18.遺物
〈……御遣いの龍さまは、川に……我らを置いて、ミナカミ様の許へ、帰ってしまわれたのではありませぬのか?〉
「龍はまだ戻らない。何があったんだッ?」
ある区画の岩に印をつける時、山から地鳴りが聞こえ、大きなミヅチが現れ、龍を連れて行った。
前の日に、北の山には黒い雲がかかっていた。あれは恐らく、龍を迎えに来たミヅチの乗り物だったのだろう。
その時、四人の若者が従者として連れて行かれた。
後には、ミヅチが運んで来た大きな岩が残り、川はその姿を変えてしまった。
〈再び村に遣わしていただきたく、お願い申し奉りまする〉
「何だってッ? 龍は勝手にうちを飛び出して、自力で帰れなくなってたんだぞッ!」
晶は、懸念が現実になったことの憤りを、遠い昔の老人にぶつけてしまった。
「遣わすも何もあるかッ! あいつはただの人だ。あなた方が求めるような力なんて、何にも持ってなんかないんだ!」
教授と学生が、怒りを向けられ萎縮する老人の息使いを、記録している。
晶は自分以外の観測者の存在も忘れ、壁の影に怒鳴った。
「あの龍に、暴れ川を鎮めるなんて、できっこないんだ! 龍を帰せッ! 戻せよッ! 今に!」
時は無情に過ぎ去り、黄昏の光が薄らぎながら、角度を変える。
村長の影は、畏まったまま、夕闇に消えていった。
気が付くと、常盤が晶たちを見降ろしていた。
「水上さん……庄野君に何があったか、わかったんですか?」
ムラオサ。
治水工事。
鉄砲水……
日が沈み、底冷えする廊下で、晶の身体は冷え切っていた。その内は、遣り場のない怒りをふつふつと滾らせ、火のように熱い。
白く凍る息を吐きながら、常盤は晶の言葉を待っていた。
教授と学生が、観測記録を開示すべきか、小声で相談している。
晶は、かじかんだ手で壁を伝い、ぎこちなく起ち上がった。
……龍はもう、いない……
卒業から三年。
隣のおばさんは、以前通りではないものの、薬を飲まなくてもよくなった。
水上晶は、遠方の支社に転勤になり、年末年始以外は帰省しない。ゴールデンウィークにも帰省できなくもないが、龍の家族と顔を合わせるのが辛かった。
水上家も隣の庄野家も、龍の話題を意識的に避けるようになり、今ではそれが当たり前になっている。
年内最後の開館日、晶は博物館に出掛けた。
鴇之依渡浮根が移設された市立博物館。冬休みを利用して訪れる家族連れが、ちらほら見えるだけで、広い館内はがらんとしていた。
たくさんの埴輪が並ぶガラスケースの前に、常盤が居た。
元々、連絡先の交換さえしていない間柄だ。卒業後どうしていたのか、お互いの消息に全く関知していない。
常盤は、いつからここにいるのか、ひとつの埴輪をじっと見詰めている。
晶は、常盤の視線の先を辿った。
祭司なのか、他の埴輪より一回り大きく、異質な装飾が施されている。胴の真ん中に、縦一列に三つ、小さな丸が並び、首のすぐ下には三角形が二つ、角を合わせて斜めに配置されていた。
何より目を引くのは、その埴輪の目が、他より明らかに大きく、四角いことだ。
目と目の間は、細い線で繋がれている。
埴輪は右手を上げ、左手を身体の横へ水平に伸ばして立っていた。
「水上さん……」
常盤は再会の挨拶もなく、ガラスケースを指差した。
「この埴輪……」
眼鏡を掛けている……




