異世界転生したら死んでた~DeadMenWalking~
「おーいいねぇ。じゃぁ【天武のカリスマ】も付けちゃう?」
「付けちゃう付けちゃう!」
俺は狂喜しながら答えた。
すると髑髏の兜を着けている女が、妖艶な微笑を浮かべながら両手に持つ本に何かを書き込む。
「これでスキルの数は666個……十分だろう。転生した君は文句なしに最強だよ。ハーレムを作るもよし、気に入らない奴を叩きのめすもよし、全て望みのままだ」
これが捨てる神あれば拾う神ありというヤツか……。俺は感涙した。
生前の記憶は朧気ではあるが、別段パッとしない人生だった気がする。それがこんな形で報われるとは、思いもしなかった。死後どこへ行くアテもなく、ただ暗闇の中をウロウロしていた俺に声を掛け、転生の誘いを持ち掛けてくれたのは彼女だ。まぁ想像していた天使や神のような雰囲気ではなく、髑髏兜に鋭利な鎌をという姿だったのには少し驚いたが……些細な問題だろう。何より美人だし全然オッケー!
「準備が出来たらそこの棺に入ってくれたまえ」
スーツ姿のスケルトンがズルズルと棺を引きずってきた。……あのスケルトンは彼女の僕なのだろうか。とにかく一刻も早く転生したかった俺は、ベッドに飛び込むような勢いで思い切り棺の中へダイブした。
「フフ……。勢いがあってヨロシイ。覚悟はいいね?」
俺は大きく頷いた。
彼女は一頻り呪文を唱えると、腰をかがめて優しく俺に口づけをした。
「それでは……君に幸あれ」
傍らにいたスケルトンがカランコロンと骨を鳴らしながら、棺に分厚い蓋をした。
闇だ。完全な闇が広がっている。目を瞑っているのか開いているのか段々分からなくなってくる。地面に棺を擦る音が数秒聞こえたかと思えば、その音すらも消失してしまった。
……いつまでこの棺の中に居ればいいのだろう。特別に閉所恐怖症な訳ではないと思うが、この中にずっと閉じ込められていたら頭がおかしくなりそうだ。
…………。暇だ。狭い棺の中では寝返りをうつことも難しく、むず痒い背中を掻くことも出来ない。……そうだ、異世界に行ってからのシミュレーションでもしておこう。まずはやはりヒロインが必要だな。モンスターに襲われている少女を颯爽と駆けつけ助ける? チートスキルをぶっ放して畏敬の目で賛美される? どれもベタベタな展開すぎるかもしれないが、自分で体験出来るとなれば話は別だ。……すっかり転生後の華やかな生活に思いを馳せていた俺は、棺の中の暑さも恐怖も忘れいつしか深い眠りに落ちていた――
「かっ……!」
突如激しい胸の痛みが俺を襲った。あまりの痛みに呼吸がままならずヒュゥヒュウというかすれた息だけが口から漏れ出す。痛覚に脳を支配される――痛いイタイイタイタイ痛い。
だが、突然その痛みは嘘だったかのようにスッと和らいだ。……なんだったんだ今のは。楽観的すぎると言われる俺でもさすがに悪寒を覚えた……が、まぁ痛みが引いてくれたならヨシとするか。異世界転生するときに伴う痛みか何かだと勝手に解釈して、俺は再び睡眠に入った。
* *
日の光を感じた。大きく伸びをする。……やっと異世界に来たのか。俺は興奮に身を震わせた。体を起こすと、目の前を流れる小川の先に村の集落が見える。気分のせいかはたまた転生後の類い希な運動神経のせいか、やけに体が軽く感じた。
とにかく一刻も早く人に会ってみたい。そうだ……試しにあの小川を走り幅跳びの要領で飛び越えてみよう。今の俺なら出来るはずだ。俺は助走をつけて全力で土を蹴った。
俺の体は見事に川を飛び越える――どころか、そのまま宙にふわふわと浮き上がってしまった。666個のスキルの中に【空中浮遊】のようなスキルを入れていたのだろうか。思いつくままに挙げていったので、正直どのスキルを使えるのか把握していない。【完全記憶】のようなスキルを付けておけばよかったなと反省する。
飛んでいるところを見られると驚かせてしまうだろうから、村の家に近づく前には地面に着地しておいた。柵の中に居る鶏たちがコケコッコーとお馴染みの鳴き声を発する。異世界といえど鶏の鳴き声は変わらないことに少し安心した。【隠者の歩み】が発動したのか【天武のカリスマ】が発動したのか分からないが、鶏たちは俺が近づいても全く警戒する素振りを見せなかった。いずれにせよスキルは問題なく機能しているようだ。
