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街は光り輝き、穏やかで楽しい時間が流れる。その時までは

カンタレラはオアシスを見たことがある。

カンタレラは海も見たことがある。

雨も川も知っている。


アリシアの国のことは、本で読んでよく知っている。

気候も風俗も、あらゆることを『母』が招いた講師にも教わったはずだった。


けれど、目の前の景色に、

本などまったく役に立たないことを知った。


「イト! イト! 街の中に水が出ているのだわ!」


カンタレラは思わず甲板から身を乗り出しすぎて、慌てたイトに体を支えられた。

「危ないですよ」という声も、まともに耳に入らない。

街中がキラキラと輝いていた。

噴水だ。吹き上がった水が陽光を反射しているのだ。

噴水だけではない。街のいたるとことに泉が湧いているのがわかる。

太陽の光が柔らかい。きっと湿度が高いからだ。

緑が濃い。土、草、花、あらゆるものの匂いがする。

鳥が飛ぶ、虫がいる。

降り立った台地には砂埃が立たず、足裏の感触まで柔らかい。


「イト、スラフィス、リンドン! すごいの、街が緑!」


石の壁にツタが這う。日陰に苔が生す。

草の背は高く、花は柔らかい花弁をおしげもなく広げている。

土が黒い。そう、土だ。砂はどこにも見当たらず、街がまるごと生きているかのようだ。

それもこれも全て水が多いからだ。空気は思ったよりもずっとしめっていて、肺の中まで濡れるようで戸惑いさえ覚える。


そしてさらに驚かされるのは、街を行き交う人の多さ。

祭が行われることは知っているけれど、それにしてもなんと賑やかなことだろう。

男も女も砂漠の街とはまるで違い、手足を出して通りを歩く。

まるで夢の中に迷い込んだかのようだ。

カンタレラはふわふわした足取りで港を歩いた。

水は命の源だと。砂漠の民は痛みとともに知っているけれど、ここではそれは当たり前に湧いているものなのだ。

ここが天国でないとしたら、天はどれほど素晴らしい場所なのだろう!


ふいに背後で大きな爆発音がして、カンタレラは驚いて振り返った。

青い空に、白い煙の固まりがいくつも浮かぶ。


「何! 今のは何!?」


「少しは落ち着きな」


リンドンが呆れた視線を向けてくるが、興奮しているものは仕方がない。


「今のは花火だよ。火薬を打ち上げて……」


「知っているのだわ! あれが花火!! なんて素晴らしいの!」


「知っているなら静かにおしよ。祭の合図さ。明日からだからね」


「でもすごい数の人。まるで今日から祭のように見えるのだわ」


「でかい祝祭だからね。前日ならこの程度当然さ」


「しかし、前に来たときより賑わってる気がするな」


入国の手続きに戸惑ったのか、やっと二人に追いついたスラフィスが、感慨深そうに辺りを見回す。

カンタレラは妙に嬉しくなって、胸を張った。


「それはアレスの功績なのだわ。商人にかける税を安くして以来、街を訪れる人が増えたの」


「噴水の数も前より増えた気がするし」


「それもアレスの功績なのだわ。上水道を整備したの。山から沸く水を石の橋を使って通して……ほら、きっとあの山だわ。この国は山まで緑なのね!」


スラフィスまでリンドンと同じ呆れ顔になるが、カンタレラがそれで収まるわけもない。

静まりかけた興奮は、新しいものを見る度にすぐに元通りだ。


「ほら、泉に銀の盃が置かれているでしょう? 誰でも使って良い物なの。だけど盗ろうなどとは思わないことだわ。すぐに捕らえられてしまうのだから。アレスはとても法律を厳しくしたの」


