毒娘は予見者の運命を知り、共に旅に出ることを決める
そこかしこで酔客が声を上げる騒がしい店内で、ただそのテーブルだけが、周囲とは客層も場の雰囲気も異なっていた。
俗な店には場違いな貴族の少年。
いかにも旅人という姿の青年。
この時間ならとうに就寝でもしていそうな老婆。
そして、食事中も手袋を外さぬ少女。
手袋の少女――カンタレラは、青年――スラフィス・ランペールが、思いの他説明上手だということを知った。
スラフィスは終始面倒臭そうにしながら、イトにリンドンのことを説明し、老婆には補足させ、狼狽する少年を落ち着かせて警戒を解かせ、質問を促し、老婆のそっけない口調を窘め、少年に椅子を勧め茶と果物を注文し質問を解説し回答を解説し実例を見せて補足し少年にフォローを入れ、飽きた老婆を窘めさらに少年に質問を促し、
――今はわかりあった様子の二人を前に、疲れた顔で己の茶を啜っている。
思ったよりも短気という印象は、思ったよりもマメという印象で上書きしなければならないようだ。
冷静に考えてみれば、元々スラフィスはカンタレラに『爪』を貸してすぐその場を立ち去っても良かったはずで、要するに彼はとても良い人なのだろう。
思い返せば物語の英雄もとても人が良く、よく他人の揉め事に巻き込まれていた。
作者は彼のこういった性格を元に物語を膨らませたのかもしれない。
カンタレラはのんびりとお茶を啜りながら、そんなことを考えていた。
イトはというと、すっかり打解けた様子で、リンドンと語りあっていた。
「それにしても驚きました! あなたほどの千里眼にお会いしたのは初めてです。
なぜ国に名乗り出ないのです? あなたほどの人なら、王は直ぐにも召し抱えるでしょうに」
「だからだよ。国のために働くなんてまっぴらごめんだ」
「確かに……少々息苦しい環境ではありますね」
「あんたんとこも、母親がだいぶ大変だったんだろ」
「そんなことまでわかってしまいますか。恥ずかしながら、母にはずいぶん苦労をかけてしまいました」
自嘲気味に笑うイトは、どこか安堵しているようにも見える。
リンドンはそんな少年を眺めながらため息をついた。
「アタシのこの目は、普通なら疎まれるもんなんだけどね。そんなに安心されると落ち着かないよ」
「すみません。本来、一族と王以外には隠さなければならないことが多いものですから、あなたには嘘をついても意味がないのだと思うと、かえってホッとしてしまいました」
「ふぅん」
リンドンはカンタレラをチラと一瞥した。
「アンタたち二人はよく似てるね」
「そうですか? 僕とこの人は、髪の色も肌の色も違いますし……」
「外見の話じゃないよ。まったく。二人とも、腹の中の薄汚いものをアタシに見られちゃ困るとか考えないものかね」
「私の心の中に、恥ずべき気持ちなど毛の先ほども存在しないのだわ」
「僕もです。『神に心臓を取り出されても恥じるところがないように生きよ』と父に教わって育ちました」
「はぁ……これだもの。アタシゃ人間と話してる気がしないよ」
リンドンはあきれ顔で視線をスラフィスの方に流し、
「アンタはまた絵に描いたように人間丸出しだよね」
「るせぇよ」
無言で睨み合う二人の横で、今度はイトが心底嬉しそうに息を吐き出した。
「僕、今日初めて『家を出て良かった』って思えた気がします。本物の千里眼はもちろん、あのスラフィス・ランペールのモデルにまで会えるなんて」
「その話はしないでくれ……心がえぐられるから」
「どうしてです? 『モデルにしよう』と思われるというのは、あなた自身にそれだけの魅力があるということですよ」
「まぁ……そう言ってもらえると、悪い気はしねぇけどよ」
「僕は本当に幸せです! 実を言うと、家を出てからずっと不安でいっぱいだったんですよ。それまでは独りで買い物をしたことすらなかったものですから。
カンタレラ、あなたが助けてくれたお陰ですね」
イトがにこりと微笑んだ瞬間、カンタレラに不思議なことが起った。
心臓が、一体どうしたことなのか、ふいに大きな音を立てたのである。