村の中央にある宿屋へ入ろうとすると、丸太を担いだおっさんが歩いてきた。挨拶をしようか迷ったが、そもそも日本語が通じるのか? 通じたとして「こんにちは」でいいのか? という考えが一巡したため、にこやかにはにかんでおくに留めた。おっさんは何の反応も見せずに横を通り過ぎていく。ちょうど宿屋から二人の男が出てくるところだったので俺は扉を支え、そのまま宿屋の中へ入った。
「なんてことだ……」
俺は頭を軽く押さえる。こんなことがあっていいのか? いや、いいんだ……俺の【幸運の星】のお陰に違いない。目の前にあるのは楽園だった。まず受付にいる女。彼女は短めの黒髪、端正な顔立ちにキリリとした表情を浮かべテキパキと仕事を処理している。ロビーとなっている一階ではテーブルに何人かの冒険者が座っており、その内の一つからドリンクの注文が入ると彼女はモデルのように歩いていってグラスを届けた。
ドリンクを注文したテーブルに座っている冒険者は新米らしく、不安そうにキョロキョロと辺りを見渡している。かわいらしい顔立ちで透き通るような蒼い瞳をしていた。展開的に、いずれ俺は彼女を何らかの形で助け親しくなるであろうと俺の感覚が囁いている。
それにこの宿屋の女主人。穏やかな表情で受付嬢と会話をしている。話声、一つ一つの仕草から相手を心から和ませるような不思議な魅力が溢れ出ていた。
「なんてことだ……」
俺はもう一度頭を押さえた。妄想の中で幾度となく繰り返した異世界ライフが現実に今始まろうとしている……。深呼吸して逸る気持ちを落ち着かせながら、受付嬢に何かを話しかけようと近づいた時だった。
「大変だ!」
さっき道で通り過ぎたおっさんが、血相を変え宿屋のドアを勢いよく開いた。
何だ何だとロビーにいる冒険者が騒ぎ始める。
俺の読みではアレだな、モンスターが村に攻めにでも来たんじゃなかろうか。突然の魔物の襲撃に窮地に陥る住民たち。そこに居合わせた通りすがりの男が魔物を一人で撃退! たちまち男の名は村中に響き渡り……。
「川のほとりで誰か倒れてたんだ。今若い奴ら二人が担いできたんだが……」
お、そういうパターンか。なるほどなるほど。完全に理解した。この倒れている誰かというのはまず100%美少女に違いない。一切の素性が不明で記憶も喪失しているが、体の何処かに謎の刻印があるだろう。謎の美少女を村で匿っていると、ある日彼女を追う刺客が村に現れる。そこに居合わせた通りすがりの男が一人で彼女を守り切るが、村は甚大な被害を受ける。これ以上村に迷惑を掛けられないという彼女に男は付き添い、やがて二人の関係はいい感じに……。
「もう死んでるぜ。こいつ」
……ん? そこでやっと俺の妄想は止まった。
若い二人が担いできた何かをドサッと床に降ろす。ロビーにいた全員がソレをじっと見つめた。
ソレは青年の亡骸だった。ただし明らかに普通の青年ではない。服も一般的、バッグも別段凝っているものではないが、顔立ちは道ですれ違えば誰もが振り返るような二枚目だった。それに加え――上手く言葉に出来ないが、この青年からは誠実さ・高貴さ・頼もしさが感じられる。仮に初対面だとしても心を許してしまうような”何か”がそこにはあった。安らかに眠っているように死んでいる青年を、全員が見惚れるように凝視するという異様な光景が広がる。
待て……待て待て待て待て。おかしい。そんなハズはない。あってたまるか。この死体は……このやたらハイスペックな青年は――。
宿の女主人がハッと恍惚状態から覚めた。
「医者を呼びましょう。死因が分かるはずだから――これが殺人だったら用心する必要があるわ。それからこの青年を知っている人はいる?」
冒険者たちは首を振った。
「そのままじゃかわいそうだから奥のベッドに移しましょう。優しくね」
青年の死体は受付嬢がお姫様抱っこをするように抱えて持っていた。受付嬢の頬はやや赤みがかっていた。
「こんなこと言うのオカシイけど……あの男の子すごくカッコよかった。すごい安らかな顔してたし……本当に死んじゃったのかな? 何とかして助けたい……」
「あの小僧……俺は知らないはずなんだが他人事とは思えなかったぜ。何かこう……風格があった。質素な衣装をしていても俺には分かる。どこぞの国の王族か名のある冒険者に違いねぇ……」
こんな会話が残っている冒険者の間で飛び交っていた。俺はそこに茫然と立ち尽くしていた。
何も嬉しくない……自分の死骸を褒められて嬉しがる奴はどこにもいない。あの青年は転生後の俺だ。なら俺は? 今こうしてここに立っている俺は何だ?
