第五話 御神木に祈りを <後編>
後編
「分かりました! この事件は迷宮入りです!」
「そうなの?」
「ふふふ、一度行ってみたかっただけです」と、座敷童子さんは、たった今終わろうとしているテレビの推理サスペンスドラマを見ながら言った。
この間観た映画の影響か、どうやら彼女は推理物に嵌ってしまったみたいだ。
エンドロールには、今し方見事な推理を披露した刑事と悲惨な過去を持っていた犯人、後頭部を鈍器で殴られ一撃で天に召されてしまった被害者、それぞれの俳優の名前が仲良く横並びで流れている。
フィクションならではの身勝手さというか、乱暴な和やかさというか、しかしそれを眺めてどこか安心している自分もいて、私はこのどことなく締まりの無い時間にこそサスペンスドラマの本質がある気がした。
「あ、忘れてた」と、恨み節の一つも言う間もなく被害者が鈍器で天国への引導を渡されたシーンの回想から、私は草津君との約束を思い出した。「そろそろ草津君から電話があるかも」
草津君とは、縊鬼の一件で知り合った青年である。
名前は草津直といい、彼の家と私の住んでいるマンションはそれほど近い訳ではないのだが、最寄りの駅が同じということもあり、昵懇の仲とまではいかないものの、あれ以来、そこそこ仲良くさせて貰っている。
術後、というと角が立ちそうではあるが、『六法の角で殴る』という荒療治により悪い妖怪の洗脳から解き放たれた草津君は、その後、息災に暮らしているそうである。
しかし、それは恐らく私や座敷童子さんに気を遣ってくれてのことに違い無い。絶対に今でも治らない程の大きなたんこぶができてしまっていたと私は思う。
ともあれ、少し前に、彼から何やら軽い法律的アドバイスが欲しいという連絡があったので、私は今日の今頃に電話をしてくれという返事をしていたのだった。
「あ! 草津さんです!」
座敷童子さんは、けたたましく振動音を立て始めた、万代不易の万年マナーモードを誇る私のスマートフォンを指差しながら言った。
「そういえば、確か草津君、ニュースとか詳しかったよね」
土地の権利関係の相談に幾つかアドバイスをした後、今度は私が草津君に尋ねる。
「詳しいという程ではないですけど」
「座敷童子さんが見たって言ってる少し前のニュースなんだけど、日本各地の御神木が枯れるっていう変なニュース覚えてる?」
少しの沈黙が流れた後、「えぇ、ぼんやりと覚えてます」という返事があったので、私は今日神社で見た御神木の情報を草津君に伝えた。
「それは御神木の根元に不審な穴が開いてないか調べさせた方がいいですね」
「穴……。今回の御神木が弱ったのは、虫害ってこと?」
「いえ、確かに虫には信心なんてないので、御神木を喰うことも容易いかもしれませんけど、虫害なら特定の地域、特定の種類の木が枯らされている筈です。虫害にしては、被害の範囲が広すぎますから」
そういえば、座敷童子さんが見たというニュースは、『日本各地の御神木』というものだった。ほぼ日本全土の御神木がやられているのに、その周辺の木が全く枯れていないというのは、確かに不自然すぎる。
私の隣では、座敷童子さんが両手を胸の前で組みながら、「迷宮入り……」、と呟いていて、どうやら一緒に推理してくれているようだった。
「なるほど。けど虫害でないとすると何が原因なの?」
「実際に現場を見た訳じゃないので断定はできませんが、多分人間の犯行だと思います。しかも木材の取引に極めて詳しい人間の」
「人間!? じゃあ犯人の方は、あの御神木を売買するつもりなのでしょうか? それは何でも罰当たり過ぎじゃないでしょうか?」と、座敷童子さんは声を荒げた。
無論、罰当たりに違いない。しかし、欲に駆られた人間が神を畏れなくなること自体は、決して珍しくない。
しかし、私には一つだけ疑問が残った。
「ただ……。どうしてまた御神木なの? 木ならいくらでも生えてるじゃない」
「そこなんですよね」と、草津君は妙に畏まった声のトーンで静かに言った。
「御神木じゃなきゃダメみたいなんですよ」
「ああ、そうか分かった」と、閃いた私の声に被さるように、「少し考えさせて下さい!」と、すっかり刑事ごっこを楽しんでいる座敷童子さんが、自分で謎を解き明かしたいのか、語気を強めて言う。