「この街の中心に水を引くのに、地元の代官にずいぶん恨まれたそうよ。けれど結果はどう? この賑わいを見たら、王を悪く言う者などいないに違いないわね」


「カンタレラ……お前、ずいぶん王様に詳しいんだな」


「当たり前なのだわ。私はたくさん勉強したのだもの」


毒娘がえへんと胸を張ると、スラフィスは複雑極まりない顔をした。


「なぁに? その顔は失敬だと思うのだけれど」


「いろいろ言いたいことがあるんだが……。とりあえず、王様には敬称をつけろ」


カンタレラは言葉に詰まった。

当然のことではあるが、今のカンタレラは只の旅人であり、王を名で呼ぶ権限などあるはずがない。


「……はい」


顔から発火する思いで、カンタレラは頷いた。

失敬なのは己であった。『母』から「常に冷静であれ」と仕込まれたはずだというのに、なんという情けなさか。


「興奮してしまうのも無理はありませんよ。僕だって踊り出したい気分です」


入国手続きに一番手間取っていたイトが、後ろから優しい声をかけてくれた。


「イトもそう思う!? そう思うわよね!」


「はい! 実際に見る異国の祭のなんと素晴らしいことでしょう」


「ええ! まったくその通りだと思うのだわ!」


「イト。静まりかけた火を扇ぐじゃないよ」


リンドンの声は氷のように冷たく響いたが、互いに理解者を得た毒娘と予見者はいささかも怯まなかった。

二人は生まれて初めて散歩に出た子犬、おもちゃを与えられた幼児のようなもので、高ぶった心は大人の言葉でどうにかできるはずもない。


結局、はしゃいで進むカンタレラたちの後ろを、リンドンとスラフィスが諦めて歩く形になった。


「浮かれるのはいいけどな。まずは宿の確保だぞ。ちゃんとしたとこじゃねぇと盗人も……」


言いかけたところで、スラフィスは肩を竦めた。


「いいや。宿は俺が探す。どうせお前ら役に立たねぇし。せっかくだから楽しんでこいよ」


カンタレラとイトは、二人同時に顔を輝かせた。


「ありがとうございます、スラフィス!」


「感謝してもしきれないのだわ!」


「おうよ。日暮れには戻ってこい」


剣士は苦笑すると、思いついたように通りの先を指さした。


「カンタレラ。お前は服が必要だろ。あっちが服屋街のはずだ。早めに確保しとけ」


カンタレラの汗は毒液に等しい。

湿度が高く、水が多いということは、汗の管理にこれまで以上に気を使わねばならないということであり、そのためには気候にあった服が必要だった。

砂漠の街に比べ、アリシアでは女性の肌の露出も高く、それだけ怪我の危険も増える。自然に手足を覆える格好のためにも、服屋は真っ先に行くべき場所だった。


カンタレラは小さく唇を咬んだ。

本当に、今日の自分は浮かれすぎている。本来であれば桟橋に足をつける前に考えておかなければならなかったことだ。


カンタレラはスラフィスに何度目かの礼を言おうと顔を上げたが、口を開くよりも先に説教が降ってきた。


曰く「絶対にリンドンから離れないこと」「宿屋街の場所を頭に入れておくこと」「余所者はカモにされやすいのだから油断しないこと」「浮かれるのはよいが程度があるということ」