「教えてくれ!」
俺は叫んだ。ロビーにいる冒険者はギョッとして俺を見る――はずだった。しかし、ロビーにいる冒険者たちは何事もなかったかのように会話を続けている。
俺は死体が寝かされている部屋の扉を力の限り開いた。壁に叩きつけられるように開いた扉を、部屋にいた女主人と受付嬢が困惑したように眺める。
「風……かしら」
女主人と受付嬢はすぐに扉から目を離し、再び心配そうに青年の死体を見つめた。
俺はその場に崩れ落ちた。何だ? 何が起きたんだ? 俺は現実世界で死に、転生後も死に――今は幽霊?
部屋の扉が開かれた。
「遅くなった。この青年だね?」
白衣を着た女医はベッドの傍らにいた霊体の俺に気付く様子もなく、空いていた椅子に腰かけた。もう美人だ何だの言っている余裕は俺にはなかった。
「死後4時間前後……。目立った外傷はないね。考えられるのは心臓か脳の疾患じゃないかな」
死体に向けられた女医の掌から緑色の糸のようなものが出ている。魔法を使って検死しているらしかった。
心疾患……。まさか俺が昨日体験したあの痛みか? あの時から俺は死んでいたのか? とすると俺は死んでから二度寝していたのか……幽霊も寝るんだな……という心底どうでもいい発見に、乾いた笑いをするしかない。
――そうだ。俺は気にかかることが一つあった。あの髑髏女に転生後のスキルを注文している時の話。あの女はあらゆるチートスキルを承諾したにも関わらず、俺が【不老不死】や【死に戻り】のスキルを付けようとした時にだけやたらと強く反対した。あの女の言い分は「その二つのスキルは使い方によって地獄を見るから」というものだった。それもそうかなと思い大人しく忠告に従ったが、今にしてみればあれが間違いだったのかもしれない。
「ところで……この男の子何者? 只の冒険者じゃないよね」
女医までもウットリと俺の死体を見つめている。俺は頭を掻きむしりたくなった。
「やはりそう思いますよね……。この子とは会ったかことがないはずなのに、このまま無名な墓地に埋葬してしまうのは憚られるような”何か”がある……」
受付嬢が戸惑いながら言った。
「本来なら徳を積んだ極一部の村人しか利用出来ないのですが……。この方なら認められるかもしれませんわ。サレルノ寺院の方をお呼びしましょうか」
「サレルノ寺院? さすがにそれは――いや、そうだね……この子ならもしかするかもしれない」
女医は唾を飲み込みながら言った。
俺の死体がこれでもかという程丁重に扱われているのを、霊体の俺はただ見ているしかできない。あれ? 目からしょっぱい液体が……。
「教祖様だ!」
宿屋のドアがキイという音を立てて開かれると、唐突にロビーから騒めきが聞こえ始めた……誰かが宿屋を訪問したようだ。
この部屋の扉をほんの少しだけ開けてロビーを覗き見ると、気味の悪いほどの白い肌に骨と皮だけしかないようなガリガリの男が、マスクを被った巨乳の女司祭二人に支えられながらユラユラとこちらに向かってくるところだった。……あれが教祖様? 正直エイリアンかモンスターにしか見えない。が、不思議なことに周りにいる冒険者たちは、その教祖様とやらを尊敬と畏怖の籠った目で見つめていた。
あれで教祖になれるんだったら、幽霊の俺でも何とかなるんじゃないか。希望が湧いてきた。持ち前のポジティブさと切り替えの早さを発揮して若干の平静さを取り戻した俺は、既に女司祭の弾む胸に気を取られ始めていた。
