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07.彼女

 「火のない所に煙は立たずって知ってる?」

 項垂れた(てる)の上に声が振ってきた。

 ハッとして顔を上げる。枯葉色のセーターを着た女子大生が立っていた。


 ……いつの間に……?


 足音に全く気付かなかった。

 彼女は(てる)をじっと見下ろしている。

 「いつから、ここに居たんだ?」

 「ずっと。ここで、夕方の幽霊と話してる人が居るって、みんなが噂してるの、知ってる?」

 (てる)が頷くと、彼女は少し頬を緩めて、先を続けた。

 「みんな怖いから、どんなに実験したくても、居残りなんてしないのに、入れ違いにここに来て、ずっと一人で『何か』と話してるでしょ? 何と話してるの?」

 (てる)は黙って立ち上がった。

 彼女は一歩下がって質問を続ける。

 「ねぇねぇ、庄野龍(しょうのりゅう)って院生が、夕方の幽霊に捕まったって噂……知ってるんでしょ? それを確めに来たの? 一人で?」

 「関係……ないだろ」

 彼女は名乗らず、他学部の(てる)誰何(すいか)もしない。

 (てる)が立ち上がり、歩きだすと、彼女も隣に並んで歩く。(てる)は何も言わずに足を速めた。彼女は小走りでついて来る。

 廊下に灯はなく、遠くの非常灯が二人の輪郭をぼんやり照らし出していた。


 階段の明るさに安心したのか、彼女は再び口を開いた。

 「関係なくないよ。だって、ゼミのみんな、庄野君のこと、心配してるもん」

 (てる)は、踊り場で立ち止まった。

 窓から学食の自販機が見える。学食には、まだ大勢の学生が居て、自販機前で談笑していた。学食の北側では、丸太を並べただけのベンチで、演劇部がよく通る声で台詞合わせをしている。

 踊り場の緑の非常灯の下には、「G棟2階/3階」の案内板があった。

 「何か知ってるんでしょ? ねぇ、なんでもいいから教えてよ! 庄野君に何があったのッ?」


 ……みんなじゃなくて、このコだけが心配してるんじゃないか? 龍の野郎……ッ!


 「説明したって、信じてもらえないと思うから……」

 「やっぱり知ってるんじゃないッ! 何でもいいから教えて!」

 「何でも……ねぇ……」

 到底、人に物を尋ねる態度ではない。(てる)は溜め息を吐いて、窓の外へ視線を戻した。ベンチを照らす灯に羽虫が群がっている。虫の羽が水銀灯の光の輪の中で、きらきらと輝いていた。


 ……ウィル・オ・ウィスプってこんな感じなのかな?


 「何でもいいから……」

 彼女の泣き出しそうな声で、一瞬の逃避から現実に引き戻された。

 知的な光を宿した瞳が、いっぱいに涙を溜めて(てる)を見上げている。小柄な体には、一回りサイズが大きい枯葉色のセーターが、よく似合っていた。

 艶のあるセミロングの髪が、彼女の呼吸に合わせて小さく揺れる。

 改めて見ると、彼女はとても魅力的だった。

 「本当に何でもいい?」

 彼女は黙って頷いた。

 一言でも言葉を発すれば、涙が零れそうだ。

 (てる)は龍の顔を思い出しながら、彼女の瞳を覗き込んだ。彼女の瞳は、まっすぐに(てる)を見返すが、(てる)を見てはいなかった。


 ……龍が今まで付き合ってたコとは、全然違うタイプだ。このコの片思いなんだろうなぁ。


 「じゃあ、明日の夕方、あの場所で説明するから」

 彼女は、ひとつ大きく深呼吸して、声を出した。

 「……明日?」

 「都合が悪い?」

 「どうして今すぐじゃないの?」

 「実際に、試してもらう方がわかりやすいかと思うんだ」

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