口を挟む間もないほど次々注意をすると、スラフィスはさっさと三人に背を向けて去って行った。


「あの男……アタシに子守押しつけて逃げやがったね」


毒づくリンドンの後ろで、カンタレラはイトと顔を見合わせた。


「『兄』の言葉というものは、ありがたく正しいものだけれど、時として腹が立つこともあるのだわ」


「そうですね。僕もまったく同じことを思いました。……僕たちは、もう少し自分をいさめるべきですね


「ええ。反省をすべきだわ」


真剣な顔で頷きあい、

そして二人は、同時に笑った。


「やっぱり、私たちは似ているのだわ」


「ですね。さあ、せっかくの自由時間です。たくさん町を見て回りましょう!」


『自由』。その言葉が、カンタレラを少し不安にさせた。


「イト、今日の運命は見えているの? 私たちがしなければいけないことはない?」


だが、予見者は穏やかに微笑んで、その不安を消す。


「今日は特に何も見えません。自由にして大丈夫ですよ」


「よかった。では、明日は?」


「そうですね……。正午ごろ、僕達が四人で中央の広場に行き、食事をとることになっています」


それが、サハラーゥを出立する前にイトが見た未来なのだろう。

カンタレラは安堵の息をついた。

それだけなら、祭を楽しむ時間はたっぷりとありそうだった。


さぁどこに行こう、何をしよう。いざとなると目移りしてしまう。


「とりあえず、軽い食べ物を買ってきましょうか。食べながら回るところを考えて、それからカンタレラの着るものを確保しましょう」


「それなら、アタシはちょっと座ってていいかい。人混みは疲れるんだ」


リンドンはそっけなく言うと、噴水の端に腰掛けた。

イトはすぐそこの屋台で串焼きを買ってくると宣言し、急いでそちらに向かう。

カンタレラは老婆の傍に立ち、イトの背を見送った。


「リンドン。少し、体調が悪いのでは?」


改めて見ると、老婆の顔色は少し青いように感じられた。

船旅にも動じた様子のなかったリンドンだが、やはり疲労が溜まっていたのだろうか。


「ふん。あの程度の旅で弱るアタシじゃないよ。ただね……こう見えるもんが多いとちょっと疲れるものなのさ」


カンタレラは思わず周囲を見た。行き交う大勢の人々。様々な服装、様々な表情は、こうして普通の目で見ているだけでも疲れるほどだ。ましてリンドンの目は――


「もしかして、リンドンは、道行く人のことが『全て』見えてるの?」


「ご冗談。辞典を一瞬で読むなんて器用な真似はできないよ」


老婆は肩を竦めると、青い空を見上げた。


「その気にならなきゃ、見えるのはせいぜい数ぺージさ。だが、こう連続で見せられると流石にしんどいね」


「……ごめんなさい。私たち、自分のことばかりだったわ」


「おや、しおらしいじゃないか」


リンドンは小さく鼻で笑い、噴水の縁の上に寝転がった。


「かまやしないさ。アタシだって若いころには好き勝手したもんだ。さ、年寄りを少し休ませておくれ」


そのまま目を閉じ、イトが戻ってきたときには、リンドンは静かに寝息を立てていた。

カンタレラとイトは、二人並んでその横に腰掛け、串焼きを齧った。


「ねぇイト。リンドンの目には、世界はどのように見えるのかしら」


「僕達にはきっとわかりませんよ。人の目に映る世界は、きっとそれぞれ違うのでしょう」


カンタレラは掌で己の片目をふさぎ、なんとなしに通りを眺めた。

目をふさぐ手を変えたところで、見えるものは変わらない。


「イトは、どうやって未来を見るの?」


「僕ですか? いろいろです。こうやって普通に過ごしているとき、自然に未来が見えてしまうこともありますよ。絵画に塗れた布をかぶせるように、目の前の光景に、突然未来が重なって見えるんです」