そういえば――霊体の状態で物に触れることは出来るらしいが、人に触れることは出来るのだろうか? まだ検証していなかった。ちょうどいい実験台が来ることだし、試してみよう。俺は部屋のドアに手を掛けた女司祭の目の前に立ちはだかるように仁王立ちした。一切の空気抵抗すらなく、スッと俺の体を女司祭がすり抜ける。残念。
「教祖様!? わざわざこんなところにご足労頂き、何と申し上げたらいいか……。今日は一体何の御用で……?」
女主人と受付嬢、女医の三人は土下座して地面に擦りつけるように頭を下げていた。ガリガリの教祖はそちらに目もくれず、俺の死体をポカンと眺めている。暫くすると二・三度呻き声を上げ、のっそりと踵を返していった。何なんだコイツは?
「教祖様が彼をお認めになられた」
女司祭の一人がボソリと呟き、教祖の後ろに付き添っていた。
「なんてこと……」
司祭の言葉を聞いた女主人と女医は顔を見合わせ沈黙した後、満面の笑みを浮かべた。
「すぐにみんなに知らせよう」
三人は飛び跳ねるようにロビーへ出ていった。
「みんな……今夜は祝杯よ!」
女主人が大声を張り上げると途端にロビーは大歓声に包まれた。
「他の村人にも知らせてきます」
受付嬢が宿屋を飛び出していく。
俺の死体で何やら盛り上がっているらしいが、イマイチ話が見えてこないな。
「数年ぶりだなぁ! 俺は前回の時は出稼ぎに行ってて喰い逃しちまってよぉ……悔しくて数日は眠れなかったんだ」
「私はこれが二度目! よかったぁ~。たまたまこの村に来てて」
新米らしい女冒険者まで目をギラギラと輝かせていた。
はぁ……。俺は溜息を吐く。宴会が始まろうが上手い食い物が出てこようが幽霊の俺には何の関係もないんだもんねー……。俺一人だけ指をくわえて、みんなが和気藹々と楽しそうなところを見るのはごめんだ。この辺の散歩でもしてこよう。
鮮やかな夕日が地平線のうろこ雲を赤く染めていた。少し冷たい風が俺の頬を撫でる。村の住人は酒やらツマミやらを持って慌ただしく集まり始めている。
さて、どこに行こうか……。辺りを見回すと、村の背後の山に通じる細い坂道を見つけた。日暮れの今に鬱蒼とした山に入っていくのは気が引けたが、一人になり頭の中を整理したい気分だったので坂道を上ることにした。何より俺自身が幽霊なのだから、どれだけ陰陰とした山でも怖がる必要はないんだ。
足を動かして歩いていると、徐々に頭の中がくっきりとしてくる。今日は散々だった……。だが、異世界転生した初日に死ぬという不幸、或いはそれが骸骨女が仕組んでいたものだったとしても、起こってしまったことはしょうがない。逆に考えるんだ、俺は既に死んでいるのだからこれ以上死ぬことは無い。快適な異世界幽霊ライフを満喫出来る方法を模索するしかないんだ。……まず、霊体では人に触れられない。これは大きな問題だろう。いくら幽霊として自由に移動できるとはいえ、女体に触れられないのでは何の意味もない。いや、木の枝を持って突けばいいのか――
そんな下らないことを思考していると、いつしか森の奥深くまで入り込んでしまっていたようだ。辺りの闇が一層深くなっている。その暗闇の中で、壁に松明の灯を備え付けた一軒の小屋があった。こんなところに人が住んでいるのだろうか? 近づいてみると、室内に照明は灯されておらず、人のいるような気配はしないことが分かった。少し悪い気もするが入ってみよう。俺は小屋の扉を開けた。
