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当世妖怪気質~妖怪と暮らすということ~  作者: 剣月しが
本編 ~妖怪と六法のある生活~ 【完結済】
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第七話 恋とは異なる何か <妹視点>

妹視点

 最近、ゆい姉が変だ。


 家にいても、何だか落ち着かない様子で、いつもどこかそわそわしている。ゆい姉が心配そうに部屋の隅をちらちら見ているので、飼い猫のチャッピーがいるのかと思って、私がそちらに目をやると何もいなかった、なんてことも一度や二度ではない。


 ゆい姉が大学時代に仲の良かった先輩――何度か守山家にも遊びに来たことがあるが綺麗な人だった――に何か深刻そうに電話で相談していることも増えた。


 怪しい。もしかして、好きな人でもできたのか?


 まさか、運命の人でも見つかったのか?


 もし仮にそうだったとすれば、昔から男っ気の無かったゆい姉に対して、全く隅に置けないんだからぁと揶揄(からか)ってやる必要がある。


 まぁ、男っ気が絶無なのは私も同じだから全く人のことは言えないんだけど。


 ただ一つ、私がゆい姉と決定的に違うのは、幼少の時から私は些細なことで人を好きになってしまうということだ。


 例えば、私の下らない冗談で表情がくしゃくしゃになる程に笑ってくれた人や、私の小さな悩みに対して親身になってくれた人、毎朝私に笑顔で挨拶してくれる人。そのどれもを皆好きになった。


 私は変なのだ。自覚はある。しかし、変なのだとしても、自分のことを好色という言葉で済ましてしまうのは嫌だ。


 そんな私でも、顔が好みだからという理由で恋慕した経験の無いことだけが、唯一かつ(ささ)やかな精神的支えである。


 このような体質になった理由を自分なりに考えてみたが、父母からの愛情が不足していたという訳でもなければ、酷い(いじ)めを受けて庇護欲が人一倍多くなったという訳でもなく、物心ついた頃には、もうこんな性格だったのだ。




 昔からある小咄(こばなし)に、愛や優しさは真心、恋は下心から生まれる、という漢字的解釈がある。


 現在進行形で発症している私の不可思議な性質は、決して下心から生じたものではないと思うし、かといって真心からでも無い気がする。いやいや、小咄(こばなし)小咄(こばなし)として、一つの洒落なのだと、余り深刻に考えない方が良い気もする。


 弟の口癖ではないけど、楽に考えよう。


 そう、楽に。


 私には、もっと別に考えるべきことがある筈だ。この症状をもっとポジティブに捉えられないか、とか。


 じゃあ葱は下心から生まれるのか、とか。


 蕊とか最早ヤバくないか、とか。


 まぁ、私は恋愛中毒なんて言われても仕方が無いと思う。


 けれど、中毒ということは、恋愛は人間に対して毒性を持つということになる。


 確かに、正常な判断ができなくなったり、冷静でいられなくなったりするという点では、アルコールのような薬理作用があるのかもしれない。


 ただ、人を好きになるということは、人間が持っている生理的なものなので、それを毒性やアルコールなどと言って、(あたか)も精神疾患のように捉えるのは如何なものか。


 しかし、もし私がもう少し大人になって、婚活パーティーなるものに参加しようものなら、きっと恐ろしいことになってしまいそうではある。


 泥酔患者のように恍惚とした表情で、ふらふらと会場を彷徨(さまよ)うことになってしまいそう。少し自虐的過ぎかもしれないけど。


 この持って生まれた恋愛体質を改善しようと思ったこともあったけど、異性と触れ合わない、という身も蓋もない方法しか具体策が思い浮かばなかった。


 ただ、それは日常生活の上で不可能という結論に至り、最近もまた一人の男性を好きになった。


 その男性とは、本屋で会ったのだけど、会った……というか、私が一方的に知っている……というか、単によく見かけるってだけ人なのだけど……、まぁ兎に角、キュートな人なのだ。


