればある程、楽天的帰結に至った際のカタルシスも大きくて良い。ただ、こうした自分のシニカルな面を俯瞰で見た時、何だかそれが酷く恥ずかしく思えて精神衛生上宜しくない気がした。
自分の内側を見たり、外側を見たり、それで一々気疲れしているようでは、全く何をやっているんだ、と思わざるを得ない。
仲の良かった友達から、「草津。お前は深く考え過ぎなんだよ、何事も」と言われたことがある。自分でもそれは弁えているつもりなのだが、気が付くとつまらないことを熟考していたりするのだ。
反省すべきだとは思っていても、何となくそこが自分のチャームポイントのような気もしていて、未だに思索に耽り大切な時間を浪費することを止められないでいる。
短所であり長所でもあるということ。それは何も、私の『考え過ぎ』という癖だけではない。
例えば、目の良し悪しが挙げられるだろう。
前提として、私はほんの少しだけ他者の視線によって精神的なストレスを受ける体質なのだが、目が良いということは、一見長所のように思われがちである。しかし、他人の悪意ある視線など、見たくもないものまで余分に見過ぎてしまうことは充分あり得るし、逆に目が悪いということは、自分の見える範囲で見たいものだけを見ていられるが、自分の見えていないところから他人の悪意ある視線があったかもしれないなどと不安に思うことがあり得るだろう。
悪意のある視線の確実、不確実に差はあるものの、……いや、またこの良くない癖が出てしまっている。茹で蛸になってしまう前に、さっさと風呂を上がらなくては。
どちらにせよ大事なのは、他人からの影響など物ともしないメンタルの強さなのだ。どうにも私にはそれが足りていない気がする。
脱衣場に出て清潔なフェイスタオルで顔の水気を取る。かなり湯船に浸かっていた所為か、まだ頭がぼんやりとしている。びしょ濡れの髪の毛のまま黒縁の眼鏡をかけると、今までの下らぬ考察を全て暈すようにレンズが白く曇った。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
あの夜の出来事以来、私は時々見える筈の無いものを見かけるようになっていた。
黒い影が、満員電車の吊り革を握る人の腕にぶら下がっていたり、擦れ違った女性の肩に乗っていたり。はっきりとその輪郭が分からないのは、私が妖怪の元宿主という不完全な存在だからなのかもしれないし、その黒い影自体が未熟な存在だからなのかもしれない。
夕立後の増水気味の川の中に、河童のような影を見かけた時は、あれが有名な河童かと興奮して、思わず大津さんに電話したものだ。
「河童ですか?」
「はっきりとは見えなかったんですけど、フォルムが正に河童のそれでした」
「へえ。でも、河童なんて瑞々しい妖怪に憑かれた方は一苦労ですね」
確かに大変そうだし、尻子玉を抜くとも聞くので、河童の宿主は案外大変なのかもしれないなどと思っていると、「木霊さんの件もありますし、きっと川に憑いていらっしゃるのでしょう」と、受話器の向こう側から座敷童子さんの声が微かに聞こえてきた。
御神木の一件は大津さんも色々大変だったみたいで、私は敢えてそれを聞かないようにしていた。こちらから聞き出すのは野暮な気がしたからだ。
「それよりも草津君、頭の傷もう大丈夫?」
「傷?」
「追い払う為に六法で……」
「あぁ、あぁ! 大丈夫! 大丈夫ですよ!」と、私は喰い気味に答えたのだった。
人のことは言えないが、大津さんは人に気を使い過ぎな気がする。出会った妖怪の善し悪しには差があるものの、何だか性格的にも私と似た雰囲気を感じている。ただ、同族嫌悪とかいう言葉があるが、私は全くそう思わない。大津さんや座敷童子さんとの関係は、坦々と過ぎていく生活の中でも、いつも新しい刺激があるし、これも案外居心地の良いものだと感じているからだ。
私は以前までのような鬱屈とした日々を繰り返していないように思う。
過去を顧みて帰ってこない私の立っている八月の茹だる暑さのホームに、いつもの電車が入ってくる。それと同時に流れ込む嫌な温さの風が汗で湿った私の目蓋をなぞれば、今自分の目が覚めているのかそうでないのかが曖昧になってくる。
閉まったドアに凭れて車内を見渡すと、ほとんどの乗客がスマートフォンやタブレット端末の画面に釘付けだった。
どれだけ電車が激しく揺れようとも視線を外さずにいる。むしろ外せないように固定されてしまっているのかもしれない。
まるで視線という名の透明な糸が液晶と眼の中の水晶体とを固く結びつけているような不気味な光景であり、ごく普通の有り触れた車内風景だった。
私の視線もどこかに結び付こうとしているのかもしれない。
弱冷房車の乾燥した冷たい風が知らぬ間に私の涙液を奪っていた所為か、私の精神的潔癖の所為か、私は静かに目を閉じることにした。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
私が金庫の中身を整理していると、一番底から古い土地の売買契約書が出てきた。そこは、かつて祖父が年末になると、幼き母を連れてスキーをしに行っていた地方にあるらしい。
ある年、その民宿の親父に紆余曲折があり、纏まった金が必要となったみたいで、お人好しの祖父は巷でよくある金銭消費貸借契約ではなく、民宿の親父の畑を買うという形の資金援助を引き受けたそうだ。そして、全く違う地方の土地など持っていても仕方が無いので、そのまま民宿の親父に管理を託し、気が付けば、そのまま祖父の土地を、母から私へと相続していた形だ。