「うっ……」
強烈な腐敗臭がする。鼻から脳天に突き抜けるような臭い。幽霊の俺ですらこれだけ臭いを感じるのだから、常人では意識を保てないのではないだろうか。カサカサと足の大きさと同じくらいの黒光りした昆虫が天井を這った。俺はゴキブリが大の苦手なので、思わずその昆虫に驚き机の角に足をぶつけた。机が動く音を聞きつけたのか、一瞬か細い悲鳴が上がったのが聞こえた。机の奥に地下へと続く階段がある。今の声は地下からのものだ。俺は幽霊だから大丈夫。俺は幽霊だから大丈夫。そう唱えながら俺は階段を降りて行った。
意外なことに、凄惨たる状況だった一階と比べ地下室は遥かに清潔に手入れされていた。コンクリートの壁で覆われた無機質な通路がある。俺はコツコツと足音を響かせながらその通路を歩いた。
「……らが主、全能の父よ。御血の功徳によりて我が罪を浄化し給え。我が身は主のもとに流れ、魂は一つにならん。父と子の精霊の御名において……」
まだ年端もいかない少女の掠れた祈り声が聞こえる。俺は少女の声が聞こえた厚い鉄の扉の前で立ち止まった。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい……」
少女は搾り切るような声で謝罪の言葉を繰り返し始めた。この施設は……牢獄? 村の奴らが少女をここに閉じ込めているのだろうか。で、あれば……この少女に問題があるのか、或いは村の奴らに問題があるのかだ。鉄の扉は南京錠で固く閉められている。どうするか……。ただここまで来て帰る気はしないな。
俺はそっと鉄の扉に手を置いた。この世界の幽霊というものがどういう原理で動いているのか俺の知る由ではないが、人体の通り抜けが出来るのであれが物体の通り抜けも出来てもおかしくないはずだ。
「ふんっ……!」
俺は体中の力を手の平に注いだ……が、全く反応は無い。まーそう都合よくは行かないか。はぁ~……。馬鹿らしくなり体の力を抜くと、ヌルッと腕が鉄の扉をすり抜けた。……どうやら通り抜けのコツは脱力らしい。
「……あなただれ?」
少女は怯えた顔で俺を見た。彼女の体には痛々しい傷痕が複数あった。右目は腫れあがっていて半開きになっている。痩せ細った足は部屋の角のパイプへ鎖で繋がれていた。
「俺か? 俺は通りすがりの――待てよ。俺が見えるのか?」
少女はコクリと頷いた。この異世界に来てから初めて意思疎通が出来た……感動だ。いやいやそんなことより、この少女を助けるのが先決だ。
「君……名前は? どうしてここに閉じ込められてるの?」
「名前は、貰ってない。どうしてかは、私が魔女の子供だから」
「それは君がそう思ってるの? それともそう言うように教えられたの?」
「どっちもかな。私は忌み子なの。お母さんとは会ったことがないから、本当のところはわからないけれど」
彼女は忌み子、という言葉を何の躊躇もなく使った。
「この近くに村があるよね? そこの人たちもその教団の仲間なのかな?」
「……違うよ」
少し予想外な答えが返ってきた。あの信仰ぶりだとてっきり村の奴らも教団とやらに入れ込んでいるのかと思ったが。あの女主人や受付嬢、冒険者たちは嫌々やっていたのだろうか。俺はホッと胸を撫で下ろした。
「違うよ。村の奴らは人じゃない……ゾンビだよ。奴らは死人なの」
俺は言葉を失った。ゾンビ? ゾンビってあのゾンビか?
