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4曲目.『もう少し…もう少し…』(2004)

 一の高校では今日、1学期最後の授業を終えた。明日からは学生念願の夏休みが始まる。

 放課後の校舎内では、これから始まる夏休みの期待に、生徒達の気分が最高潮に高まっていた。

 ホームルーム終了後、早速部活に向かうお揃いのエナメルバッグを持って部室に向かう集団や、日頃貯めた学校でのストレスを発散しに学外に繰り出そうとして下駄箱に向かう学生たち。

 興奮しきりの彼らでごった返す2年下駄箱前の廊下で、一はひとり、学生カバンを片手にしかめっ面をして立っていた。


 カラオケ…行きたい…。


 実はこの間の個室を覗かれていた件以来この日まで一週間以上、一はカラオケに行くのを控えていた。

 誰かに覗かれていたことが気持ち悪かったのもあるが、普段声を出さない自分の姿を誰かに見られていたことがとても恥ずかしかったのだ。

 ただ、ここ最近は定期的にカラオケに行く生活を続けていたせいか、一定期間行かなかったことで、一の身体は疼き出してきている。

 普段、極力人前で声を出さずに過ごしていることも相まって、一の身体はここ数日、すっかりひとカラ禁断症状が出ていたのだ。

 

 するといきなり、一の背中を学生カバンの重い衝撃が襲う。

「………んげっ」

 カラオケのことを考えていた一は、不意打ちをくらい、思わず声を漏らしてよろめいた。一がなんだと思うと同時に、明るく爽やかな声が背後から響く。

「どうした春秋(はるあき)一くーん、夏休み前日というよき日にそぐわないしけた面してんじゃん」

「………鹿島、頼むから背後から急に襲うのはやめてくれ…」

「出逢いはいつも急に、いきなり、突然に、だろ?」

「………これは出逢いじゃないだろ…」

 一に背後から急襲を仕掛けてきた多弁な彼は、鹿島莞爾(かしま かんじ)。一の同級生だ。一に対してフランクに接してくる、一の数少ない同級生の一人と言える。

 彼は持ち前の人懐っこさと明るさ、そしてたぐいまれなコミュニケーション能力から、とにかく顔が広い。自分の高校に関する情報、特に生徒の交際関係のあれこれをよく知っている。高校入学から2年目の今では、近隣地域の中学・高校をも含めたゴシップ情報を大体網羅している。

 例えば、一の通う県立楓(けんりつかえで)高校の隣のクラスのマドンナたる誰それが、隣町の私立中高一貫校の男子テニス部エースのなにがしと付き合いはじめたとか、都立の名門高校のイケメンに、我が校随一の美女が取られたとか、名門女子校の子が隣のクラスのイケメンと、一の住む地域の近くでは一番の繁華街、(かえで)市の中央部に位置する楓駅前の高級デパート内のカフェから仲良く手を繋いで出てきたとか、そんな類の話ばかりだ。ただ、彼の情報がカバーしている地域はなかなか広いらしい。

 ちなみに一の通うカラオケ道場!!も、楓駅の駅前商店街を抜けた先にある。

「それはそうと春秋、今日はカラオケ行かないのか?珍しい」

「………う、うん…」


 鹿島は一見軽そうではあるが、黙っていることが多いことから学校では友達の決して多い訳ではない一のことを、何かと気にしたり、時には学校でのことで色々と手助けしてくれる、世話焼きなところもある。

「お、もしかしてカラ道で何かあったん?」

 

 一は、先週カラオケ店で起きた出来事をゆっくりと、大まかに鹿島に話した。

「…………そんなわけで……カラオケしてるとこ……誰かに見られてたみたいなんだ…」

「おいおいストーカーか?にしても春秋のことを見てるなんて、相当な珍味マニアだぞ」

「………人を珍しい食材呼ばわりしないでくれるか…」

 最近は二人でこんな掛け合いをすることも増えてきている。ちなみに「カラ道」というのはカラオケ道場!!の愛称だ。

「………なんか気味が悪くてな…」

 一は幽霊やおばけの類が非常に苦手だ。正体が分からないのに人間に害を及ぼす可能性があり、その上対策のしようがほとんどないからだ。

 カラオケには、幽霊が出ると噂の個室があるところもある。一が前に通っていたカラオケ店は、一の使っていた個室で不可解な現象が相次いで起きたため、怖くなり行かなくなってしまった。