フフッと、座敷童子さんの健気な声を聞き、受話器の向こうで笑い声を漏らした草津君は、どうやらこの刑事ごっこに付き合ってくれるようで、「じゃあ、座敷童子さんは、御神木と他の山木との決定的な違いは何だと思いますか? それも一目で分かる違いです」と、優しく言った。
「むむむ。有り難みでしょうか」
――参った。
もし座敷童子さんが人間なら、君は有り難みが見えるのかい、と笑い話にもなるかもしれないが、実際は妖怪なので、もしかすると、ということがある。まさか本当に目視できていたりするのだろうか、有り難みとやらが。
「うーん、ちょっと違いますねぇ」と、草津君も心做しか返答に迷いがみられる気がする。
「座敷童子さんも神社で見た時言ってたじゃないか」と、見兼ねた私が助け舟を出す。
「御神木を見た時……。あ! 大きさですね!」
「正解! 正確には『幹の太さ』なんです。樹齢を重ねることによって比例するこの幹の太さというのは、木の取引において値段に直結する要因の一つになるらしいんですよ。それに、歴史ある御神木のような特殊な太さの木材は、文化財の修復などに使われ、いつでも一定の需要があるんだそうです」
「なるほど!」と、座敷童子さんは目を輝かせて受話器を見ている。
「ただ、今日の日本において、所謂『価値ある大木』というものは、粗方伐り尽くされてしまったみたいなんです」
業者の手の届きにくい神社の御神木を除いてということか。
「それで草津さんは、木の取引に詳しい方が怪しいと言われてたのですね。……けど、じゃあ最初に言っていた穴っていうのは何なのですか?」
「順を追って話すと、まず木の取引が犯人の目的なら、いかに木の価値を下げずに御神木を手に入れるかが重要になってきますよね」
「それが、穴を開けるという方法なのですね!」
「うーん。けど穴を開けるだけじゃ木は枯れないよね?」と、私は答えを急く。
「樹皮から四、五センチくらいのところに、水分を運ぶための管が通っているのを知ってますか? 目立たないよう根元にその管に届く浅い穴を開けて、そこに薬品を流し込むらしいんです。そうすれば、幹に余り影響を与えず枯らすことができるんだそうです」
「酷い!」と、座敷童子さんが叫んだ。
余りに酷い。ただの器物損壊には変わりないのだが、犯人の周到な計画性からか、知らぬ間に私にも御神木という象徴に対して宗教的愛着が根付いていたからなのか、酷く暗澹たる気分になった。
この陰々滅々とした気分のまま、私の脳内は余談モードへと切り替わっていった。
――(法律パート)――
前述の通り、御神木を穢す行為は器物損壊罪(刑法261条)なのだが、私はそこではなく、犯人が参拝の目的以外で神社に侵入したという点に着目していた。
刑法130条前段には、住居侵入罪が規定されている。それは、「正当な理由が無いのに、人の住居若しくは人の看守する邸宅、建造物若しくは艦船に侵入」する行為が処罰の対象となるというものである。この「侵入」という言葉の意義で意見の対立があるのだが、最高裁判所は、その住居に住む権利を持っている者や管理する権利を持っている者の意思に反する立入行為を「侵入」としている。
ここで勘違いをしてはいけないのだが、御神木を穢す目的があるのに、それを隠して、私は参拝客ですなどと騙って神社側から立ち入る承諾を得たとしても、その承諾は有効なものとは言えないので、住居侵入罪は成立し得る。
観念的競合、牽連犯、併合罪の違いは複雑なのでここでは割愛するが、御神木を穢す手段として神社に侵入しているので、この場合、犯人は住居侵入罪及び器物損壊罪の牽連犯(刑法54条1項後段)となり得るのだろう。
その後、参拝客としてやってきた業者が、「立ち枯れた木は危険だ。もし悪い病気だったりしたら、周りの木々にも被害が及ぶ可能性がある。無念も承知だが、手放すべきだ」とでも唆せば、いくら御神木だったとしても手放さなければならなくなるということか。
――――――――――
「けど、今回の杉の木は、御神木自身の生命力や宮司さんの介抱の影響もあってか、なんとか枯れずに踏みとどまっているみたいです」と、私は思い出したことを付け加えた。
「……それは妙な話ですね。言葉は悪いですが、もしその道のプロだったなら、仕留め損なうなんてことあるんでしょうか」