「そんな風には見えなかったけど……」
「お月様に照らされた時だけ本当の姿が見えるの」
……嘘ではないだろう。死んでいたのは俺だけじゃなく村の奴らもだったのか。
「分かった。……君はどっちがいい? このままここに居るか。それとも――何があるかは分からないけれど――外の世界へ行くか」
「外の世界に、行きたい」
少女はハッキリそう言った。
「なら話が早い……俺が君を逃がす。君は普通の食事をするんだよね? なら看守が決まった時間に食事を届けに来るんじゃないか? 俺がその時に鍵を奪えばこの扉を開けられる」
「うん……一日二食パンとシチューを届けて貰ってる。でもその人通路で見張ってるはずなんだけど……ここに来るときすれ違わなかった? 私が起きてる間、祈りをサボるといつもぶたれるんだ」
「今日はたまたまいないらしいな……。そう言えば村で宴会のようなものをやると言っていた。そっちに集まっているのかもしれない……すると今が絶好のチャンスって訳か。俺が鍵を取ってくる。君はここで待っていて」
少女は「行かないで」と言いかけた口を自分で塞いで、小さく頷いた。賢い子だ。
俺は今度は浮遊しながら村の宿を目指した。暗闇で迷いやすい森とはいえ、木より高く飛んでしまえばどうということはない。夜空には綺麗な満月が出ていた。
宿の外にまで奴らが馬鹿騒ぎする声が響いている。俺は宿の扉を通り抜けた。
「俺にもくれよォォォォォォッッッッ」
「順番でひょ……待ちなしゃい」
受付嬢が口元から滴る血を拭いながら顔を上げた。テーブルに置かれた俺の死骸の横っ腹から赤黒い内臓が飛び出ている。
「どう? 初めての感想は」
女主人が穏やかな顔で受付嬢に尋ねた。
「美味しいです」
受付嬢は飛び出た内臓を物欲しそうに手で撫でると、再び死骸の腹に顔を埋め内臓を喰い漁り始める。
「一口って言ったでしょ!」
女主人は血相を変え受付嬢を死骸から引き剥がした。
「戻しなさい! 戻しなさい!」
女主人は鬼々迫った表情で受付嬢を壁に押し付け腹を殴り続ける。
「……え……うぇっ……」
受付嬢は無表情で殴られた続けた後、胃に仕舞った俺の臓器の断片を盛大にぶちまけた。女主人が床に落ちた肉片や血を啜る姿を見て、座っていた冒険者たちも一斉に駆け寄り床を舐めだした。
頭がクラクラする。俺は胃液が逆流するような嫌悪感を覚えながらも、懸命に看守らしき人物を探した。しゃがみこんで、俺の親指を骨付きチキンか何かのように貪っている頭巾を被った女がいた。そいつの腰に付いたキーホルダーにジャラジャラと大量の鍵が付いているのが見えた。
奴らは肉のこととなると理性を失うようだ。なら……。俺は覚悟を決め、俺の死骸に残っている目玉をくり抜いてそいつの足元に投げた。周りで床を舐めていた冒険者――否ゾンビたちは、コロコロと転がる目玉を喰おうと揉みあいになった。それに紛れてキーホルダーごとぶんどり、早々に壁を通り抜け少女の元へ向かう。
最悪な気分だ。もうチートスキルやハーレムなんてなくていい。村人Aや噛ませキャラでいいからマトモな世界に転生させてくれ……。切実にそう思いながら、少女のいる鉄の扉の錠を開けた。
「ありがとう」
少女はたどたどしく言った。足枷も外してやると、少女は生まれたての小鹿のようにふらふらと立ち上がる。足枷の嵌められていた足首には真っ赤な痣が出来ていた。
「歩けるか?」
少女は扉の外に出ようと足を前に出したが、すぐにヨロヨロとバランスを崩してしまい、壁伝いにゆっくりと進むことしか出来なかった。
マズいな……あいつらが肉を喰い終わり、鍵のなくなったことに気付くまでそう時間は掛からないだろう。それまでに追手の来ない場所まで逃げなくては。
「包丁、取ってきてくれる? ここの近くにあるはずだから」
少女は抑揚のない声で言った。
「包丁? 何に使うんだ?」
