08.追憶
中学二年の夏休み。
晶は、龍の部屋で一緒に宿題をしていた。
八月も半ばを過ぎ、蜩の声が響く。扇風機に飛ばされないようにプリントを筆箱で押え、二人で頭を抱えている。
カルピスの氷が解けきって、乳白色の液を半透明に変えていた。
晶は数学、龍は古文でそれぞれ詰まっている。朝から教え合っていたが、宿題の山はなかなか片付かない。
いつしか二人は黙々と自分のプリントに向かい、黙って頭を抱え込んでいた。
理系と文系。
興味や得意分野は正反対だが、計画性のなさに関しては、何故か息の合う二人だった。
龍の兄二人は、何でもコツコツ計画的にこなし、遊びに夢中になり過ぎて夕飯に遅れることもなければ、約束の時間に遅れることもなかった。
龍は実の兄弟より、隣家の晶と仲が良く、周囲の大人たちも、この二人を兄弟扱いすることが多かった。
龍の母はおおらかな人だが、父は厳格で、何かにつけ、兄二人を引き合いに出しては、時間にルーズな三男を叱りつけていた。
そして毎年、こうやって二人揃って後悔しているが、小学生の頃からちっとも変っていない。
こうして焦って額を寄せ合う日が、夏休み最終日ではなくなった分、少しは進歩しているのだろうか。
「だぁ~ッ! ちんぷん漢文だぁ~ッ!」
龍が畳にひっくり返った。晶もシャーペンを置いて、すっかり薄くなったカルピスを一口飲んだ。
「こんなことしてる間にも、時間って流れて行くんだよな……」
「時間が……流れる……」
晶が何気なく呟いた言葉を繰り返し、龍は寝返りを打った。
「何で時間が流れるのは、こんなに早いんだろうな?」
「流れる? 流れ……」
そう呟いたきり、何か考え込む龍を見詰めて、晶も黙り込んだ。
窓の外では、夏の名残の入道雲が青空にむくむくと沸き起こっている。
数学の宿題に視線を戻したが、脳みそが飽和状態で何も考えられない。
朝夕は涼しくなってきたが、まだ夏の範疇だ。額から汗が滴り落ちる。
カナカナカナカナ……
カタカタカタカタ……
チクタクチクタク……
蜩の声と、扇風機が首を振る音と、時計の針の音が重なる。
晶は少しでも数学の問題を解こうと、プリントと睨み合い、龍は何を考えているのか、畳にひっくり返ったまま、天井を見つめていた。
規則正しく刻まれる単調な音を聞いていると、眠気が誘発される。晶は音に抗い、目をこじ開けてプリントを睨む。龍は虚空を見詰めていた。
どのくらいそうしていたのか。
蜩はどこかへ飛んでしまったのか、部屋では時計と扇風機の音だけが刻まれていた。
「流れには必ず源がある筈だ。その源を絶ってしまえば、時間は流れなくなる筈……だろ?」
急に起き上がった龍が、晶に同意を求める。
晶は黙って、ぬるま湯のようなカルピスを飲んだ。
「川を堰き止めるみたいに……」
「じゃあ、その源はどこにあるんだ?」
当然の問いが口を吐いて出たが、晶は答えを期待していなかった。
龍が真剣に考え始めたので、釘を刺す。
「龍……宿題やれよ」
晶は枕元を手探りし、目覚まし時計を掴んだ。
五時四十分。
まだ秋の長夜は明けていない。目覚ましを置いて、布団を被り直した。
チクタクチクタク……
源を絶ってしまえば、時間は流れなくなる筈……
カタカタカタカタ……
朝日が昇るまでの微睡の中で、晶は時計と扇風機の音と、龍の声を聴いていた。