 今回の件と同様に誰かに個室を見られているような気がしたり、トイレに行っている間に持ってきた覚えのないジュースのコップが置いてあったりしたのだ。

  「こうなったら、正体を確かめてみるしかないんじゃないか?春秋のストーカーなんて、ある意味春秋以上の変人かもな笑」

「………」

 カラオケ道場!!はようやく見つけたひとカラスポット。一にとっては、大切な場所だったのだ。

「………自分で確かめるしかないか…」

 

 


 鹿島と学校の下駄箱前で話してから約一時間後、一は結局カラオケ道場!!に来ていた。

 

 鹿島は怖がっていた一をさんざん面白がり、からかい倒した挙句、一緒には来なかった。

「女の子だったらこれはスクープだぞ」

 などと、他人事のようにうそぶきながら、今日の情報収集(高校のゴシップ記事のネタになるものを探しているのだろう)のためと称して、同級生の小田(おだ)芹沢(せりざわ)と一緒に、楓駅の隣の駅、南楓(みなみかえで)駅にあるボーリング場に出掛けて行った。

 そこは鹿島いわく、近隣地域の高校生や若者の集まって遊ぶいわば社交場らしく、鹿島にとっては格好の情報収集のフィールドだそうだ。

 鹿島は休み前の放課後になると決まって小田や芹沢、時には一を(なかば強制連行気味に)ボーリング場に連れて行っては、ボーリングやゲームコーナーに遊びにやって来る他校の中学校や高校生達のうち、噂好きの女子生徒を捕まえては、ゴシップネタを漁っている。

 鹿島は、一から見ても、結構顔が良かったりする。しかも変に目立つ感じのチャラついたイケメンではない。茶色の地毛の髪の毛を綺麗に切り揃え、ゴリゴリの部活系高校生にないオシャレさをもある程度備え、制服もそのオシャレさを目立たない程度に織り交ぜながらピシッと着こなしている。そんな鹿島を一は「マジメ系爽やか風オシャレイケメン」と評していた。しかも、運動も勉強も、鹿島は器用に平均85点以上をもれなくマークしている。話し方も軽いように見えて、話す内容は実際的確だったりする。世の中は不平等なものだ。

  その為、ボーリング場で鹿島が女の子一人に話しかけると、数珠つなぎ状に女の子がわさわさ寄ってきて、次第に鹿島を取り囲んでいく。しまいには鹿島を中心として近隣地域の恋愛動向を語る、ちょっとした情報サロン的なものが、ボーリング場の一角で形成される。

 以前一が無理やりボーリング場に連れて行かれた時などは、鹿島が次々と女の子を自らの話術と爽やかイケメンビームで吸い寄せては、ゴシップネタを次々と拾っていく様を三人が見せ付けられながら、横で黙々とボーリングにいそしんでいた。しかも、ボーリングの結果も鹿島の断トツ勝利だ。鹿島はサロンの女の子の喝采もかっさらっていった。もう一度言う。世の中は不平等なものだ。

 一は、鹿島の卓越した情報収集能力を、自分自身の色恋でなぜ発揮しないのか、と常々感じていた。

 しかし鹿島本人にとっては、自分のことはどうでもよく、他のモテ筋の生徒達の恋愛動向を追いかけている時が一番楽しいらしい。

 先日、鹿島が一緒に下校した時は、一は二人の通う県立楓の地域における恋愛偏差値の推移について、一時間の演説を延々聞かされた。

 写真週刊誌記者こそ、まさに彼の天職ではないか…と一は感じ始めていた。

 そんな一方で、鹿島は一とは一緒にカラオケに行かない。

「春秋はひとりでカラオケしたいんだろ?」

 鹿島はカラオケ嫌い、という訳ではないのだが、彼なりに一の大切にしているひとりの空間を尊重してくれているらしく、安易に踏み込んではこない。

 一は鹿島のこういう気遣いを意外にサラッとしてくれたりする、細やかなところも実は結構好きだったりする。

 なんでこういういい所を、ゴシップネタ収集ばかりに発揮させるのかは、一にとってよく分からないことだったが。

 

