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3曲目.『元気のシャワー』(2000)

 

「華の金曜日」というのは社会人の言い方かもしれないが、高校生にとっても同様で、金曜の夕方は、特に異様にテンションの上がる時間帯だ。どこかの天才歌手も、金曜の午後は仕事がはかどると歌っていたような気がする。

 土曜日には授業や講習、もしくは学外活動を行うこともあるにはあるが、それも変則的で、大体午前中には学校が退ける。

 一の通う学校でも、今週の土曜日は変則授業で、学校のある日というよりも半分学校の無い、一週間に一度の特別な日だった。もうすぐ夏休みも始まる。

 そんな土曜を控えた金曜日の授業終了チャイムと共に教室内で始まる雑談も、休みの過ごし方に話題が集中する。自然とホームルームでの先生の真面目な話も、あまり耳には入ってこなくなる。

 当の一も、そんな週末前のどこか浮ついたテンションの波に乗る学生の例に漏れず、金曜の学校帰りには制服で近くの繁華街に出かける、部活動に所属していない高校生の一人だった。ただ、彼の目的地は勿論いつもの場所だ。

 

 昼過ぎの14時になると、気温も上がりきって、外はうだるような暑さになる。

 一は今日も、冷房の程よく効いた108号室でひとりマイクを握っていた。

 いつもはお腹のことを気にして冷たいものを口にしない一も、今日はぺ◯シコーラとアイスクリームをサーバーで取り、涼みながら歌っていた。カラオケ店では、アイスクリームも基本的に食べ放題で、夏の暑い間には学生客に大人気だ。サーバーの機器の横に置いてあるコップにアイスクリームを入れる。人気の余り、しばしばサーバーが壊れて使用不可になるのが難点だ。

 汗のにじんだ顔を肩に掛けたタオルで拭きながら、カラオケの合間を縫ってアイスを食べるのが、一の夏のひとりカラオケ、通称ひとカラのスタイルだ。

 ひとカラをこよなく愛する者、いわゆる「ひとカラー」にとって、ひとりでカラオケを楽しむための、いわゆるこだわりがある。一の場合は、


 1.快適な温度と湿度

 2.自分による選曲

 3.完全にひとりであること


 これら三つが一のひとカラーとしてのこだわりだ。

 快適な温度と湿度、これは安定した発声のためには必須の条件だ。普段声を極力出さないようにしている一にとって、発声の貴重な機会となるカラオケの時には、特に気を遣わなければならない。喉も、それに合わせてかなり気を遣っている。一の喉は、温度や湿度の影響を受けやすい。そのため、個室の冷暖房は常に微調整している。飲み物も、その時の環境に合わせ、喉の調子を保つために普段は温かいココアをチョイスする。

  選曲も非常に重要だ。自分の歌いたい曲、特にお気に入りのアニソンでないと一は気分が乗らない。それも一が歌いたい曲でないとダメだ。

 そして、特に「完全にひとりであること」が保証される環境下で、初めて一はひとカラを心から楽しめる。これはひとりでするカラオケからすれば当然のことかもしれない。ただ、一にとって、人前で声を出すことは、出来れば拒絶したいほどに苦手なことなのだ。

 最近はカラオケ店のおばさんに声でこたえるようにはなったが、それにもまだかなりの抵抗がある。

 そんな訳で、一はカラオケを楽しむ上で様々な条件を設けていた。

 こうした数年来のこだわりを守りながら、一はひとカラを、今日もひとりで楽しんでいた。

 カラオケの合間に、少し溶けたアイスクリームに舌鼓を打つ。一は、次の曲のイントロと同時にアイスクリームのスプーンをアイスの小山にさし、スプーンを持っていた手を再びマイクに持ち替える。

 そしてマイクの下を軽く握るようにして持ち、前奏が終わると共に一は歌い始めた。




 フラスコ キラキラする

 理科室で待ってて

 冷たい手と手あわせ

 こすりあえば熱くなれるわ



 花火みたいね

 みんな綺麗な孤独を抱いて

 戦ってる天使



 元気のシャワー

 君に注いであげる

 寂しげなその背中を支えてあげる

 元気のシャワー

 君は一人じゃないわ

 友情の大きな輪に守られてる



 プリズム 瞳にあて

 君のこと見つめる

 廊下ですれ違えば

 つむじ風のようなゆらめき



 夢の繭たち

 みんな自分の殻を破って

 飛び立った戦士よ



 元気のシャワー

 少し落ち込んだ日は

 手のひらの光の粒浴びせてあげる

 元気のシャワー

 君の燃え立つ髪を

 指先でそっとそっと撫でてあげる



 元気のシャワー

 君に注いであげる

 寂しげなその背中を支えてあげる

 元気のシャワー

 君は一人じゃないわ

 友情の大きな輪に守られてる




 青春の煌めきを、穏やかさが包み込む癒しの曲だ。傷ついた時は側にそばにいて癒してあげる、君はひとりじゃない…。歌い手はおそらく、トレーディングカードで行われる決闘(デュエル)に熱狂する少年たちを、一歩引いた目線で暖かく見守る女の子だろうか。この曲もまた、とあるアニメの初代EDだ。歌の歌詞から察するに、アニメのヒロインの気持ちを歌ったものではないだろうか。ED映像で流れるヒロインの水着にドキドキした少年たちは少なくはないだろう。