「むむむ。有り難みが強いと生命力が……」と、座敷童子さんは、まるでどこかの刑事のように、眉間に皺を寄せながら推理を続けている。
「ともあれ、宮司さんには、材木業者に注意するよう言ってあげた方が良いかもしれませんね」
「そうですね! 言ってあげないと、涼介さん!」
座敷童子さんの言葉を受け、私は明日の早朝、再び神社へ向かうことを決めた。
「いえ、材木業者を騙る方からの接触はまだ無いです」と、私の説明を聞いた宮司さんは、少し怯えた表情で答えた。
後ろで一つに括られた宮司さんの艶のある長い黒髪が風に揺られている。宮司さんは御神木を見上げ、「気を付けます」と、短く言った。
私は、今日はいやに風が強い日だと思った。
「少し詳しく御神木を近くで見させて貰ってもいいですか?」
私は御神木の根の付近を確認しようと思い、宮司さんに尋ねてみる。
しかし、「神聖な物ですので、それはちょっと」と、宮司さんは少し妙な素振りで私の申し出を断った。
「涼介さん、帰りましょう」
私の隣で同じように黙って御神木を見上げていた座敷童子さんは、私の外套を引っ張りながら寂しそうに言った。昨晩の豪気な刑事姿はどこかに消えてしまったようだった。
その時、強く、冷たい風が、私達を神社から追い出すかの如く吹き付けた。
それは、ただの自然現象だったにもかかわらず、私には何か作為的なもののようにさえ感じられた。
「木霊さん、どこかに行っちゃったみたいです」
私は、座敷童子さんのその一言で全てを悟った気がした。
「……また来ます」と、私は、宮司さんに今年最初の嘘をついた。
「今日は態々ありがとうございました。ご忠告、痛み入ります」と、宮司さんは御神木から視線を外し、こちらに向かって一礼した。
「行こう」と、私は座敷童子さんにだけ聞き取れる程小さく呟く。
木霊の去った御神木が風に吹かれ続けている。その下では、初めて会った日のように宮司さんが御神木に祈りを捧げている。それは単なる形式的な儀礼の一部のようではあったが、どこか赦しを乞うているようにも見えた。
「おや、また会ったねぇ。あんたやっぱり、あの娘に魅入られちまったかい?」
駐車場までの道中、待ち構えていたかのようなタイミングで現れた老婆は、宮司さんの色香に当てられた人間を観察するのが楽しくて仕方が無いといった表情で、ヒヒッと笑った。
「いえ」と、私は冷たく一言だけ答えた。
私の様子が自分の想像と違ったからか、それとも単に端から私の返答に興味が無かったからか、老婆は、「あの娘も寂しいだろうに。私らが構ってやらないとねぇ」と、話を変えた。
老婆が同意を求めるように言った「私ら」という言葉に、私が含まれていないことを祈りながら、「では、これで失礼します」と、私は座敷童子さんの手を取り、足早にその場を後にした。
「色々な方がいますね」
座敷童子さんは、私の手をしっかりと握りながら、老婆の方を振り返り、どこか怯えたように言った。
そちらにはもう振り返らなかった私は、頬と唇の感覚が失われる程の冬の寒さに、気道から肺まで冷え切ってしまっていた。
墓参りの日に鳴いていた冬鳥の声は、もう聞こえなかった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
家に帰ると、部屋の奥から誰かが騒いでいる声が聞こえ、私はテレビを消し忘れていたことに気が付いた。
「あ、つけっぱなしです!」
『代理ミュンヒハウゼン症候群』という派手なテロップと、タレント達の過剰なリアクションの一つ一つが、私の空虚さとともに、座敷童子さんの操作したリモコンの電源ボタンによって消された。
外套のポケットの中から、すっかり結ぶことを忘れていたおみくじを取り出す。
大事に折り畳まれていた筈のそれは、いつの間にか皺くちゃになっていた。
少し迷った後、私はそれをゴミ箱に捨てた。
――吉、か。
神社という空間は、その神聖さからか、どこか自分には縁遠い場所だと感じていた。
しかし、今となっては、もっと人間臭さというか、”俗”的な空気も包摂しているような気がしている。
今まで行ったことが無かったが、来年はどこか大きな神社に初詣へ行ってみるのも悪くないな、と私は思った。
草津 直は「第三話 光」の登場人物です。
今後も登場する予定となっております。