少女はただふるふると頭を振るだけだった。武器にでもするつもりなのだろうか。よく分からないがここで時間を潰しても仕方ない。地下の通路の一番奥にあった部屋の壁を通り抜けると、少女の言うとおり肉切り包丁が大量にストックされていた。使用済みのモノもあるようで、赤茶色に錆びた血と長い髪の毛がこびり付いている。一番歯切れのよさそうな新品のモノを選び少女の元まで運んだ。
「これでいい?」
少女は深呼吸しながら頷く。背中を壁にピタリと付けて座り込み、足は延ばしていた。
「切って」
少女は自分のか細い足を指さした。
「……は?」
俺は硬直した。
「すぐ生えてくるから。でも痛いのは嫌だから途中で止めないでね」
「君は……不死者なのか?」
「不老不死だけど、私は人間……だと思う。ただ呪われてるだけなの」
そうか。そういうことか――彼女がここに囚われている理由は。おぞましい発想が俺の脳裏をよぎった。彼女は奴らにとっての食糧――それも無限に尽きない食糧なんだ。一体彼女の体は何百回何千回奴らの口に咀嚼されたのだろう。そして彼女はその度にどれ程の苦痛を味わったのだろう。
少女の手は微かに震えていたが、目はしっかりと俺の目を見ていた。彼女は強い――俺よりもずっと。
「いくよ」
少女は目をギュッと瞑った。少女が痛みで舌を噛みきらないようボロボロの衣服を口に噛ませ、俺は渾身の力で肉切り包丁を振り下ろす。
少女は叫び声を上げのたうち回った。自分の腕を血が滲む程強く抓っている。少女がフーフーと荒い呼吸を整える頃には、骨ごと断ち切ったはずの膝下から足首が再生していた。
「……行こう」
少女が立ちあがった。足首から痣は完全に消えている。俺は壁を通りぬけまだ看守が来ていないのを確認してから、少女と共に森の奥深くへと入っていった。俺はいざという時のために肉切り包丁を持ってきた。傍から見れば少女の横で肉切り包丁が浮遊しているように見えるのだろうか。逐一俺が上空まで浮遊して、追手が来ていないか確認しながら進んでいく。道中、少女は俺のことを仕切りに聞きたがった。俺が謎の女に誘われ異世界へ転生したこと、転生直後に死んでしまったこと、村の女が美人でぬか喜びしたことを話すと、おかしそうにクスクス笑った。笑った顔は全く陰を感じさせない幼気な少女そのもので、それが却って彼女の惨い境遇を知る俺の胸を痛ませた。
「大分遠くまで歩いたね」
少女の息は少し上がっている。俺は上空に飛び後方の森を監視した。距離は離れているが、長い列を成している松明の灯がゆっくりとこちらに近づいてきている。
「奴らも気付いた。このペースで行けば追いつかれはしないと思うけど……奴らは不眠不休で動けるのか?」
「ううん。ゾンビっていっても教団の操り人形なことと人肉を食べること以外は普通の人と一緒みたい」
「そうか……。念のためにもう少し進んでおきたいな。体力は大丈夫?」
「うん。大丈――」
少女が不意に立ち止まった。
「どうした?」
「見えない壁がある……」
少女が恐れ慄いた表情で目の前に手を伸ばした。まるで何かに弾かれたかのように手を引いた。
「壁? 壁なんてないぞ?」
少女が手を伸ばした先へ俺は易々と移動する。
「たぶん幽霊だから大丈夫なんだと思う。……壁の無いところを探さなきゃ」
少女の言う見えない壁に沿って歩き続けたが、どこまで行っても壁は途切れていなかった。追手から引き離した距離もじわじわと詰められている。松明の灯が地面からでも確認できるようになってきた。
「もういいや。本当はね、私分かってたんだ……逃げられないってこと」
急に少女はそう言って壁にもたれかかった。
「あなたとお話がしたかっただけなの。……付き合わせちゃってごめんね。私は帰るから、あなたはもう行って」
「本心じゃないだろ? 一々俺に気を使うなよ……幽霊なんだし」
「ここで離れなくちゃ駄目なの。私が牢に連れ帰されたらあなたはどうする? 私を助けに来るでしょ? もっと厳重に監禁されちゃうかもしれないけど……それでもあなたは私に構ってくれるでしょ?」
「余計なお世話か?」