「だから……礼など、いらないと言っているのだわ」
妙な居心地の悪さを覚え、カンタレラは目を逸らした。
意識を逸らしても、しばらく心臓は落ち着かなかった。
「その、せっかく会えたけれど、イトは明日はこの街を出てしまうのでしょ?」
「そういえばそうだったね。アンタも大変だねぇ」
「運命ですから。隣国の祭に僕が参加している未来を見たので、間に合わせるためには明日には出立しなければなりません」
「ふぅん。けど、長旅だって初めてなんだろ。向こうの言葉とか……」
言いかけたリンドンは、そこで、ふっと言葉を切った。
一体どうしたのだろう。イトも何も言わない。
カンタレラは不思議に思って二人を見たが、少年と老婆はまるで二人の中心に異常なものでも存在するかのように、お互い驚愕の表情で固まっている。
「二人とも……?」
しばらく時間が経ってから、老婆が先に、掠れた声で呟いた。
「おいおい……冗談だろ……」
「あ……その……。すみません」
「変えるわけにはいかないのかい。アタシには店があるんだよ。これじゃ困るじゃないか」
「すみません……。僕にはどうしても……」
いったいどうしたのだろう。カンタレラはただ首を傾げるばかり。
そんな彼女を振り返り、リンドンは唐突に宣言した。
「カンタレラ。スラフィス。アタシらは四人で旅に出ることになったよ」
「はあ!?」
「一体、どういうこと?」
再び、周囲に気まずい沈黙が降りる。
何がどうしてどうなったのか、イトもリンドンも何も言わない。
呆れるような沈黙の後、先に状況を理解したのはスラフィスだった。
「イトが……『そういう未来を見た』ってことか?」
「未来? 私たちが四人で旅に出ることを、イトが予見したということ?」
「ご名答だね。
アタシの目は千里眼だから、この子が見た未来がそのまま見えた。
アタシたちは、明日四人で出発するんだよ」
「いきなり、そんなことを言われても困るのだわ」
カンタレラには『妹』のために薬を探すという目的がある。
スラフィスにだって、何か探すものがあるはずだ。
「勝手に決めるなよ。俺は他人とつるむのは好きじゃないんだ」
「アタシが一番ゴメン被りたいよ。この街にゃ大事な店があるんだからね」
「申し訳ありません!」
揉める三人を前にして、イトはテーブルに手をつき、深々と頭を下げた。
「ですが、僕はこの未来を変えることができません。運命を変えるわけにはいかないんです。どうか、僕の見た未来に従って、一緒に旅に出てください」
「待て待て。『変えるわけにはいかない』って、そもそも運命に逆らったらどうなるんだよ。何か罰でも下るのか?」
「はい。
運命が変わった瞬間に、僕が……死にます」
予見者イト・ヨキは、彼がいつも浮べている、困ったような顔のまま告げた。
「ヨキ家の能力というものは、本来呪いなんです」
カンタレラとスラフィスの視線が集まる中、イトは茶で僅かに唇を湿らせると、語り始めた。
「昔、太陽の神に愛された人間の娘が、愛の証として未来を見る目を贈られました。しかし娘は神の愛を拒否し、怒った神は今度は娘に呪いをかけました。
どんな未来を見ても、それを変えることができないという呪いです。
未来を変えてしまえば、その時点で自分が死んでしまう。娘は悲惨な未来を予見する度に、自分が死ぬか、人を見殺しにするかで悩み苦しむ一生を送ることとなりました。
それが、ヨキ家の祖先だと言われています」
ならば、ヨキ家というのは、神に呪われた一族ということになる。
しかしイトはどこか誇りを感じさせる表情で、二人の視線を受け止めた。
「ですが、僕はこの能力を呪いだとは思っていません。
運命とは、元々絶対に変えることができないもの。しかしヨキ家の者は、生涯一度だけではありますが、それを変えることができるのです。素晴らしいことです。
僕の父は起るはずだった戦を止めて死に、祖父は王の暗殺を阻止して死にました。
僕もまた同じように、この国を守り、多くの人の命を救って死にたいと思っています」
「それは……」