 そんなこんなで一は、結局またもカラオケ道場!!にひとりでやってきていた。個室は勿論、いつもの108号室だ。

 持ってきたコーラのコップは、テーブルの上で水滴の汗をかいている。アイスクリームは、少しずつ溶け始めていた。

「………いつまでも怖がっていても仕方ないな…」

 一はとにかく歌おうと楽曲検索の端末に手を伸ばした。

 明日からは夏休みという、普段であれば気分上々の日にもかかわらず、テンションだだ下がりの一は、当然選曲も気持ちよく進まない。タッチペンを無為にいじり、普段は見ない端末の送信履歴をぼーっと眺める。

「…………昨日の夜見てたアニメのやつ、歌うか…」

 なかなか曲の決まらない中、ようやくトップバッターとなる曲を決めた一は、端末から楽曲を送信すると、歌い始めた。




そして 気付いた時に 考えてるのは君のことで…。

それがすごく恥ずかしかったり すごく嫌だったり思えて

それは僕が気持ちを 伝えることが怖いからで



頭で押さえつけても 心はどうすることも出来なくて

逢うたびに君に悟られないように

いつもと変わりないように 話してるつもりで



余裕もなくて 苦しくなった僕は 君に嘘をついてしまう…だけど



もう少し…もう少し… 君の心に近づいたら

もう少し…もう少し… 今 この時が消えないように

どうか神様 僕に勇気をください



そして思いあぐねても 格好悪いだけの僕で…。

君がどう思ってるのか 気になっても

一歩も先へ進まない 解ってるつもりで



自分じゃないような胸のモヤモヤが 痛くなって逃げたくなる…だけど



もう少し…もう少し… 君のそばにいられたなら

もう少し…もう少し… 夜よ 明けないでくれたなら

寂しい時も 涙を拭ってあげるから



夜空に浮かぶ 欠けても光る月が

強くもなれない 自信もない 僕を見て微笑んだ ほらね…。



もう少し…もう少し… 君のそばにいられたなら

もう少し…もう少し… 夜よ 明けないでくれたなら



もう少し…もう少し… 君の心に近づいたら

もう少し…もう少し… 今 この時が消えないように

どうか神様 僕に勇気をください




 今回の曲は、有名週刊誌を飾った恋愛ラブコメディ漫画、そのアニメ化作品のEDだ。どちらかと言えば、OPの方が有名かもしれない。

 不良少年だった主人公の右手が、ある日突然、自分に密かに想いを寄せていた女の子になってしまう。そんな右手になってしまった少女と、日々の共同生活の中で心を通わせ合いながら、主人公が少女の想いのひたむきさに気付き、次第に「右手の恋人」に惹かれていく、という内容のアニメだが、これは原作の漫画もオススメだ。

 特に、サブヒロインのクラスの委員長が物語終盤に主人公に振られてしまい、夜の街灯を見上げながら、悲しみをこらえきれず涙を流す一幕は必見だ。ちなみに、このシーンはアニメ版ではカットされてしまっている。

 話をEDに戻そう。歌の中で、話者は自分の気持ちを好きな相手に伝えられず、もどかしいままに足踏みし続けている。

 もう少し自分に踏み出す勇気があれば…だけどやっぱり言えない…。

 自分の気持ちを知られることの恥ずかしさが、相手に近づきたい気持ちと反比例して大きくなっていってしまう、未熟で、それでいて健気な想いが伝わってくる。

 歌の主語は「僕」であり、これが男の子の視点からの歌であることが推測できる。

 ただ、実際歌の内容と反し、ED映像ではヒロインの女の子が、夕方の駅のホームで、主人公に話しかけられないで想いを告げられずにいる、主人公の右手になる前のシーンが使われている。

 アニソンの内容が全てが作品に沿って作られているとは限らない。

 それでも、素直に気持ちを伝えきれない高校生の気持ちをみずみずしく伝えてくれる曲だなぁ…などとしみじみ感じながら曲のアウトロを聞いていた一は、当初の気分の低さから立ち直り、気持ち良くマイクを置こうとして、ピタッと手の動きを止めた。前と同じ、自分の右側にあるドアの向こうに、何かがいる感覚だ。

 被害妄想だろうか。いや、一層のことそうであってほしい。気のせいであって欲しい。またか…。本当に鹿島の言ってるようなストーカーとかだったらどうしよう…一体、何なんだ…。