「違うの。そうじゃなくて……あなたが私に関心のある内は私はどんな境遇でも幸せ。でも数年後は? 数十年後は? 数百年後は? そのうちあなたが私に飽きちゃったら、私は壊れちゃうと思うの」
少女は言葉につかえながら言った。孤独に耐え――孤独に慣れて、苦痛に耐え――苦痛に慣れてしまった少女の言葉は重くのしかかった。「一万年経っても君に会いに行く」その言葉は無責任すぎる気がして俺には言えなかった。どうなんだろう。数千年後……数百年後の俺は……。
「あ」
少女が一言漏らした。少女の視線の先には瞳を赤く染めた女司祭が立っていた。その隣には首を直角に傾けひょろ長い手足をした奇妙な生物が居た。目と口からは触手のようなものがウネウネと蠢いている。
「走れ! 逃げ――」
逃げ道を塞ぐように反対側から松明の灯が近づいている。
「ねえ」
少女が俺の目をじっと見つめた。
「あなたに会えてよかった」
俺は――。
女主人、受付嬢、冒険者たち、女医……村の奴らの歪んだ顔が松明の灯に浮かび上がった。みな昼間とは違い、血管の浮き上がった顔に口をだらしなく広げ涎を垂らしていた。その後ろにはもう一人の女司祭と教祖と呼ばれた男が鎮座している。手足の長い奇妙な生物は唸り声を上げ俺たちの方へ走り始めた。
「俺は――数百年後のことは分からない。でも今は君を助けたいんだ」
少女は俺の握る肉切り包丁の柄へ手を重ね合わせた。
ドクン。心音が聞こえる――俺の視点が低くなった? 考えるより早く射貫くように飛んできた触手を跳躍して躱し、着地と同時に肉切り包丁で叩き斬った。
(何――?)
少女の声は胸の奥から聞こえる。
「俺が君に憑いたみたいだね」
手足の長い生物が二本の触手放つのに合わせ、死人たちも一斉に走り始めた。……何となく分かった。俺は彼女を助けるためにこの世界に飛ばされたんだ。右手を地面につける。
「【華焔濁流】」
地面から火柱が吹き荒れた。死人たちの体が焼け溶ける。手足の長い生物は触手を焼かれながらも、長い両腕についた鎌のような刃を振り回しながら突っ込んできた。【フロストバイト】を撃ち込み氷結させた後肉切り包丁で叩き割る。その間に女司祭二人が教祖に駆け寄り、文字通り肉体を交わらせていた。教祖の体と二人の司祭の体の境界が消えた時それらは肉団子状にグチャグチャに混じり合わされ、やがてサナギが羽化するように羽と角を持った大型の魔物が現れた。……生憎羽なら俺も持っている。【不滅の翼】で上空に飛び去り、【冥界への門】を発動した。巨大な魔物を飲み込むように地面が轟音と共に裂けた。地中からは業火の炎が渦巻いている。羽を羽ばたいて飛び立とうとする魔物を【裁きの光】で貫くと、魔物は炎の渦中に堕ちていった。
恐らく教祖が死んだことがトリガーとなり、見えない壁は無くなっていた。それと同時に、まだ生き残っていた少数の死人たちが少女を操縦者とみなし追従するようになった。少女と教祖の魔力に差があるためか、死人たちは会話する知性は持ち合わせておらず時々呻き声を発するのみだった。少女は「いつか彼らを救えるかもしれないから」と、人肉を喰わないことを条件に彼らを旅の一員として加えることを受け入れた。俺が脱力すると少女の体から分離することが出来たので、もぬけの殻となった村から衣服や食料(人肉ではない)を持ってきて少女に渡した。
「これからどうする?」
俺は少女に尋ねた。
「何でもいいよ」
少女は微笑んだ。”どうでもいい”ではなく、本当に”何でもいい”という笑顔だった。
「それよりさ。あなたのことレイって呼んでいい?」
「れい? いいけど何で?」
「私はユウって名乗るから。そしたら二人合わせてユウレイになるでしょ?」
俺があまりの安直さに吹き出すと、ユウも笑い出した。
「じゃあ行こうか、ユウ」
「うん行こう。レイ」
二人は月夜に照らされながら、肩をぴったり並べて歩き始めた。その後ろで綺麗に並んでいた死人の行列が、ゆっくりと行進を始める。
異世界転生したら死んでた~DeadMenWalking~ fin.