「それは……大変そうなのだわ」


危険な作業をしているときにそんなことが起こったら、手元を狂わせてしまいそうだ。


「慣れればそれほどでもありませんよ」


イトは少し遠い目で港の方を見た。

海を挟んで故郷があるはずの方角だった。


「もちろん、自分の意思で見ることもできます。基本的に王の命令を受けたときだけですが。

それから、未来を夢に見ることもあります。

小さい頃は眠るのが怖くて、弟とふたり、ベッドの中でいつまでも起きていたりもしました」


「イトの弟は、イトに似ている?」


ほんの僅かなあ沈黙の後、イトは少し寂しそうに笑った。


「どうでしょう。あまり比べられた記憶がありません。カンタレラと妹はどうですか」


「似てはいないわ。肌の色も髪の色も違うのだもの。『姉妹』たちは皆親が違うの。『母』が各地から集めてきたのだから」


「では、貴女たちは……」


イトは何か言いかけて、言葉を飲み込んだ。

予見者は話を続ける代わりに、傍らで横になっているリンドンの顔をそっと伺う。


「ちょっとだけ、遊びに行ってしまいましょうか」


「でも……」


「行くなら行きな」


眠っていると思っていたリンドンの返答に、二人はそろって身体を硬直させた。


「まだ明るいし大丈夫だろう。いくらアンタたちが幼稚でも、ホントの子供じゃないんだからね」


老婆は薄く目を開けてそう伝える。

カンタレラとイトは一瞬顔を見合わせて、


「では、行ってくるのだわ!」


「面白いものがあったら買ってきますから、楽しみにしていてくださいね!」


次の瞬間には財布を握り締めると、子犬のように駆け出していた。


「……やれやれ、ホントの子供より危なっかしいい気もするねぇ」


呆れるリンドンの言葉も届かないほど、あっという間に通りの先。






「イト! ガラス細工を見てもよい? それから、あの大きな噴水が見たい!」


「はい! その後はあちらの店を見に行きましょう!」


よく見れば、街には異国の人間も多かった。

異なる容姿、異なる服装。訛りも仕草も皆違う。これならば、自分たちも思ったほどは目立たないだろう。

カンタレラとイトはすっかり安堵して、にぎやかな通りを進んだ。


心臓が楽しげに脈打つようだった

スラフィスの忠告通りに服を調達し、着替えと毒の処理を終えた後は気の向くまま、カンタレラは惹かれたものを片端から覗いて回った。


子供らが風車を持って走る。昼間から酒を飲む者達がいる。

店先でキラキラと光りを受けて輝いているのはガラスだ。アリシアはガラス細工でも有名なのだ。

数ある色ガラスの中で、アレスが最も好み奨励しているのは黒ガラス。

金の縁取りと相まって重厚で神秘的なそれはには、イトも一目で心奪われた。


「素敵でしょう。私もひとつ持っているの。塔に置いてきてしまったけれど、獅子の紋様が見事だったのよ」


「カンタレラが気に入ったのなら、きっと素晴らしい作品なのでしょうね」


「もちろん。私の審美眼は『母』もよく褒めていたもの」


木々の葉を思わせる緑ガラスに、水のような青ガラス。血の真紅。レモンの黄。どれも溜息をつくほど美しい。光と風が反射して、微かな音がするようだ。


「夜はきっともっと素敵なのだわ。あのランプに光が灯るのだもの」


「宿から見えたらいいですね。今から楽しみです」


光の中、踊るように軽い足取りで二人は進んだ。

カンタレラは辺りを見ながら、『愚か』のことを考えた。

『妹』をこの場所に連れてきたら、どんな顔をするだろうか。

あの子は可愛らしいものが好きだから、あの髪飾りの店などたいそう喜ぶだろう。

そうだ、金の目にも何か買ってやろう。主人を亡くした彼の苦労にも目を向けなければ。

意見の違いこそあれ、彼は忠実な従者であり、『母』亡き今、カンタレラが主人としての務めを果たすべきだ。


弾む足取りで隣を歩いていたイトが、ふいにピタリと足を止めた。


「どうしたの?」


「今……。弟の姿を見たような気がしたんです」


予見者は人混みを見つめ、

ややあって首を横に振った。


「ダメですね。こんなところにいるはずがないのに。

当主の僕がいなくなった以上、弟が王を守る役目についているはずです。

異国の地になど……いるはずがない」


イトは曲がりかけていた背をくいと伸ばし、自嘲気味に微笑んだ。


「僕が、この景色を弟にも見せたいと思っていたからでしょう。背格好の似た者を見間違えたんだと思います」


「そう……。私も今『妹』を連れてきたいと思っていたの。あの子は塔から出ることを許されないというのに」


二人は何度目か顔を見合わせた。

ほんの僅かな間に、様々な感情が交錯する。


そして、カンタレラは少し笑った。


「イト。いつか、互いのきょうだいを連れてきましょう」


「でも」


「できないと決まったわけではないわ。私たちがここにこうしているなんて、一月前には夢にも思わなかったでしょう?」


カンタレラがまっすぐに、その顔を見て口にした言葉に、イトは僅かに目を細めた。


「そうですね」


また、あの感情がある。

イトを前にしたときだけに感じる、奇妙に穏やかで幸福な感情。

同時にどこか居心地の悪さを覚えて、カンタレラは視線を逸らした。


イトも同じように感じたのだろうか、彼はどこか不自然な様子で傍らの貴族の屋敷に目をやった。


「その……貴族の館も、国によってずいぶん造りが違うんですね」


実力のある一族のものなのだろう。広い庭の向こうに見える建物は大きく、一目でそうわかるほど豪華なものだった。


「ええ。とても素敵。でも砂漠のオアシスには、この館はきっと似合わないでしょうね」


館は富と権力を示すためのものでもある。どちらの国のものにも、異なる迫力があった。

高い塀と大きな門に囲まれた緑の屋敷は、まるで小さな城のようだった。塀と庭の木々があってもなお、高い屋根とバルコニーはよく見える。

イトはなにげなく、そのバルコニーを指さした。



「明日は、あそこでアレス王が民衆に声をかけるそうですよ」

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