 クーラーが効いているにもかかわらず、汗が一の制服のシャツを濡らし、身体に張り付いてひやっとする。 

 今日こそは、どうにかしないと…。

 自分の居場所を守るため、一は意を決した。

 動きを外の「何ものか」に悟られないように、一は少しずつソファの座る位置を右のドア側にずらしていく。そして、ドアノブに手が掛かる位置まで移動すると、モーション無しで一気にドアを開け、一は外に飛び出した。

 すると次の瞬間、一の頭は勢いよく何かに衝突し、衝撃で一瞬目の前が真っ白になった一は、盛大に尻もちをついた。

「…ぐぶっ!!!」

「んきゃっ!!!」

  一が頭に食らった衝撃とともに出てしまった声と同時に、それより少し高い悲鳴が響く。

 一はクラっとした頭をさすりながら、尻もちをついたまま前に視線を向けると、108号室の前には彼自身とほぼ同じ体勢で、個室向かいの壁にもたれて頭をさする女の子がいた。

 色が抜けるように白い女の子だ。 セーラー服を着ているので、一と同じ年頃の学生だろう。尻もちをついているので身長は分からないが、目線が低いことから、一よりは背が低いのが分かる。

 制服は、楓市から少し離れた地域にある有名女子中高一貫校の中等部のものだ。なんでこんな事が分かるかと言うと、ズバリ鹿島のボーリング場でのゴシップ教育の成果だ。

 女の子はとても華奢な体つきをしている。髪はショートカットでストレート、艶のある綺麗な黒さだ。とにかく、光るような艶がある。すごく綺麗な髪だな、と一は感じた。

 目は少し切れ長で、左目の下には泣きぼくろがある。瞳はエメラルドグリーンのような、青と緑の入り混じった不思議な色をしている。ハーフの子だろうか。

 中学生らしい少し幼い面差しながらも、目を少し赤く潤ませつつ形のいい口をキュッと結んで一のことをにらんでいる。かなりの美少女だ。

 はっきり言って、一はこの謎の美少女に見とれてしまっていた。

 そして、この謎の美少女は、首に大きなヘッドホンを掛けていた。DJや歌手が音楽イベントの時に首に引っ掛けている様な感じだ。

 ただ、ヘッドホンは黒く、かなりゴツゴツした造りをしていて、少女の小さな体には不相応なまでの大きさをしている。まるで、少女の自由を奪う首かせのようにも見える…。

 これだけの事を、少女を見た瞬間に考えてしまった一は、彼女がすっくと立ち上がると反射的に自分も腰を上げた。

 女の子は、一のことを鋭い眼差しでにらんだまま、黙って横に落ちていた自分のバッグと、個室番号の書かれたプレートを持って去ろうとする。一は、彼女の持っているプレートに「107号室」とあるのを見逃さなかった。自分のことを見ていたのは、隣の静かな個室の「住人」だったと、一は直感的に気付いた。

 一はこれまた反射的に、立ち去ろうとする彼女の片腕を掴んだ。

 少女がビクッと体を強張らせるのが一にも分かった。顔を見てみると、先ほどまでのにらみつける表情から打って変わり、明らかに怯えた眼をしている。

  一には勿論怖がらせるつもりはない。むしろ、さっきまで怖がっていたのは一の方だ。

 一は、少しずつ落ち着きを取り戻し始めた。相手が怖がっているのを見ると、却って冷静になるらしい。

 一は、知らない人に対しては声を出さないでコミュニケーションを取る。

 身振り手振りで大丈夫、怖がらないで、と少女に伝える。本当に伝わってるかは一にも分からないが、とにかく怖がらないでもいいと、必死に伝える。

 

 一は少し奇妙な気持ちになっていた。

 さっきまで自分は、ドアの向こうで自分を観察していた何ものかを、あんなに恐れていたのに。自分の居場所を守らなければ、なんて事まで考えていたのに。

  今ではその何ものかであろう少女に、一の方から怖がらないでいいと働きかけているのだ。 

 この変な気持ちが何なのかはよく分からない。けど、とにかく今はこの子と話してみよう。いや、話してみたい…。

 一は、少女の片腕を掴んだ手を放す。少女は、今度は逃げなかった。さっきの一のジェスチャーは通じていたようだった。

 一は自分の制服シャツの胸ポケットに入ったメモ帳とペンを取り出す。そして何かを書き出した。殴り書きのようにして書くと、彼は少女にメモを見せた。


『君、いつも107号室使ってるよね。なんで、僕のことを見てたの?』

ようやく話が少し進みました。ヒロイン、満を持して登場。

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