 初めて見かけた時は、近寄り難いレベルの強面(こわもて)のおじさんが色々なジャンルの本を次へ次へと手に取っているなぁというイメージで、スキンヘッドも相俟(あいま)って、何か良からぬことを企んでいるんじゃないかと思わせる物色振りだったのだけど、表紙が愛らしい動物占いの本を熟読していたり、拉麺(ラーメン)専門の雑誌を見ながら腹の虫をギューギュー鳴らしていたりして、何だかそのギャップがプリティに思えて、私の気になる存在になったのだ。


 それが確信になったのは、私が手に取ろうとした本をおじさんも手に取ろうとして互いの指先が触れ合った、などというロマンチックな出来事があったとかではなくて、単に私がレジ前で小銭をぶちまけた時に、拾うのを手伝って貰った瞬間だった。


 どちらかというと、優しいロマンスグレーの紳士が好みだった筈の私が、こんな簡単なことで強面スキンヘッドのおじさんを好きになるなんで、人間の感情というものはつくづく不思議なものだなぁと思う。


『人間の感情』なんて、まるで私が人間の代表例のような口振りだが、私が異常なだけであることは、前述の通り百も承知である。


 しかも、私が直ぐに人を好きになるからといって、前までに好きになった方の愛情が冷めるという訳ではないというのが末恐ろしい点だ。


 同時に同じだけの熱量を持ち続けたまま、私の気になる存在は増えていく。もうこれは歩くラブマシーンと言っても良い。女版ゼウスである、ギリシャ神話の。


 しかし、心が浮わついているからといって、私はゼウスのように性に対して乱れきった価値観を持っている訳ではない。


 貞操観念は大切である。


 誰彼構わず、のべつ幕無しに人を好きになるからといって、乙女としての矜持(きょうじ)を捨て去ってはならない。


 女の純潔に価値を見出すのは男性のみであるが、女性は男性がそれに価値を見出していることを知っているので、何となく大切にした方が良いのかもなんて思っている場合が多いし、私もその一人だ。


 休み時間の教室で、恋の季節はいつだと思うか、と問うファッション雑誌の恋愛アンケートに対し、「夏っ!」と即答した自称パーティピープルの友人が、経験人数を聞く次のセンシティブな項目に対しては黙して語らず、それをスキップしたのを見て、「えー春じゃないの」と私は空気を読んで彼女と意見を争わせる振りをしながら、それでこそ乙女であると彼女の行動に感心した覚えがある。




 ときに、これは前述のアンケートに、「冬?」と、答えた自称寂しがり屋の友人に聞いたのだが、この世には『ポリアモリー』とかいう奇妙な関係性があるそうだ。


 それは、どうやら一人が同時に複数の対象と順位を付けずに平等にお付き合いするという関係性らしい。そして、その全員がその複雑怪奇な関係性について合意している必要があるみたいだ。何じゃそりゃ。


 そんなの浮気じゃないの?


 特定人とお付き合いをしている場合において、どこからが浮気になるのか、という意見は個人差がある。キスからが浮気という人もいれば、自分以外の恋愛対象と目が合うだけで浮気という怪物的な恋愛観を持った人もいる。


 ただ私は、浮気の定義付けにおいて、行為ではないところに重点を置いている。


 すなわち、仮にAさんとお付き合いしている人がBさんも好きになってしまったとして、その人がAさんとBさんに順位を付けることができないのならば、その関係は、どちらも本命というより、どちらも浮気の状態なのだと私は思っているのだ。


 つまり、AさんとBさんの二人にどっちか選べと迫られた時に片方を選べないようでは、それは浮気だし、明確にどちらかを選択できるのならばそれは浮気ではないんだと思う。


 そして、二人っきりで手を繋いでいただとか、キスをしただとか、関係を持ったとか持ってないとかの行為の話は、「不貞」にあたるかどうかの問題だと思っている。


 行為を「不貞」、内心を「浮気」の問題と切り離して区別することで、人口に膾炙(かいしゃ)している浮気という言葉の非常に曖昧な状態を、少しでも明瞭にできないだろうか。


 しかし、同時に同じだけの熱量を持ち続けたまま、雨後の(たけのこ)のように気になる存在をポコポコ増やしていく私にとって、これは自虐的思想ではある。


 なので、私は未だに人とお付き合いをした経験が無い。浮気になってしまうから。興味はあるんだけど。


 まぁ、この持論は飽くまで彼氏とか彼女とかのレベルの話なので、婚約をしていたり結婚をしていたりするような場合には、また別に法的拘束力とか道義的責任とか難しいものが発生していそうなので、当て()らないと言えるだろう。