――(法律パート)――
所有権移転の登記も済ませてあるので、誰が何と言おうと、その土地の所有権は私にあるのだが、現在土地を占有しているのはその老人ということになるのか。
「いえ、一応草津君にも占有権がありますね。ただ、不動産の場合、所有の意思を持って二十年間公然と占有し続けた者は時効によってその不動産の所有権を取得することができます。その御老人は御存命という話なので、占有開始時に善意・無過失の考察は要らなさそうですね」
「じゃあ、結構危ない感じですか?」
「簡単に言うと、貸し借りがあっての占有は、占有を代理してもらっているという意味で”代理占有”といって、その場合、占有代理人が――この場合は御老人ですが、何年土地を自己占有し続けていても取得時効にかかることは無いんだけど……」
その御老人を悪く言うつもりは無い、との前置きがあった上で、今回は時効取得されかねないと、大津さんから忠告があった。
「御老人との売買契約書はあるが、その土地を畑として使い続けても良いという使用貸借ないし賃貸借の契約をしたという証拠が無いみたいなので、『この土地を売ったが、ろくに管理もせず放ったらかしだったので、私が取得の意思をもって新たに占有を始めた。借りたのではない』という主張はできなく無いと思います」
すると、本当は代理占有の筈なのに、それをこちらが証明できないばかりに、民宿の親父は自分以外の者の土地と知って占有しているから、悪意の占有、つまり二十年で時効により土地の所有権を取得できる可能性があるということか。
――――――――――
二束三文の土地だとは思うが、係累が絶えてしまった私の形見の一つと考えると、少し思い入れが湧いてきた。
「あれから、もう半年以上になるか」
私が大津さんに土地の相談をしたのは、電話で今年の年始の挨拶をした時だ。丁度、御神木の一件の最中か。そう考えると結構な時間が開いてしまったな。
今年の御盆は纏まった休みがとれたので、ここからは少し距離が離れているけれど、小旅行がてら、私は高速道路を乗り継いでその土地へ行ってみようと思った。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
霧が立ち込めている。
先程までは晴れていた筈なのに、標高が上がるにつれ段々と曇り始め、渓谷に掛かる大きな橋を渡る頃から急に霧に覆われたのだった。
気温が低い土地の焼けついた地面に雨が降ると霧が発生しやすいと、理科の授業で習った気がする。山の天気は変わりやすいらしいので、きっと山の上では雨だったのだろう。
フォグランプを点けてはいるものの、目の前のことすらも確かではない。五里霧中とはこのことか。後漢の張楷さんの優秀な弟子でも近くにいるのかもしれないし、何なら私は今、芥川龍之介の『河童』のような不思議な世界に誘われている最中なのかもしれない。
後ろから地元ナンバーの車がやって来ると、私は道路の端に寄り、その車に先導して貰おうとするのだが、地元の人はある程度の感覚が染み付いているのか、すぐに霧に紛れて消え去ってしまう。
命からがら崖道を行くと、ほんの少しだけ霧が薄まってきた。
開かれた駐車場にバスが二台停まっていて、その周りには色とりどりの本格的な装備を着けた登山客が集まっているのが見える。
その中の数人は甲羅のような巨大なバックパックを背負っていて、もしあの人達が亀だったら、きっと人間にとって致命的な毒を持っているに違い無いなどと下らぬことを考えていると、カーナビが目的地周辺を告げた。
十数年前に畳んだらしい民宿は、そのような素振りを少しも見せず、淡い霧の中、堂々と構えられていた。
前日は山の麓のホテルで一泊していて、今朝そこを出発する際、一応ここに連絡を入れたりして、予め心の準備をしておいたのだが、独特の雰囲気というか貫禄というか、目に見えない凄みに気圧されている。
私が民宿の前に少しだけある砂利のスペースに車を停めていると、入り口から杖をついた老人がゆっくりとした動作で出てきた。
急いで車から降り、「先程お電話致しました、草津直と申します」と、私は老人に声を掛けた。
「あぁ、大きくなったねぇ」
「ご無沙汰しております」
私は以前一度だけ母に連れられてここ来たことがあったらしい。『らしい』というのは、それは物心がついた後に伝聞で知ったことであり、未だにその記憶は思い出されずにいたからで、どうやらその時には既に老人は民宿業を辞めてしまっていたそうだ。
「どうぞ、どうぞ。」
老人が開けてくれている玄関の扉を入ると、広い土間と何十足も靴が入りそうな重厚な木製の下駄箱があった。
下駄箱の上には老人のキャップ帽と靴べらだけが置かれており、長い廊下には民宿時代の名残か、素晴らしい姿勢で雪面を滑降するスキー選手と、『大池、白馬、小谷』と見事な白峰が描かれた二枚のポスターが貼られているのが見える。
現役の頃であれば大量の来客用スリッパが並べられているだろう式台の隅に、老人夫婦のものらしき二足のスリッパだけが控え目に揃えられている。
天井が高く、しんと静まり返った薄暗い土間に立っていると、まるで自分の身体が縮んでしまったかのような錯覚に襲われた。
我に返ると、老人がどこからか来客用スリッパを用意してくれていた。
「ありがとうございます」と、それに足を通したが、すぐ近くの和室に案内され、私は忽ちそれを脱ぐことになった。