予見者はテーブルに静かに手をつき、再び深々と頭を下げた。
「ですから、どうか皆さん僕と一緒に来てください。僕はこんなところで無駄死にするわけにはいかないのです」
重い沈黙が降りた後、カンタレラはゆっくりと口を開いた。
「確かに、私と貴方は似ているのだわ」
生まれたときから、ただ一つ生きる目的があり、そのためだけに育てられた。
カンタレラは殺す。イトは死ぬ。方法は違えど、この国を救い歴史を変えるというその点では同じことだった。
リンドンが言ったように、二人は似た者同士であり、同類なのだろう。
仲間の死を超えてきたことも、今こうして、本来働くべき場所を離れているということも。
「おそらく私には貴方の気持ちがわかる。国を離れる運命と知ったときの無念さも、きっと私にはわかると思う。私は貴方を死なせたくはない」
イトが目を輝かせるのがわかり、カンタレラは一瞬言葉に詰まった。
自分でも理由はわからなかったが、ほんの僅かな時間、喉から声が出てこなかった。
「……けれど、今の私には新しい目的があり、それは貴方の人生よりも大切なもの。イトが生きようと死のうと、私には私の目的の方が大切だわ」
「……はい」
「イト、貴方の目指す方角はどっち?」
「えっと……北、です」
カンタレラはホッと息を吐き出した。
「ならば一緒に行きます。けれど途中で私の目的地が貴方の運命と違ってきたら、私は迷わず貴方を捨てることを忘れないで」
「はい! 承知しました!」
明るく返事をされて、胸が少し痛んだ気がした。
カンタレラはまた視線を逸らし、青年に話しかけることにする。
「スラフィスは?」
「俺も一緒に行くよ。さすがにこんなガキが死ぬと言われちゃ見捨てられねぇ。元々、俺が目指すのも北だしな」
「それはいい偶然なのだわ」
「偶然ではなく、運命です。元々僕が何も言わなければ、みんな北に向かって出発したはずですから」
「アタシゃそんなつもりはまったく無かったがね」
和みかけた空気を、老婆の不機嫌そうな声が遮った。
「リンドンは……」
「一緒に行くさ。この歳で子供を見殺しとか冗談じゃない。
あー……まったくクソみたいな運命だね。アタシがどれだけ店を大事にしてきたと思うんだ」
「すみません。ありがとうございます」
「アンタのせいじゃない。けど一晩愚痴らせておくれよ」
リンドンはしばらくの間、本当に不服そうにブツブツと呟いていた。
それが落ち着くのに、どのくらい時間がかかっただろうか。
老婆が茶碗に手を伸ばしたところで、カンタレラは口を開いた。
「私からも、一つみんなに言っておかなければならないことがあるのだわ。
一緒に行動する以上、命にかかわることだから、きちんと聞いてもらいたいの」
老婆は顔を上げずに茶を飲んでいたが、
男二人はいぶかしげに視線を向けてくる。
カンタレラはコホンと小さく咳払いし、もう一度口を開いた、
「まず、私の体には原則触れないこと。特に粘膜への接触は絶対に避けること。
私と同じ食器から飲食しないこと。私が体調を崩し、嘔吐・咳・クシャミなど体液を周囲にまき散らすような症状が出た場合、速やかにその場を離れ、許可があるまで絶対に近付かないこと。
私の衣類・荷物にはできる限り素手での接触を避けること。私の頭髪や爪などが落ちていても、同じく素手では触らないこと。私と一緒に飲食するときは、そういったものが自分の食器に混入しないか注意すること。もちろん私自身も充分気を付けているつもりではあるけれど、一人一人が注意することも大切なのだわ」
「おいおいおい。一体なんのための注意なんだよ」
「貴方たちの命のため。
イトもしっかり聞かなければならないわ。運命を変える前に、毒に犯されて死ぬなどイヤでしょう?」
「…………」
二人は何事か言いかけたが、カンタレラの視線に呑まれるように押し黙った。
「一番良いのは、私と同じ部屋に入らないこと。今のように同じテーブルにもつかないこと。何か質問はある?」
「…………」
「その……まさか、お前も変な能力持ちとか、そんなことないよな……?」
そのまさかなのだった。