 ふと私は、ポリアモリーの関係で子供ができてしまったらどうするのだろう、と思った。


 もうそれは、きっと日本の法律ではカバーしきれないんじゃないか。


 この間、既婚の政治家が浮気相手と海外で結婚式を挙げたとかで、日本の刑法では重婚罪というモノがあると、テレビで弁護士のコメンテーターが力説していたのを思い出した。しかも、刑事的に問題があるだけでなく、確か民事の方面でも損害賠償請求され得るらしかった。


 ポリアモリーなんてライフスタイルが流行ってしまったなら、一夫一婦制にもかかわらず風紀紊乱(びんらん)である日本の世が、ますます(みだ)りがわしい姿になってしまうのではないか。


 いやぁ、しかし沢山の愛し愛される対象に囲まれたグループというのは、そんなに居心地が良いものなのかね。何だかギスギスしそうだし、誠実さが(おろそ)かになってしまわないのだろうか。


 私は自分を紅一点としたハーレムを想像して胸焼けがした。


 紅一点……。




 私は思い出したように台所へ移動し、冷蔵庫の奥から、この間ゆい姉が友人から頂いたとかいう高級なザクロジュースを取り出す。


 金色で縁取られたラベルを見ると、やはりそれなりの値段がしそうである。ゆい姉には絶対に飲むなと言われているが、私はそれをグラスに勢い良く(そそ)ぎ込んだ。


 紅一点という言葉の由来は、ザクロの花なのだそうだ。


 私の通っている高校はミッション系の学校なので週に一回キリスト教の授業があり、そこで私はザクロが紅一点の由来であることと、肥沃(ひよく)の象徴であることを知った。


 肥沃とは、土地が良く肥えていて作物が沢山育つことなのだが、言ってみれば、子孫繁栄の象徴ということだ。同じく子孫繁栄の象徴である御節(おせち)料理のカズノコは非常に露骨だが、ザクロは割らないとプリプリしているただの赤い果実なので、少しだけ控え目で良い。


 ――そうなのだ!


 恋愛には控え目で忠実(まめ)やかな気持ちが大切なのだ、と私は、グラスの中でルビーのように赤く輝く液体をワインのように傾けながら、何だか大人になったような気分に浸った。


 さっぱりとした香りからザクロは甘酸っぱい味と勝手に決めつけてそれを口に含むと、予想以上に酸味が強くて、大人とは()くも厳しいものなのかと私は打ち(ひし)がれた。


 私の味覚がまだ幼稚なだけなのかもしれないが、ゆい姉はこんなものを後生大事に有り難がって飲んでいるのか、と思うと、最近の彼女の、まるで運命の人を見つけたかの如き挙動不審振りも何だか平常運転のような気がした。


 私は、この酸味ですっきりとした頭で、自分が大人になった時に出会うであろう運命の人に思いを()せてみたが、焦点の合わない双眼鏡を覗いているかのように(ぼや)けた像しか浮かばなかった。


 そして、その(すり)硝子(ガラス)越しに世界を見ているような色彩が淡く(にじ)む感覚の中でも、アルコールの含まれていないザクロジュースの紅色は、一点の鮮やかさを失っていなかった。


 もう胸焼けは治っていた。




 私はまだ本当の恋愛をしたことが無いのだと思う。


 異性というより、多分人間が好きなんだと思う。


 そして、また素敵な人に出会っては、恋とは異なる何かに落ちてしまうのかもしれない。


 それでも、私は人間が好きだ。


 どこかにいる運命の人よ、首を長くして待っていろ。


 大丈夫。きっと私は、あなたのことが好きだから。

 お読み頂き、誠にありがとうございました。

 この第七話は、ゆい姉こと「守山ゆい」の姉妹弟のお話となっております。

 守山ゆいは、第二話に登場しており、今後も登場予定です。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 登場人物の心情が深く掘り下げられていて、いつも読み応えがあって、素晴らしいです。恋は下心から、など面白い小話も多くて良かったです。 [一言] ポリアモリーなど、知らないことも多く、勉強にな…
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