 アニメの内容は、社会現象にまでなったと言われるトレーディングカードゲームに熱狂し、迫り来る難敵に立ち向かい、厳しい決闘を切り抜けていく若者達が、「見えるけど見えないもの」を探し求めて勝ち取っていく漫画を原作としている。アニメは、漫画の躍動感を忠実に再現している。

 登場人物たちは決闘に燃え、その闘志の熱さをしばしば大爆発させる。彼らのオーバーリアクションの余り生み出された名言・名場面は数知れず。しばしばネット上などでもネタにされる、まさに漢のアニメだ。アニメ・漫画では続編が次々と出され、最近は初代を取り上げた映画も作られた。世代を超えて愛される、至高の少年アニメの一つと言えるだろう。

  沸点を軽く超える熱さは、歌にも出ている。何曲かある本アニメのOPは、基本的に全てが暑苦しいまでの情熱に滾っている。

 しかしこの曲は、こうしたOPでの少年たちの熱さとは打って変わり、優しさと包容力に溢れている。困難に挑みながらも、気弱になってしまう時もある。そんな強さと弱さを心に合わせ持つ少年を、常に気にかける少女の気持ちが表されているようだ。

 主人公の奇抜すぎる髪型のことを言ったとも思える一節が歌詞に見えることから、ヒロインの主人公に対する仄かな想いがうかがえる。

 因みに、髪に関する一節は、歌詞の後半部分に見えることから、歌詞の1番を編集したEDを聞くだけでは分からない。少女の想いを目立たないように、そっと隠してくれているようにさえ思える(というのは考え過ぎかもしれないが…)。

 

 ゆったりとした歌のリズムに乗りながら歌っていると、一はふと妙な気配を感じた。

 視線を、感じる。

 確信は持てないが、室内をじっと見られている気がする。一がひとカラをしている108号室は、一が座っている座席から向かって右側にドアがある。カラオケ店の個室のドアは、一部が磨りガラスになっていて、座っている位置からは外にいる人と視線が合わないような作りになっている。

 一は歌いながらも、目線をドアの方には持って行かず、気配をうかがう。

 のんびりしたテンポの曲を歌いながらも、右手のドアの外の存在に対し、意識を集中させる。

 誰か、いる…。

 視線の中には入ってこない。だけど、ドアのすぐ外に、いる。それだけは、分かる。

 一の歌声は、気配を察知するだけで、一気に硬くなった。

 曲が歌い終わり、余韻となるアウトロが流れると、一はマイクを持つ手を膝の上に落とし、意識を更に部屋の外に向ける。

「…………」

 一はマイクを片膝の上に乗せ、声を押し殺して相手の様子をうかがう。身じろぎもせず、個室の外にいるであろう存在の様子を探る。相手は、動かない。

 かなりの時間が経ったように感じた。個室の中には、新曲紹介をするアイドルの甲高い声だけが響く。

 一にとっては、自分の誰にも知られないはずの居場所を覗き見られた時の居心地の悪さから、警戒心を解くことができない。まるで、小学校の時に作った秘密基地を、先生に見つかった時のようだ。

 全感覚を部屋の外に向けているせいか、一は自分の制服のシャツがじっとりと湿ってくるのを、どこか別の場所で起きていることのようにさえ感じた。

 このままでは、らちがあかない。

 緊張感の中でとっさに考えた一は、汗がほおをツーっと伝ったその瞬間、座席から立ち上がり、思いきって視線を一気に右手のドアに向ける。人の影らしきものがさっとドアの磨りガラスの端を動くのが見えた。カツーン、という何か硬いものが落ちた音がした。

 一は間髪を入れずに二歩踏み出して、個室のドアを勢いよく開けた。

 ドアを開けた向こうには、誰もいなかった。

 

 ただ、一の足元の通路に一杯に入ったアイスクリームのカップが、中身を盛大にぶちまけた形で落ちているだけだった。

今回一くんの歌ったのは、是非とも聴いてもらいたい一曲です。

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