異世界はクソゲーでした。
人生はクソゲーだと言う輩がいた
私は違う、そうじゃないと思った。
人生をクソゲーと揶揄するならば、人生はゲームだと比喩しなければならない。
人生をゲームに例えるならば救済がなくてはならない。飽きたら止めてもいいという、救済がなければならない。
けれど人生は違う。
飽きようとも続けることを強制される。
思考を矯正されていく。
途中でやめることが悪であるかのように。
飽くことを否定し、悪と断定する。
終わりたいのに、終われない。
終われないのに、追われ続ける。
使命に追われ、命を繋がれ、終わりが見えない人生を背負い続ける。
何故人生をクソゲーと声を上げるのか。
選択を誤ったらやり直せる救済がない故に、クソゲーと声をあげるのかも知れない。
人生の難易度が高く攻略を諦めた故に、クソゲーと声をあげるのかもしれない。
自身の生まれつきの能力が低いから、己の意見が通る立場にいないから、自分の思い通りにいかないから、自分自身の価値を肯定したいから、自らの行いを否定したくないから、己自身の失敗を否定したいから────
人生はクソゲーと叫び続けるのだろう。
最底辺にいながら、足掻き、苦しみ、踠き、己の努力を肯定し、他者の努力を否定する。
そんな奴らがクソゲーという人生というものは、薄っぺらく価値のない人生を送ってきた者の戯言に過ぎない。
私は人生をクソゲーとは思わない。
人生はクソそのものだ。
言ってしまえば裕福だった。進む人生はレールが敷かれ、道を間違えないように分岐路は予め壊されていた。
自身に課せられた使命を果たし、他人の期待に応える日々。
自身の行動は固定され、
自身の世界はそこにはなく、
自身の意思は何処にもない。
管理され、支配され、従う日々。
他人の期待に応えようと、他人の期待に圧殺されそうになりながら、重圧に耐え生きながらえてきた。
唐突だが、私も人生をゲームで例えてみようと思う。
現実であれば止めさせられるゲームだが、人生は周りが電源を切らせないようにしている。
だから私は人生の命が消えるのを待った。
充電が切れるのを待つのではなく、
掃除機が本来に衝撃を与えるような
コンセントに足を引っ掛けるような
ネコがリセットボタンを押すような
唐突で理不尽な結末を望んだ。
望んだ。望んだが──
私は何かにもたれかかり目を覚ます。
視界に広がる草原、雲ひとつない青空。
人間の処理速度、対応速度にも限界がある。
神隠し──などと見当はずれな考えだけが思い浮かぶ。
少し時間を空け、冷静になる。気が動転しては出来ることも出来なくなる。
「……ステータス」
私はなけなしの知識を絞り、小声で呟く。だが自分にステータスは開かれない。
それもそうか。ここは現実世界、フィクションではない。
それに自分の能力値を数値化なんて面白みに欠ける。
っとまだ冷静になりきれていなかったようだ。
そもそも私はそこそこ名の知れた名家の一人娘。
拉致……この何もない草原にか? 金が目的ならこんな場所には置いていかない。
身体が目的なら既に犯された後だろう。
……ダメだ。犯人の意図が全く掴めない。
私の背中は深くもたれかかると違和感を覚えた。
私は岩に寄りかかっていたと思っていた……だがそれは間違いだったようだ。
ファンタジーの定番ドラゴンが私のクッションになっていたらしい。
ドラゴンはのそりと起き上がり大きな口を開け、咆哮を轟かせる。
どうやら異世界は元の世界よりクソゲーらしい。
言葉遊びがしたかった